第88話 従者の苦悩 二
初心者マーク付きの作者です。
暖かい目でご覧ください。
ニアの案内の下、フェリシスを追う二人が辿り着いたのは本校舎四階の空き教室だった。
ヴィル一人でもフェリシスの足取りは追えただろうが、やはり魔力感知のクォントを持つニアが居るとかなり楽に感じる。
ニアのクォントの場合学園の殆どを覆う形で力を発揮できる為、彼女に一たび補足されれば学園内に死角は無い。
「――――」
静かな廊下、静かな教室。
廊下から窺う教室内には、確かに人一人分の気配が存在している。
見ればニアも頷きを寄越しており、間違いはなさそうだ。
ノックをする事も無く、ヴィルが扉を開ける。
教室内には長らく使われていないだろう椅子と机、それからこちらに振り向くフェリシスの姿があった。
青の巻き髪を窓から吹く風で揺らす彼女は、驚いた表情をしていた。
「どうしてあなた方がここに……」
「ここ最近のフェリシスさんが浮かない表情だったから心配になってね、後を追って来たんだ。さっき教室を出る時もどこか深刻そうに見えたから」
優しげな表情で案じるヴィルに、フェリシスは首を振りつつ、
「いえ、そうではなく。心配させてしまったのは私の未熟さですが、私が言いたいのはどうしてあなた方が心配するのかという事です。自分で言うのもなんですが、私はあまり好かれていないと思っていますので」
そう言って自嘲気味に笑うフェリシスの目には、どこか痛々しい色があった。
「確かにマーガレッタさんと一緒にいる時のフェリシスはアレだけど、あたし今のフェリシスは嫌いじゃないよ?なんか普通の女の子っぽい感じがして」
「普通の女の子、ですか?」
ニアの言葉に不意を突かれたようにきょとんとするフェリシスは、確かに普段イメージする人物像と乖離しているように思う。
フェリシスを知る者にとって彼女は、常にマーガレッタに付き従い、マーガレッタの意見に同調し、見下した態度を取る、お世辞にも人柄の良い人物とは言えない人となりで――
「――そうか。フェリシスさんはいつもマーガレッタ様に同調しているだけで、言う事が必ずしも本心じゃないって事かな」
ヴィルの呟きに対し、苦笑するフェリシスは観念したように何も喋らない。
それはつまり、ヴィルの推測が正しかったという事を意味する。
では彼女は何故自分の評価を下げてまでマーガレッタの傍に付き、性格悪く振舞うのか。
やはり家同士の付き合いや家格差がそれを強制させているのだろうか。
そんなヴィル達の思考を読んでの事か、フェリシスは瞳に意思を込めて否と言い切る。
「勘違いはしないでください。私は嫌々ではなく、自分の意思でマーガレッタ様のお傍にいるのです。マーガレッタ様は数多くの才能に恵まれ、将来国を背負って立たれる尊敬すべきお方です。確かに、家の方針が全く関係していない等とは言えません。本当に幼い頃、私のお母様にマーガレッタ様とは仲良くするよう言われた事も覚えています。ですが」
そこで一旦言葉を切り、フェリシスは笑顔さえ浮かべて話を続ける。
「少なくとも今は違います。心から尊敬し、心酔し、ついて行きたいと思うからこそ私はマーガレッタ様に付き従うのです。その一点だけは、誰にも否定させません」
「……マーガレッタ様の事、好きなんだね」
フェリシスをそう評したヴィルは、ただ純粋な感想を述べただけだったのだが、
「好きだなどと、そのような単純な言葉では私の気持ちは表し切れません。マーガレッタ様の魅力は私如きではとても語り切る事は叶わず、また語る事すらおこがましいでしょう。今でこそ美しくもやや高圧的な態度が目立ちますが、幼い頃の無垢な愛らしさと言えばそれはもう筆舌に尽くし難い程で……」
「うーん思ってたのと違う雰囲気……」
余りに熱の入った様子で語るフェリシスに、若干引き気味のニアが思わずといった風に漏らす。
確かに、これ程饒舌なフェリシスというのは意外過ぎる一面だろう。
普段のフェリシスはと言えば、凛とした佇まいでマーガレッタの後ろを歩き、時折フォローをしつつご機嫌取りをするあまり口数の多くない人物だ。
それがマーガレッタの事となるとこうなのだから、余程彼女の事を敬愛しているのだろう。
――故にこそ、あの時の衝突は避けられなかったと言うべきか。
自慢気な表情が一転、フェリシスはまた先程までと同じ暗い顔をしてしまう。
「だからこそ、あの時マーガレッタ様に具申したのですが……どうもそれが癇に障ってしまったようで。もう口も利いて頂けなくなってしまいました……」
目を伏せるフェリシスは落ち込んだ様子で、どこか哀愁を感じさせる。
そんな彼女を見たニアが、意を決してフェリシスの心の一線を踏み越える
「やっぱりフェリシスから見ても今のマーガレッタさんって変なの?」
「それは……そうですが。いえ、やはりあなた方を巻き込むわけにはいきません。ただでさえご迷惑をお掛けしているのです。元はと言えば私とマーガレッタ様の問題、私が解決すべき問題です。これ以上ご迷惑をお掛けするわけには……」
「でもほっとけないよ。フェリシスもマーガレッタさんも同じクラスメイトなんだし、迷惑って言うより……困った時はお互い様的な?」
「ニアさんはどうしてそこまで?学外演習の時だって、私共はあなたに不快な思いを」
「うーん、確かにあの時の班組みはちょっときつかったけどさ、今のフェリシスの気持ち、何となく分かる気がするんだ」
「ニアさんが、ですか?」
苦笑するニアの告白に、フェリシスは意外そうな声を出した。
今の状況で自分の気持ちが分かるなどとと言われても、素直に頷ける訳も無い。
故にニアは続けて、穏やかな表情をやや伏せさせながら自身の過去を語り始めた。
「フェリシスも知ってるかもしれないけどあたしはシルベスター孤児院の出でさ、小っちゃい時はよくお屋敷にお邪魔して、外から来る人の迷惑にならない程度にメイドさんのお手伝いをさせてもらってたんだ」
「……存じております。お二方共同じ孤児院で育ってここに入学されたと。彼のお屋敷で働いていたというのは初耳でしたが」
「うん。って言うのもあたしの夢はメイドになる事でさ、それは今も昔も変わらずで、だからお手伝いをさせてもらってたんだけど、その時にある人のお世話というか話相手というか、そんな役を任されたんだ。今思えば年も近かったから、その人の暇つぶし的な役割だったんだろうけどね。外からお客様として来た貴族の子だったの」
その時点で、ヴィルはニアの話そうとしている人物が自分の事であると察した。
話にはかなりの虚偽が織り交ぜられているが、恐らくフェリシスに伝えたい芯の部分に嘘は無いだろう。
ニアが言ってはいけない事の境界線を理解していると知りつつ、ヴィルはその辺りに気を配りながらも静観の構えを取った。
「その子はなんて言うかな……今のマーガレッタさんみたいにキツい子って訳じゃなかったんだよ?受け答えもちゃんとできるし礼儀正しいし人当たりもいいし、元気で努力家でみんなから好かれてた」
「それは凄い方ですね。まるでいつものマーガレッタ様のような」
「そうだね、ヴィルみたいな人だね。それでその子なんだけど、あたしの目にはどこか空っぽに映ったんだ。自分が無いって言うか、一生懸命努力してるんだけど自分のためには見えないって言うか。周りの人に対しては普通に振舞って、人の見てない所で身体を壊すような無茶な鍛練してさ。痛くて苦しいはずなのに、あたしが声掛けに行ったらニコニコしてんの。ちょっとおかしいでしょ」
そう笑いながら話すニアに、ヴィルは自然と懐古の念に駆られた。
情報を隠す為に話の細部こそ違ってはいるものの、概ねヴィルとニアの出会いの場面と同じと言って良い。
ニアにとってはあの時が初見という訳では無いそうだが、ヴィルにとってはそうだった。
初対面で自傷行為と言っても過言では無い鍛錬を見られた、お世辞にも良い出会いとは言えないものだったが、それでもニアとの邂逅はヴィルの人生において間違い無く五本の指に入る出会いだった。
自分で言うのもなんだが、普通あんな光景に出くわせば一歩引いてしまったとしても不思議では無い筈なのだ。
にも拘らずここまで献身的に支えてくれたニアは既に手放せない人材の一人であり、彼女との出会いは正に望外の幸運だった。
本当に懐かしい、ヴィルにとって数少ない良性の思い出。
「あたしも当時は悩んでね、あたしはあたしで緊張で固くなってたからその子に寄り添えなくてさ、何かしてあげたいって気持ちはあったんだけど、話を聞いてみればどうもあたしが会う少し前の事を引きずってたらしくて、やるせなかったよ。だってどうしようもないんだもん。過去に起こった事はどうあっても変えられない。結局、あたしはその子を救ってあげられないままお別れしちゃった」
それが果たして作り話であったのか、それともニアの本心だったのか。
終ぞヴィルには分からず仕舞いだったが。
それから自分が想定していた以上に暗い雰囲気になった事に焦ってか、ニアが殊更明るく声を上げる。
「まー何が言いたいかって言うとさ、言いたい事やりたい事があったら我慢しちゃダメって事!それが例えクラスメイトだろうが家族だろうが、自分の仕える人だろうが王族だろうが行動しなきゃ。後悔は残ると辛いんだよ?これ、あたしの経験ね」
「ええと……流石に王族の方々にそういった振る舞いをするのはいかがなものかと……」
「ものの例えだよ!相手がどんな立場の人でも、それが友達だったなら遠慮したって仕方ないでしょ!!」
「――友達、ですか?私とマーガレッタ様が?」
僅かに口を開いたまま、虚を突かれたフェリシスが驚きに呆ける。
「そうだけど、何か違った?」
その考えた事も無いといったフェリシスの反応に、ニアが小首を傾げながら問い掛ける。
ニアの真っ直ぐな瞳に見つめられ、フェリシスは暫し言葉を失った後、くすりと微笑を浮かべた。
そこには先程までの陰鬱な様子は無く、憑き物が落ちたかのような清々しささえ垣間見えた。
「いえ、ニアさんの言う通りです。マーガレッタ様は私の歩む道を照らす光であり、そして大切な、友人です。私はもう一度マーガレッタ様の後ろを歩きたい。ですが、それために私一人の力では足りないのが現状です。ですから」
フェリシスが姿勢を正し、見惚れる程に流麗なお辞儀をして見せる。
それは決して謝罪ではなく、助力を乞う者の美しい姿だった。
「どうかお願いします。私に、お二人の力を貸しては頂けませんか」
存在する筈の身分差を捨てたその真摯な願いに、ヴィルとニアは返答に一瞬たりとも逡巡をする事は無かった。
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