表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空白の記憶  作者: 望月夏
3/9

3


夕食後、お父さんは私をおんぶして外へと連れていってくれた。

なんでも山の頂上に近いため、よく星が見えるらしい。

家の付近でもよく見えるのでそこで見ようと言ったが、お父さんは頂上まで登ると言って聞かなかった。

「美代が小さい頃に、よく星が見たいって言っていたんだよ」

声を弾ませながら話すお父さんの足取りもまた軽く、踊っているようだった。

「でも、結局あの頃は1回も見れなかった……。だから君が目を覚ましたら、1番に見にいこうって決めていたんだ。」

声が暗くなったように感じたが、お父さんの顔は緩く綻んでいた。

山というから険しい道を想像していたが、誰かが手入れしているようでそこそこ歩きやすそうだ。

誰かと遠回しにいったが、私は誰が山道を整備したのか知っている。


「歩こうか?」

この穏やかな道ならもしかしたら歩けるかもしれないと思い、口にすると私を支えるお父さんの手に力がこもった。

「ダメに決まっている。君は1年間眠ったままだったんだ。それに家の中でも立てないのに無茶だよ。」

そうだった、私は床に立つことさえ出来なかったんだ。


それに気がついたのは、夕ご飯を食べてすぐ外を見に行こうと1人で立ち上がろうとした時だ。

足だけで立つのが難しかったため、手を机について立ち上がろうとした。

しかし、手で机を精一杯押してもお尻が少し椅子から浮くだけで、すぐに座ってしまうのだ。

そんな私の姿を見て、お父さんはやっぱりと呟いた。

お父さんは想像していた通りのことなのだろうが、私は少なからずショックを受けた。

泣きたくなるぐらいには、確かに衝撃的な事実だ。

話によると、1年間眠ったままだった私の筋力は落ちてしまい、立つことさえままならないようだ。

今日は私の話で一日が終わってしまったが、明日からは立ち上がる練習と歩く練習をお父さんが一緒にしてくれるらしい。

その時は立ち上がることなんてもう無理なんじゃないかと思ってしまったが、お父さんが「また歩けるように一緒に頑張ろう」って励ましてくれたから断れなかった。

歩けるようになったら特別な場所に連れていってくれる約束までした。

何だかお父さんがいうと、本当に実現出来そうな気がしてくるから不思議だ。

でも私はお父さんがそばにいてくれると思うと、歩けない事が大事ではない気がして安心できた。

初めて出会った人と変わらない関係性なのにおかしな話だ。

記憶の隅でもしかしたらお父さんのことを覚えているのかもしれない。


しばらく山を登っていたが、お父さんの息は乱れることはなかった。

頂上についてもそれは変わらない。

なんでも私が眠っている間、毎日何かしらの用事で山を登ったり、降りたりを繰り返したらしい。

その用事の中に、山の整備まで入っていると聞いた時は自分の耳を疑ってしまった。


「さぁ、着いたよ」

そう言われ、下や横をみていた目線を上へと向ける。

それはどこまでも、どこまでも、遠く広がっていた。

キラキラと輝き、夜空を彩っていて何よりも大きな存在感だった。

「今日が新月でよかったよ。月の光が強すぎると星がかすんで見えるからね。君と最初にみれる星空が、1番綺麗な星空で心から嬉しいと感じるよ。」

お父さんの優しい声が私を包み込む。

春の夜風は冷たくて頬を冷ますのに、心はとてもポカポカとしてあたたかい。

「あんまり上を向いていたら、首が疲れるよ。ちょっと待ってて」

お父さんは私を背負ったまま手に持っていた大きめのカゴを、地面に置いてそこから青いシートを取り出した。

それを片手で丁寧に広げていく。

みかねて私は口を出す。

「お父さん、器用だね。手、しんどくない?」

「昔からよく言われるね。手は君のためなら、なんてことないさ。」

そうじゃないよ、と心でつぶやく。

遠回しに言ったのが、伝わらなかったようだ。

「私を降ろして広げた方が絶対楽だし早いと思うよ。ちょっとぐらい地面に座っても大丈夫だし」

「君を地面なんかに一時的にでも座らせるぐらいなら、シートなんて敷かずにずっと背負っていようかな。」

顔が見えず、冗談なのか本気なのかはイマイチ分からなかった。

もし本気なら、それはお父さんにとってとても大変でしんどい事だろう。

「そんなことしたら、すごくしんどいと思うよ。」

お父さんは大袈裟に首を振って否定する。

「そんなことないさ。体力には自信があるんだ。」

それにね、と一呼吸おきゆっくりと言葉を繋げる。

「君が起きるまで待ち続けることが、何よりも苦しくて、しんどかったんだよ。もしかしたらこのまま目を覚まさないんじゃないかってね…。だから大抵の事は平気だよ。美代を失うこと以上に辛いことはないからね。君ぐらいなら、片手でだって抱えられるよ。」

確かに私には目覚めない人を1年も待った記憶は無い。

だからといって、お父さんの気持ちが全く分からない訳ではなかった。

きっと待ち続けるのは寂しいし辛いことだと理解出来る。

でも、それにしたって少し言い過ぎな気がした。

どうしたって人間は疲れるようになっている。

立ち座りだって1回ならなんてことないと思うが、何回も繰り返せば疲労になるのに。

今のお父さんはなんだか、自ら望んで自分を苦しめている気がした。

きっとそれは私の知らない大井川美代のための償いからなのだろう。

それ以上は何も言えず、ただお父さんが片手でシートを広げるのをみていた。

シートを広げ終わると、カゴの中から小さなクッションとブランケット、水筒2つを取り出し並べた。

柔らかいクッションの上へと降ろされ、肩からはブランケットをかけられる。

このブランケットは部屋で見たのとは違うようだ。

可愛い羊の絵が描かれていた。

水筒の中身をコップに移し私の前へと置いてくれた。

どうやら中身がそれぞれ違うらしく、1つは具の入っていないスープもう1つはハーブティーのようだ。

お父さんは私を後ろから抱きしめる様に座り、私を少し斜めに座らせる。

お父さんの簡易版背もたれ椅子の完成である。

「今はまだ軽めの物しか食べれないけど、胃が落ち着いてきたら美味しいものをいっぱい食べようね。焼きたてのパンとか、クリームがたっぷりのふわふわケーキとか一緒に作って食べよう」

目の前に置かれたコップから湯気が優しく昇っていた。

具の入っていない薄いスープに手を伸ばしゴクリと飲みこむと、大きく息がもれた。

漏れだした息も白く、すぐにふっと消えていった。

ただただぼーっと、お父さんが違う大井川美代の話をしているのを聞きながら、綺麗な星空を横目に時間が過ぎた。

その日私は目覚め、少し心に棘を残したまま1日を終えたんだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ