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111.春の再会と移住願い

第四部の始まりです。

 街道を包む雪が名残だけを残すようになった頃、領主邸に三台の馬車が到着した。

 ソアラソンヌに工房を持つ禿頭の大工の親方、リカルドと、その弟子たちの乗った一団である。


「リカルド、エディもお久しぶりですね」

「メルフィーナ様もご壮健そうでなによりです。またこちらで仕事が出来て嬉しい限りですな」

「お久しぶりです、またお会いできて光栄です」


 にかっ、と笑うリカルドと礼儀正しく礼を執るエディに微笑み返し、応接室に案内する。マリーがお茶を用意してくれるのを待つ間、応接室のテーブルに地図を広げる。

 テーブルはそれなりの大きさがあるけれど、それを覆うほどのサイズにリカルドは首を傾げ、その端に触れる。


「これは、羊皮紙ではないですな」

「ええ、これは紙よ」


 紙、いわゆる植物紙はロマーナに製紙工場があり、フランチェスカにも輸入されているものだ。ロマーナと交易の伝手がなかったメルフィーナには手に入らなかったものだが、アレクシスの後援の恩恵のひとつとして、オルドランド家に出入りしている商人から買い付けが出来るようになった。


「羊皮紙より柔らかいけど、その分破れやすいから扱いには気を付けて」

「ふぅむ……大きいのは色々と書き込めて便利ですが、丈夫でないなら、羊皮紙でもいいのでは」

「植物紙はね、リカルド、羊皮紙と比べて製造が楽な分、かなり安いの」

「……なるほど」


 一瞬虚を衝かれたようではあったけれど、リカルドはすぐに納得したようにうなずいた。


「建築にはメモを取ったり在庫の管理のための書類も何かと必要でしょう? この春から着手してもらう計画は規模が大きいから、いちいち確認のために手を留めるより、安価で大量に利用できる紙を導入することにしたの。それに、柔らかい分まとめやすいという点もあるわ。領主邸の書類や報告書は、どんどん植物紙に入れ替えていくつもりよ」


 実際は植物紙も前世ほど気軽に使えるような値段ではないのだけれど、定期的にある程度の量を購入する契約でそれなりの価格に抑えてもらうことができた。


「輸入品だから、どうしても輸送費はかかるのよね。いずれ北部にも製紙工場が出来ればいいのだけれど」

「この手の品は、基幹技術が秘匿されているでしょうしなあ」

「作るのはなんとかなるのよ。ただ、しばらく私の手が空かないのが問題でね。それに、紙を運ぶついでにあれこれ頼みたい物資もあるし、しばらくは必要経費というところね」


 ロマーナはこの世界に於いて、多くの基幹技術を抱えた一大技術大国でもある。ロマーナを通さなければ手に入らない物も多く、商人との伝手は非常に重要なものだ。


「はっはっは、メルフィーナ様は相変わらずですなあ!」


 なぜかやけに嬉しそうに笑ったあと、リカルドはテーブルに広げた地図に真剣な目を向ける。


「それで、私は何を造ればよいのですかな」

「最終的には都市を、ということになるけれど、まずは新しい領主邸――エンカー地方の行政を司る城塞を造ってもらうことになるわ」


 メルフィーナは白い指先で地図を指す。


「城塞といっても城壁は最低限で、エンカー地方を流れる二つの川のうち、このミレー川から現在の領主邸を囲む形で水濠を掘ることになるわ。上流から水を流し入れ、堰を作ってある程度の水深を保ち、下流で合流する形ね」

「ミレー川から今の領主邸までの距離は」

「直線で一キロというところね」

「水濠を掘るだけで大事業ですよ」

「近隣の村から人足を雇うわ。その指揮もリカルドにお願いしたいの」


 リカルドは考え込むように腕を組むと、ううむ、と低く唸る。


「この規模の水濠で囲むとなると、新しい領主邸も相当の規模になる予定ですよね?」

「ええ、私の暮らす部分の他に、敷地内に行政区、圃場、鍛冶場を含む工房、あとは酒造所も造るつもり」

「その規模の仕事は、大工より築城を専門にする建築家の仕事になりますよ」

「ええ、でも、リカルドなら出来るわよね?」


 リカルドの仕事は去年の夏の終わりから冬の始まりまでこの目で見ているし、しっかりと記録も残してある。

 注文を安請け合いすることはなく、改善点があれば領主相手でもはっきりと言い、納期が早まる時も遅くなる時も、きちんと報連相が出来る職人である。


 物流が不完全で人とのつながりは縁故が中心のこの世界において、仕事を任せる時に最も重要なのは、人品と信頼と言ってもいい。

 代官や家令が不正を働いたために傾く家だってある。納屋のひとつを建てるにしても、過不足なく働く者もいれば、資材や資金を中抜きする者もいる。


「名匠と呼ばれる建築家より、リカルドのほうが信頼できると思ったのだけれど……荷が重いかしら」


 リカルドはむっつりと口をへの字に曲げてしばし黙り、それからパン、と膝を打った。


「いやあ、そこまで言われてしまっては、男を見せるしかないでしょう!」

「引き受けてくれるかしら」

「名匠より私に仕事を任せたいと言ってくれる貴族様なんて、私の人生では二度と現れないでしょうからな! メルフィーナ様の運営する領地は必ず国の歴史に残るでしょう。その城を建てた責任者なんて立場を逃すようでは、職人とは言えますまい」


 しみじみと言った後、リカルドはうん、とひとつ頷く。


「つきましてはメルフィーナ様、私の方からもひとつ、お願いがあるのですが」

「何かしら」

「このエンカー地方に工房を建て、私と弟子を含む大工の移住を認めていただきたい」

「親方!?」


 それまで黙って話を聞いていたリカルドの弟子、エディが声を上げる。


「移住って、ソアラソンヌの工房はどうするんですか!」

「お前に譲るさ。次の親方試験で十分認められる腕はもうあるだろう」

「な、なっ」


 リカルドは腕を組んで、うんうんと頷く。


「大体なあ、親方試験も受けられずに遍歴に出される若い連中を惜しいと思いながら、自分は親方の座に座りっぱなしなんていうのも、あんまり気分のいいもんじゃなかったしな。俺ァたまたま親方の娘だった女房といい縁を結べたから運よく親方になれたようなもんだ。そろそろ次の世代に席を譲るべきだろうよ」


「待ってください、僕じゃ力不足ですよ。他にも先輩がいるのに」

「何人も徒弟から職人まで面倒を見たが、お前が一番見どころがある。腕は確かだし、何より下の連中を見下さねえからな。徒弟に暴力を振るうこともしないし、小金をちょろまかすこともしない」

「でも、姐さんがなんていうか」

「この冬の間に話しといたよ。来年以降もエンカー地方で仕事があるなら、新しい仕事に挑戦したいってな」

「若旦那はどうするんです!?」

「あいつはまだ徒弟だ、ここに連れてきて俺が仕事を仕込むさ」

「ぼ、僕だってまだ親方の下で働きたいですし、あわよくば歴史に名を残したいですけど!?」


 こほん、と後ろに控えていたセドリックが咳払いしたことで、エディは肩をぎゅっとすくめて黙り込む。けれど涙をうっすらと浮かべた目は真剣にリカルドに向いていた。


「ええと、ひとついいかしら、エディ」

「は、はい!」

「この仕事はとても時間の掛かるものだと思うわ。水濠を掘るだけで大事業だし、並行して城壁を造って城塞規模の建物を造って、その間に人口が増えれば新しい村や集落の建築も行っていくの。完成まで十年からそれ以上の時間がかかるはずよ」


 公共事業というのは、得てして時間の掛かるものだ。計画の途中で変更を余儀なくされることも、協議に時間を割けばその間中断することもよくある話だろう。

 前世で建築されていたピラミッドは二十年以上かかったというし、大聖堂に至っては百四十年近く経ってもなお完成していないくらいだった。


「その間、建築責任者であるリカルドとソアラソンヌの間に太いパイプがあれば助かるし、飢饉の不景気はもうしばらく続くでしょうから、去年のリカルドのように、あなたも親方になってからもエンカー地方で仕事をするのもいいんじゃないかしら。そうして、リカルドの息子さんか、他に親方に相応しいと思える職人が育ったら、エンカー地方でリカルドの跡を継げばいいと思うのだけれど」

「おお、さすがメルフィーナ様だ! それで八方丸く収まるじゃないか!」

「僕が親方になるのは、決定なんですか……」

「お前は俺が育てた職人だ。とっくにその実力はある。あとはもうちぃと、気を強く持つことだな」


 リカルドは陽気に笑いながらエディの背中を叩く。勘弁してくださいよと蚊の鳴くような声で言いながら、エディもようやく、表情を綻ばせる。


「いや、しかし私を抜きにしても、エンカー地方に移住して仕事にありつきたいって職人は少なくはないでしょうな。それだけの希望がここには感じられますよ」

「築城にも都市計画にも、たくさんの職人が必要だものね。北の端でも働いてもいいと思ってくれる人がいるなら、歓迎するわ」

「一足先にメルフィーナ様と知己を得て、私は非常に幸運でしたな。後から来る連中に羨ましがられること間違いなしです」


 豪快に笑うリカルドにメルフィーナも口元をほころばせながら、背筋が伸びる思いもある。

 この世界で親方は、職人の目指す最終的な地位である。幼い頃から徒弟として職人を目指して修行をするにも拘らず、親方は定員制で、腕が良くても遍歴制度で体よく追い払われたり、遍歴を終えて戻っても仕事にありつけなかったりすることすらある。


 去年の春から夏にかけては出張で仕事をしてくれる職人を見つけることも出来ず、その後エンカー地方に移住してくれた職人たちも、様々な事情でこのままでは職人の身分を諦めなければならない事情のある人たちだった。

 それくらい、国の北の端での仕事は不人気なのだ。


 親方の地位を後進に譲って、エンカー地方に移住してくれるベテランの職人に対し、その技術と覚悟に、メルフィーナも領主として応えなければならない。


「リカルドも、エディも、末永くよろしくお願いします」

「こちらこそ、腕の鳴る仕事と、なにより信頼を寄せてくれたことに感謝します」

「ぼ、私も、よろしくお願いします!」


 改めて礼節を誓い合い、照れくさくて、三人揃ってふっ、と笑う。


「力強い仲間を迎えられて、すごく嬉しいわ!」


 マリーがお茶と軽食を運んできてくれたので、それを傾けながら具体的な計画に入る。


「水濠を造るにあたって、石工の紹介をしてもらえると助かるわ。心当たりがないなら、公爵家に口添えしてもらうことになるけど」

「今はどこも大規模な工事はありませんから、伝手をたどってみましょう。水濠の深さと幅ですが――」


 規模は大きいけれど、心が弾む計画に、昼食の時間が過ぎ、マリーとセドリックに休憩を挟むようにと揃って言われるまで、机上の話し合いは止まることはなかった。


さらっと出てきましたが、リカルドと共に植物紙も仲間入りです。

この世界には戦争はないので、城塞といっても戦争の防衛のためのものではなく、技術流出の警戒と、大都市では魔物の侵入を防ぐためのものになるので、城壁も十数メートルもあるような高いものではなく、見晴らしの良さ優先のものになります。

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