100.北部の学びと誤解の芽
「サスーリカの個体数は、年によって随分ゆらぎがあるんですね。何か要因や、周期などの関係はあるのでしょうか」
「完全なランダムだと言われているし、私の体感としてもそのように感じることが多い。ただ、はるか昔はプルイーナは満月の夜にしか現れないと言われていたらしい」
「今は、そうではないのですね?」
「時期的に晴れた日が続くので、月が出ていることは多いが、満月とは限らないし、そもそも夜でないこともある。昔と言っても記録に残っていないほど過去のことだ。たまたま数回、満月が続いただけということも考えられる」
「なるほど……。魔物の発生と人口に関係があるということは、ソアラソンヌの城壁の外では魔物が出ることが多くなると思うのですが、その対策はどのようにしているのですか?」
「冬の間は外から出入りする商人も絶えるので、城門を閉めて最低限出入りできる小さな門に衛兵を置き、出入りする者を個別に対応する形を取っている。冬に都市から出入りする者は、騎士団か冒険者といった、自分で身を守れる者が大半だ。大型の魔物でも城壁を越えるほどのものはいないし、春になれば自然といなくなるので、城塞化さえしてしまえば、都市の防衛はそう難しいものではない」
逆説的に、都市化していくにはこの世界では城塞を築く他ないというわけだ。
王都が王宮を中心に三重の壁で囲われている理由も、それで納得がいく。
都市が巨大化するに従い外へ外へと街を広げていけば、自然とそうなるはずだ。
「外周が大きくなるほど資材も大量に必要になりますし、都市の拡大には限界がある、というわけですね」
「例外は海側だな。海には魔物は出ないので、海を背に内陸側に街を広げていきながら海を埋め立てる形で大きくなった街は多い」
「北部最大の港町、エルバンですね。非常に栄えていると聞いていますが、そのような背景もあったということですか……」
アレクシスは無口な人であるけれど、必要になれば言葉を出し惜しみすることはしないらしく、メルフィーナの質問に丁寧に答えてくれた。
時々メモを取り、内容を頭の中でまとめ、疑問が出ればまた質問することを繰り返しているけれど、聞けば聞くほど知らないことばかりだった。
「北部は魔物の被害が多いとは聞いていましたが、ここまで深刻だとは知りませんでした」
「南部や王都はあまり魔物の害に晒されていないから、これまで必要のない知識だったんじゃないですか? 南の都市で城塞化している都市ってほとんど無いですよね」
「そうですね。領主館も野盗などを警戒して塀に囲まれてはいるそうですが、都市を城壁で覆うというやり方はされていないはずです」
言い方が曖昧になってしまうのは、メルフィーナ自身が実家の領地に足を運んだことがないからだった。
跡取り息子である弟のルドルフは、一年の半分を領都で、もう半分を母と姉の住む王都のタウンハウスで過ごしていたけれど、メルフィーナ自身は領地に行ったことはなく、周囲からもそれを求められなかった。
両親に似ていない、疑惑付きの娘を臣下に晒したくない。父親のそんな感情が透けて見えていたので、メルフィーナも強く領地を訪ねたいと求めたことはなかったけれど、一度くらい、王都以外の場所に足を運んでみたかったと今は思う。
――私がこの世界で知っているのは、王都の貴族街と、ソアラソンヌに来るまでの道程、そしてエンカー地方だけなんだわ。
とはいえ、この世界では遍歴を必要とする職人や聖職者、芸人や商人でない限り、生まれた場所で育ち、死ぬまで暮らすことも一般的だ。戦争がないとは言え夜盗や盗賊の被害はあるし、魔物だけでなく野生生物だって人が移動するうえで大きな脅威である。
「問題は、城壁のない村や街の防衛のほうですね。魔物はお行儀よく村や街の正門から訪ねて来るわけではないので、対策にはそれなりに手間がかかります」
オーギュストが言い添えて、アレクシスも頷く。
「イタチや狐程度のサイズなら、村人でもなんとか退治することは出来ますけど、熊くらいの大きさになると魔物の放つ魔力で倒れる者も出て来るので、討伐にはある程度魔力に耐性のある人間が必要になります」
「すべての街や村に兵士を派遣するわけにはいきませんよね? 冬は素早い移動も、伝令を出すことも難しいでしょうし、その場合はどうしているのですか?」
「大きな村や街にはほぼ必ず、冒険者ギルドがあるので、そちらに集落から依頼してもらう形ですね」
「ああ……なるほど」
この世界には冒険者ギルドがあり、メルフィーナも開拓の際の測量や森の調査を依頼したことがあった。
北部において、彼らの冬の仕事が集落に出る魔物の討伐ということらしい。
「冒険者ギルドがない程度の大きさの集落だと、魔物は出ないか、出てもそう強い個体ではありませんから、ギルドのあるなしが一種の線引きになりますね。ある程度大きな規模になれば、その土地の領主や代官が税の優遇などを持ちかけてギルドを誘致することも多いです」
「冒険者には税はかからない、ですね」
「ええ、必要なのは腕っぷしだけです。とはいえ、冒険者ギルドが設立されると荒くれの冒険者が居つくことになるので、今度は人的な治安が低下しがちになるのもよくある話でして」
旅芸人などと同じで、冒険者も入市税を払いその土地で活動し、ある程度金銭が貯まればまた次の町に移動する。ギルドが必要となるのは、根無し草の彼らの仕事を代理で請け負い、完了まで責任を持つためという意味合いが強い。
仕事を途中で放り出したり、報酬をだまし取ったりするような者は情報が共有され、ギルドを通して冒険者として活動できなくなる。もぐりの冒険者を雇おうという者はいないので、実質、冒険者としての廃業につながる。
このあたりは職人のギルド制とほぼ同じシステムである。
「町で自警団を抱えるのは難しいのかしら? 魔物だけでなく、人と人とのトラブルだって起きるでしょう?」
「自警団とは、具体的にどのようなシステムを言うんだ?」
「普段は別の仕事をしている者の中から、条件に合う人に自発的に参加してもらう民兵のようなものです。参加者には多少ですが報酬や税の優遇措置を出し、有事の際には対処する集団として参加してもらう、という形になります」
「普段は別の仕事をしている者が荒っぽい仕事をするのは、難しいと思いますよ。それで怪我をすれば本業に関わるでしょうし、やりたがる者は少ないかと」
オーギュストの言葉に、その通りだと思ったので、頷く。
教会や神殿の治療も無料ではない。この世界では、平民は一日の仕事のあるなしで食い詰めたり、ちょっとした怪我が悪くなって死んだりすることだって珍しくはないのだ。
「確かにそうですね。私の考えが浅かったわ」
この世界では、ただ生きるだけでも精いっぱいで余力を回すシステムの「余力」自体が存在しないことのほうが多い。
だからこそ貴族の妻や娘に慈善事業への参加という役割が必要な側面がある。
「実際に現場に立っている人の言葉はためになるわね。ありがとうございます、公爵様、オーギュスト」
「いえいえ、メルフィーナ様ほどの方に教える立場になるなんて、なんだか申し訳ない気持ちもしますけどね、俺としては」
軽く言うオーギュストに対し、アレクシスはひとつ頷いただけで冷めかけたお茶を傾けている。
「話し込んでしまいましたね。お茶を淹れ直しましょうか。軽食も用意します」
「メルフィーナ様、私が行きます」
「いえ、私も手伝うわ。座りっぱなしだとあまり体に良くないのよ。公爵様とオーギュストも、よければ館の中でも歩いて来て下さい。気分転換にもなるでしょうから」
気が付けば、太陽は随分西に傾き始めている。春に向かって少しは日が長くなってきたとはいえ、まだまだ日照時間は短い。
魔物にまつわる北部の話を聞くだけで、数時間が過ぎてしまっていた。それでもまだまだ、知らないことの方が多いだろう。
階下に下りて厨房に入ると、ふわっと暖かい空気が体を包むのに、ほっと息が漏れる。厨房と、そこに続く食堂はこの領主邸で最も暖かい場所であり、メルフィーナにとっては使用人たちとの団欒を象徴する場所でもある。
知らず知らず張り詰めていた緊張感が、優しく緩むのを感じる。
「本格的に、北部の統治について教授してくれる方を探した方がいいかもしれないわね」
去年ほどでないにせよ、春になればまた様々なことが動き出すだろう。これまではマリーとセドリックが手を貸してくれてなんとかメルフィーナ一人で回してこれたけれど、発展と魔物の被害が連動しているならば、来年の冬に向けて備えをしておく必要も出てきた。
これ以上発展を望むなら、ある程度の仕事を割り振れる部下が必要になってくる。
「執政官って、どこで雇えるものなのかしら」
「直臣の子を教育するなどして、一から育てるのが一般的かと思いますけど、さすがにそんな時間はありませんよね」
「直臣の子どころか、そもそも直臣がマリーしかいないもの」
「あら、私は臣下だったんですか?」
「ふふ、そうね、マリーは妹だったわ」
クスクス、と笑い合いながら紅茶を淹れていると、姉様、と後ろから声を掛けられる。振り向くと、厨房にひょっこりとセレーネが頭だけを覗かせていた。
「セレーネ、どうしたの?」
ここ数日で随分体調を持ち直したセレーネは、ようやく寝室から出てこられるようになった。手招きすると、ととと、と軽い足音を立ててこちらに向かってくる。コンロの隣に並んで立つと、嬉しそうに目を細めて笑った。
「お話、終わったのかなと思って」
「お茶を淹れ直して、もう少し続くかしら。おなかがすいた?」
「いえ、少し、心配で」
言葉の意味が分からず首をかしげると、セレーネはなんでもないです、と笑う。何か無理をしているような様子に頭を撫でると、えへへ、と少し感情が緩んだように見えた。
「今日は、夕飯は一緒に食べられないかもしれないわ。ごめんなさいね?」
「姉様の御夫君が訪ねておられる時に、わがままは言いません」
「わがままなんて思っていないわ。私も、セレーネと食事するのは楽しいもの」
ここしばらく寝付くことの多かったセレーネも、寂しかったのだろう。おずおずというようにメルフィーナの手を握ると、こくん、と頷く。
「僕も、姉様と一緒に過ごせるの、すごく楽しいです。あの、姉様」
セレーネが何かを言いかけて、言葉を切り、ぱっと握っていたメルフィーナの手を離す。
「セレーネ?」
「失礼しました、公爵。夫人の手に不躾に触れたことを謝罪いたします」
入口を見ると、アレクシスとオーギュストが並んで立っていた。アレクシスは相変わらず分かりにくい表情だが、その奥のオーギュストは「あちゃー」とでも言いたげに、額に手を添えている。
「謝罪する必要はありません。お久しぶりです、セルレイネ殿下。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「私が寝付いているとお聞き及びだと思いますので、お気遣い頂いたのは分かっています。公爵、今のは私が勝手な振る舞いをしただけです。どうか、夫人にお怒りにならないでください」
「勿論、そんなことは致しません、殿下」
儀礼的に言葉を交わす二人に、メルフィーナもはっとする。
元々は、セレーネに姉様と呼ばれることも距離が近すぎると思っていたのに、この冬の間あまりに近い場所にいたことで、完全に麻痺していた。
「冬の間は体調を崩しがちと聞いていましたが、顔色も良くなったようで、お喜び申し上げます」
「夫人のおかげです。食事や治療に関しても、随分親身になっていただきましたので、とても健やかに過ごすことが出来ました。――夫人、私は部屋に戻ります。急に訪ねてしまい、申し訳ありませんでした」
「……とんでもないことでございます、セルレイネ殿下」
セレーネは優雅に一礼すると、王子としての体面を整えた表情のまま、厨房を出て行った。
けれど、一度も振り返らないその背中がとても寂しそうに見えてしまい、思わずそれを視線で追ってしまう。
そんな自分の振る舞いが、領主邸での暮らしを知らないアレクシスやオーギュストの目にどのように映るのか、その時はまだ自覚することは出来なかった。
カテゴリを異世界(恋愛)→ハイファンタジーに変更いたしました。
それについて活動報告を更新しました。
100話更新に無事に到達できて、個人的にとても嬉しいです。
ここまでお付き合いくださってありがとうございます。