夕方のピクニック
しばらく私の泣き声と鼻をすする音しかしなかったのに、いつしか虫の鳴き声に混じり草木の音が耳に届くようになった。
お父さんは私が泣きはじめてすぐに横へ座り、私の背中をとんとんとリズム良く叩いてくれていた。
そのお父さんの胸に顔を付けていると、次第に涙は止まりスンスンと鼻がなる程度にまで収まった。
私の涙のせいでお父さんの服はしっかりと濡れていたが、特に気にしていない様だ。
息を吸う度いつも通りのお父さんの匂いがして、心から安心していく。
洗剤の香りとあまり嗅ぎ慣れない匂いが混じりお父さんの匂いになっている。
なんの匂いなのかは分からないけど、肺いっぱいに吸い込むとどこか懐かしい。
胸がぎゅっと締め付けられたようになるけど、全く不快ではなくて、むしろそれを求めているような気もしてくるそんな匂いだ。
記憶が無いのに懐かしいなんて変な感じだ…
お父さんは私を胸に抱いたままの体制で、器用に私の髪を弄り出した。
いっぱい歩いたり、走ったりしたからぐちゃぐちゃになった髪を、お父さんは丁寧に掬い解いて綺麗に結び直していく。
少し低めに後ろで1本に結ばれた髪は私の顔の横へと流すように置かれた。
それがとても心地よくて、ついつい寝てしまいそうになる。
目を細めているとそっと背中に手が回り、優しく抱きしめられた。
「少しは落ち着いたかな」
低すぎず高すぎない心地の良い音が耳を撫でる。
しがみつくようにして泣いていたが、今は涙もすっかり乾き嗚咽も落ち着いた。
泣きすぎたため目に違和感はあるが、明日少し腫れるぐらいだろう。
もう少しこのままで過ごしたかったが、お父さんの言葉を無視する訳にもいかず、こくりと頷く。
その様子を確認してから、お父さんは私の背中に回した腕を解いた。
おもむろに私の横から立ち上がり、少し離れた場所に置かれた荷物を探り出した。
下を向いたお父さんは少し長めの前髪が切れ長の目を隠してしまい、表情が読み取れない。
手持ち無沙汰な私はなんだか寂しくなり、ソワソワとしてしまう。
空いた隣の場所が目につき、縋るように手を置くとじんわりと熱を帯びていた。
その温もりが心まで暖かくしていく気がする。
そういえば持っていた荷物が結構な大きさだけど、何を持ってきたんだろう。
お父さんの方へ目をやると、リュックサックからいつか見たあのシートとクッションがでてきた。
それを手早く綺麗に大きな木の前へセッティングしていく。
「ここに座った方が休めるよ」
いつの間にか私の前にきていたお父さんによって抱き上げられ、クッションへとそっと降ろされた。
まさかこんな山奥にまでクッションを持ってきていたとは…
本当にお父さんの過保護さには呆れてしまう。
クッションに下ろして直ぐにお父さんが私の足を見つめた。
「もしかして転けたのかい!?少し触るよ。」
慌てた様子で話すお父さんに驚いてしまう。
ズボンで隠れていたのにどうして分かったんだろう。
足の横に座るとそっとズボンを捲りあげ、私の足をまじまじと凝視する。
足首や膝を軽く手で押さえたり、動かしたりされる。
手つきから心配されていることが伝わってきてなんだか申し訳なく感じる 。
「赤くなっているね。痛いところはないかい?」
「大丈夫だよ。でも、なんで転けたのが分かったの?」
お父さんに指摘されるまで、自分でも転けたことなんて忘れていたぐらいだ。
「ズボンに土が付いていたから、もしかしてと思ったんだよ。」
いつものことだが、よくそんな細かい所に目がいくもんだと感心してしまう。
お父さんは荷物からウエットティッシュを取り出し、私の手を丁寧に拭いていく。
「手ぐらい自分で拭けるよ。」
気恥ずかしくなり自分で拭こうとするが、今回は手渡してくれなかった。
「怪我がなくて、本当によかった。君が決めたことを尊重したいと思っているのだけど、危険だと感じたら止めることを許して欲しい。」
真っ直ぐと私を射抜く視線を向けられ、反射的に赤べこの様に頷いてしまう。
懇願するような口調で、私は初めて叱られた気がした。
それが心地よいなんて、お父さんにバレたら呆れられてしまいそうだ。
「ごめんなさい」
自然と上がりそうになる口角を手で隠す。
きっとお父さんはそれに気がついたと思うが、いつものように暖かな煉瓦色が優しく三日月を描く。
しかしそれは一瞬で、すぐにお父さんの顔が曇っていった。
「謝らなくていいよ。僕は君が外に出ることを知っていて、止められなかったんだ。」
伏し目がちにそう答えたお父さんは少し悲しそうだ。
「どういうこと?」
止めなかったではなく止められなかったという言葉が引っかかり、聞き返した。
でもお父さんからの返答が帰ってくることはなく、少しの間沈黙が流れてからパッとお父さんが顔を上げた。
「よく歩いたから、お腹も空いたんじゃないかな。…食べながらゆっくりと話そうか。」
曖昧に笑うお父さんにモヤモヤとしたが、後で話すというお父さんの言葉を信じよう。
それにお腹が空きすぎたせいで、胃のあたりが少しチクチクとしていた。
早く何かを食べてこの不快感から解放されたかった。
いつもならそろそろおやつの時間だが、いつもより空腹なのはやっぱり運動したからなのだろうか。
お父さんはリュックサックからもみじ色の中くらいな包みを出てきた。
もしかして、お弁当を準備してきた?
いや、いくらお父さんが超人だといってもそんなすぐにお弁当を作って持ってこれるはずがない。
というより居なくなった子供を心配しているなら、わざわざお弁当を作ってから探すなんてことしないはずた。
一目散に探しに行くと思う。
私の視線を気に止めることなく、お父さんは包みを解いていく。
口ぶりからして食べ物が入っているのは間違えない。
でもこれで完成度の高いお弁当だと微妙な気分になる。
私の心配をよそに、開かれたお弁当箱の中身はハムやチーズ、卵を潰したものや魚を解した物だった。
なんだろう、これ。
メインとなるものがひとつもない。
小首を掲げる私が見えているのだろうけど、お父さんカバンを探っていた。
「今日はおやつにホットサンドを作ろうと思っててね。それの具を持ってきたんだ。もちろん、パンや調味料もあるよ。」
目当ての物が見つかったのか、にこにこと説明しだした。
竹が細かく編み込まれた箱からは、香ばしい匂いとともにふっくらとしたパンが顔をのぞかせた。
「このパンも焼いたの?」
お父さんはよくパンを朝から焼いている。
どうやら美代もパンが好きなようで、大半の朝ごはんはパンだ。
私もお父さんの焼いてくれたパンは大好きだ。
もっちり、サクサクとした食感がなんとも言えないほどおいしい。
山のパン屋とか開いたら、隠れた名店になれるレベルだ。
今日は朝ごはんが和食だったから残念だと思っていたが、どうやらメニューが被らないようにするためだったみたい。
「もちろん!君は本当に美味しそうに食べてくれるから作りがいがあるよ。」
小分けにされた調味料を並べながら、お父さんは嬉しそうに頷いている。
ケースに入っていたパステルグリーンのプレートとクリーム色のプレートを私の前に置くとこちらを見つめた。
というより凝視されている。
「どうしたの?」
「今日は、君に作ってもらいたいんだ。」
珍しい、こんなことあるんだ。
お父さんは私がしたいと言ったこと以外、私には何もさせないようにしていた。
パンにバターを塗るのも、コップにお茶を注ぐことも何もかも気がつけば終わっていた。
そんなお父さんが私に作って欲しいなんて少し変だ。
「いいけど、急にどうして?」
私が作るよりもお父さんが作ってくれた方が美味しい。
それに私はどちらかと言えばお父さんが作ったホットサンドが食べたい。
「君の作ったものが食べたくなったんだよ。駄目かな?」
照れたように笑うお父さんはレアだ。
それとなく断ってお父さんに作ってもらおうとしていたのに、こんな風に言われたら仕方ない。
お父さんが満足するものが作れるかは分からないけど、精一杯頑張ろう。
それに多分だけど、どんな出来栄えでもお父さんは気にしない。
「ふふっ任せて!」
思っていたよりも大きな声で答えてしまった。
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