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捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです  作者: カレヤタミエ


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120.トウモロコシと東部の商人

 豪勢な応接室に通されたゲルトは、出された温かい茶に口をつけ、嗅ぎ慣れない香りに一度カップを遠ざけ、手で湯気を仰ぎ、その香りを吸い込む。


 すぐに、それがトウモロコシの匂いであると気が付いてあまり良い気はしなかったものの、公爵家で出された飲み物に口を付けないなど、商人である自分に許される振る舞いではない。


 ――平民にはトウモロコシが似合いということか。


 北部でここまであからさまな侮蔑を受けるのは初めてだが、手広く商売をしていれば時々このような、言葉ではない侮辱を受ける機会は少なくない。いちいち目くじらを立てていては商売人は成り立たないものだ。


 口を付けてみると、味はやや薄いが悪くないものだった。紅茶ならば産地もある程度は絞り込める程度の知識はあるけれど、そういった強い特徴はなく、それだけ好き嫌いが分かれにくいだろう、ただ優しい味がする。


 高価な紅茶を嗜むのは貴族や大商人の嗜みだが、普段一息つくならば、むしろこれくらいの味のほうがよいのではないだろうか。

 香りからして、間違いなくトウモロコシ由来のものだろう。カップの中身は澄んでいて、穀物由来の濁りのようなものは見当たらない。トウモロコシの葉か、莢を包んでいる部分を乾かして刻み抽出したものかもしれない。


 トウモロコシは家畜の餌である。その分非常に安価なので、それを茶葉として売れるならいい商売になるかもしれない。

 頭の中でそろばんを弾いていると、開いたままだった応接室のドアから、騎士の身なりをした若い男が堂々とした振る舞いで入ってきた。


「待たせてすまないな。閣下も同席したがっていたが、時間を取るのが難しいらしい」

「いえいえ、春はどこも気忙しい季節ですので、お気遣いなさらないでください」


 立ち上がり、深く頭を垂れると騎士は座るよう促し、自分も向かいのソファに腰を下ろす。

 この騎士には見覚えがある。北部の公爵、アレクシスの側近の騎士だ。名目は護衛騎士だが、公爵の懐刀として有名な男だった。


 少し遅れてメイドが入室してきて、ゲルトのカップにお茶をつぎ足し、驚いたことに向かいの騎士にも新しいカップで同じお茶を注ぎ入れた。騎士は気にした様子を見せず、ぐい、とその中身を傾ける。


「正直、今年の忙しさは異例で、文官たちも大半が公爵家で寝泊まりして家に帰る暇もないくらいだ。新婚の文官はこのままでは子供に顔を忘れられてしまうと嘆いているほどなんだ」

「なるほど……確かに、気忙しい世情ですしな」


 去年の夏の終わりから始まったジャガイモの枯死を原因とする飢饉は、今もなお、大陸中を揺るがせている。温暖で冬でもある程度食料を生産できる南部や、スパニッシュ帝国と大きく領地が接していて大規模な食糧の輸入が可能な西部、広大な荘園を持ち備蓄の多い王領はともかく、寒冷な北部と南北に長い領地を持つ東部の北側半分は、非常に深刻な状況だ。


 春が来て幾分マシになったものの、去った冬を乗り切れなかった貧しい者は多い。雪が解けて御用聞きを再開した東部の商人であるゲルトも、ソアラソンヌまでの道中、悲惨な村落の様子を嫌になるほど見ることになった。


 飢えは人の心を荒れさせる。商人として各地を巡っていれば、治安の低下を肌で感じることになる。多くの農民が野盗となって他の村を襲い、その討伐に乗り出す騎士たちは容赦なく野盗を斬り伏せる。

 腹さえ満ちていれば、彼らも普通の農民であったはずだ。その現状を知りながら、こうして大貴族の屋敷の応接室で高価な取引を行っている。


 ジャガイモは平民の中でも貧しい者たちの食べ物だ。立派な騎士服を身に着けた目の前の男は、例年通り穫れた麦で焼いたパンを口にしていて、飢饉がどれほど深刻かは、ただ数字の上でしか知らないのだろう。


「このお茶、どう思う?」

「は……。不勉強ながら、私は初めて飲むお茶です」

「そうだろうなあ。実はこれ、当家の奥様がお気に入りのお茶でな。ワインより紅茶より、こちらのほうが好きなんだそうだ」

「奥様とおっしゃいますと、去年ご結婚された」

「ああ、メルフィーナ・フォン・オルドランド公爵夫人だ」

「そのようなものを出していただけるとは、その」


 ゲルトは半ば懐疑的ではあったものの、公爵夫人も愛飲しているお茶だと言われれば美辞麗句を口にしなければならない。そう思ったものの、騎士は手のひらでそれを制した。


「いや、言葉を飾らなくても大丈夫だ。飲めば分かると思うが、これの元はトウモロコシでな。トウモロコシは家畜の餌の印象が強いだろうから、最初は眉を顰める者も多い」


 騎士は気さくに笑って言うと、空になったカップに手ずから新しいお茶を注ぐ。


「奥様は非常に先見的な方でな、嫁がれてきてそうそう、領地経営を学ぶために北部の中でも北端にある土地で作物の栽培を始めたんだ。その最初の作物に選ばれたのがトウモロコシでな」


 騎士が軽く手で合図をすると、控えていたメイドが上品な所作で応接室から出て行く。ややして、ワゴンを押す音が近づいてきた。


「昼食はまだだろう? 俺と一緒で悪いが、付き合ってくれ」

「そんな、恐れ多い」

「本当は閣下も共にしたかったようなんだが、今頃執務室で同じものを食べているはずだ。それに、豪勢なコースというわけではないから、遠慮はしなくていい」


 目の前に置かれた皿の上には、見慣れない料理が載っていた。

 円形に焼いた穀類の生地に肉と野菜を挟み、その上にソースが掛かっているものが二つ並んでいる。どう食べたものかと迷っていると、騎士は自分の皿から一つを手づかみし、口に運んだ。


「温かいうちが一番美味い。作法は気にしなくていいから、食べるといい」

「は、ありがとうございます」


 頭を下げ、騎士がそうしたようにひとつを手でつかむ。野菜も肉もたっぷりと挟まっていて、平民が食べる料理としてはかなり贅沢な部類に入るものだ。

 ゲルトは口を開き、生地と野菜と肉が全て入るようにかじりつき、ふわっ、と鼻に抜ける匂いに目を見開いた。

 肉はしっかりと火を通してあるのに柔らかく、野菜と生地が噛むたびに口の中で混じり合って何とも言えないうまみを引き出している。塩とニンニクが強くきいているのもいい。


「これは……美味ですな」


 なにより、この掛かっているソースだ。白と赤が目を引くし、赤は酸味が、白はクリームのようなねっとりとした食感がいい。噛めば噛むほどうまみを感じるというのは、各地を巡り大きく商売をしてきたゲルトも中々味わったことのない食べ物の快感だった。


「俺も初めて食べたときは驚いたよ。今、ソアラソンヌから北に向かって、この食べ方が流行しているんだ。最近は領都でも屋台を出している者がいるから、滞在中に機会があったら食べてみるといい」

「ありがとうございます。――この生地は、小麦でも大麦でもありませんな。蕎麦にしては色が淡すぎますし、それにこの鮮やかな黄色は」


「トウモロコシだ。この料理の考案者も奥様でな。北部は奥様の大規模なトウモロコシ栽培のおかげで、公爵家の蔵を開けずに済んだ」

「これが……なるほど、公爵家が蔵を開けたという噂が全く流れてこなかったことに、納得がいきました」


 商人は情報が命だ。同じように各地を回っている商人仲間から情報の交換をするのは当たり前で、その中には貴族の懐事情についても多く交じっている。


 北部は去年の飢饉から、最も大きな打撃を受けると推測される土地だ。代々オルドランド家は善政を敷いていることで有名な家系だというのに、領民のために蔵を開いたという話が聞こえてこないので、商人の間では今代の領主はよほど強欲なのだろうと噂する者も多かった。


 大振りの料理ひとつを瞬く間に食べきり、皿の上に残ったもう一つに視線を落とす。

 どうやら肉の種類を変えているらしい。載っているソースの色は先ほどの赤と白ではなく、それが混じりあった朝焼けのような色だ。一つ目と同じく、美味であることも想像できる。

 ごくり、とゲルトは喉を鳴らし、己のはやる気持ちを抑える。


 穀類――つまり主食として食べられる作物は、今、大陸中で喉から手が出るほど欲しがられているものだ。


 平民などいくら死んでも構わないと思っていそうな貴族でも、実際そうなれば畑の世話をする者がいなくなり、税収が落ち、家門はひっ迫する。商人としてモノとカネを回してきたゲルトには自明のことでも、実際自分の足元に火がつかなければそれが分からない者は珍しくない。


 冬が過ぎ去り、土地を治める貴族たちも、この飢饉が自分たちにとってもいかにもまずいものであると自覚し始めている。なにしろこのままでは、夏の麦の収穫をする手すら足りなくなる可能性が高いのだ。

 トウモロコシは、家畜の餌。つまり、非常に安価だ。日常で食するならこれほどまでに美食である必要もない。穀類ならば、水で煮ればそれで食べられるだろう。


 生き残り、労働するための最低限の食事になるならば、今の状況で、その価値は計り知れないものになる。


「奥様に倣って、北部では今年からトウモロコシの栽培を大々的に行っている。具体的には、去年まで芋を植えていた畑はほとんどすべてトウモロコシに入れ替わった」

「それは、大胆ですね」


 人は中々それまで馴染んでいたやり方を変えられないものだ。実際、ゲルトが見てきた村でも去年備蓄しておいた種芋を畑に植えている村が多かった。


「奥様が、この病気はもうしばらく続くだろうから、今芋を植えるのは無駄だと言い切られてな。今は種芋を切らさないよう、奥様が指定したやり方で作った小さな畑を厳重に囲い、そこでだけ芋を育てている状態だ」


 その言葉に、見習いから商家に入り、独立して商会を立てるまでに至ったゲルトの商人としての勘が、激しく揺さぶられた。

 騎士の言葉が全て真実だとすれば、オルドランド家に嫁いだ夫人は「本物」だ。


 芋は増やすのが容易で、ある程度保存も利くけれど、かといって何年も持つというものでもない。

 いずれ病気が治まったとしても、その時植える種芋がなければどうにもならなくなる。


 その時、一個の種芋は黄金よりも価値がある。

 健康な種芋を保持している北部は国中、いや、大陸中から一目置かれる存在になるはずだ。


「それで、相談なんだが、北部中でトウモロコシを作っている状態なので、さすがに過生産になるのが見込まれているんだ。できれば北部の外に輸出をしたいと考えている」


 東部の商人である自分を呼びつけ、あのお茶と料理を出し、それなりの身分のある騎士と向かい合って食べたことで、その申し出はすでに予想していた。

 だがゲルトには、どうしても解せないことがある。


「なぜ私――いえ、当商会なのでしょう。それなりの規模の商会である自負はありますが、東部には他にもっと規模の大きな大商会はいくつもあります」


 穀類の輸送は大きな事業になる。この仕事を受けるならばゲルトも所有する荷馬車を増やし、それを守る護衛の雇用を考える必要が出てくる。

 必ず儲かる美味しい仕事だ。だが、だからこそなぜ自分なのかという疑問はあった。


「あー、実はな、あんたを今回の取引に推薦したのは俺なんだ」

「……と、言われますと」

「たとえばだ、東部最大の商会にこの仕事を持ち込んで、だが、このトウモロコシだけの食事を続けていると病気にかかるかもしれない。症状は肌の色が濁ったり、発疹が出たり、口の中に出来物が出来たりといったものだ。発症までにやや時間がかかり、全員がそうなるわけではないが貧しい者には多くかかる可能性が高く、小さな子供や体の弱い者は、もしかしたら死に至る可能性もあるとしたら、どうすると思う」

「可能性程度ならば、そのまま売ると思います」


 穀類だけを口にするというのは、最貧困の層がすることだ。そしてその層に該当する貧民や寒村の農民、農奴などは今騎士が口にした症状を慢性的に抱えている者が多い。

 体の弱い者や小さな子供は、半分は死ぬのも当たり前のことだ。

 いまさら何が変わるというものでもない。少なくとも大手の商会ならばそう判断するだろう。


「では、あんたにこの仕事を任せて、症状はある調理法を経ることで防ぐことが出来る。その方法は、ある物と一緒に煮るだけだ。そう言ったら、あんたはどうする?」


 その問いかけは、明らかに試されているものだった。

 勿論民のためにその手間は当商会で請け負いましょう。調理済みのものを売ると約束しますと言うのが、満点の答えだろう。北部ではすでに屋台まで出ているというのだから、そうひどく手間のかかるものではないはずだ。

 目の前には受ければ絶対に成功するに違いない商売がある。手を揉みながらそう告げるのが正しいと、ゲルトには解っている。


「……当商会には多くの行商が出入りしています。彼らにトウモロコシを売る時、売買の前には一度目の前で調理してみせ、その調理法も各地に広げることをトウモロコシを扱う条件にする、どうでしょうか」


 騎士はにやりと笑う。ゲルトは大商いを前に、緊張で流石に背中にじわりと汗が湧いてくるのが分かる。


 ――まるで激しく揺れるつり橋を歩いている気分だ。


「貧困層は、その日の暮らしで精いっぱいです。処理をした分値段が上がれば、その差額は必ず彼らを苦しめるでしょう。簡単な処理ならば各自でやってもらったほうが、商品そのものを安価に売ることが出来ます。それに、実際自分で調理してみなければ、主食として根付くことは難しいのは明らかです」


 騎士は満足そうにうなずいて、もうひと切れ残っている料理に手を伸ばした。


「メルフィーナ様……奥様が求めていたのは、その考えが出来る商人だったんだ。多くの出入り商人を見てきたが、一番早く答えにたどり着きそうなのがゲルト、あんただった」


 人を見る目には自信があるんだ。騎士はそう告げて、ぺろりと二つ目の料理も食べきってしまう。


「奥様は聡明で先見の明もあるが、なにより慈愛の方だ。農民や貧民が苦しむことを何よりもお嫌いになる。下手な商人を仲介してその病気が東部で蔓延したなんて話を耳にしたら、公爵様との仲まで冷え込む可能性があるくらいでな」


 どこまで本気で言っているのか、騎士は鹿爪らしい表情で告げる。


「逆に、あんたが上手くやってくれれば自然と公爵様の評価も上がるというわけだ。だから、商売人としての腕と、貧しい者への気配りも忘れない商人が必要だった。あんたなら安心して任せられるよ、ゲルト」


 おそらくは爵位持ちであろう騎士に名前を呼ばれ、ゲルトの商売人としての魂が震え上がる。

 今目の前にあるのは、黄金への道だ。だが、それだけではない。


「必ずその方法とともに、トウモロコシを東部に広げると約束します。食べる習慣と料理を広め、安定した供給が続けられるように尽力いたします」


 熱く告げて、ゲルトも皿の上の料理を掴み、かぶりつく。


 ――うまい!


 さすがに公爵家で出されるほどのものではないだろうが、必ず領都の屋台とやらも訪ねて、食べてみなければなるまい。


「……私も元は、農村から幼い頃に街に下働きに出された身です。国の地盤は作物の豊かに実る土地にこそあると分かっているつもりです。その役に立つ機会を与えられたことを、深くお礼申し上げます」


 騎士は急に照れたように笑い、少し温くなったポットのお茶をゲルトのカップに注いでくれた。

 この部屋に通された時と同じ香りと味だというのに、今は慧眼を持つ公爵夫人の、慈愛に満ちた手のひらの上で味わう甘露のようにさえ思う。


 ――家畜の餌などという、固定観念を捨てさせるところから始めなければ。


 強い決意とともに、ゲルトはそのお茶を飲み干した。



 これが、後に東部屈指の大商人と呼ばれるようになる男の、大きな一歩を踏み出す日となった。


北部以外の人が出ました。


逆に公爵様、出る予定だったのですが出ませんでした。

次回は出ます。

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