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130.ミルクセーキと人の価値

 厨房の石窯に火を入れ、温まるのを待ちながら、メルフィーナは厨房に置かれたテーブルの椅子に腰を下ろす。

 そのはす向かいにはエドがまだ濡れた服のまま座っていた。ラッドが宿舎に着替えを取りに行ってくれているけれど、石窯の熱でサウナが暖まるには少し時間がかかるだろう。


 ――毎日、エドが夕飯を作るために石窯に火を入れてくれていたのよね。


 前世の記憶があるメルフィーナにとって、入浴はできるだけ小まめにしたいものだし、衛生面から領主邸の住人にも入浴を推奨している。

 多忙な執務を終えて就寝前にサウナで体を温めることが出来るのも、エドが夕食に温かい食事を用意してくれるからだ。


「体の温まる飲み物を作るわね」

「あ、僕が」


 座ったままメルフィーナに作業をさせるのは気が引けるのだろう、慌てて立ち上がったエドに、優しく告げる。


「じゃあ、少しだけ手伝ってくれる? まずはボウルに卵を割って、よく混ぜて欲しいの」


 しっかりと卵が混ざったら、砂糖を入れ、ミルクをやや多めに、数回に分けて注ぎしっかりと混ぜ合わせる。エドは手際よくボウルの中身を撹拌していた。


「これを鍋に入れて弱火に掛けて、かき混ぜながらゆっくり温めていくわ。卵が入っているから熱を入れすぎると固まってしまうので、沸騰させないように気を付けて」


 木べらでしっかりと混ぜながら、沸かない程度に温めて、白い湯気が立ち始めたら火から下ろしてカップに注ぐ。ひとつをエドに、もう一つをドアの傍に立っているセドリックに渡し、メルフィーナも自分の分を持って椅子に腰を下ろした。


「ミルクセーキって言うの。甘くて美味しいのよ」


 カップを傾けて一口、口に入れるとミルクと卵の優しい味が口の中でとろけた。

 バニラビーンズかブランデーで香りづけ出来ればなおいいのだけれど、これでも十分にほっとする優しい味だ。


 メルフィーナが口を付けたのを確認して、エドもカップを両手で掴み、そっと口をつける。


「……美味しいです」

「よかった。もうすぐ夏とは言っても、北部の朝晩は冷えるのだから、サウナが暖まったらすぐにお風呂に入ってね?」

「はい……。メルフィーナ様、ごめんなさい。あの、これは、心配をかけた分のごめんなさいです」


 少しだけ気持ちに余裕が戻って来た様子に微笑んで、ええ、と小さく応える。


「みんなとても心配していたのよ。落ち着いたら、お礼を言いましょうね」

「はい。……僕、本当に馬鹿でした。どうしようってそればっかり考えていて、みんなに心配をかけるって、全然思いつかなかったんです」


 ちびちびとカップからミルクセーキを飲んでいるエドの、いつもより下がっている肩になんと言葉を掛けたものかと悩む。


「才能」は万人が与えられるものではない。まして、よほど裕福でない限り教会や神殿で「祝福」を受けることのない平民にとって「この子には「才能」がある」という言葉は、前世なら子供に対して末は博士か大臣かと言うような、将来に期待をこめた一種の誉め言葉に近いものだ。


 エドがこんな風に思い悩むのは、これまでそうやって褒めてきたメルフィーナや周囲の責任もあれば、エドが領主邸に来るまでの来歴も、少しは関係しているのだろう。


 エドはラッドとクリフと同郷で、農村からソアラソンヌに出稼ぎに来た子供だ。去年の時点で十二歳。丁稚や小姓としてなら適齢期だけれど、出稼ぎに出るにはまだまだ幼いと言わざるを得ない。


 大人の男性のような力仕事は出来ないので雑用などをこなしていたようだけれど、ラッドやクリフが言い濁しつつ、雇い主に虐待まがいの扱いを受けていたのは伝わっていた。


 明るく屈託のない少年の顔の裏側には、役に立たねばならない、望まれる姿でいなければならない。そんな強迫観念に似たものがあったのではないだろうか。

 どれだけ努力しても、望まれたものに自分はなれない。そう突きつけられる痛みを、メルフィーナは誰よりもよく知っている。


「あのね、エド。私は「鑑定」の「才能」を持っているけれど、「鑑定」って貴族の間では有名な外れ扱いの「才能」なの。十二歳の頃に神殿で祝福を受けて、自分の「才能」を知った時は、帰りの馬車で両親にこんな「才能」だったなんて言えないって泣いたわ」


 結局、メルフィーナの「才能」など誰も興味を示さず、そんな報告をせずに済んだ、苦い思い出である。


「どんな「才能」があっても、無くても、それでその人の価値が変わる訳ではないわ。これからエンカー地方が発展していけば、色々な仕事が生まれると思うの。私が皆に祝福を受けて欲しかったのは、「才能」があることで将来やりたいことにつながれば良いと思ったからよ」


 これまでは畑を耕すか都市に出稼ぎに行くことしか選べなかった人々に、様々な仕事を選択するように言っても、難しいだろう。

 その先駆者になるのは、きっと子供達だ。


「あなたの生き方は、あなたが選んでいいの。難しいことも多いし、大変なこともたくさんあると思う。でも、笑って、幸せに暮らす以上に大切なことなんてひとつもないのよ」


 それが綺麗ごとだということは分かっている。

 高位貴族の家に生まれて、政略結婚が義務として育った。メルフィーナ自身が、自分の生き方を自分で選べるような立場ではない。


 封建制で、強固な身分制のある世界だ。平民でも貴族でも、自由な選択や望んだ生き方などできる者の方がずっと少ない社会である。

 どれだけ稀有な「才能」が芽生えても、祝福されないまま消えていくか、身分制を前に徒花として枯れ落ちるほうが、圧倒的に多いはずだ。


 それでも、自分に価値がないなどと思わないで欲しい。誰かの望む何かになろうとする必要は無いのだと言ってあげたかった。


「ねえエド、一年と少し前、領主邸に来た日のことを覚えている? ラッドとクリフと三人で、私のところで働きたいって言ってくれたわよね」


 あれはまだ春になったばかりの頃だった。結婚式の翌日にあわただしく公爵家を飛び出してやってきたエンカー地方は、小さな村と集落があるばかりで、領主邸も今の形に改装されておらず、小さな屋敷は埃っぽくて、メルフィーナが最初にしたのは窓を開けることだった。


 今日の寝床があればそれでいいと思っていたメルフィーナに、手伝いを申し出てくれたのが荷運びに雇った三人だった。


「あ、あの時は、雇い主が僕を殴ったり蹴ったりするのを、ラッドもクリフも見かねていて。三人で転職先を探していたけど、田舎から出てきた僕たちでは他に働き口も見つからなくて、たまたま、メルフィーナ様が優しかったから」


「たまたまでも、そこにいてくれたのがあなたたちでよかったって、私は思っているわ」


 泣き腫らした目にじわりと大粒の涙があふれるのに、ハンカチを取り出して、そっとぬぐう。


「あの日、マリーが言ったわね。私には、私だけの味方が必要だって。ラッドもクリフもあなたも、その言葉通り、私の味方でい続けてくれたわ。それだけで十分だったのよ」


 三人は、メルフィーナが驚くほど献身的に働いてくれた。


 ラッドはエンカー地方とソアラソンヌ、時には王都まで往復して物資を運び、メルフィーナが必要とする物を調達してくれた。

 長い移動ばかりで大変だったはずなのに、一度も疲れた顔を見せることすらしなかった。


 クリフは、馬や屋敷の世話をよくしてくれた。時にはマリーの補佐として動き回り、メルフィーナとエンカー地方をつなぐ役割を果たしてくれた。


 そしてエドは――。


「ここに来たばかりの頃、エドとはたくさん、一緒に料理をしたわね。私が領主の仕事が忙しくなって、厨房に立てない日が多くなっても、エドが食事を作ってくれてとても安心出来たわ。あなたはいつも明るくて、一番温かくて美味しい部分を私のお皿に載せてくれた」

「だって、メルフィーナ様は、いつも頑張っていたから。朝から晩まで働いて、僕たちを褒めてくれて、領主様なのに、同じテーブルで食事をして、色んな話をしてくれて、それが全部楽しくて、だから……」


 領主だから、雇い主だから、そんな気持ちでエドがそうしていたわけではないことは、ちゃんと伝わっていた。

 無垢で純粋な思慕と献身を、エドはいつだってメルフィーナに向けてくれた。


 血を分けた家族にもどんな「才能」を持っていたのか関心さえ寄せられなかったメルフィーナにとって、それがどれほど価値のあるものか、きっとエドには分からないだろう。

 それはどんな「才能」より、エドを輝かせているというのに。


「私はエドが「才能」を持っているかもしれないから、あなたが大事になったわけではないわ。この一年、あなたの手が沢山の料理を作って、私達の日々を彩ってくれた。それに嘘はないでしょう? 「才能」がなかったら、その日々も嘘になってしまうの?」


 エドは大粒の涙を流しながら、ぶんぶんと首を横に振る。


「僕、この一年、ずっと幸せでした! 温かいご飯を食べて、お仕事は楽しくて、毎日眠るときは、明日が楽しみでした。全部嘘じゃありません!」

「エド、私ね、あなたが大好きよ。どうかいつも、それを忘れないで」

「っ、うっ……は、はい」


 この先も「才能」が無かったことが、エドを苦しませるかもしれない。

 メルフィーナの見えないところで、膝を抱えて泣く日があるかもしれない。

 それでも、それだけが自分の価値ではないのだと分かって欲しかった。


「このミルクセーキ、私のお気に入りなの。特に冬に飲むと美味しいのよ。今度はエドが、私に作ってくれる?」

「……っ、はい!」


 季節が変わっても、これからもずっと領主邸にいて欲しいという気持ちは、ちゃんと伝わったようだ。ぐずぐずと鼻を啜りながらカップを傾けているエドに胸の内でほっと息を吐く。


 石窯が熱を放ち始め、厨房の中が暖まって来た。

 そろそろサウナも使えるだろう。


「お風呂に入って来て。今夜は久しぶりに、二人で夕食を作りましょうか」

「もう大分遅くなってしまいましたよね。僕、急いで入ってきます!」

「ちゃんと芯まで温まってきて。エドに寝込まれたら、それこそすごく困ってしまうわ」


 声に張りが出たことにほっとして厨房から出て行こうとするエドの背中を見送っていると、ドアを開けたところでわっ、とエドが驚いた声を上げる。


 ドアの外にはラッドとクリフの他、アンナやセレーネのメイドに、マリーまで揃っている。


「なっ、なんでみんないるんだよ!」

「あんたを心配したんでしょ! 馬鹿エド!」

「馬鹿ってなんだよ! 馬鹿っていう方が馬鹿なんだぞ!」

「あー、エド、これ着替えだ。早くサウナにいってこいよ。あと、滅茶苦茶腹が減った」


 ラッドが差し出した着替えを受け取って、ぼそぼそとありがとうと告げた後、エドの大声が厨房に座っているメルフィーナまで聞こえてくる。


「心配かけて、ごめん! 夕飯、すぐ作るから!」


 それから、バタバタと遠ざかっていく足音に全員が顔を見合わせ、ばつが悪そうに散り散りに散っていく。

 夕食を囲む頃には、きっと気まずい空気もマシになっているだろう。


「聞き耳を立てているのはどうかと思ったのですが、メルフィーナ様のお話を中断させてしまうことになりそうだったので、見逃しました」

「みんなエドが心配だったものね。ありがとう、セドリック」


 ドアの傍にいたセドリックには、その向こうの人の気配が分かっていたらしい。生真面目な彼ならば散らそうとしても不思議ではないけれど、今回は黙認を選んだようだった。


「……冬に飲むこの飲み物は、格別に美味しそうですね」


 セドリックもまた、らしくない真似をしたことに居心地の悪さを感じているらしい。ぼそりと告げた言葉に微笑む。


「これね、熟成された蒸留酒で割っても、すごく美味しいのよ」

「それは……とても楽しみです」


 すっかり空っぽになったカップを覗き込む瞳は光を弾いてキラキラと輝いていて、それにクスクスと笑ったことで、メルフィーナも少し、気持ちが軽くなるのだった。


基本的に貴族は労働をしないので、どんな「才能」があってもあまり意味がありません。領地経営も家令と代官にまかせて、魔物討伐は魔法使いと騎士がやるものという領主もいます。


祖母が末は博士か~って言っていたような記憶があったので普通に使う慣用句なのかと検索してみたのですが、死語と出て来て、ちょっと複雑なきもちになりました。

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