118.屋台と発展の光と影
太陽が中天に差し掛かる頃メルト村に戻り、村の中心の広場で馬車が止まる。
元々は掘っ立て小屋のような簡素な造りの家が並んでいたけれど、去年の秋に多く手を入れ、建物が整然と並ぶ村になっている。
馬車を降りると、まず一番に食べ物の匂いがした。簡単な屋台がいくつか並び、地面にゴザを敷いて籠に野菜や卵が盛られていたり、骨組みだけの屋台から大量のニンニクやトウガラシをぶら下げて売っていたりする者もいる。
ちょうど昼時ということもあり、屋台は中々の賑わいを見せていた。
「結構盛況ね。農作物は自分たちの畑で作っているものがほとんどだと思うけれど、売れるのかしら」
「市場で買えるようになってから、自宅で作る種類を絞ってたまに使うものは市場で買う者も出てきていますよ。市場まで自宅で作った卵や野菜を持って行って、交換する者もおりますが、最近は貨幣でのやり取りがほとんどです」
ニドの言葉に口元に笑みを浮かべながら頷く。
元々、ほとんどの商業的やり取りが物々交換だったメルト村で貨幣を使う習慣が根付いてきたのはとてもいいことだ。
「屋台は何を売っているのかしら」
「ほとんどは平焼きパンのサンドイッチに日替わりで具を二種類ほど、後はスープをつけたりエールをつけたり、その屋台によって少しずつ違います」
ニドはあの屋台などは中々商売がうまく、ひときわ賑わっていると屋台を指す。
「村の若者なのですが、パンに野菜を練り込んであったり、肉もぶつ切りにしたものや細かく叩いて焼いたものなどがあったりして、色々と種類が選べるのが楽しいと評判でして。私も何度か食べたことがありますが、同じような具を使っていても、なぜか他の屋台より美味く感じるのです」
センスというのは、きっとそういうものなのだろう。けれどその屋台以外も中々の混みようだった。
「人足として他所から来ている人たちの滞在する部屋は足りているかしら」
「空いている長屋を相部屋で使っているので、今のところは大丈夫ですが、多少圧迫されてきました。何しろ、増える一方ですから」
「あまり人を狭い空間で密集させると、トラブルも起きやすくなってしまうしね。天幕広場の利用率はどう?」
「荷馬車が乗り込めるということで、そちらもまずまずです。気楽にやりたい者はそちらの方が向いているようで」
地面に打った杭にロバをつなぎ、所有者は天幕付きの荷台で寝たり、荷馬車を所有しておらずとも天幕を並べてそこに滞在したりする者も多いという。
去年の秋、エンカー村の外で馬車で荷物を運ぶ人足たちが街道の横を寝床にしていて、非常に景観が悪くなったため、今年からエンカー村・メルト村で作った場所である。多少の利用料はかかるけれど、共同で使う井戸があり、煮炊きが出来る炊事場を備えていて、野宿より利便性はいい。
「昼食を買って移動しましょうか。ニド、申し訳ないけれど、おうちにお邪魔してもいいかしら。少し話したいこともあるの」
「勿論です。エリも喜ぶでしょう」
快諾を受けて、マリーと村人の一人に銅貨を数枚渡して人数分の昼食を買ってきてくれるよう頼み、メルフィーナは先にニドの家に移動することにする。
「メルフィーナ様がご自分で買われなくてよろしいのですか?」
「私が行くと、お金を受け取ってもらえないことが多いの。それに、領主が直々に購入するのを見て、その屋台にばかりお客さんが集中することもあるし。市場の平等を乱すようなことは、出来るだけしたくなくって」
「なるほど、確かに私もメルフィーナ様が求められた店の料理を食べてみたいと思うので、気持ちは分かります」
朗らかに笑い合いながら、少し歩いてニドの自宅にたどり着く。この家には何度も訪れたことがあるけれど、いつもきれいに掃除されていて、家の周りには小さな花が植えてあり、さりげない豊かさがあった。
「まあ、メルフィーナ様。いらっしゃいませ」
「エリ、お久しぶりね。よかった、とても元気そうだわ」
中に入ると、久しぶりに会うエリが出迎えてくれた。
その手には、布に包まれた小さな赤ちゃんが抱かれている。
以前まで領主邸でメイドをしてくれていたけれど、冬が始まった少し後に通いでは遠いことと、出産のために仕事を辞していた。とても頼りにしていたメイドなので、再会に表情が綻ぶ。
「少し痩せたかしら? ちゃんと食べている?」
「おかげさまで、毎日おなか一杯食べています。この子がその分たくさんお乳を飲むので」
「可愛いわ。女の子だと聞いたけれど」
「はい、サラと名付けました」
抱かれた赤子を覗き込む。よく眠っていて、頬はふくふくと丸く、栄養状態には全く問題がなさそうだ。
「エリによく似ているわね。きっと美人になるわ」
愛らしい様子の赤ん坊を見ていると、とても幸せな気持ちになる。
元々、メルフィーナは子供が好きだ。王都にいた頃は慈善活動としてよく孤児院の慰問を行っていたし、弟のことも可愛がっていた。
エンカー地方に来てからも、メルフィーナと真っ先に仲良くしてくれたのは、村の子供達だった。
「メルフィーナ様、よろしければ、抱いてみますか?」
「いえ、やめておくわ。さっきまで圃場にいたし、汚れているかもしれないから。赤ちゃんってとても繊細なのよ。ニドやロドやレナも、外から帰って赤ちゃんに触れる時は、手を洗ってからにしたほうがいいわ」
「まあ、そうなのですね」
元農奴がどうこうというより、この世界ではあまり手洗いの重要性が社会的に認知されていない。それが高い乳児死亡率にも影響しているはずだ。
「お水をあげるときも、必ず一度沸かしたものにしたほうがいいわ。軽い下痢でも、赤ちゃんには大変なことになると思うから」
「気を付けます」
神妙な様子で頷いたエリに、幸せいっぱいの時に余計なことを言ってしまっただろうかと少し後悔する。
けれど、とても大事なことだ。
食事が充実し栄養状態が改善されたエンカー地方では、そう遠からず出産ラッシュも始まるだろう。とくに乳児を持つ家庭には手洗いとうがいの必要性は積極的に広めていきたいところである。
そんなことを考えているうちにマリーと村人が両手いっぱいに食事を持って戻って来た。エリには奥の部屋で休んでもらうことにして、テーブルに料理を並べていく。家主のニドとメルフィーナ、マリーと護衛騎士のセドリックに、ちょこんと腰を下ろしているセレーネの他は、ニドと共にメルト村をまとめてくれている数人に残ってもらった。
「メルト村の運営で何か困ったことはない?」
「いえ、今のところは大きな問題は起きていないと思います。ただ、人足の間からは宿を兼任した酒場などが欲しいという意見はありましたが」
「ああ、昼間は屋台で買えばいいけれど、夜の食事には困るのかしら」
「暗くなる直前まで働いている者がほとんどなので、そうですな。長屋には囲炉裏がありますが、自分で料理するのが面倒と感じる者も多いでしょうし」
「少し考えてみるわね。その、泥棒とか、治安の悪化についてはどう?」
「家の敷地に間違って侵入してしまったなどは時々起きますね。畑から勝手に収穫前の作物をひょいと持っていくというようなことも少し」
「そういう時はどう対処しているの?」
「言葉で注意する程度です。人足で来ている者は大抵、近隣の農村から来ているので、悪気無くついやってしまったという感覚なのでしょうな」
顔見知りしかいない自分の村ならば、身内感覚で手が伸びてしまっても大抵の場合、お互い様で済むのだろう。余った農作物は交換したり、近所で暮らしに余裕がない昔馴染みがいれば市場に出せない形のよくないものを差し入れしたりというのも普通の習慣だという。
土地が継げない次男や三男は早い時期から出稼ぎに出ることも多いけれど、ずっと出身の村で暮らしていると、そもそも個人所有という概念があまり無い者も多いのも、ある意味仕方の無いことなのかもしれない。
「大規模な盗難につながらないように、出来るだけ早くエンカー村とメルト村には兵士を駐留させたいと思っているの。そのための詰め所と、ルールも決めなければね」
「そこまでする必要があるのでしょうか」
ニドは少し不思議そうに尋ねる。
去年までこの辺りでは、家に鍵を掛けないのは当たり前、というより鍵のある家さえほとんど存在していなかった。
今も、ドアに鍵や閂があっても閉める習慣がついていない家も珍しくはないだろう。
「声を掛け合って解決するものはそれでいいの。ただ、酔っ払って家の中に入って来たり、畑を踏み荒らしたりする人が出ないとも限らないでしょう?」
「そういう時は、近隣の男たちが取り押さえますが」
「近所で気を付け合うのは、とてもよい習慣です。でも、大きな問題になったとき、犯人を捕らえて注意したり、必要ならばエンカー地方から出て行ったりしてもらうために、兵士はいたほうがいいわ」
それを個人でしてしまうと、恨みが一点に集中する可能性がある。罰を与えるのは、公的な部署として行うのが大切だ。
「人が多く集まると、いいことばかりではないわ。それに、スラムが出来る一歩前で食い止めたいの」
スラム、とニドは不思議そうにつぶやいた。農奴としてエンカー地方に組み込まれていた彼には、あまりピンとこないものらしい。
人が多く集まれば、どうしてもそこからあぶれてしまう人間が出てくる。働けなかったり、働く気がない者が自然と集まり、犯罪の巣窟のような地域が出来てしまうのは、この世界でも等しく変わらない。
そして、何も持たない者というのは、とても恐ろしい存在でもある。
「たとえば、何かが起きて、ニドが私に恨みを持って殺したい、と思ったとして」
そう告げると、ニドはぽかんと口を開いたあと、さっと青ざめた。
「たとえよ、たとえ!」
「ああ、はい、申し訳ありません。続けてください」
「ええとね、でも、ニドの立場だと、どれだけ私を憎んでも、実行するのは難しいと思うの。ニドにはエリも、ロドも、レナも、生まれたばかりのサラもいるでしょう」
重い罪を犯した者には、見せしめとして連座が適用される。メルト村の村長であるニドがメルフィーナに凶刃を向ければ、血縁者はすべて死罪、メルト村の住人は全員農奴に落とされるだろう。
「立場があったり、大切な人がいたりすれば、自然と失うことを恐れるものよ。でも、世の中には何も持たずに、だからこそとんでもないことをしでかしてしまう人もたくさんいるわ。私は、そういう人を出来るだけ生み出したくないし、そうなる前に手を打ちたいの」
肉体的な問題で仕事が無いなら、負荷の低い仕事を斡旋すればいい。飢えて病気の巣窟になるような集落を出来る限り作りたくない。
それがとても難しいのは明らかだ。この世界よりずっと先の文明を生きていた前世でも、世界中にスラムやギャング街はあったのだから。
エンカー地方がこのまま順当に豊かになっていけば、自然と抱える暗い場所も大きくなっていくのだろう。
それでも、それらを生み出さない努力をしない理由にはならない。
「兵士の駐留は、大きな罪を犯す前の小さな罪の段階で更生のチャンスを与えることにもつながるはずよ。そうした仕組みを、作っていきたいと思っているの」
宿を兼任した酒場≒娼館ですが、メルフィーナの感覚だと結びつかず、若い女性の領主にニドもはっきりと言えず、さらりと流されました。
後ろにいるセドリックには通じたのでそのうち執政官がそれとなく伝えると思います。