134. ベッドメリーと扇風機
農民であるニドやメルト村の人々はよく食べる。メルフィーナやマリーの三倍は優に食べるのではないだろうか。
早々に食事を終えてお茶を傾けている二人に気が付いて、ニドは申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ありません、私達がガツガツと食べてしまって」
「いえ、元々みんなと食べるつもりで多めに作ってもらったのよ。それに、食事をしているときのおしゃべりって普段聞けないことが聞けるから、好きなの」
ランチミーティングというほど大仰なものでなくとも、食事を共にする相手には自然と好感を持ちやすいし、円滑なコミュニケーションを築くのに効果的なやり方だ。
去年、あれほどメルト村の人々がメルフィーナに協力的であったのは、単なる領主の命令だからというだけでなく、メルフィーナが直接現地に出向き、時にはお茶や食事を共にして、疑問があればその都度答えていたということも大いに関係しているだろう。
セドリックは動きが静かで黙々と食べるので目立たないけれど、ひとつ、またひとつとサンドイッチを取り上げては口に運んでいる。一番食欲旺盛なのは、どうやら若く、従士として体を鍛え始めたロイドのようだ。
「ロイド、文官の勉強はどうかしら。従士の訓練と並行して、大変ではない?」
「……っ、いえ、どちらも一日おきですし、週末は休みも頂けているので。体力的には兵士の訓練をしていた時より楽なくらいです」
口いっぱいに頬張っていたサンドイッチを慌てて飲み込んで、ロイドは明るい表情で言った。
「ただ、勉強することが一杯で、頭が破裂しそうになります。こんなに頭を使ったのは生まれて初めてなので……でも、すごく楽しいです。ひとつ学ぶと、ああ、あれがそこにつながるんだなって分かるのが面白くて」
「ああ、すごくよく分かるわ。私も勉強そのものより、ここがこれにつながるのね、と理解出来た時が楽しいもの」
「ですよね! いてっ」
ぱっと笑顔になって身を乗り出したロイドの背中を、セドリックがバシンと叩く。中々いい音がしたし、痛そうだ。
「主に対し無礼だぞ、ロイド」
「あ、ええと、申し訳ありません」
「ふふ、セドリックは厳しい先輩みたいね」
「礼儀作法が整わず恥をかくのは本人ですし、領民のかいた恥は領主の恥でもあります。常に品行方正を求められるのが騎士だ。わかるな」
「はい!」
背筋を伸ばして返事をするロイドは生真面目で、セドリックの先輩らしさも相まってなんだか微笑ましい光景である。
昼食を終える頃には、ぱらぱらと降っていた雨も上がっていた。午後の仕事があるニドたちとはそこで別れ、馬車に戻ってメルト村に向かう。
領主邸とメルト村はそれなりの距離があるので、特にメルフィーナが多忙な時期は足しげく通うことが難しいけれど、現在はユリウスが滞在していることもあり、常に気に掛けている状態である。
メルト村に滞在するようになった後も、呼び出せばふらりと領主邸に顔を出してくれるので、無事であることも、かなりメルト村での暮らしを楽しんでいることも分かっているけれど、変わり者とはいえれっきとした貴族の一員であるユリウスが去年まで農奴の集落だったメルト村にここまで馴染むとは、流石にメルフィーナも予想外だった。
ニドの家を訪ねると、赤ん坊を抱いたエリが出迎えてくれる。
「いらっしゃいませメルフィーナ様」
「お邪魔するわね。まあサラ、少し大きくなったわね」
以前見た時は開いていなかった目がぱっちりと開いて、メルフィーナを見る。髪も大分フサフサになっていて、ふくふくとした頬を見ているだけで幸せな気持ちになった。
栄養状態もよさそうで、とても健康そうな様子にほっとする。
「可愛いわね、赤ちゃんって、本当にいいものだわ」
「ふふ、よろしければ抱いてみますか?」
その申し出には随分迷ったけれど、是非と促されて結局受け取った。
大きな布に包まれているサラは、思ったよりも重たくて、布越しにも温かい体温が伝わってくる。まだ人見知りは出ていないようで、初めて見るメルフィーナが珍しいのだろう、小さな手をこちらに向けて来て、空を掻いている。
「本当に可愛いわ。ふふ、きっと今、私、大変な顔になっているわね」
微笑むのが止まらない。これ以上抱っこしているとそれこそ領主の威厳もあったものではないので、名残惜しさを感じながらエリにサラを返す。
「メルフィーナ様は、本当に子供がお好きなのですね」
「ええ、勿論よ。単純に可愛いし、これからどんどん大きくなっていくのかと思うとわくわくするわ」
弟のルドルフも王都のタウンハウスで生まれたので、首が据わるまでメルフィーナは足しげく子供部屋に足を運んだものだった。
赤ん坊ながらに鮮やかな赤毛で、目鼻立ちも父に似ており、生後しばらくしてタウンハウスにやってきた父がルドルフを抱いて、見たことがないほど深い笑みを浮かべていたのを覚えている。
幼い心に抱いた嫉妬とやるせなさは確かにあったけれど、目の前にいる弟の可愛さにはなんの関係もなかった。
おねえちゃま、と舌っ足らずにメルフィーナを呼んでくれた、あの喜びに勝るものは何もない。
「きっとサラもすぐに歩き出して、走るようになって、ロドやレナみたいになっていくのね。ふふ、とても楽しみね」
エリに抱かれたサラの頭を軽く撫でると、エリの背後のドアがゆっくりと開き、少し屈んでドアの枠を避けて青い髪の長身の男性が出て来る。
「レディ、声がすると思ったら、いらしてたんですね!」
「ユリウス様、こんにちは……その恰好は?」
ユリウスが着ている服は、染色されていない麻のシャツと、トラウザーズも草木染めの、平民が身に着けるちょっといいもの、というレベルの服だ。
「ああ、これは先日村に商人が来たので着替えに買ったものです」
似合いますか、と続かなかったのは自分でも似合っていないと分かっているからだろう。
夏は麻のワンピースを愛用しているメルフィーナが言えた義理ではないと分かってはいても、生まれながらの貴族が平民のコスプレをしているようにしか見えない。
――なんというか、不思議な感じがするわ。
ゲームの記憶では、ユリウスは色気たっぷりの快楽主義者であり、ヒロインに対して思わせぶりな態度で翻弄し、甘い言葉を弄して誘惑するキャラクターだった。
たっぷりとした絹のローブに長く豊かな青い髪を垂らし、妖艶に微笑んだスチルは人気が高く色々なグッズにも転用されていた。
ところが目の前のユリウスときたら、子供みたいにニコニコと笑って似合っていない平民の服を着て、長身を窮屈そうに屈めてドアを出入りしている。すっかりニドの家に馴染んでいるらしく、自然とエリからサラを受け取っていた。
「おかあさん、ベッドにおもちゃを付けたんだけど……あっメル様!」
「レナ、こんにちは。ユリウス様と何かしていたの?」
「サラのおもちゃを作っていたの。今出来たところだから、メル様も見て」
手を取られ、引っ張られてエリを見ると、娘がすみませんと言うように苦笑されて頷かれる。
「どうぞ、よろしければメルフィーナ様もご覧になってください。ユリウス様とレナが数日前から作っていた力作ですので」
レナに引かれるまま隣の部屋に入る。ここはロドとレナの子供部屋らしく、小さなベッドが二つ並んでいて、ドアの傍にはもうひとつ、柵に覆われた寝台が設えられていた。
「これは……赤ちゃんのベッド?」
「はい、寝返りを打つにはまだ早いのですが、ベッドから落ちたら危ないからとユリウス様が作って下さって」
農奴の家は一間しかないのが当たり前だし、大人から赤ん坊まで土間で暮らし、寝るものだ。メルフィーナが領主になって以降は多少衛生や生活習慣に変化も出たけれど、一年少々のことなので未だに土間でないと落ち着かないという声も聞こえてくる。
ニドはメルト村の村長として真っ先にメルフィーナの提案する生活を受け入れて、特に何でも口に入れる赤ん坊を床で寝させたり、這い歩きをさせたりするべきではないという言葉は真っ先に取り入れてくれた。
過去に子供を酷い下痢で亡くしているというニドである、サラの健やかな成長を、きっと誰よりも喜んでいるはずだ。
「メル様、上、上見て!」
「え? あら、これって……」
「風の魔石を使ったおもちゃだよ。ユーリお兄ちゃん、回して回して」
レナが声を掛けると、ユリウスはサラをベビーベッドに下ろし、高い位置にセットした「おもちゃ」のスイッチを入れる。するとふわり、と風が動いて、それはくるくると回りだした。
馬車の車輪を薄く小さくしたようなものに、糸に取り付けた木製のオーナメントが括られたそれは、回るたびに小さくぶつかって、カラカラと音を立てる。サラの目は動くものを追いかけて、手を伸ばし、きゃっきゃっと笑っていた。
前世ではベッドメリーと呼ばれていた、赤ん坊のための知育玩具である。電動が無い代わりに風の魔石を取り付けて動くようにしているのも、画期的と言えるだろう。
「驚いたわ、これは、ユリウス様とレナで考案したんですか?」
「思いついたのはレナです。サラの目が動くものに反応しているのに気づいて、色々と目の前で振ってためしてみたんですが、音と動きのあるものに特に強く反応するので」
「サラは赤ちゃんだから、ずっとベッドにいるでしょう? でもただ上から垂らしているだけだと動かないねって言ったら、ユーリお兄ちゃんが回るようにしてくれたの」
「風の魔石って、ほとんど売られていませんよね。見た覚えもないですし」
「東部には風の魔物が出るので、一応流通はしていますよ。ただ、使う者が少ないのであまり見かけないですし、売値もすごく安いんです」
行商人が持っていた魔石の中から魔力が空になった風の魔石を捨て値に近い値段で買い取り、ユリウスが魔力を充填したものを使っているのだという。
レナの発想とユリウスの錬金術師としての技術の結果、出来上がったものらしい。素直に感心し、微笑ましいと感じる一方で、レナが想像したものをユリウスが形にしていく組み合わせに少し空恐ろしくも感じる。
ひとつ利用法が見つかれば、発展形が次々と発明されるのはあっという間だ。
この赤ん坊の玩具は、風の魔法は最も使い勝手の悪いものだという概念を覆す可能性すらあった。
「これで、扇風機が作れそうですね」
「レディ、せんぷうき、とはどういうものですか?」
好奇心の強いユリウスが食いつく隣で、レナもそっくりな表情でメルフィーナを見上げて来る。
「風を起こす装置のことです。雨季が終わったらガラス工房を誘致できそうなんですけど、ガラスの加工はとにかく高温での処理になるので工房内はとても暑くなります。室内の風通しを良くしたいことと、ガラスは風で冷やすことである程度厚さや伸び縮みを操作できるので、一定の風を吹かせる装置というのはとても重要なんです」
「ああ、それでしたら出来そうですね。すこし考えてみましょう。風の方向と強さを一定にするなら、筒状の入れ物に魔石をセットするか、いっそ魔石は動力源として、風車のように羽をつけて風そのものはそちらで発生させるほうがいいかもしれません」
「スイッチで何段階か風の強さを変えられるようにするといいですね」
「なるほど、強く、普通、弱くの三段階でいいですか?」
「ええ、十分だと思います」
ユリウスと話し合っているそばで、レナはうずうずとした様子で聞いていたけれど、やがて我慢できなくなったようにはい! と手を上げた。
「レナもお手伝いしたいです!」
「じゃあレナは、僕の助手だね」
「うん!」
「レディ、レナは頼りになりますよ。僕の気づかないところに気づいてくれるし、それがとても重要なものだったりするんです」
そう言うユリウスに、レナは得意そうに笑っている。
ロドとも仲の良い兄弟だけれど、ユリウスとはまた別の意味で、とても相性がよさそうだ。
――幼馴染の悪戯仲間、というところかしら。
さっそく風を起こすなら羽根の向きが、形が、数がとわいわい話し始めた二人の向こうで、ベビーベッドに寝かされたサラが、カラカラと音を立てて回り続けるベッドメリーを目で追い続けていた。
実は随分長いこと、時代設定的にズボンは長いタイツを腰のベルトで留めたものが主流であることに悩んでいたのですが、とうとうトラウザーズを登場させてしまいました。以後、この世界では男性の下の服はズボンの形であるとします。
誤字脱字の報告、いつもありがとうございます。とても助かっています。