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空白の記憶  作者: 望月夏
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ジュウと音を立てて挟まれたパンは鉄板の熱によりゆっくりと焼かれている。

カセットコンロの真ん中に置かれ、お父さんが時々鉄板をひっくり返しながら丁寧に焼いていく。

具を入れすぎてしまったのか鉄板の隙間から時々液体が漏れ出て、その度に煙が上がっている。

それと同時に目の前の惨状が目に入った。

お皿の周りに、飛び散った調味料や食材の端材が散乱している。

中には大きめの具もあり、申し訳ない気持ちでいっぱいになってくる。

「あの…ごめんなさい」

気がつけば自然と謝っていた。

「どうしたんだい?」

急に謝ったためか、不思議そうに首を傾げている。

「その、私不器用みたいで…。それで、いっぱい無駄にしちゃったかなって…」

私の視線の先をみてふんわりと微笑んだ。

「初めて外で作ったんだから、これぐらい普通だよ。こういうことはまだ不慣れなだけで、君は器用だから作っていたらすぐ慣れると思うよ。」

自分でも不思議なんだけど、お父さんが言ってくれたことは全て事実になるような気がしてくる。

お父さんの隣に立って作ったり、1人で作ったりする自分を今は上手くイメージ出来ない。

それでもいつか料理が上手くなって、お父さんに食べてもらう日がくると思うと心がムズムズとしてくる。

「どうしてそんなに私に対して甘いの?」

「そうかな?僕は普通だと思うよ。」

悪びれもせずそういうお父さんを見ていると頭が痛くなる。

「心配性すぎるしお父さんは過保護だと思うよ。」

「そんなこともないよ。親が子供を大切にするのは当たり前のことだからね。」

お父さんにずっと甘やかされていると、勘違いで傲慢な人間になってしまいそうだ。

あまり言い過ぎて揉めるのも嫌だし、これ以上言ってもお父さんの考えが変わることは無いと思うから程よいところでやめておこう。

気持ちを落ち着かせるために辺りを見渡した。

シートのそばでさわさわと揺れるシロツメクサに目が留まった。

どこまでも広がるクローバーが、白くてモコモコとした花の可愛さを引き立てている。

この間読んだ本で主人公達が四葉のクローバーを探す話があった。

もしかしたらこの辺にも四葉のクローバーがあるかもしれない。

そう思うとつい手が伸びてしまった。

「もうすぐホットサンドが焼けるから、食べた後にしようか。」

ふふっと笑うお父さんの背中には目が付いてるのかもしれない。

しぶしぶと手を引っ込めるとカリカリに焼かれたホットサンドがお皿に置かれた。

「中が熱くなっているから、火傷に気をつけてね。」

そういいながらお父さんは私が挟んだサンドイッチを焼きはじめた。

カセットコンロでは1つずつしか焼けないから、先に私の分を焼いてくれたようだ。

パンパンに膨らんだサンドイッチのお腹をみて口の中に唾液が出てきた。

きつね色に焼かれた表面からゆらゆらと湯気が立っている。

猫舌ではないが、少し冷ました方が持って食べやすそうだ。

その間に飲み物を準備しようかな。


「はい、どうぞ」

お父さんに声をかけようとすると真っ赤なスープとカモミールティー出てきた。

行動が早すぎてたまに私の心を読んでいるんじゃないかと思ってしまう。

「ありがとう。少し熱いからお父さんのが焼けるまで待っててもいい?」

「もちろんだよ、もうすぐ焼き上がるから一緒に食べよう。」

お父さんに大切だと言われてから、自分の思っていることを少しだけ素直に伝えれるようになった気がする。

自分の考えを話すと嫌われるかもしれないと、ビクビクすることが減ったおかげかな。

まだ思ったことを全部話せれる訳じゃないけど、お父さんの反応を見るに極端に言葉を飲み込むことはしなくて良さそうだ。

そう思うと自然とにやけてしまう。


「お待たせ、さぁ食べようか」

お父さんのサンドイッチもいつの間にか焼けたようだ。

ステンレス製のコップに入った赤いスープに顔に近づけると熱気が登ってきた。

顔が冷えていたようでとても心地よく感じた。

火傷をしないようにズッと音を立てて吸い込むと、トマトの酸味と甘みが口腔内に広がる。

キリキリと傷んでいた胃に、優しく染み渡っていく。

「おいしい」

自然と漏れ出た言葉に、お父さんは幸せそうに微笑む。

そんな顔されるとこっちまで嬉しくなってくる。

誤魔化すようにクッキングシートに包まれたホットサンドを手に持ち、かぶりついた。

サクサクした外側としっとりとした内側の食感が楽しいが、一口ではまだ具にたどり着けなかった。

お茶でパンを流し込み、もう一口進めた。

トロトロとしたチーズと桜チップの燻製サーモン、卵の組み合わせは大成功のようだ。

「ふふっ、口の端に付いているよ」

笑いながらお父さんは柔らかなティッシュで口の端を拭いてくれた。

お父さんはまるで私を小さな子供のように扱う。

年齢を考えると少し心苦しくなるが、つい最近目覚めたばかりの私はそれについつい甘えてしまう。

「まだまだ子供でいたいな」

ぽつりと本音が漏れてしまった。

「君がそう望むなら、それも悪くないね」

お父さんはなんとも言えない顔をしながらも私を肯定した。

「本当にそう思ってる?」

「もちろんだよ。」

嘘だ。

だって本当にそう思っているなら、いつもみたいに笑って答えてくれる。

「じゃあ、なんでそんな顔してるの?」

本心は私に早く大人になって欲しいと思っているけど、私が幼子のように甘えるから口に出せないのかもしれない。

「…少し、昔のことを思い出したんだ。」

懐かしむような悲しんでいるような目をして遠くをみつめていた。

「それは、私には言えないこと?」

心がざわざわと騒ぎ出した。

また美代のことなんだろうか。

でもお父さんは美代のことを話す時は、大体嬉しそうだったり、楽しそうだったりする。

もしかして美代以外の誰かを思い出しているのかもしれない。

それこそ1度も話に出てこないお母さんとか…

「今はまだ話せないんだ…ごめんね。」

そっと私の頬を撫でて悲しそうに微笑んだ。

今はまだということはいつかは話してくれる気ではいるみたいだ。

だとしたら、私の記憶に関することのような気がする。

話すことで私の記憶が戻ることを危惧しているのだろう。

お父さんは私の記憶が戻ってほしくはないといっていたし…

私の事なのに、お父さんが1人で全てを抱え込む必要なんてないのに。

心にぽっかりと穴が空いた気がする。

「じゃあ、お父さんは何なら話せるの」

慌てて口を押さえたがもう遅く、お父さんを傷つけるような意地の悪い質問をしてしまった。

お父さんは私を気遣ってくれているのに、私はどうしてそれを素直に受け入れられないのだろう。

心の狭い自分に嫌気がさす。

「そうだね。食事の前に話していたことを話そうか…」

悲しそうなのに微笑むお父さんに心がざわついてしまう。

言葉を発するとまたお父さんを傷つけてしまいそうで、こくりと頷いた。

「さっきも言ったと思うけど、僕は君が今日出ていくことを知っていて止められなかったんだ。」

うつむき加減に話すお父さんの髪が風に揺れた。

サラサラと揺れる灰色は光を反射して輝いていた。

私とは違う色…

この些細な違いも今は私を1人にしていくような気がしてしまう。

「それは君が僕から離れて生きていくことを望んでいると思ったからなんだ。」

そんなこと思えるはずがない。

私はお父さんを頼る以外の生きる術を知らない。

何も分からない子供が1人で生きていけるほど世間は甘くないと記憶がなくても理解している。

それなのにお父さんはどうしてそんなこと考えたんだろう。

「僕はね…君に捨てられるのかもしれないと思っていたんだ。だから何も言わずに僕から離れる準備をしていると…」

「どうしてそんな風に思うの?私は他に行く所なんてないのに…」

黙って最後まで聞こうとしていたのに、耐えきれず言葉を遮ってしまった。

お父さんを捨てるだなんて今の私に出来るわけがない。

むしろ毎日その不安を感じていたのは私の方だ。

たとえお父さんがどんな私のことも美代だと思っていたとしても、いつか記憶のない私が扱いにくくなり離れていかれる可能性も少なからずある。

そんな漠然とした不安が私にはずっと付きまとっている。

そんな孤独な私に対して、お父さんは一体何に怯えているのか私には分からない。

「僕は父としても出来損ないの存在だから、君に何もしてあげられなかった。そんな僕に嫌気が差したのかと思ったんだよ。」

父として出来損ないなんてことはない。

私が目覚めてからお父さんはずっと私のことを考えていてくれた。

その証拠にお父さんと過ごした時間は半年ほど経つのに、その中で1人過ごす時間なんてほとんどなかった。

「お父さんの目標がどうかは知らないけど、私はお父さんのことそんなふうに思ってないよ。最高のお父さんだと思ってる。」

お父さんの自信のなさは異常だ。

美代の記憶が無くなったことに責任を感じているのはわかる。

その中で自分に責任があると罰を受けることを望んでいるのだろうとも思う。

それでもこんなにも自分を卑下するのは理解できない。

「私の大好きなお父さんをこれ以上責めないで…」

泣くつもりなんてなかったのにそう発すると同時に涙が溢れてきた。

また優しく拭き取ってくれるだろうと、拭わずにお父さんを見つめるが、驚いた顔をしたまま固まっている。

どうしたんだろう。

もしかしてまた余計なことを言って、お父さんの傷口へ触ってしまったのかもしれない。

時間が止まってしまったのかと思うほどに、全く動かないお父さんに痺れを切らして話しかけてみる。

「お父さん?」

はっとしたお父さんが恐る恐ると口を開く。

「美代は…お父さんのことが大好きなのかい?」

なんだか変な聞き方だ。

いつものお父さんなら自分のことは僕と言っているのに…

これじゃあまるで、父親だからお父さんのことが好きみたいな言い方に聞こえる。

「私はお父さん以外の人が父親だったらって考えると怖くなる。毎日ずっと一緒にいてこんなにも大切にしてくれるのに、まだ不安に思うことが多くて……。お父さんだから、その…好きなんだよ。」

好きだと連呼していると途中から恥ずかしくなり、声がしりすぼみになるのが自分でも分かる。

でもちゃんと伝えないとお父さんには伝わらないだろう。

顔を見るのが恥ずかしくなり、俯きながらお父さんの返答を待つ。

「…もし間違っていたらごめんね。それは僕のことが好きだってことかな?」

改まってそう聞かれると、顔が熱を帯びて火が出そうになる。

頷くだけですませたいが、お父さんのマイナス思考が進むのは避けたい。

「そうだよ」

今にも消え入りそうなほど小さな声だったが、お父さんには伝わったようだ。

「そうなんだね」

声色だけではどんな表情をしているのか分からない。

ぎゅっと手を握り、ちらりとお父さんの顔を盗みみる。

お父さんはきっと喜んでくれると思っていた。

美代のことが大切だから、好かれることも嬉しいと想像していたけど、お父さんはすごく苦しそうで今にも泣き出しそうな顔をしていた。

なんでそんな顔をしているのか分からない。

「お父さん?」

声が震える。

さっきまであんなにも幸せだったのに、いきなり地獄へ落とされたように目の前が真っ暗になる。

「僕も君が大切で大好きだよ」

頭を優しく撫でつけるお父さんがゆっくりと囁く。

手つきも声も優しいのに、表情だけが一致しない。

この囁く言葉も本当かどうかも分からない。

でも今以上にお父さんを傷つけたくなくて、聞きたい言葉を飲み込んだ。

まだ全てを聞くのは早かったと自分に言い聞かせ、すっかりと冷えてしまったご飯を口へと運ぶ。

話なんてせずに、食事をすませていればよかったと自分を呪った。


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