第92話 アルケミア学園生徒会 二
初心者マーク付きの作者です。
暖かい目でご覧ください。
ヴィルの近く、通り過ぎる生徒が緊張した面持ちで隣を抜けて、視界から外れた瞬間から気持ち早歩きで駆けて行く。
割合で言えば実に三分の一の生徒が同じような行動を取っていて、その他の生徒もちょっとした歓声を上げたり遠くから見物していたりと無関心でいる人間は皆無で、ヴィルは改めてその影響力の大きさを認識させられる。
それは街中で衛兵を見かけた時の反応にどこか似ていて、悪い事など一つもしていないのに不思議と後ろめたいという、謎の感覚に近しく見えた。
勿論ヴィルは衛兵では無いし、更に言えばすれ違う生徒が緊張を露わにしているのはヴィルに対してではない。
「ご機嫌よう。ご機嫌よう」
生徒達の関心の矛先は、律儀にも時折掛けられる言葉全てに挨拶を返しているイリアナに向いていた。
凛として澄ました表情で歩くイリアナには上に立つ者としての迫力があり、その雰囲気が平民貴族を問わず伝わり、注目されているのだろう。
学園に二つと無い生徒会副会長の肩書きを持ち、貴族の在籍数が多いアルケミア学園でも稀有な当主の身分で学園に通っているのだ。
この若さで既に為政者としての片鱗を見せる彼女に対し、恐れを抱いてしまうのも無理からぬ事。
付け加えれば、イリアナの態度は授業内でのそれよりもやや厳しい性格をしているように見える。
恐らく副会長としてのイメージを保つ為なのだろうが、その演技が意図せずしてイリアナという個人のカリスマをより確かなものへと昇華していた。
端的に言えば、副会長としてとてもらしいのだ。
「イリアナ先輩は随分と生徒に慕われているんですね」
「入学からもう三ヶ月、今更になって気付いたのか?」
「いえ、認識の上では分かっていましたよ、学内で見かける事も少なくありませんでしたから。ただ実際に隣を歩いてみて、初めて本当の意味で分かる事もあるんだなと再認識しただけです」
「なるほどな。だが正確に言い表すのであれば、あれは慕っているのではなく恐れているだけだろう。アルケミア学園生徒会副会長のイリアナに、な。私としては恐れられているのは想定通り、そう見せている甲斐もあるというものだが」
「やはりこちらは演技でしたか。授業での先輩は柔らかくも格好良いという印象でしたが、今の先輩は厳しくも格好良いという印象でしたから違和感があったのですが、納得です」
ヴィルのその言葉に、イリアナはくすりと笑う。
「そうか、格好良いか。君にそう思って貰えているなら狙い以上だな。副会長イリアナの厳格なイメージは守られたという訳だ」
そう笑って答えるイリアナの横顔には一抹の寂しさも無く、寧ろ自分の行動が誇らしいといった様子だ。
人の期待に応えるその点は、立場ある者の共通の義務と言える。
生徒会室への道すがら、言葉を交わす内に話題はイリアナの魔術に関するものへと移っていった。
「そういえばシアやヴァルはともかくとして、君に私の魔術について話した事はあったかな?最初の授業にしたような気もするんだが……」
「いえ、説明を受けた事はありませんね」
「そうか、では先の試験の合格祝いと道程の暇つぶし代わりに、軽く私の魔術特性を説明しておくとしようか。その前に一つ、君は私の魔術の仕組みについてどれくらい理解しているかな?」
唐突に投げかけられた質問に答える前に、ヴィルは言葉を置いて数秒の空白を作る。
「どれくらい、ですか……。簡単な予想でよろしければ、あの魔力を染み込ませた紙……呪符ですか?事前に先輩の魔力を帯びさせた呪符を魔力で引っ張る形で操作、その地点の魔力を起点にして魔術具的に魔術を遠隔起動する術式、だろうとは思うのですが。しかしそれでは消費魔力の説明が付きません。術者から離れれば離れる程消費魔力量が大きくなるというのは常識ですから」
ヴィルは少しの悔しさを滲ませつつ、自身に分かっている範囲までを説明した。
魔術の世界には、決して逃れられない法則がいくつもある。
例えば魔法陣の記述量に応じた消費魔力の増加であったり、属性多重化による記述迂回路の必要性を説くディティシカ理論であったり。
そんな法則の中に、ミドレイアの法則というものがある。
魔術は術者と発動地点の距離に応じて消費魔力が増えるという、ヴィルが説明した通りの内容である。
その法則を当てはめれば、二十や三十メートルを軽く超えて魔術を行使するイリアナはかなりの異常だ。
最初の数十発を放てたとしても、十分間ヴィルを追い詰め続ける程に連発するのはまず不可能。
そこには何かしらの抜け道が存在する。
恐らくそれがイリアナの魔術特性だろうという予想はヴィルにもついていたが、流石にその先は読めなかった。
「ふむ、見事だな。それだけ言われてしまえば、あと説明の必要があるのは魔術特性についてだけか。よく見てよく知っている。日頃の努力が見えるようだ」
「僕の価値を構成する内の半分は努力ですから」
「そういう人間は私も好きだよ。さて、私の魔術についてだが、君の予想は大方当たっている。『天使の羽』とも評される軽く薄いイール紙に、私の魔力と特殊な薬品で作った混合液を浸透させた後に乾燥、これで呪符が出来る。そうして作成した呪符を魔力ごと動かして操作する事で魔術の起点とし、魔術具に用いられる術式を使う事で適性外である属性の魔術すら放つ事を可能にする。ここまではいいね」
「はい。それで複数属性の説明はつきますし、魔術の遠隔発動の失敗率が三割は低下する筈です。まだ確立が一から四になっただけとも言えますが」
「確かに。だがここで私の魔術特性が生きてくる訳だ」
そう言って口を笑みの形に歪めたイリアナは立ち止まり、おもむろに細く綺麗な人差し指を窓に向けると、空中に字でも書くように手指を動かし始めた。
するとそれに伴い、窓の外の景色に小さな火が浮かび上がって手に合わせるように揺れ、その軌跡が小さく『ヴィル・マクラーレン』の文字を描き出したではないか。
魔術で文字を書いた、たったそれだけの事実に、しかしヴィルは絶句する他無かった。
今し方イリアナが何でもないかのようにやったのは、魔術に精通する者ならば誰もが驚愕する超絶技巧。
窓ガラスという障害物を貫通して火を灯し、媒体も無しに二十メートルは離れた中空にあれだけ精緻な線を引くなど、およそ正気の沙汰とは思えない。
そこまで考えて、再び歩き始めたイリアナに続くヴィルの脳裏に、一つの仮説が浮かんだ。
普通ならば到底納得出来ない荒唐無稽だが、今の光景を見せられては信じざるを得ない。
「イリアナ先輩。先輩はもしや、空中に飛ばした呪符を足掛かりに、その場で術式を描かれているのですか」
半信半疑の問いを絞り出すヴィルに対し、イリアナは沈黙の笑みをもって肯定を返す。
ヴィルは当初、事前に呪符に魔法陣を描いておき、あとから任意のタイミングで術式を励起しているのだと考えていた。
しかし同時に、それでは一秒一秒で目まぐるしく変化する戦況にはついていけないとも考えていたのだ。
故に予想を途中で止めざるを得なかったのだが、これで肝心の謎は解けた。
答えは単純、イリアナは常識外れの魔力操作技術を備え持った魔術師であり、空に浮かべた真っ白の紙にその場で絵を描いていたに過ぎないと、そういう事だ。
「――術式名『パレット』、それが私が扱うたった一つの魔術の名だよ」
呪符という名のパレットに魔力という絵具をのせ、空をキャンバスとして世界を魔術で彩る。
何とも幻想的、それでいて的確に魔術の特徴も表すセンスのある名付けだ。
派手な見た目に反して精密かつ繊細な魔力操作が要求される強力無比な魔術だが、まず間違い無くイリアナ以外にこの魔術を扱える魔術師は居ないだろう。
それは近い将来枷となっている封印が解かれ、全盛期が訪れるであろうヴィルであっても同じ事。
「ま、私は『パレット』を使わなければ、先に見せたような文字を描く程度の出力しか得られない欠陥術師だが、欠けているなら欠けているなりにやりようはあるという事だな。君も同じく魔術は得意ではない様子だが、案外工夫次第で何とでもなるものだ。これで暇つぶし程度にはなったかな?」
熟考癖で黙りこくったヴィルを気遣ってか、少しだけ演技を崩し冗談めかして語り掛けるイリアナ。
ヴィルはふと我に返ると、バツの悪さを隠すようにふっと微苦笑を零す。
「ええ、十分過ぎる程に。ありがとうございました。次から先輩と戦う時はもっと積極的に呪符を潰しに行く事にします」
「おっと、これは余計な情報を教えてしまったかな?私個人としては君は敵としてではなく味方として居てもらった方が心穏やかでいられるのだが……その時が来たならこちらも全力でお相手しよう。流石に一回目の模擬戦で副会長が一年に負ける訳にはいかないのでね」
「その時は僕も先輩の胸を借りるつもりで挑ませてもらいますよ。それから申し訳ありませんが、試合には勝たせてもらいますのでそのつもりで」
「言ってくれるね」
学園の昼休みには似合わない剣呑な視線を絡ませ、それからややあって両者の間に笑いが弾けた。
二人共本気で戦いを誓い合った訳では無い、只の世間話の口約束。
だが近い将来、この約束は必ず果たされるのだという奇妙な確信がヴィルとイリアナにはあった。
そして自分が勝つのだという、才能と努力によって培われた自信に裏打ちされた勝利の確信もまた。
と……
「おっと、話に夢中になっている内に着いてしまったか。ようこそ生徒会室へ、中に入るのはこれが初めてかな?」
足を止め、生徒会室の扉に手を掛けて振り返るイリアナが問うてくる。
場所は本校舎一階の廊下の中程、学園のどこからでも比較的辿り着きやすい位置に存在する教室だ。
他の教室とは一線を画す重厚感を醸し出す扉は華美な装飾が施され、そこだけがまるで王城の一室かのように映る。
いくら敷地が広く教室数の多いアルケミア学園と言えど、この扉を見れば一目瞭然、生徒の頂点に立つ生徒が居る事が分かるだろう。
更に言えば、その生徒は教師陣を入れても尚最も地位の高い人物でもある。
「そうですね。部屋の前を通った事しかありませんから、中はまだ」
「それは良い事を聞いたな。普段表情を崩さない君の驚いた顔が見れると良いのだが」
若干の期待を表情に滲ませたイリアナの顔が前を向いて、ノックをきっかり三回、声掛けの後ドアノブを捻る音が鳴った。
年季の入った重さが重低音を響かせながら、扉は押し開かれていき、やがて――
「――よく来てくれましたね、ヴィル・マクラーレンさん。どうぞ掛けて下さい、私達生徒会はあなたを歓迎します」
部屋の奥、執務机に座るヴェステリア・ゼレス・レオハート・フォン・アルケミア生徒会長が柔らかく微笑んでそう言った。
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