第93話 アルケミア学園生徒会 三
初心者マーク付きの作者です。
暖かい目でご覧ください。
たった一歩足を踏み入れた瞬間、ヴィルはこの場所が学園にとって特別な場所なのだと理解した。
記念すべき第一歩目の足音を吸収した絨毯は気品を感じさせる赤で、靴越しでもその柔らかさが感じられる。
そも地面に絨毯が敷かれている教室が珍しいのに、足元のこれは上級貴族が見栄の為に買うような超が付く高級品だ。
そこらの粗悪なベットマットなどよりも、余程よく眠れるに違い無い。
しかし、これしきの事で驚いていたのでは生徒会室には入れない。
執務机やソファ、シャンデリアなどの家具類、とても遮光性の高そうには見えないカーテンや部屋に彩りを加える花瓶、果ては窓ガラスや壁紙に至るまで。
ヴィルが少し見ただけでも、そのどれもが数点売るだけで家が建つような代物ばかりで統一されている。
これが貴族の執務室ですと言われても、疑問に思う人は少ないのではないだろうか。
そしてそんな金銭的価値の高い内装に囲まれて、尚埋もれない輝きを持つ人物が只者である筈が無い。
この国一番の美しさを誇る金の髪、目鼻立ちのはっきりした顔は余裕と自信に溢れた表情を浮かべ、人に安心感を抱かせる優しい碧の眼がヴィルを捉えている。
オーダーメイドで座り心地の良いであろう椅子に腰掛け、今し方歓迎の言葉を口にした彼女はヴェステリア・ゼレス・レオハート・フォン・アルケミア。
この世界で唯一アルケミアの家名を名乗る王座に座る一族であり、王位継承権第二位の第一王女。
間違いなく、この場ではヴェステリアこそがこの生徒会室の主だった。
「急なお呼び立てで申し訳ありません。さぞ驚かれた事でしょう」
「本当に。嘘でもいいえと言えない程度には驚きましたよ。会長ともあろうお方が僕なんかにご用とは、知らぬ内に何かしでかしてしまったのかとヒヤヒヤしました」
「あら、私はもう少し豪胆な方だと勝手に思っていたのですが、意外と普通な所もおありなのですね。次からはきちんと配慮する事にします」
くすくすと美しく笑うヴェステリアに嫌味は無く、ただ純粋に面白がっているようにも見える。
だが彼女の裏を知るヴィルにとっては、とてもではないがそれが綺麗なものとは受け取れなかった。
と、ここまで無視してきたが、ヴィルは自身に向けられる複数の視線に目を向ける。
その殆どが初対面の人物だった中、たった一人だけ見知った顔を見つけた。
「やあ、リリア。生徒会の仕事にはもう慣れたみたいだね」
ヴィルが声を掛けたのは鮮やかな金のツインテール、本人も気にしている小柄な体躯が特徴的なクラスメイトのリリアだ。
愛らしい顔を驚きに染め、びっくり目をぱちぱちと瞬かせる。
明るい性格で一年Sクラスのムードメーカーな彼女が、入学早々生徒会に所属しているのは周知の事実であり、そこには驚きも意外感も無く皆に受け入れられていた。
役職は書記だが、よく書記以外の仕事を手伝ったりしていて生徒会内でもかなり頼られているらしい。
「まあね、もう入って二ヶ月だからね。って、それよか会長が言ってたお客ってヴィルっちのことだったんだ、びっくり!」
「いやいや僕が一番びっくりしてるよ。なんせ本当に急な呼び出しだったものだからね」
明るく振舞いつつちらと他に気取られぬよう元凶に目をやるが、当のヴェステリアは分かっていて会長としての顔を保ったまま受け流している。
恐らく周りの目がある事を盾にしているのだろうが、どうせ直ぐに退かしてしまうのだから自分の首を絞める行為に他ならないのだが、一体どういうつもりなのか。
そんな思考も知らず、リリアはうんうんと頭を捻って何事か考えている様子だ。
「このタイミングでの呼び出しってことは……あ!昨日会長が話してた生徒会の」
「リリアさん。ただでさえ私の用でヴィルさんの貴重なお昼休憩を奪っているのですから、お話は後にしましょう。申し訳ありませんが、皆さん少し出て頂けますか?出来れば彼と二人きりで話をしたいので」
不自然に映らない程度にリリアの話を遮り、窘めるくだりのままに他の役員に退出を求める。
この場に生徒会長の要求を断れる人物が居る訳も無く、またわざわざ断る内容でもなかったからだろう。
誰一人文句を言う事も無く、それまで自分の仕事をしていた役員達が退室していき、リリアもじゃね~と小さく手を振って部屋を出て行った。
「それではな、ヴィル。来てくれてありがとう」
「イリアナ先輩もここまで案内してくださりありがとうございました。次の授業もよろしくお願いします」
律儀な礼を受け取ったイリアナはフッと笑い、最後にヴェステリアに一瞥くれてから扉が閉められた。
これで生徒会室に居るのは第一王女ヴェステリアと、騎士レイドヴィルの二人きり。
ヴェステリアはその事を確認してから視線を落とし、机の下で手を動かして何か操作をすると、直後レイドヴィルにも見覚えのある結界が生徒会室全体を覆った。
ニアの部屋で見た遮音結界に似ていたが、今回の結界はそれよりもずっと強力な物となっている。
前者が音を漏らさない、結界を張っている事実そのものを隠すを両立しているのに対し、後者は遮音性が強化されている分、周囲に結界を感知されてしまうのだ。
生徒会室という場所の特性上、遮音結界があったとしても誰も疑問に思わないからこそ有効な手段だと言える。
「さて、立ったまま話をするというのは何ですし、適当に掛けて下さい。今紅茶を用意しますね」
そう言って立ち上がり、長机に予め用意されていたカップに紅茶が注がれる。
カップは二つ、机の長辺側に対面で座る形で紅茶が置かれ、レイドヴィルは大人しく椅子を引いて腰掛ける。
湯気を立てる紅茶を一口含めば、喉を通る熱さが少しだけ心を落ち着かせてくれた。
その様子を見たヴェステリアは満足そうに微笑み、自身もレイドヴィルの対面の椅子に腰掛けて紅茶を口に含んだ。
「随分と久しいですね、ヴィル。こうして会うのは入学式の日以来三か月ぶり、腰を据えて話をするのは実に半年ぶりになりますか。お互い忙しい身の上ですから仕方がありませんが、また話が出来て嬉しい限りです」
「そうですね。僕もただお茶をするだけなのなら歓迎したい所なのですが。生徒会には入りませんよ」
紅茶を味わいながらぴしゃりと言い切るレイドヴィルの態度に、ヴェステリアの笑顔がピクリともせず凍った。
「いやですね、私はまだ何も言っていませんよ?折角の機会なのですから落ち着いて、まずは気楽に世間話でもしようではありませんか」
「世間話ですか、良いですね。僕も世間話や雑談は好きですから」
「そうでしょうとも。ではあなたの話を聞かせてください。入学当初からまだ三ヶ月しか経っていないというのに、そちらの周辺は随分と賑やかなご様子でしたね。流石の巻き込まれ体質もそろそろ落ち着いてきた頃合いでしょうか」
「その物言い、ヴェステリア様は全てご存じなのでしょうに。……未だに落ち着く気配はありませんよ」
「先程の発言は訂正します。あなたは巻き込まれ体質なのではなくお節介なのでしたね。何にでも首を突っ込んでかき回して、それで自分の思うままにコントロールして幕引きまで誘導してしまうのですから、恐ろしいものです」
「それはまたすこぶる心外な評価ですね。ヴェステリア様の言い方では、僕が厄介極まりないトラブル好きのひねくれ者のようではないですか」
「おや、違うのですか?」
「百を否定する訳ではありませんが、もう少し言い方は考えて欲しかったですね。僕はこれでも勇者の身分なのですから」
「魔王を倒す宿命を背負った勇者様、ですか。便利な言葉をお持ちで羨ましいです」
「アルケミア王国第一王女様にそう言われると照れますね。僕の場合は人に明かして得を得る事も出来ませんから」
そのレイドヴィルの返しに、ヴェステリアは無言でにこりと笑顔だけを返した。
一見険悪にも思えるこのやり取り。
しかしここまではほんの挨拶、二人にとってのお決まりの定型でしかない。
いつからだろうか、貴族の腹の探り合いにも似た舌戦を繰り広げるようになったのは。
幼少期の初対面はもっと単純に、お行儀の良い挨拶だけだった筈なのに。
いつだったか、ヴェステリアが悪ふざけで何か皮肉交じりの挨拶を言ったのだ。
それに驚きつつもレイドヴィルが同じように返して、このやり取りは始まった。
二人共同年代から見ればませつつも幼かった事もあり、ちょっとした貴族ごっこがしたかっただけなのだが、何の因果か今の今まで続いてしまっている。
目的の失われたやり取りではあるが、この気を許しつつも気を抜けないという妙な関係が心地良い。
続ける理由なんてものはそれだけで十分だった。
そうして会話が一段落した所で紅茶を飲み干したレイドヴィルは、ジェスチャーでお代わりを問うヴェステリアに首を振って否を返す。
元よりあまり長居をするつもりは無い。
「それで?ヴェステリア様のご用とは一体何なのでしょうか。ご存じとは思いますが、僕はいつも昼休みに友人と一緒に食事をするので、なるべく手早く済ませて頂けると助かるのですが……」
相手の顔色を窺うようなレイドヴィルの仕草に、ヴェステリアが嘆息する。
「これだけ話しておいてよくもまあ……。しかし私としてももあまり時間を取らせてしまうのは忍びないので、本題に入るとしましょうか。――ヴィルさん、私の生徒会に入るつもりはありませんか?」
こんな風に優しく微笑みかけられて、断れる人間が一体どれだけいるだろうか。
王族という立場だけではない、ヴェステリアの笑顔には、それ程までに人の心を動かす力が秘められていた。
それはヴェステリアという人間が持ち合わせた、天性の才能。
人を惹き付けるという、単純ながら強力無比な才能だった。
これにはさしものレイドヴィルも思わず……
「申し訳ありませんが、お断りさせていただきます」
申し訳ありませんが、という謝意を込めた言葉を頭に置かざるを得なかった。
「…………」
あからさまに不機嫌そうな表情を見せても、ヴィルの意思は揺らぎそうにない。
その事を悟ってか、諦めたヴェステリアはすっと表情を戻してレイドヴィルに問う。
「それはどうしてですか?あなたの能力はこの学園の中でもずば抜けて高い。その力を私……ではなく、この学園の為に使おうとは思いませんか」
「今の『私』はわざとらしいですよ。と、それはさておき生徒会の業務を手伝う事自体は別に構いはしません。現在の生徒会が人手不足なのは聞き及んでいますし、僕が山のように積まれた書類を片付ける事で学園の助けになるのなら喜んでやりましょう」
しかし、あくまでも生徒会に所属する事はしないと暗に語るレイドヴィル。
「では何故?」
「仮に僕が生徒会に途中から参加しても特に問題は起こらないでしょう。上手くやる自信はありますし、業務もすぐに慣れるでしょうから。そうやってヴェステリア様方が卒業される二年後まで続けたとして、その先に待っているのは生徒会選挙です。恐らく役員、生徒、教師を問わず出馬を求められる僕は会長戦に出ざるを得ない。そうなれば僕が生徒会長になってしまう事は避けられないでしょう」
そう話すレイドヴィルの瞳に一切の揺らぎは無く、ただ淡々と真実を語っているように見える。
いきなりこんな意味の分からない想定を聞かされれば、相手の正気を疑うのが普通の反応だ。
だが他でも無いレイドヴィルが言い、ヴェステリアが聞いたのなら話は別。
「それはまた……随分と傲慢で無礼な仮定ですね。どうして会長になって不都合なのかはともかく、その発言は他の役員の皆さんに失礼だとは思いませんか?あなたの代には既にクレガ―さんやリリアさんを含めて将来有望な生徒がいます。彼らを差し置いて会長選に勝てるとでも?」
「勝てますよ。ヴェステリア様なら分かるでしょう」
微妙な諦観を込めた表情でそう言われ、ヴェステリアは言葉を否定しない、否定出来ない。
学業、武道、成績、容姿にずば抜けて優れたレイドヴィルならば、至って普通の選挙活動をしているだけで会長になれるだろう事は想像に難くない。
平民が地位を獲得する事に否定的な貴族生徒も、二年の歳月を掛ければ平民生徒や教師による支持の波に呑み込まれて、ある程度鎮静化する。
その事を踏まえての沈黙だった。
只の将来有望だけでは、レイドヴィルには勝てないのだ。
「その点については理解できました。もう一つ、生徒会長になれない理由は何ですか?あなたが自分で言った通り、あなたには十二分以上の能力がある。例年以上に上手くやれるものと思っていますが」
「……僕はご存じの通り勇者として生を受け、身分を隠してこの学園に入学しました。自分で望んだ事とはいえ、幼少から家と王国の支援を受けて鍛練を積んだ僕は言わば異物、出来る限り他の生徒の学生生活を歪めるべきでは無いと考えています」
「選挙まで生徒会に所属しつつ、会長選への参加を辞退するというのは?」
「同じ事ですよ。あからさまに辞退したりすれば当選した生徒当人を含めて遺恨が残るでしょう。それならばはなから舞台には立たない、生徒会には入らないという結論に至ります」
この言葉にヴェステリアは、生徒会にレイドヴィルが所属しない理由の全てを理解した。
レイドヴィルの立場上、余計な歪みや軋轢を生みだしたくないという思いは共感できなくもない。
自らの努力で合格している以上少々勿体無くも感じるが、それだけレイドヴィルがアルケミア学園を気にかけているという証左でもある。
一秒でも長く騎士として活動したかっただろう彼にとって、ここがそういう場所になってくれたのは生徒会長としても、一風変わった幼馴染としても嬉しい理由だった。
そして、レイドヴィルという人間が一度こうと決めた物事に対して、梃子でも動かない意思を持っている事はとうに知っている。
ヴェステリアは短く嘆息。
「分かりました。あなたの生徒会所属は諦める事にします。その代わり、仕事は手伝ってもらいますからそのつもりでいるように」
「その程度でしたら、謹んでお受けいたしますよ、会長」
仰々しく、恭しく、演劇じみた仕草でレイドヴィルが頭を下げる。
騎士が王女に礼を尽くすその光景は、どこか現実離れした絵画の一枚のようだった。
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