117.少女と錬金術師
虫の話をしています。苦手な方はご注意ください。
視察を終えて村に引き返す段になっても、ユリウスの姿は見当たらなかった。
「あいつは置いて行っても大丈夫ですよ。王都にいた頃もふらふらとしている男でしたので」
「そういうわけにはいかないわ。もしかしたらどこかで寝てしまっているかもしれないし」
すでに春を迎えているものの、北部の風はまだ肌寒く、じっとしていれば冷えてしまうだろう。馬車の前でどうしたものかと悩んでいると、ユリウスを探しに行ってくれていたメルト村の住人の男性がこちらに駆けてくるのが見えた。
「メルフィーナ様、お探しの錬金術師様ですが、先に行っていて欲しいとのことです」
「何かあったのかしら?」
「いえ、村長の娘さんと意気投合したらしく、話が弾んでいるようで」
思わずニドを見ると、ニドも驚いたような顔をしていた。
ニドの娘さんというのは、レナのことだろう。少女というより幼女と呼ぶべき、幼い女の子だ。出会ったばかりの頃はまだ舌が上手く回らず、メルフィーナのことを「メル様」と呼ぶ数少ない子供である。
国内屈指の魔法研究機関である象牙の塔の第一席と、去年まで農奴として育っていた幼い少女がどう話が弾んでいるのか、気になるところではある。
「少し、ユリウス様と話をしてきます。さすがにレナと二人きりにするのも心配だし」
ユリウスは自分の興味を示すことを前にすると、他のことが目に入らなくなるきらいがある。レナの安全に対して無頓着になることもあるだろう。
村の男性に案内してもらうと、二人は圃場の端にうずくまるように並んで座っていた。花が咲き始めた豆を前に、遠目にも楽しそうに話をしているのが見て取れる。
「あっ、メル様!」
「レナ、久しぶりね」
こちらに気づいてぱっ、と表情を明るくして走り寄って来た少女に、膝を曲げて視線を合わせる。冬の間に二度ほど顔を合わせてレナと会うのは久しぶりだけれど、春が来てレナもややお姉さんになった様子だった。
「ねえ、レナ! もっと話を聞かせてよ」
ユリウスが焦れたような声を上げるのに驚いていると、レナはユリウスとメルフィーナを見比べる。どちらと話をするか迷っている様子だったので、レナと手をつないでユリウスの元に向かった。
「ユリウス様、何か面白いものがあるんですか?」
「ああ、レディ。この小さな賢者と話をしていると、何を見ても面白いんです!」
「もう、おおげさだよ!」
レナは少し拗ねたように、けれどまんざらでもなさそうな様子だった。後ろからついてきたニドたちが戸惑っているのが伝わってくるけれど、ユリウスがこんなに夢中になっていることがメルフィーナも少し気になってしまう。
「レナ、なんのお話をしていたの?」
「あのね、今豆についてる虫が、ええと、メスしかいないって話をしてたの」
「この子はすごいですよレディ! 葉の裏についているこの豆粒みたいな虫を観察して、全ての虫がメスであるというんです。生き物というのはオスとメスが番になって子供を産むものですし、虫というのは卵で増えるものだと決めつけていましたが、この虫は親虫がほとんど同じ形の子虫を産むんです。「鑑定」してみた結果、本当にメスしかいませんでした!」
ユリウスは興奮すると言いたいことを早口でまくし立てる癖がある。今は目を大きく見開いて、金色の瞳が光を弾いてキラキラと輝いていた。
「しかも彼女は、去年からこの虫を観察していたそうなんですよ! 秋になると、なんと今度は卵を産むようになって、卵から生まれた虫は親虫とは違い翅が生えているというのです。捕まえて観察したいところですが、自然下と飼育下で差が出てしまうかもしれないのでどうしようかと話していたところで」
「翅が生えたら、他の畑に飛んで行っちゃうから、こまるよねーって話してたの」
「そうなのね。レナ。どうして粒虫は全部メスだって分かったの?」
「えっと、形が全部同じだったから、なんでだろうって思ったの。他の虫は、オスとメスで形が違うから、最初は大きいのがオスなのかなって見てたら、小さな虫を産んでいたから、それなら小さな虫がオスなのかなって捕まえてみてたら、大きくなって子供を産んで、それがずっと続いたから」
レナなりに一生懸命説明しようと、とぎれとぎれながら言葉を続けていたけれど、大人たちに注目されるのが気まずくなったのか、メルフィーナのスカートを掴んでそっと顔を埋めてしまう。
「レナ、メルフィーナ様に失礼だから、離れなさい」
「いいのよニド。レナ、上手に説明してくれてありがとう。本当にすごいわ」
子供の好奇心と言ってしまえばそれまでだが、レナの考え方はきちんと系統立っていて、疑問から正答を導き出すまでの経緯もしっかりとしたものだ。
前世なら未就学児であるレナが、これほどしっかりと考える力があることに、素直に感心した。
「レディ、彼女はおそらく「鑑定」の「才能」があると思いますよ」
「あら、そうなんですか」
「すぐにでも神殿で祝福を受けさせるべきです。ああ、でも、今日は僕ともっとお話して欲しいです」
「落ち着いてくださいユリウス様。神殿に行くにしても、今日明日というわけにはいきませんわ。――レナ、あのお兄さんとお話しするのは、大丈夫?」
「うん! ユリウスおにいちゃんとお話しするの、面白いよ!」
どういう組み合わせなのかと少し気を揉んだのは杞憂だったらしく、どうやら最初の報告通り、二人は意気投合し、話も弾んでいるというのが正解らしい。
「ユリウス様。レナはまだ小さな少女です。保護者としてきちんと自宅まで送り届けていただけますか?」
「勿論です、レディ。僕はこれでも紳士ですからね」
畑の傍に屈んで少女と虫談義に花を咲かせるのが果たして紳士の嗜みとして正しいかは定かではないけれど、ユリウスが領主邸を訪れてからこちら、やると言ったことはきっちりと果たしてきた実績もある。信頼しても大丈夫だろう。
「レナ、この辺りからおうちまで迷子になったりはしない?」
「大丈夫!」
「じゃあ、ユリウス様とお喋りをしてくれる? おなかが空いたら村に戻ってきてね」
「はい、メル様!」
いい子の返事をするレナの頭を優しく撫でて、振り返るとついてきていた大人たちは皆驚いたような顔をしていた。
「ニド、レナに話し相手になってもらっても大丈夫かしら。なにかお仕事があった?」
「いえ、最近は子供たちは特別な仕事がない限りは出来るだけ遊ばせてやるようにしているので、それは構わないのですが、その、そちらの方は貴族様では」
メルフィーナが敬称を付けて呼んでいたので、気になってしまうのだろう。
「領主邸で雇っている錬金術師よ。礼儀もそれほど気にしなくて構わないわ。無礼討ちなんて絶対にするような方ではないから」
「そうですか……レナ、失礼のないようにするんだぞ」
「はぁい!」
元気いっぱいの返事をすると、レナは元の位置に腰を屈めて、ユリウスとの会話に没頭しはじめる。ほとんどはユリウスが立て板に水のように話をしているけれど、レナはそれをしっかりと聴いて、頷いて、笑いながら返事をしていた。
本当に、意外な組み合わせではあるけれど、仲のいい友達のような雰囲気だ。
「私たちも行きましょう。屋台と市場の視察もさせてもらいたいし」
「はい……」
まだ二人が気になっている様子ではあるけれど、ニドもちらちらと後ろを振り返りながら、メルフィーナについてくる。
本当にレナに「鑑定」が芽生えたとしたら、それは大変喜ばしいことだ。成長したら、エンカー地方の生産部門を支える一人になってくれるかもしれない。
そうでなくとも、今後鑑定の使い方を覚えていけば、商人でも職人でも、働き口に困ることはないだろう。
「元々明るくて素敵な子だったけど、とても賢くもあるのね」
「妻に似たのでしょうな。私も妻から学ぶことばかりですから」
「ふふ」
しみじみと告げたニドに肩を揺らす。
去年の段階でニドの息子であるロドにも「計算」や「演算」といった、稀有な才能が芽生えている可能性が高いという話が出ていた。
「メルト村の未来は、きっと安泰ね」
しみじみと告げたメルフィーナに、ニドは誇らしげな表情で、そうですな、とうなずいた。
アブラムシはメスがメスを生み、その生まれた直後の子虫の中にもすでに孫虫がいて、孫虫の中にはさらにひ孫虫がいる、と理科の授業で習ったインパクトがいまだに忘れられません。
この回を書くのにアブラムシの出産シーンを検索しながら、段々何をしているのか分からなくなっていました。