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空白の記憶  作者: 望月夏
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小さな反抗

私が目覚め半年がたった。

お父さんと私の関係は相変わらず他人である。

変わったことといえばお父さんが見ていない所だけ私は自分で歩けるようになった。

これはお父さんが見ている前では歩けないようにみせていた、の方が正しい。

お父さんに見つからないように外へ出るために、毎日歩く練習をした。

それをお父さんに悟られないために、歩けないふりをしている。

お父さんは私が突然居なくなったら悲しんで探してくれるだろうか。

それとも大井川美代を失うことを恐れてなんとしてでも見つけ出し私を叱るだろうか。

どちらでもいいというと語弊はあるが、どっちでも私を求めることには変わりがない。

大井川美代にお父さんが再び合うためには私が絶対に必要なんだ。

私をお父さんの側で過ごさせるためには、私自身を大切にしないといけないとお父さんに理解して欲しかった。

お父さんは花を育てるかのように大切にお世話をしてくれるが、いつも大井川美代をみている。

大井川美代ごしではなく今の私をみて昔に囚われず接してほしいというのが本音だ。


だからこそ今日、家出をする。

1ヶ月前から何となく考えていて、ようやく行動に移そうと思ったからだ。

お父さんはご飯を食べたあとなので片付けをしている。

いつもなら片付けの手伝いをしていたが、今日は体がしんどいと嘘をついて部屋へと先に連れてきてもらった。

多分ここから30分程度は私を休ませるためにもお父さんも戻ってこないだろう。

意を決してそっと音を立てないようにベッドから足を降ろす。

足裏からひんやりと硬い感触を確かめ、ゆっくりと立ち上がった。

まずは靴下を履くために、部屋の隅に置いてある木製のチェストを目指した。

抜き足差し足で細心の注意をはらいながら何とか目の前までやってきた。

お父さんは異状に耳がよくて本当に気が抜けないのだ。

猫足のチェストに掴まりながら床へと座り、一番下の段を開け靴下と隠れて準備していたリュクサックを取り出す。

急いで靴下を履き、リュクサックを背負ってから立ち上がった。

扉の外へ1人で出るのは初めてだったが、思いのほか躊躇わずに出られた。

音を立てないよう素早く開いたままの扉へと足を進めた。

私の部屋から玄関まではそこまで遠くない。

廊下へ出て右に曲がり真っ直ぐ歩くとステンドグラスの飾りがされた両開きの扉と大きな靴箱が見えてくる。

音を立てないようにそっと歩くが、時々ギッやギュッと床が鳴る。

逃げる時間は30分しかないが、急ぎすぎてバレてしまっては本末転倒だ。

バレるのではないかとドキドキしながらも何とか無事に玄関へ辿り着いた。

お父さんが開けていた靴箱を自分で開くとよく履きならされた靴と最近私が履いていた靴が並んでいた。

お父さんと過ごす際にはだっこで移動しているので全く歩いてはいなかったが、外に出る時はこの靴を履かせてもらっていた。

整備されているとはいえ山を歩くのだから、履きなれた方がいいのは分かっている。

でも、どうしても大井川美代の靴を選ぶ気にはなれなかった。

玄関タイルに置かれた椅子へ座って私の靴を履き、扉を片方開けて外へと音もなく飛び出した。


光がまるでスポットライトのように私に向けて眩くさしており、旅立ちを歓迎するかのような晴天が目の前いっぱいに広がっていた。

空はとても高く、どこか懐かしい気分になる。

深呼吸をすると少し冷たい空気が、肺をいっぱいに満たしていく。

吸い込んだ空気を吐き出すと鳥肌がたった。

外へ1人で出るという行為はとても恐ろしいことの様に感じていたが、いざ踏み出してみると清々しい気分だ。

緊張からか、高揚感からなのかは分からないが少し手が震えていた。

それでも足は進みまるで走っているように早く動いた。

これからどうしていくべきなのか、全く分からないが、とにかく時間の許す限り自由に歩いてみようと思った。

そう決めてからは何も考えれずただ、気の向くままに歩を進めた。

しばらくすると家がみえなくなり、整えられた道もすっかりとでこぼこのけもの道へと変わっていった。

探す時間が長いほど私の事で頭がいっぱいになるだろうから、なるべく見つかるまで時間を稼ぎたい。

お父さんが整えた道を通るだけだとすぐに見つかってしまうことは目に見えていた。

だからあえて険しい道を選び、お父さんが私を見つけにくいようにする必要がある。

さすがのお父さんでも山の中に入ってしまえば、簡単には見つけられないだろうと考えての行動だ。

気が付けば辺りに木々が生い茂り昼間なのに薄暗くなっていた。

背の高い木は枝や葉っぱを伸ばしお互いが絡み合い、トンネルを作っている様だ。

草は膝下まで生い茂っており、足元は見えなかった。

鈴虫のなく声や鳥のさえずり、葉っぱの擦れる音が聴こえる。

風は冷たいのに、険しい道を進んでいるため汗をかいて服が体に引っ付いて気持ちが悪い。

顔に滲んだ汗を、持ってきたタオルで何度も拭うが次から次へと出てくる。

家を出てから休みなく歩き続けていたため、足が疲れてジンジンとしてきた。

座って休みたいのに、草のせいで座れそうな所がなくて困っている。

代わり映えのない同じような風景が続いており、どんどんと不安になっていく。

引き返そうかどうか悩んでいると、トンネルの終わりが見えた。

安堵からか自然と歩くスピードが早くなる。

その瞬間、視点が反転した。

気が付けば、草が目前に迫っていた。

自然に伸びた手と地面に着いた膝の痛みで転けたのだと気がついた。

ゆっくりと体を起こし、手に付着した土をはらい落とす。

もしかしたら、膝を擦りむいたかもしれない。

恐る恐る、ズボンをまくりあげる。

痛む部分は少し赤くなってはいるが、草がクッション代わりになったようで出血は見られない。

安堵のため息がもれでた。

今度は転けないようゆっくりとけもの道の終わりを目指した。


眩しさに目を細め、思わず手で光を遮る。

目が眩しさに慣れると、木々がサークル状に途切れていることに気がついた。

どうやら山の終わりはまだまだ遠く険しそうだ。

足元には背丈の低い白詰草が咲き誇っており、円の真ん中に大きな木が聳え立っている。

もう秋なのにまだ白詰草が咲いてるんだ。

そう不思議に感じながらも辺りを見渡すと、大きな木の横で、座るのに丁度いい大きさの岩が目に飛び込んできた。

自然と体が引っ張られ、上が平らになっている岩の上に腰を下ろし、ゴツゴツとした冷たさが下半身に広がる。

久しぶりの休息に身を任せると、冷たい風がひゅーっと吹いてきだした。

山の中を歩きたくさん汗をかいていたため、急いで荷物から膝掛けと上着を取り出す。

山の中では気温が低く、少しの冷えも生命の危機になるからだ。

冷えかけていた体は再び暖かさを保った。

「危なかった」

小さな声で呟くと周りに吸収されほとんど響かなかった。

まだ秋口なのに、遭難からの凍死なんて笑えない。


木々が揺れる音に混じり、風と虫の声が耳に届く。

ふいにお父さんはどうしているだろうかと思いだした。

もう30分なんてとうの昔に過ぎ、2時間ほど経った頃だ。

それでも私を見つけられないということは、やはり整備された道を探しているのだろう。

お父さんに心配してもらうための家出だったけど、こんなにも奥にきてしまってはみつけてもらえないんじゃないかと不安になってくる。

私を見て欲しくて実行した家出なのに、見慣れない場所でポツンと一人寂しく佇む私は側からみて滑稽だ。

「こんなはずじゃなかった」

心の中で呟いたと思ったのに、風に紛れるかの様な小さい音が口から漏れた。

途端にぞわりとした感情が溢れてきて、気がつけば目から暖かい粒が落ちていた。

次々と生まれるその暖かさがまた私を孤独にさせる。

バカみたいだ…

私は所詮大井川美代の代用品でしかないのに、私を見て欲しいなんて願ったからこんなことになったんだ。

大井川美代だってまぎれもなく私の1部なのに…

それでもやっぱりあの子ばかりが大切にされていて、寂しくて苦しい。

いっその事お父さんがあの子の存在を忘れてしまったらいいのにと願ってしまう。

私はどうやらとても性格が悪いみたいだ。

涙とともに喉から声にならない音が漏れた。

無意識に私はお父さんを呼んでしまった。


「どうして泣いているんだい」

私以外誰もいないはずの空間からよく聞きなれた声がした。

膝を抱いて伏せていた顔を慌ててあげると、こちらを見下ろしながらお父さんが困ったように小首を傾げていた。

「どう、して…」

まったく都合のいい幻覚をみるなんて我ながら呆れる。

こんなことある訳が無い。

「君が急にいなくなったから随分探したよ」

困ったように微笑んで私の前にかがみ、幻はそっと手を伸ばしてくる。

頬を伝う涙をすくい上げた。

その温かさは涙よりも冷たかったが、確かに幻なんかじゃなくてそこに存在していた。

「こんなにも冷たくなって、風邪を引いたら大変だ。」

慌てた様子で背負っていた荷物を下ろして、着ていた薄手のダウンコートを脱ぎ私にかけてくれた。

「お父さん?」

「うん、どうしたんだい」

満足そうに微笑むお父さんの優しさに柔らかさに溺れそうになったけど、それよりも先にどうしても言いたいことがあった。


「どうしてここにいるの?」

あまりにも急に現れたお父さんに対して自然と出た言葉だった。

嬉しさもあったが、それよりも驚きの方が大きかったからだ。

家出をした子供を探す時、普通はもっと焦ったり慌てたりするものではないだろうか。

それが周りが少し開けているとはいえ、無音でそっと前に立つなんて難しいように感じる。

「美代を探すのは慣れてるからね」

私の質問に答えたのか、驚きを察して答えたのかは分からないがどちらにしても同じ返答をされそうだ。

お父さんのセリフから、美代は度々探されてたいらしい。

お父さんからこんなにも愛され、大切にされているのに、私みたいに家出をしたのだろうか。


「…私を怒ったりしないの?」

「もちろん、怒らないよ。君が聞いて欲しくないなら理由も聞かない。」

お父さんに会えば何らかのアクションがあると思っていたのに、私に丸投げされ困惑する。

答えあぐねている私に対して、お父さんは続けた。

「でも、不安に思っていることや不満があるなら伝えて欲しい。僕は君を失わずにすむならなんだってする。」

あまりにも真剣な顔をして私を失いたくないと言われ、毒気が抜かれる。

「私ね、お父さんが私と美代のこと区別しているの分かってるんだ。」

お父さんが口を開こうとしているのをみて、慌てて言葉を続ける。

「お父さんは私に早く記憶を取り戻して欲しいと思う?」

1番触れたくて触れられなかった話題が口から滑りでた。

いくら私を失いたくないとお父さんから言われても、これを聞くのは正直とても怖かった。

その通りだと言われてしまったら、私の存在価値など無に等しいのだから。

それでもどうしようもなく気になってしまう。

お父さんは少し驚いた顔をしてから、考え込んでいる。

「僕は、美代の記憶が戻って欲しいとは思ってないよ。」

しっかりと私の目をみつめてそう答えてくれた。

嘘や誤魔化しではなく、本心からの言葉に感じた。

「どうして?お父さんは、美代のことが大好きで、大切でしょ。だったら、記憶が戻った方が……」

いいでしょと言いたかったが、言葉が続かない。

自分で言っておいて、鼻の奥が痛くなった。

視界が滲むとお父さんは上着のポケットからハンドタオルを出して私の目を軽く押さえてくれた。

ハンドタオルを受けとり固く握りしめた。

「大切に思っているからこそかな。どちらかと言えば、記憶は戻って欲しくないぐらいだよ。」

力を入れすぎて白くなった手を、お父さんは優しく握り返し私を落ち着かせようとしている。

どこかで様々な経験や記憶が今の性格を形成していると聞いたことがある。

だとしたら今の私は美代ではないのだろう。

それなのにどうしてこんなにも優しいんだろう。

「私が美代じゃなくてもいいの?」

「君は間違いなく美代だ。性格が変わろうとも好きな物が違っていても大した問題じゃない。些細な変化だよ。」

じゃあなんで区別しているのと喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

呼び方を変えているということは、お父さんの中で美代と私は分けられている。

それはどうしようもない事実だ。

お父さんの言葉を素直に受け入れられなくて俯いてしまう。


「僕の中で美代は、幸福感と安心感を与えてくれる存在なんだ。君といてそう感じているから君は美代だよ。」

お父さんの中で私が美代ならどうして呼び分けるのだろうか。

お父さんは傷つけないように嘘をついているのかもしれない。

何か話さなくてはと思うが、言葉が上手く出てこない。

頭の中が混乱しているのを察してかお父さんは続ける。

「君を美代と区別しているのは、君が嫌がっていると思ったからなんだ。」

私が嫌がっている…

確かに美代と比べられるのは嫌な気分になった。

それは私自身が美代と私は違うと思っていたからで、お父さんはそれを分かって美代と区別してたってことなんだろうか。

「…何も言ってないのにそんなこと分かるの?」

「君のことならなんだって分かるさ。」

お父さんは疑っている私を諭すように優しく微笑む。

「ごめん、昔の美代の話を沢山されて嫌だったよね。これからは過去を振り返らない様にするよ。今ある時間が1番大切だからね。」

ずるい。

こんなこと言われたら責める気にもなれない。

美代が大切なら私も大切にしてって言うつもりだったのに…

「君は本当に泣き虫だね…」

ダムが決壊したみたいに、涙が流れ出てくる。

お父さんは強く握りしめていた私の指を解いてハンドタオルを取り、そっと拭ってくれた。

ひんやりとした風が熱くなった顔を冷やして、なんとも言えない気持ち良さが私を包む。

体の疲労感もゾワゾワとする寂しさも気がつけばどこかに消えていた。

手を伸ばすと、お父さんは体を包み込むように私を抱きしめた。

本当にお父さんはずるい人だ。



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