第86話 朱色の魔術師 四
初心者マーク付きの作者です。
暖かい目でご覧ください。
剥き出しの土が広がる闘技場Bの一角で、激しい剣戟の音が鳴り響く。
キンキンと不規則に打ち合わされる剣は、それが型の練習などでは無い事を示している。
剣の立ち合いをしているのはヴィルとバレンシア。
互いに紅の髪と銀の髪を激しく振り乱し、立ち位置入れ替わりながら斬り結んでいる。
バレンシアは魔剣を所持しているが、今回は使用せず両者共鉄製の剣を握っていた。
普通保護術式無しの練習や模擬戦では、相手に怪我をさせない為に木剣を使うのだが、二人のように一定以上の実力を持つ者同士の場合、寸止めを前提として鉄剣を持つ事が許されている。
木剣であっても技の修練は可能だが、やはり実践の経験を積むという点では鉄製に及ばない。
手の中に感じる重さ、振った時の加速、引き戻す際に生じる抵抗、技を繰り出す時の感覚。
どれも重量が伴って初めて得られるものだ。
当然真剣で多少の傷を負いはしようが、学園には優秀な治癒術師が揃っており、それこそ同じクラスには王国最高に手を掛ける適性を持つアンナもいる。
致命傷さえ避けていれば、大事に至る事は無い。
「――ッ!」
「ふっ!」
数十合のやり取りの末に放たれたバレンシアの反撃を、しかし読んでいたかのようにヴィルは叩き落とす。
否、読んでいたかのようにでは無く、ヴィルは実際に読んで迎撃を行っていた。
攻め、攻め、攻め続けるヴィルに流れを変える一撃を退けられたバレンシアは防戦一方。
身体強化無し魔術無し、純粋な剣力のみでの戦いは、火属性魔術を折り交ぜた戦闘スタイルを好むバレンシアにはかなり厳しい展開となっていた。
そんなバレンシアとは対照的に、ヴィルは元々攻撃魔術を得意とせず剣と肉体で道を切り開く戦闘スタイルを取っており、二人がこのルールで戦うのは明らかに不平等と言える。
しかし、この戦いの趣旨を思えばそれも仕方の無い事だ。
「ふむふむ。シアは昔見た時より格段に強くなっているね。私は剣はからきしだけど、剣の腕も体捌きも相当なものに見える。これなら今すぐにでも団体戦で活躍できるだろうね」
「たりめぇだろ。シアはオレが認める数少ねぇ相手だ。そんじょそこらの奴らじゃ相手になんねぇよ」
こうしてヴァルフォイルがバレンシアの事を自慢するのは、そう珍しい事では無い。
彼自身がバレンシアを異性として気にしているのもあるが、ただそれだけでは無く、一人の武人として彼女を尊敬しているからこそだろう。
しかし、いつもなら好戦的な笑みを浮かべている筈のヴァルフォイルの表情は、苦々しい表情が晴れない。
「そう言う割には表情が優れないね?ああ、言わなくても分かっているからそう睨まないでくれ。――ヴィル君は凄いね、この学園でもずば抜けて優秀だ。いや、最早優秀という言葉の範疇を超えていると言うべきか。シアも相当な使い手に映ったんだが、彼相手では歯が立たないか」
今も続くヴィルとバレンシアの立ち合いを、不服そうな表情のヴァルフォイルと苦笑気味のイリアナが少し離れて見守る。
ヴィル優勢で進むこの立ち合いは、イリアナがこの場で唯一戦い方を知らないヴィルの動きを見る為に設定したもので、その対戦相手としてバレンシアが選ばれていた。
最初はヴァルフォイルの方が適任だという話だったのだが、ヴァルフォイル側が戦いを拒否した為バレンシアが相手をする事になったのだ。
「そう彼を拒絶する事も無いだろうに。またいつものあれだろう?自分の好きな人を取られそうになって反発して」
「うっせぇぞ。知ったような口きいてんじゃねぇよ」
「ヴァルの事は知ってるよ、昔からよ~くね。……と、そんな事はさて置き今はヴィル君の話だったね。この戦いを見るに、二人はもう何度もこうして模擬戦を繰り返してきたのだろう。それは彼が時折取るシアの動きを読んだような行動からも読み取れるが、不思議な事にシアの方からはそうした行動が出ない。にわかには信じがたい事だがつまり、ヴィル君は同じ相手に行動を読まれないよう一行動毎に戦い方を変えていると、そういう事だね?」
問われるヴァルフォイルは沈黙を保ったまま。
イリアナはそれを肯定と受け取り、自分で言った事ながら戦慄の笑みを浮かべる。
二人の考える通り、ヴィルはバレンシアの行動を読みつつ、更に自分の行動を読まれない為に細工をしていた。
幼少から積み重ね続けた戦闘経験と父の教えの甲斐あって、ヴィルは一回の戦闘の中ですら相手の癖を見抜く程の、確かな観察眼を手に入れるに至っていた。
それが数戦積み重なったとなれば、半分まではいかないまでも数合の斬り合いの中で一度は読みを通す事が可能となる。
そして行動が読まれない為の細工だが、これも同じく膨大な戦闘経験に重ねて、多くの武器種と流派に触れる事で体得した技術だ。
例えば相手の同じ攻撃に対しても、その対処には複数の手が存在する。
攻撃を受ける形の防御、合わせて鍔迫り合いに持ち込む迎撃、前後左右への回避、カウンター……。
挙げればキリが無いが、どの行動を選択するかという点には本人の癖が表れる。
環境や体勢など、その場その場の状況によって変化はするが、一定の傾向のようなものは確かに存在する。
ではその後の行動はどうだろうか。
攻撃か?様子見か?防御か?
仮に攻撃であったとして、その手段はどうだろうか。
剣か?格闘術か?魔術か?
仮に剣であったとして、その太刀筋は……。
と、このような具合に、選択に次ぐ選択は無数に分かれ、組み合わせは文字通りの無限通りになる。
ヴィルはその時々の判断を意図的に変える事で、一般に癖と呼ばれる傾向を消し去り、相手に対策を講じさせない戦い方を編み出していた。
無論それにも限界はあり、数十戦と戦えば今度は細工の傾向がバレ始めるのだが、今この段階では対策のし様も無かった。
「本当に信じられないよ。私も過去の公式戦で何度も凄腕の剣士を見た事はあるが、彼程戦い方の多彩な人は見た事が無い。正直に言えば、彼が同じ学園に居てくれて良かったと心の底から安堵しているよ。あれが敵に居たらと考えるとゾッとする。彼は居るだけでその学園の希望となり得る、まさに切り札だね」
イリアナの口から冗談めかして発されたその言葉には、しかし冗談には重すぎる恐れと安堵が込められていた。
「ヴァルは彼と戦った事はあるかい?あれば所感を聞かせて欲しいんだが」
「……いっぺんもねぇよ。オレがあの野郎を嫌ってんのは誰でも分かることだからな、型も模擬戦もやり合ったこたぁねぇ」
「ふむ、そうか。では見た感想だけでもいい。話を聞くにヴァルの目はちょっとしたものらしいじゃないか。何か参考に出来るものがあるかもしれない。ああ、気に入らないとかそういう感想は結構だよ」
「チッ、そのお見通し的な顔やめろうっとうしい。……あの野郎ぁ、気に入らねぇよ。気に入らねぇが、腕が確かなのは事実だ。誰も勝ったことがないんだからよぉ。オレも魔術なしじゃぁ分かんねぇ」
「そうだね。剣の腕ではクラーラさんも同等だという話だが、私としてはヴィル君の方がよほど敵として厄介に思うよ。彼女の強さの源にある本質は天性の直感によるものだ。目の前の脅威に対して思考するのではなく、感覚で最適解を選び取る。それもまた一つの強さであり、彼女の強みなのは間違い無い。実際に、剣術ではヴィル君と並ぶか勝っているのだろう。だが」
一度言葉を切ったイリアナの視線の先、激しい攻めの剣を振っていた戦術から一転、今度は相手の剣を流し的確にカウンターを放つヴィルの姿があった。
「彼の強さの正体はクラーラさんとは真逆、膨大な思考の果てに生まれる計算し尽くされた戦術と、多彩過ぎる技の数々だよ。クラーラさんは騎士団長の娘、当然正統派である騎士流の洗練された美しい動と剛の剣を使う。対してヴィル君は騎士流を含めた、予想だが恐らく十種類以上の流派の剣術と体術を会得し、それを実戦レベルに使用している。騎士流は洗練されているが、それはあくまで騎士としての高潔さに重きを置いたものだ。命の取り合いでも強くはあるが、真に実戦的なものとは言えない」
今しがたヴィルが見せた連撃も、そのどれもがイリアナのお目にかかった事の無い剣だった。
一体どれだけの数の技術を併用しているのか、正確な数は最早想像する事すら叶わない。
「しかしヴィル君の場合、騎士流の流れを汲みつつも複数の流派を組み合わせる事で欠点を補い、より実戦的な技へと昇華している。加えて静、動、剛、柔。接近戦において分けられる四つの性質全てを兼ね備える彼は、的確に相手の穴を突く戦術を取る事が出来る。今のようにね」
静と剛、動と柔、一見両立の難しい二つの要素を、ヴィルは見事に体現して見せる。
受動的ながら、的確な反撃で相手の体勢を大きく崩す程の威力を発揮する静剛の剣。
能動的ながら、偽りの攻めで相手の反撃を引き出し、それを受け流して隙を作り出す動柔の剣。
その二つに加えて、一般的に攻めと守りと呼ばれる剣を折り交ぜて繰り出される連撃は、正に変幻自在。
一手一手まるで予想のつかない剣撃に、バレンシアは追い詰められていく。
そして――
「くっ……!はぁ、はぁ、降参よ……」
絶え間無い攻撃で崩れた体勢のバレンシアは押し切る勢いの剛剣を受け切れず、尻餅をついた所に一撃。
首筋に当てられた寸止めが決定打となり、二人の模擬戦は勝敗を決した。
ヴィルは座り込むバレンシアに手を差し伸べ、立ち上がった二人の下へイリアナとヴァルフォイルが歩み寄る。
「ふぅ……やっぱりヴィルにはまだ敵わないわ。手も足も出なかったとはまさにこの事ね。少し自信を無くすわ」
「そう落ち込む事は無いよ。今の模擬戦は言わば僕の得意分野の押し付けだったからね。やりずらいのは戦っていて分かったよ。シアは入学当時から間違いなく成長してる、それは僕が保証するよ」
「……クラスメイトにそう言われるというのも不思議な話だけれど、あなたが相手だとすんなり吸収できるわね。ありがたく受け取っておくけれど、次は勝つわよ」
「それは勿論何時でも受けて立つよ。それで先輩、僕の戦い方は大体分かって頂けましたかね?」
イリアナはヴィルのその言葉にああと頷き、
「しっかりと。見事な戦いぶりだった。正直言って想像以上だったよ。シアに不利な条件だったとはいえ、もう少し拮抗の形になると踏んでいたものだからね。これでまだ一年というのだから末恐ろしい。私では勝ち目が無いだろうな」
その発言にバレンシアとヴァルフォイルの両名がギョッとした表情を見せる。
確かに今、アルケミア学園最強の生徒会副会長が、入学半年も経っていない一年生に対して諦めともとれる弱音を吐いたのだ。
これで驚かない方が無理のある話だ。
「君とシアの戦いを見ながらシミュレーションをしてみたんだが、どうやっても勝てるビジョンが見えなくてね。資料に魔術が苦手とあったが対魔術はそこまで苦としていないと言うし、それにあの体捌きだろう?私のように接近戦の手段を持たない魔術師の典型にとって、君は天敵だよ」
「そう評して頂けるのは光栄ですが、裏を返せば距離さえ確保出来ていれば対処出来るという事ですからね。闘技場での試合ならともかく、大会の野外戦なら僕も一人の剣士に過ぎませんよ。闘技場というのは良くも悪くも簡易的な場ですからね」
「私としては今の模擬戦、シアもそうだが君の方もまだ魔術を使っていないというのが気になる所だね。聞く所によると人一人を片腕で投げる膂力や、単なる魔力障壁とは思えない程の対魔術・物理性能を誇る技術など、色々隠し持っているらしいじゃないか。是非知りたい所なんだが……」
笑顔と共に細められる目の奥、探るような瞳にヴィルはしかし、
「申し訳ありませんが秘密主義なもので。幼馴染のニアに聞いても無駄ですよ」
「思考を読むねえ。まあ魔術師の秘密主義は権利だから詮索はしないがね。そこはこれから信頼を勝ち取って明かしてもらうとしようかな」
イリアナは残念そうに苦笑しつつ長い髪を掻き上げ、それから真剣な表情を取り戻した。
「それではヴィル君の事も分かった事だし、本格的に授業を始めようか。私が教えるのは対魔術師戦闘のノウハウだ。敵魔術への対処、戦闘で発生する魔術師の隙など、より実戦的な授業内容にする予定だ。新人戦までの短い期間で、可能な限り多くの学びを得て貰えるよう私も努力する。だから君達三人も私から全てを盗むつもりで頑張って欲しい。準備はいいか!」
声を張ったイリアナの問いに三者三様の返しをし、イリアナの特別授業は鐘の音が響くギリギリまで行われる事となった。
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