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132.古い手記

「それから、こちらを閣下から預かってきました。返却はいつでも構わないそうですが、破損には気を付けて欲しいとのことです」


 そう言って、オーギュストが取り出したのは緋色の布に包まれ飾り紐で結ばれた包みだった。受け取って、執務机の上に置き紐解くと、中から現れたのは一冊の本だ。


「聖女について記載のある書物ですね」

「はい、といっても当時の公爵閣下の自伝というか、日記のようなものですね。当該の箇所には栞を挟んでありますけど、かなり脆くなっているのでばらけないように気を付けてください」


 オーギュストの言う通り、本自体が古すぎて全体がかなり脆くなっているようだった。

 羊皮紙、つまり羊の皮をなめして作った紙は熱にも湿度にも光にも弱く、経年劣化しやすい素材だ。インクも現行のものよりさらに品質が安定していないのだろう、ところどころ羊皮紙の繊維と混じりあって滲み、ページによっては虫食いがあったりカビに汚染されていたり、ページとページが張り付いて開かなくなっていたりする個所もある。


「見てもいいと言われたので少し覗いてみましたが、そもそも古語で書かれていてほとんど理解出来ませんでした」

「古語なら少しは解るから、気を付けて読むわ」


 そう答えて、栞を挟んであるページをめくる。確かに古い言葉の上に掠れた筆記体で、かなり補完しながら解読する必要がありそうだ。


「今から249年前のことなのね。王城の中庭に、光と共に若い女性が現れたとあるわ」

「……本当に読めるんですね。正直、古語って令嬢の教養とも言い切れないと思うんですが」

「クロフォード本家の娘は王家にも輿入れできる立場だもの、令嬢としての教養だけでなく、あらゆる知識を求められるわよ」


 王城に現れた女性は聖女と認定され、聖女の能力と知識を活かすため、有力な諸侯が王城に召集を受けた。

 最初の記述では、この手記を書いた公爵は当初、聖女の存在に懐疑的だったらしいけれど、召集は王命であり、王都に向かうことになったらしい。


 かなり渋々だった様子が、掠れてはいるものの几帳面に記された文字から伝わってくる。どうやら当時のオルドランド公爵も、少々偏屈なところがあったらしい。


 けれど、気持ちは分からないでもない。北部から王都まで馬車で大急ぎでも十日はかかる距離だ。滞在日数を絞っても、少なくとも一か月、そこから聖女との謁見や交流にどれくらいの時間がかかるかすら分からないのに、それほど長く領地を空けたくなかったのだろう。


 ――いえ、王都は今の位置とは違うんだったわ。


 現在メルフィーナ達が暮らすフランチェスカ王国は、建国240年を迎えたばかりだ。領土のほとんどは、その前身のブラン王国から引き継いでいるけれど、現在王都と定められている都市はブラン王国の貴族だった現王家の先祖が治めていた土地だった。


 今の王都より南側に下った土地に、旧王都が存在する。もっとも、かつての栄華とは程遠い、寂れた古い街になっていると聞いたことがある。

 聖女の降臨から十年で新しい国が興り、降臨した国は滅びているのが気になったけれど、今は目の前の本に集中することにする。


 王都までの移動の間、最近王国内を騒がせている病について憂慮する文章が続いていた。村全体が意識障害に陥ったり、貴族にも虚言や失神、特に流産が多発していたりして、国全体に暗雲が立ち込める雰囲気になっていた様子が伝わってきた。


 判読不能な部分を飛ばすと、公爵はあっという間に王都にたどり着いていた。聖女との謁見の様子に息を呑んで、文字をなぞる。


 黒髪黒目の若い女性、十三歳程度の容姿に見えるが、本人は十七歳だと言う。貴族の女性には見られない溌剌はつらつな振る舞いを見せ、名前は……。


 ――マリア。


 ざわざわと、服の下で肌が粟立つのが分かる。


『聖女の英知により、国を揺るがしている問題は麦に寄生する小さな魔物が原因であると特定される。聖女が祝福した畑から取れた麦からはこれまでの症状を呈するものはなくなり、また、彼女が指示した方法で麦を選別すれば、麦の発症も大幅に軽減されることになった』


 ここから少し掠れて読めなくなっており、王都でどのように過ごしたか、聖女の周辺に誰がいたか、最初は聖女など胡散臭いと思っていた公爵の心境の変化などが、途切れ途切れに伝わってくる。


『マリアは素晴らしい女性だ。彼女は最近、宰相の息子と行動を共にすることが多い。王都よりも素朴な郊外を好み、彼の領地へ足を運んでいると聞く』


 表記が聖女から名前に変わったあたりから、手記の熱量も上がってきた。マリアの素晴らしい英知にもっと触れたいと望み、素晴らしい女性だと古い表現で記されている。


『貴族の女性の一部が、マリアに対して嫌がらせを続けているらしい。救国の聖女に対する無礼な行いを到底看過することは出来ない。第一騎士団も調査に動いているようだが、その元凶を排除することで、彼女と過ごす時間が増えるかもしれない』


 愛や恋といった直接的な表現こそないけれど、恋焦がれた相手の歓心を買おうと足掻いている様子が、胸が痛むほどに伝わってくる。


 聖女を取り巻く人々の描写、教会と神殿がどちらも聖女を欲しがっている、そのやり方が気に入らない様子の書き込み、それから、王家がマリアの周囲にいる異性を遠ざけ始めたことへの憤り――。


『彼女は、北にある宰相家の領地に出奔したと聞いた。王家と宰相が対立し、国が二つに割れ始めている……』


 ここから判読不能で、次のページは紙と紙が張り付いてしまっている。無理に開いても、間違いなく解読できる状態ではないだろう。

 数ページ飛ばすと、公爵は領地に戻ったことが記されていた。それからしばらく記入は途切れ途切れになり、領内で起きた大きな事件や災害などに対して書き込みが続く。


『聖女を旗印に、新たな国を興す旨が宰相家より通達された。私はブラン王家に忠誠を誓った身だが、聖女は王族より尊い存在であり、この世界の調整者でもある。あの頃彼女の傍にいた者たちと共に、聖女の元に下ることになるだろう――』


 聖女に関する記述はここで終わりのようだ。おそらくこの数年後に聖女を迎えた家――現フランチェスカ王家がブラン王国を併合し、現在のフランチェスカ王国が建国されたのだろう。


 聖女の能力、知識、魅力、民衆からの支持と信仰に、有力な諸侯の追従……旧ブラン王家は、為す術もなかったに違いない。


「……聖女とは、本当に存在したんですね」

「昔すぎてほとんど史料も残っていませんし、おとぎ話の中の存在のようなものですよね。これほど古い手記が現存しているのも、北部の寒冷な土地柄というのが大きいでしょうし」

「確かに、南部に似たようなものを残されても、とっくに湿気とカビの餌食でしょうね」


 軽く笑い合って、本を閉じる。指先が冷たくなって震えそうになるのを、机の下に手を下げて隠した。

 聖女が現れる前の大規模な疫病、各地の諸侯が集められ、マリアの周囲に集う成り行き。聖女の能力と知識によりトラブルが解決されてゆく中で彼らが聖女に惹かれ、その愛を欲する流れ。


 そして、その中から選ばれた一人が莫大な利益と幸福を得る結末。

 大筋は多少違っているけれど、メルフィーナの知っている「ハートの国のマリア」にそっくりだ。


「貴重な史料を貸してもらってありがとう。自室でもう少しゆっくり読みたいから、しばらく貸してもらっていいかしら?」

「はい、一応貴重品なので、返却の際は俺が運びますので、折りのいいときに預けてください」

「そうさせてもらうわ。もう大分あちこち読めなくなっているけれど、250年も前の貴重な史料ですもの、写本しておきましょうか?」


 植物紙は羊皮紙に比べれば比較的傷みにくい素材であるし、インクも昔に比べれば発色や定着が良くなっているはずだ。いい考えのように思えたけれど、セドリックからストップの声が上がる。


「メルフィーナ様。昼間の執務だけでもかなり働いている自覚はありますか? 夜はしっかりと休んでください」

「あら、夜中に走り込みや素振りをしている騎士に言われるとは思わなかったわ」


 わざとつん、と澄まして言うと、オーギュストが声を上げて笑う。マリーも珍しく、口元を押さえて笑っていた。


「一本取られたなセドリック」

「うるさい、触るな」


 セドリックが肩に回されそうになった腕を払い除けると、オーギュストはちぇっ、と拗ねたように言った。


「では、俺はそろそろ失礼します。折角丸一日休みをもらったので、久しぶりにエンカー地方をぶらぶら見て回ってきますね」

「屋台の数も増えたから、食べ比べをしてみるといいわ。どこも中々美味しいのよ」


 楽しみですと笑って礼を執り、オーギュストは執務室から出て行った。


「私たちも仕事に戻りましょうか」

 手元の本を元のように布に包もうとして、ふと、装丁の最後のページをめくる。


 そこには、几帳面な北部の男性らしく、記した公爵の署名が入っていた。


 ――アレクシス・フォン・オルドランド。


 ああ。


 この世界は、とても、気持ちが悪い。


 本を閉じて隠すように包み、飾り紐で縛る。

 メルフィーナは前世の知識があるとはいえ、この世界で生まれ、幸も不幸も噛みしめて生きてきた。


 その世界そのものに、ざらりとした不快感を覚えるのは居心地が悪く、自分自身が決定的な異物になってしまったようで、なんだかひどくいたたまれない気持ちにさせられた。


メルフィーナは記憶が戻ることで物語の歯車の歯のいくつかが突出してしまった元歯車です。ギシギシ軋みつつ、その軋みは物語全体に影響を及ぼしていますが、メルフィーナだけが自分を含む周囲の人々が実は歯車であったのだと気づいていて、時々とても居心地の悪い気持ちを味わっています。

アレクシスはオルドランド家に沢山いる名前なので現在の公爵様と同姓同名のご先祖様になります。


本日からカクヨムさんにも同タイトルの投稿を始めました。

年末年始にやりたかった細かい修正を、そちらに投稿しつつ直していこうと思います。修正しつつの再投稿なのでこちらが最新の更新になります。修正箇所はこちらにも反映させますので、引き続きお付き合いいただけると嬉しいです。

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おおう‥‥最後のアレクシスと同姓同名のご先祖様のところでぶるりときました。 こう、なんか自分の預かり知らぬ所ですべての運命が決まってるような片鱗を目の当たりにするの、怖い、と思いました。。
(コミカライズ1話目を読んでこちらを読み始め、何度も感想書こうとしては次のページが気になり読み進め……と、途中凄く気になってコメント入れたいところがあってそこも絶対あとで書きたいんですけど、 ここ読ん…
[気になる点] ■前回作物被害は麦の病気で今回はジャガイモ枯死病 ■聖女は転生者ではなく転移者 神殿の建国物語では聖女は王子と結ばれ、教会の記録では建国王の求めに応じてその妃となった 公爵家の記録で…
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