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第90話 すれ違い 二

初心者マーク付きの作者です。

暖かい目でご覧ください。

 

 時は夜、季節はもう夏に突入したとはいえ、この時間ではかなり涼しい。

 人が生活するのに快適とされている気温は二十五度前後とされているが、今は二十二度くらいだろうか。

 そんな寝苦しさとは無縁の夜に、一年Sクラス男子寮の一室で何事か準備をする生徒が居た。

 フェリシス、ニアと共に行った密会を終えたヴィルは寮に到着した後に二人と別れ、自室でその時を待っていた。

 いつものメンバーでの食事は既に終えており、普段なら明日の荷物や自室を整理して寝床に就く所だ。

 しかし、今日は定刻に就寝とは行かない理由がある。


「さて、行くか」


 確認の意味を込めて虚空に呟き、部屋着の上から黒づくめのフード付きローブを羽織る。

 夏の日中なら地獄を見そうな漆黒はしかし、夜の帳が下りた今ならば完璧に闇に紛れる事が出来る代物だ。

 この学園において、ヴィルがこのフードを着用する場面はただ一つ。

 ――扉の鍵が掛かっている事を再度確認した上で窓を開け放ち、フードを被ったヴィルが寮の外へと飛び出す。

 エネルギー操作魔術で自身に消音を掛けつつ、傍に生えていた木へと着地、すぐさま男子寮の隣にある女子寮へと跳ぶ。

 一年Sクラスの寮は一階が談話室を含む共用スペースとなっており、二階から上が男子寮女子寮と分かれている形だ。

 勿論繋がっているのは一階だけではなく、二階以降も通路で繋がっているにはいるのだが、真夜中に女子の部屋に上がり込む以上使用する事は出来よう筈も無い。

 故にいつも通り、示し合わせた時間に窓から侵入する手筈にしてある。

 そして今が丁度、約束していた時間だ。

 件の部屋の窓枠に掴まりつつ懐中時計で時間を確認していると、かちりという音と共に窓の鍵が開き、窓が開いた。

 それに合わせてヴィルも腕一本で軽々と体を持ち上げて部屋に入り、風に靡くカーテンが噛まないよう気を付けつつ窓をそっと閉める。

 そうして侵入を果たしたヴィルがフードを上げ、脱いだローブをスタンドに掛けていると、机の上に置かれた小さな魔術具が淡い光を放ち、部屋の中の音が外部に漏れないようにする微弱な結界を発生させた。

 この魔術具は高価ながら広く普及している道具であり、自動で発動するような機能は搭載されていない。

 当然、発動したのはこの部屋の持ち主である。


「お待ちしておりました、レイドヴィル様。どうぞそちらの椅子へお掛け下さい」


「夜遅くに悪いね、ニア。今日のお茶も楽しみにしているよ」


 そう微笑みかけながら着席するレイドヴィルに給仕をするのは、ゆったりとした寝間着姿ながらもメイドとして一分の隙も無い所作のニアだ。

 見れば机の上には既にお茶の準備がされており、今は茶葉を蒸らす工程のようだ。

 きっとレイドヴィルが部屋に到着する時間から逆算して、ここまで進めていたのだろう。

 深夜ながらその用意周到さに呆れつつ、しかしレイドヴィルはニアの淹れる紅茶を楽しみにしていた。

 ニアの紅茶の師匠であるメイド長は、既に彼女に免許皆伝を授けており、それは即ち外部からやってくる舌の肥えた貴族相手でも通用する事を示している。

 レイドヴィルも紅茶の色と味で茶葉の種類や産地を当てられる程度には飲み慣れているが、ニアの淹れる紅茶は特に美味しいと感じていた。

 それが見知った人物が淹れたものだからか、はたまた気持ちがこもっているものだからかは定かでは無いが、とにかく自分で入れた紅茶よりも美味しいのは確かだ。

 期待を胸に抱きつつ、レイドヴィルは部屋の中を見回す。

 ニアの部屋に最後に入ったのは入学からすぐ、クラーラについての調査を行う旨を家に伝えてもらった時だった。

 その時はまだ数多くある寮の一室という風だったのだが、入学から三ヶ月も経てば様変わりもする。


「この部屋も随分変わったね。ニアらしいというか、本邸の部屋に似てきた感じがする」


「そうですか?自分では案外分からないもので、あまり実感はないのですが。しかし住んでいる人が同じなのですから、少しくらい似もするでしょう」


「それもそうだね」


 流石に女子として異性に部屋の中を見られるのは恥ずかしいのか、口を尖らせて目を逸らすニア。

 部屋は既にニアらしい色に染まり、シルベスター邸にあった彼女の自室の雰囲気を感じる。

 ニアが口にした通り本人の部屋なのだから当然だが、随所に本邸よりもどこか生き生きとした色があって、学園生活を心から楽しんでいる様子が窺える。

 その事が嬉しくてつい頬を緩ませていると、その目は止めて下さいとばかりにソーサーとティーカップがレイドヴィルの目の前に置かれ、ふわりと香る暖かい紅茶が注がれた。

 柔らかく香る薔薇の匂いに気分が落ち着くのを感じつつ、集中する為に目を閉じて紅茶に口を付ける。

 軽く口に含んで飲み干すと、真っ先に薔薇が広がり、後から微かな渋みと共に茶葉本来の爽やかな香りが鼻から抜けた。

 茶葉はダージリン、薔薇のフレーバーティー。

 両者のバランスが絶妙に調整された茶葉に、それらを完璧に活かし切った温度と時間調整。

 その味わいには紅茶淹れに精通した匠の技と愛を感じる程だ。


「……流石、だね。文句の付けようも無い素晴らしい味だよ。凄く美味しい」


「お褒めに与かり光栄です。今回のお茶は自分でも会心の出来でしたので良かったです」


 そう穏やかに微笑みながらカップに口を付けるニアだが、レイドヴィルは対面に座る彼女の所作や表情筋の動きから、必死で喜びを噛み殺している事を見破っていた。

 本人が口にした通り、今回の紅茶は本当に会心の出来だったのだろう。

 その事を指摘する代わりに、レイドヴィルは称賛の意味を込めて再度紅茶を飲んでほっと息を吐く。

 いっそこのままゆったりとしたい衝動に駆られるが、レイドヴィルはともかくとしてニアの睡眠時間を奪う訳にはいかない。

 レイドヴィルが本題を切り出そうと言葉を選んでいると、ニアも空気を察したのか居住まいを正して耳を傾ける姿勢を取った。


「それで、今夜はどのような用件でいらっしゃったのでしょうか。とは言っても、大方の予想はついているのですが。――マーガレッタ様の件ですね」


「正解。あれがただの諍いってだけなら、僕らがサポートに回る形で、当人同士の問題で済ませられたんだけどね。夕方にすれ違った時の違和感が流石に看過出来ないものだったから、こうして話して家に調査を頼もうと思ったんだ」


「ええ、そう仰られると思って、既に拠点への連絡の手筈は整えてあります。軽くですがマーガレッタ様を調べる旨を伝えておりますので、明日からでも調査を開始する事が可能かと。今言って頂ければ追加調査も可能ですが……いかがいたしますか」


 流石の手際の良さに眉を上げつつ、レイドヴィルは思案する。

 マーガレッタについて調べる、この点に間違いは無い。

 その調査についての必要性はニアもフェリシスも認める所で、レイドヴィルもクトライア家に任せきりにするのではなく、シルベスター家に動いてもらうつもりだった。

 クトライア家を信用していない訳では無いが、情報収集能力において銀翼騎士団(シルバーナイツ)を上回る事はまず無いと言える。

 しかし如何に能力に優れたシルベスター家と言えど、所詮は外部の人間、クトライアやアルドリスクなどの身内にしか得られない情報もあろうというもの。

 故に、こちら側もマーガレッタを調べる事に異論は無い。

 問題は追加調査の方だ。

 今現在、レイドヴィルの頭の中には二つの見過ごせない点が存在している。

 一つは夕方にも話していた、マーガレッタから微かに漂う呪いの臭い。

 そしてもう一つが――


「――臭い」


「臭い……?それは今日話されていた呪いの事ですか?」


「いや違う。あの臭いについても勿論調査の必要はあるけど、僕が調べて欲しいのはもう一つの臭いについてなんだ」


「もう一つ……?」


 今日の学園でのマーガレッタは、フェリシスが口にした通りいつもより多く香水を付けていた。

 その目的は臭いを誤魔化す為に相違無いが、マーガレッタが消したかった臭いは呪いの方では無い。

 そも、あれ程薄い呪いを嗅覚などという五感に例えて捉えられるのは、特異な魔術特性を持つヴィルをおいて他に存在しない。

 マーガレッタが消したかった臭いは他にある。


「マーガレッタとすれ違った時に僕が感じた臭いは三つ。一つはいつもと同じ花の香りの香水の匂い。もう一つが呪いにも似た邪悪な臭い。そして最後に、フェリシスの居たあの場では言わなかったけど――ある薬物に見られる特徴的な臭いだ」


「――っ!」


 驚愕の表情を見せるニアに対し、レイドヴィルは紅茶で喉を潤してから説明を続ける。


「マーガレッタが服用している薬物の種類はもう分かってる。以前任務で嗅いだ事があったからね。薬物名はアンドレアルフス、当初は帝国暗部が肉体強化用に開発した違法薬物で、依存性の高さと副作用が強すぎるあまり帝国でもご禁制になった品だ。主な薬効としては精神の高揚、集中力の向上、魔力増幅だ。服用すれば五感が研ぎ澄まされる反面、その代償の副作用も当然大きい。性格が傲慢になったり、一度こうと感じた事を真実と思い込む思考の硬直化が見られたり、体から独特の異臭がしたりする。あとこれは継続して服用した場合だけど、思考の誘導を受けやすくなったりする、はっきり言って違法薬物の中でもかなり最悪な部類の代物だよ」


「それは確か数年前、銀翼騎士団(シルバーナイツ)が王国史最大とも言える薬物売買組織を壊滅させた時にも発見された薬物でしたよね。アンドレアルフス……私も聞き覚えがあります」


「ああ合ってるよ。そもそもあの時僕達の目に留まったのも、この薬物が闇市場で発見されたからなんだ。これで大体の危険度は理解してもらえたと思う」


「……そんな危険な薬物を、マーガレッタ様がご自身で使われているのでしょうか」


「…………」


 沈鬱に表情を曇らせるニアに、レイドヴィルは安易に言葉を返せない。

 ニアの言いたい事は分かる、要はマーガレッタが違法薬物を服用している事はほぼ間違い無いとして、それが自分の意思かどうかという問題だ。

 マーガレッタに対しあまり良い感情を抱いていないニアだが、それは決して憎んでいるという訳では無い。

 同じSクラスの道を歩む生徒として、ニアはマーガレッタが悪人であるとは信じたくないのだろう。

 その点についてはレイドヴィルも同じ気持ちだが、客観的に見ればどちらの可能性もあり得るのも事実。

 故に言葉を返すのであれば、


「それについては分からない。調査してみない限りは何とも言えないのが率直な所だね。けれど現時点での僕の意見を言わせてもらえば、マーガレッタが黒とは考えづらいと思う。アンドレアルフスはただ能力強化目的に服用するには代償が大きすぎる。あの薬物はどちらかと言うと自分で使うと言うよりは他人に使う目的が濃いものだから、誰かに飲まされたのかもしれない。最初は事故で、そこから禁断症状に耐え切れずに……っていうのはよくある話だからね」


「だと、良いのですが……」


「何度も言うようだけど、これはあくまで予想に過ぎないんだ。実際に調査してみない事には事実関係の掴みようも無いからね。とにかく、頼んだよ」


「畏まりました。では拠点の方にはマーガレッタ様の身辺調査と、呪いと薬物について調査するよう指示致します。加えて薬の出所や服用するに至った経緯についても調べてもらいましょう」


「うん、よろしくね」


 レイドヴィルが頷くと、その手に持ったカップが殻になっている事に気が付いたニアがお代わりを入れようと動きかけたが、手の平で制して不要のメッセージを送る。

 このまま美味しい紅茶をご馳走になるのも悪くない時間の過ごし方なのだが、あまり異性の部屋に長居するのも良くないだろう。

 明確な目的があり、かつ誰の目にも映っていないとはいえ、マナーというものは個々人の心の中にあるものだ。

 こうして深夜にニアの部屋を訪れている時点で既にグレーだ、用件も済んだ事であるし大人しく退散しようと腰を上げるが……


「と、申し訳ございませんがもう少々お時間頂いてもよろしいでしょうか。ご報告しておきたい事が……レイドヴィル様?」


 既視感を覚える光景に微苦笑しつつ、首を傾げるニアに対し何でもないよと先を促す。

 ただ、以前こうして部屋を訪れた際も同じような台詞聞いた事を思い出して、少しおかしく思えてしまっただけだ。


「レイドヴィル様は今日の夕食の時、バレンシア様の様子が少し変だった事にお気づきでしたでしょうか」


「シアが?うーん、特には感じなかったけど……強いて言えば少し機嫌が悪そうだった事位かな」


 敢えて言うなら程度の心当たりをレイドヴィルが挙げると、ニアが正解とばかりに頷く。


「流石、ご慧眼です。私も人伝に聞いた話なのですが、どうも夕食より少し前にバレンシア様がヴァルフォイル様とかなり激しく言い争っていたそうなんです。詳しい内容までは聞いていないとの事ですが、どうも新人戦絡みらしいと」


「…………そっちも限界だったか」


 思わず天井を仰ぎ見るレイドヴィルは重く凝った息を吐いた。

 単純な解決の望めない厄介事の連続に、さしものレイドヴィルも眩暈がしてくる。

 前兆はあった、最近の授業中は特に、バレンシアとヴァルフォイルの仲が険悪に見えていたのだ。

 あからさまにはしないが、それでもバレンシアがレイドヴィルに話しかける頻度は明確に増加していた。

 あの時は言い争い、喧嘩とは違い、どちらかと言えばバレンシアの方が怒っているという感じだったが、その延長だろう。

 正直その連鎖の中で、レイドヴィルに対するヴァルフォイルの当たりが強くなっていくのは勘弁願いたかったが。

 理由が明白なら、その原因もまた明白だ。


「原因は僕だろうね。新人戦メンバー選出以前から僕の事を気に食わないヴァルフォイルが僕に冷たく当たり続けている最中も、両方の友人であるシアが複数回注意していたんだろう。はっきり言うけど、今回はヴァルフォイルに非がある。だからシアは徐々に僕の側に立った発言をするようになり、それがヴァルフォイルの反感を買った。そしてその結果が二人の言い争いの一幕って所かな」


「ではどうなされるおつもりですか?原因とは言っても、レイドヴィル様に非は御座いません。このまま静観を貫かれるので?」


「まさか、流石にそれは無いよ。方策が無いのも事実だけど、まあ何とかしよう」


「何とかとは……」


「おっと不味い、リリアだ。ウキウキ気分でここに来る。魔術具は隠して出迎えを。僕はもう行くよ、紅茶ご馳走様」


 ニアの言葉を遮って、レイドヴィルが急に立ち上がって言う。

 このような意味の無い冗談をレイドヴィルは決して言わない、即ち真実。


「――――ッ!」


 まずはティーポットとカップを片し、続いて停止させた魔術具をいつもの隠し場所へと仕舞う。

 椅子を元の位置へ戻し、他に何も無いかと気を配り。

 そうこうしている間に居なくなったレイドヴィルが出て行った窓に鍵を掛け、カーテンも閉める。

 ふっと一息、の後のノック。


「はいはーい、今開けるよー。リリアちゃん?こんな時間にどうしたの?」


 平静を装って扉を開けると、そこには同じく寝間着姿のリリアが居た。

 包み紙にくるまれた箱を持って、ニアを見るとぱあと明るく笑って見せる。

 レイドヴィルからリリアだと既に聞いていたが、そこは知らない振りをする。


「いやー、こんな夜中にごめんね?ちょうど家からお菓子が届いてさぁ。女子寮のみんなにおすそ分けしようと思って。あ、男子たちには内緒だからね?」


 ウキウキ気分とはこの事かと思いつつ、ニアは呆れつつも嬉しそうに菓子の入った箱を受け取った。


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