第89話 すれ違い 一
初心者マーク付きの作者です。
暖かい目でご覧ください。
「ありがとうございます。早速ですが、私の事はどうかフェリシスと呼び捨てになさって下さい。今回は私が助力を願う立場ですし、それに同じクラスメイトでしょう?私も一応は貴族名の付いた身ですが所詮は子爵家、普段お二人がよく話されているバレンシア様のレッドテイル家などとは比べ物にならない格下ですから、敬語も遠慮も必要ありません」
「分かった。それじゃあ遠慮無くフェリシスって呼ばせてもらおうかな。僕の事は好きに呼んでくれて構わないよ」
「あたし普通に呼び捨てで呼んじゃってたよ、ごめんね。でもこれからは本人公認ってことで。よろしくね、フェリシス!あたしのことも好きに呼んでいいからね」
「はい。よろしくお願いしますね、ヴィルさん、ニアさん」
フェリシスの願いを快諾したヴィルとニアはそれぞれ挨拶を終えて、三人は本格的にマーガレッタとの関係改善の為に動き出す事になった。
当初はヴィルから手伝いを提案しようと考えていたのだが、あれよあれよという間に随伴したニアにその役目を取られてしまった。
だが決してそれを不満に思っている訳では無く、寧ろついて来てくれてありがたいと思う位だ。
ヴィルではこうもスムーズに事が進む事は無かっただろうし、これ程深くフェリシスの心を打つ事も無かっただろう。
ヴィルは後程ニアにきちんとした形で礼をする事を決めつつ、まず最初にやる事として、マーガレッタの現状を知る事から始める事にした。
「それじゃあ簡単にだけど、今のマーガレッタ様についてフェリシスの意見を聞かせてもらってもいいかな?違和感とか雰囲気とか、本当に些細なもので構わないから」
ヴィルとしても自分達で調べてみるつもりではあるが、やはりこういった所感は身近に居た人物から聞く事が一番の近道だ。
その点において、幼少から付き合いのあるフェリシス以上の適任者は居ないと断言できる。
ヴィルの質問に顎に手を当てて暫く思考したフェリシスはやがて、
「そうですね。学園に入学してから多少焦っておられるご様子でしたが、この頃は特に顕著に見えます。昔からやや短気なお方ではありますが、物に当たったり人に当たったり、新人戦メンバーを決めた時のヴィルさんに対してもそうです。最近のマーガレッタ様は以前と違った行動が見受けられますね」
と答えた。
やはりフェリシスも、今回の件が只の仲違いだとは感じていないらしい。
付き合いの浅いヴィルやニアですら普段のマーガレッタとの齟齬を感じているのだ、最も長い間傍にいたフェリシスからしてみればその差は歴然としたものだった筈だ。
後はその原因についてだが……
「フェリシスにとっては少し不快かもしれないけど、言葉を選ばずに言わせてもらえれば今のマーガレッタ様は少し異常だよ。新人戦出場選手の選定の時、グラシエル先生に詰め寄る彼女の態度は明らかに常識を外れて見えた。術師としての実力と貴族としてのプライドを考慮しても違和感が残るんだよね。新人戦は入学して初めての公式戦ではあるけど、学外の注目度としてはあまり高くない大会なんだ。悔しい気持ちは分からないでは無いけど、固執するには少し薄い」
「マーガレッタ様は負けず嫌いなお方ですからね。とはいえ、流石にこれ以上の擁護は必要ないでしょう。今回は明らかにマーガレッタ様の側に非があるのですから、言葉を濁す必要もありません」
「そう言ってもらえると楽で助かるよ。例えばそうだね、最近になってマーガレッタ様の周りに表れた人とか、不審な人物を見かけた事は無いかな?人の変化には環境だけじゃなく、その周囲の人物も影響しているものだから」
ヴィルにそう言われ、しばしの間考え込むフェリシスだったが、
「いえ、取り分け怪しい人というのは心当たりがありませんね。休日家に掛け合ってアルドリスク本家やその関係先に怪しい点が無いか調べさせますが、今の所は特に」
「そっか。じゃああたしの方でも他クラスの友達に聞いてみるよ。もしかしたら何か出てくるかもしれないし」
「了解。僕もシア達にそれとなく聞いておくよ。二人に比べれば微力も微力で申し訳無いけど」
「とんでもありません。私としてはこうして手を貸して下さっている時点でありがたい限りなのですから。その上で、申し訳なくも厚かましいお願いなのですが……お二人がこうして手助けをして頂いている事は、他の方には内密にして頂きたいのです。万が一マーガレッタ様のお耳に入ってしまうと、私の立場がより悪く……あ、いえ、これは決してお二人の事を悪く言っているのではなくてですね」
「いや、その心配は当然のものだからね、僕達も別に誤解してないからそんなに気にしなくて良いよ。仲直りをする以上、マーガレッタ様の機嫌をこれ以上損ねないようにしようという配慮は必要不可欠だ。もしもフェリシスの口から話されなければ僕から提案していた所だしね」
話している途中で、捉えようによってはヴィルとニアを貶しているとも取れる発言に慌てて弁明するフェリシスだが、その心配は杞憂だ。
この空き教室で話したほんの数分で、フェリシスが自分の立場に固執するような人でないと割れている。
今更になってそんな邪推をする程、ヴィルとニアの目は節穴ではない。
マーガレッタの人柄を考えて彼女の立場になった時、もしも自分が目の敵にしている人物が、つい最近まで傍にいたフェリシスと協力関係にあったなら、マーガレッタの行動は火を見るよりも明らかだ。
故に、元よりヴィルにこの同盟を口外するつもりは毛頭無い。
バレンシアやクレアといった仲の良い生徒にも話す予定は無い為、正真正銘三人だけの秘密だ。
「そう言って頂けると助かります。私も、この件に関してお話するのはお二人だけです。仮にこの作戦が成功しようとしまいと、この件でお二人が損害を被る事はありませんし、させません。その事はクトライア家の名に懸けて誓いましょう」
そう言い切ったフェリシスの瞳には、一点の曇りも見られない。
ヴィルとニアもその覚悟に応え、首を力強く縦に振る。
その後三人はマーガレッタとの関係について軽く話し合い、今日の所は簡単な情報交換に留める事にして、空き教室を後にした。
三人分の足音だけが響く廊下にはきつい西日が差し、季節はもう本格的な夏だ。
昨日今日の気温はまだマシだが、ここからどんどん暑くなっていく事だろう。
日々授業内で魔力を使う機会の多い学生にとって、ただ暑いという理由では基礎的な冷却魔術も満足に使う事が出来ない。
通学や座学で魔力を浪費し、実技の授業で魔力切れを起こすなど言語道断。
特に純粋な魔術師にとっては死活問題と言える。
明日からまた大変だと、そうヴィルが考えながら帰路に就こうとした一階の廊下だった。
「――フェリシス下がってて」
「ちょっ……」
無理解を瞳に宿すフェリシスを問答無用に今しがた降りてきた階段に押し戻し、ヴィルはニアの手を軽く引いて、何事も無かったかのように廊下を歩く。
訝し気なニアの視線の先には、間の悪い事にこちらに向かって歩いて来るマーガレッタの姿があった。
「…………!」
マーガレッタを視認したニアが、傍から見て不自然に見えない程度に背筋を伸ばす。
多少顔に緊張が表れているが、流石ローゼルの教えを受けただけあって意識の切り替えが早い。
ヴィルとしても、この時間になって教育棟にマーガレッタが居たのは完全に想定外だった。
フェリシスとニアと三人で話していたのが一時間弱、授業終了からそれだけ時間が経過していれば帰寮していて当然と考えていたのだが、少し甘かったか。
何か用事を済ませていたのかと、脳の片隅でそんな思考が湧くのを抑えつつ、ヴィルとニアはそのままマーガレッタとすれ違う。
その瞬間、金髪の隙間から本気の熱量と遜色無い殺気混じりの視線がヴィルに向けられ――そのまま何事も無くマーガレッタは後方へと抜けていった。
そんな視線に嫌と言う程晒されてきたヴィルは特に警戒する事も無く、寧ろマーガレッタの期待した反応を返せず申し訳無いと思う位だった。
ニアもこう見えてそれなりの修羅場を潜り抜けてきた歴戦のメイド、視線が自身に向けられたものでは無かったとはいえ、この程度で動じる程浅くはない。
ふと、ヴィルの鼻に違和感。
「一体どうしたんですか、いきなり押すだなん……っ!」
やはりあの一瞬では、ヴィルの意図は伝わらなかったらしい。
戸惑い気味のフェリシスが階段から現れ、そしてマーガレッタを見つけて絶句する。
付き合いの長いニアだからこそ無言で意思疎通出来たのだ、無理も無い。
「…………」
床を見るように目を伏せ、ただひたすらマーガレッタが通り過ぎるのを待つフェリシス。
その様は目を合わせる資格も無いと言うかのようで、マーガレッタに嫌われる事への恐れが垣間見えて、見る者の心が酷く痛む。
そんなフェリシスに対し、マーガレッタはただの一瞥すらもくれず、まるでそこに誰も居ないかのように無視して立ち去っていった。
ヴィルにはあれだけ強烈な視線をくれたにも拘らずだ。
「…………」
果たして、フェリシスにとって怒りをぶつけられるのと無視される事、どちらが辛かったのだろうか。
三人だけになった廊下で、俯いたまま静かに肩を震わせる彼女は、とても小さく見えた。
「フェリシス……大丈夫?」
「……はい、大丈夫です。申し訳ありません、私とした事がこの程度で動揺してしまって」
「仕方ないよ。大切な人に無視されると辛いもんね。無理しなくていいからね」
「ニアさん、ありがとうございます。ニアさんのお陰で落ち着きました。もう大丈夫ですよ」
やや弱々しいながらも笑顔を浮かべるフェリシスは、ヴィル達の手前気丈に振舞っているのだろうが、だとしてもそれだけの余裕が生まれたのなら大丈夫だろう。
そう判断したヴィルは、再び帰路に就こうとして――
「ヴィル、そんなに鼻鳴らしてどうしたの?なんか臭う?」
「ああ、マーガレッタ様から違和感のある臭いがしてね。それも物凄く嫌な臭いが」
「嫌な、ですか?」
眉を顰めるヴィルに対しそう聞き返したフェリシスは、マーガレッタの消えた方向に駆けて行き、二、三度鼻を鳴らすが特に何も感じなかったようで、首を捻りながら戻って来た。
「ヴィルさんの言うような嫌な臭いはしませんでしたよ?普段よりもやや多めに香水を付けていらっしゃるようですが、私がいつも嗅ぎ慣れている通りのいい匂いでした」
「そ、そっか……。いや、説明不足で済まない。僕が言っているのは物理的な嗅覚じゃ無く、魔術的な嗅覚なんだ。呪い、と言うには少し薄いけど、それに近い感覚だった」
尚も首を捻るフェリシスに対して、ニアは「ヴィルはヴィルだから理解できなくても仕方ないよ」とばかりにゆっくりと首を振る。
詳しくは説明できない為仕方の無い事だが、事情を知っている側のニアが諦観の姿勢なのがどうにも解せない。
「詳細の説明は難しいから省くけど、マーガレッタ様の身に何か良くない事が起きてるみたいだ。今すぐにどうこうなる問題じゃ無いようだけどね。僕も学園内では注視しておくけど、フェリシスも家経由でマーガレッタ様の家に注意するように言っておいて欲しい」
「分かりました。私の方でも見ておきます」
マーガレッタ本人についてはフェリシスと家に任せて問題ないだろうと判断し、ヴィルは思考を巡らせる。
先程マーガレッタとすれ違った際、ヴィルは自身の魔術の副次的能力である『第二視界領域』にて、直近で見覚えのある質の魔力を感知していた。
それはクラーラの母親を人質に取っていた毒魔術師の手の甲に刻印されていた、術師とクラーラの母親を繋ぐ呪いに酷似していたのだ。
今回の場合決して毒という訳では無く、ましてや呪いの刻印がある訳でも無い。
その事は既に自身の目で確認済みだ。
しかし、それでも尚鼻の奥にこびり付いて離れない邪の悪臭。
「――――」
マーガレッタの立ち去った方向に目を向けつつ、ヴィルは胸の奥で燻る波乱の予感を覚えていた。
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