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空白の記憶  作者: 望月夏
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「君は…僕の娘だ」

ドアの前で少し間を置き、そう口にした。

男はそのままゆっくりと歩み、ベッド横のテーブルクロスがかかった机に不釣り合いな、分厚い本や薄汚れたヨレヨレの紙束をきちっと積み重ねていく。

本や紙束を並べ終わるとこちらをみて、男はハッとした表情になった。

「むすめ…」

ぽつりと繰り返してみるが、その言葉に違和感しかない。

再び口を開こうとすると、男は近くの椅子にかけられている綺麗にたたまれた薄手のブランケットを私の肩からふわっとかけた。

ブランケットから埃はたたず、とてもいい匂いが鼻腔へと届いた。

使い込まれて柔らかくなっているが、こまめに洗濯されているようだ。

「春とはいえ、まだ少し冷えるね。」

やはり季節は春だったようだ。

なぜ急にブランケットをかけてくれたのか分からなかったが、自分の手を見て納得する。

微かに、無意識のうちに体が震えていた。

自分でも気が付かないほどの震えを男は感じ取ったぐらいだ、男の私にむける優しさは本物だろう。

1人になる恐怖の震えを、寒さからくる震えだと勘違いしたとしても、私を心配して行動したことには変わりはない。

しかし、それでもはっきりとさせないといけなかった。

「でも…私は、あなたのこと知らないよ」

この話題に触れるのはとても怖かったが、口からは滑るように音となった。



「そうみたいだね。」

少し悲しそうな顔をしながらも男―お父さんは頷く。

「どうしてお父さんなのに、私はあなたのことを覚えてないの?」

いや、それだけではない。


「私…記憶だけ思い出せないの。たった今私が生まれたみたいに……」

天井やカーテンなど物の名前や使い方は分かる。

しかし、それ以外の家族はもちろん、好きな食べものといった自分のことさえも分からなかった。

その中には名前も含まれている。

とても気持ちが悪かった。

知識はあるのに、過ごしてきた過程がすっぽりと抜け落ちているのだ。

それがなんだが恐ろしくて、胸が締め付けられるように痛い。

あんなに痛かった体の、どの部分の痛みよりもずっと、ずっと、遥かに痛かった。



そんな私の心配をよそに、お父さんはおもむろに立ち上がると本を開いた。

「すこし長くなるけど、1から話そうか…」

「まず君の名前は美代だ。大井川美代」

おおいがわみよ、と心の中で唱えてみるが聞き覚えはない。

それから私の生い立ち、誕生日や好きな食べ物、好きな季節などを事細かく教えてくれた。

なんとなく共感できるものや本当にそれが好きなのか不思議に思うものが交差していた。

お父さんの声はとても優しく、まるで子供に物語を読みきかせているようだった。

いつまでも聞いていたくなるほど、心地よく耳に音を届けてくれた。

この時間が永遠に続けば良いとさえ思っていた。


そう、最初はよかったのだ。

しかし、その時間も長くなれば苦痛になる。

それはそれは、私が飽きてしまうのではないかと言うぐらいお父さんは延々と丁寧に話し続けた。

お父さんが話す度に、本のページは1枚、また1枚とめくられていく。

途中から聞くことがしんどくなり、音は聞こえるが内容が入ってこず、外の景色をぼーっと眺めていた。

高かった日もどんどんと落ちていき、オレンジみたいに鮮やかな橙色からリンゴのような真っ赤な色へ変わり、絵の具を並べたような綺麗なグラデーションも終わり、星が瞬き出した頃、残りのページがもう少しという所でお父さんは言葉を詰まらせた。


途中から話を聞いていなかったことがバレたのかと思い身を固くしたが、どうやら違うようだ。

目を伏せてから、ごほんと少し大袈裟な咳払いをするとゆっくりと再び話し始めた。

「美代は、一台の子育てアンドロイドによって育てられていたんだ…。そうすることによって安心して仕事に打ち込むことが出来たからだね。美代と過ごす時間はほとんど取れなかったし、アンドロイドからの報告が全てだったと言っても過言じゃない。親と呼べるのか…そんな考えも巡ったぐらいだ。そんな生活が長くずっと続いて、美代が12歳になった誕生日に、そのアンドロイドが引き金で大きな事故に巻き込まれたんだよ。それから美代は眠ったままの一年を過ごしたんだ。僕は父親失格だと思ったし、美代には本当に申し訳ない事をしたと思っている。だからその償いになればと、あんなことがあった街から遠く離れたこの山で、美代と一緒にこれからを過ごそうと思ったんだ。」

そこまで話すとお父さんはパタンと本を閉じた。

「アンドロイドさえいなかったら君はこんなことにはならなかったんだ。だからこれは僕のせいなんだ....本当にすまない」

最後の謝罪の言葉は消え入りそうな程に小さかった。

山奥で聞こえてくる音といえば、カーテンのはためく音と草が揺れる音ぐらいなのに。

お父さんの声はどの音よりも小さく感じた。

それでも声は確かに震えていて、今にでも泣き出してしまうのではないかと、ハラハラする。

お父さんは私を見つめ、ただじっと私の返答を待っていた。

その目には確かに悲しみの色を含んでいる。

お父さんがアンドロイドを手配したのは、私の生活に必要なことだったのだろう。

だとすればそこを責めるのはお門違いというものだ。

アンドロイドの引き起こした事件が、どうしてお父さんのせいになるのか、さっきの話だけでは私には分からない。

でも、それ以上聞いてはいけない気がした。

そしてだた一言「お父さんのせいじゃないよ」と零れた。

自分でも少し驚いたが、お父さんの顔を見ていると無意識に口をついて出てきた。

お父さんはほんの少しだけ驚いたような顔をしたが、すぐに元の顔へと戻り、ポンっと私の頭に手を置いた。

それ以上は何も言わず、ただただ静かに私の頭を優しく撫でつけた。


お父さんの手があまりにも温くて、ずっとこのままこうしていたかった。

お腹の中からぽかぽかとして、あまりの心地良さに目をつぶり、自然と頬が緩んでいくのを感じる。

そんな和やかさを消し去るように、大きな音が鳴り響いた。

それは低く、長く私のお腹を振動させる。


私のお腹が鳴ったんだ。

そうだと分かると顔に徐々に熱が集まっていくのを感じた。

さっき見た夕焼けよりも、もっと真っ赤に染ったと思う。

恥ずかしさでお父さんの顔がみれなかったが、なんとなくくすりと笑った気がした。

「もう、こんな時間か。ご飯を作ってくるから、少し待っていて」

長い白衣を翻しながらお父さんは部屋の外へと出ようとした。

「あっ」

また行ってしまう、そう思うと同時に私の手はお父さんへと伸びていた。

白衣の端を掴むと、お父さんは驚いたような顔で振り返った。

「あの、これは…」

急いで手を離し、なにか言い訳を考えないとと、思いを巡らせるが頭が真っ白になって言葉が出てこない。

そんな私をみてお父さんは嬉しそうに笑い、「一緒に行こうか」と私を抱き抱えて部屋から連れ出してくれた。

お父さんの腕の中はとても暖かくて、なんだか懐かしい気がした。


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