第80話 覗き見禁止、だよ?
初心者マーク付きの作者です。
暖かい目でご覧ください。
時は王立アルケミア学園Sクラスの生徒達が、昼のバーベキューを楽しんでいた時間から一日前に遡る。
丁度大荒れの豪雨の中、遠くで一条の落雷が大木に光り、それからややあって轟音が届いた。
近くであればあまり感じないが、光と音の速度にはかなりの差があるらしい。
今回雷光が見えてから音が聞こえた時間差を考えれば、こことは大体二キロ程度離れていただろうか。
それが事態収束の証と知っていた彼女は、この場にいない天候術師の意識を操っていたのを止めた。
間も無く、晴れる気配すら無かった分厚い雲が散り始める。
「――あ~あ。期待はしちゃいなかったが、やっぱり無理だったか。これが聖法国の連中ならもうちょい上手くやるんだろうが、所詮は帝国産の下っ端、汚れ仕事担当だ。小手調べ程度が限度か」
死んだ『竜の牙』に対して侮蔑を隠そうともしないのは、一見どこにでも居そうな男だった。
中肉中背で容姿は可も無く不可も無く、珍しくも無い茶髪の二十代前半。
ただ一点の男の特徴、それは目だ。
死や憎悪といった負の概念を煮詰めたかのような、元の色すら判然としない濁った瞳。
これまで目に映してきた景色のせいか、視力は健在の筈だが、その瞳は見た者に否応なく恐怖を抱かせる程に昏く死んでいた。
そして、この場に居たのは男だけではない。
「別にここで詰めるつもりも無かったから手は抜いてたが、これでも結構手助けしてやったんだぜ?密入国したあいつらに拠点を用意して、目標の情報を教えて、山に入るのに駐在してる騎士の場所を教えてやって。それで怪我一つじゃ骨折り損だよなあ」
「――ねぇ、せっかくこっちが余韻に浸ってるところなんだからさ、邪魔しないでくれるかな?ボクの数少ない楽しみなんだよ、ヴィルの雄姿を見るのはさぁ」
男の問い掛けに不機嫌そうに返したのは、天候術師を操っていた一人の女だった。
恐らく十六歳くらいの少女だろうという事は分かるものの、拾えるのはその情報だけで、それ以外の情報は靄に包まれている――それは物理的と言うべきか、精神的にと言うべきか。
仕組みとしてはヴィルが正体を隠す際に使用する『霧相の面』とは対照的で、自らを偽るのではなく、見た者の認識を防ぐという効果を常に纏っているのだ。
それもヴィルのようにアーティファクトに頼るのではなく、だ。
「そいつは悪かったよ。……全く、理解できない趣味だ」
「はあぁぁぁぁ……やっぱりいつ見てもカッコいいなぁ、ヴィル!雑魚とはいえあれだけの人数相手に大立ち回り!それもアンナちゃんを守りつつ戦って、最後にはド派手にドカーン!いやぁ、また大切な記憶が増えちゃったなぁ。帰ったらもう一回見ないと」
口調からして恍惚の笑みを浮かべているであろう少女は、男の小声に反応を見せる事も無く浮足立っている。
そんな様子の少女に対し、男は呆れたように溜息を吐いた。
「いい加減もう帰ろうぜ。俺にも準備ってものがあるんでな。今回であいつの手の内も大体分かったし、そろそろ詰める用意を始めなきゃだ。あんたには悪いが、あんたの推しは殺させてもらうぜ」
男のその発言に、二人の間の空気が一変した。
少女が軽蔑を乗せて言う。
「はぁ?別にやるのは勝手だけどさぁ、言っとくけどあなたには出来っこないからね?あのヴィルを殺すなんて芸当はさぁ」
「いいややるぜ?俺がやると決めたならな、なるんだよ。俺が明日は晴れだって言ったなら明日は晴れ、殺すって言ったならそいつは必ず死ぬ。そこに例外はひとつも無い」
「……ああそう。あなたが本当にそう決めたなら仕方ない――死んでよ。その能力だけは惜しいけどさぁ、ボクにとっては必ずしも必要って訳じゃないんだ。流石に本気になられると面倒だからね。ほら、今すぐ死んでよ」
男の発言に宿る正体不明の重さと、その男を見る少女の失望の混じった底冷えのする命令。
殺気の高まる両者間の空気は、やがて看過できないレベルへと膨らんでいき――
「――ああ分かったよ!俺が悪かった!あいつだけならまだしも、あんたを敵に回しちゃ敵わん。どれだけ苦労して結果を作ったって最後にパーにされるって分かってんだ。せいぜい大人しくしてるよ……」
男の方が先に折れた
男は降参だと言わんばかりに両手を上げて、少女への謝罪を口にする。
その昏い瞳には、少女と男の間にある絶対的な差への、確かな恐怖があった。
「……………………そう?いやぁ、万が一にもヴィルが死ぬなんて事態は無いとは思ってたけどさぁ、その万が一を引き寄せるのがあなただから、ボクもついつい本気になっちゃったんだ。ごめんね?」
男の態度を見て少女も格好を崩し、場を支配していた濃く重苦しい空気が霧散する。
飄々として軽い今の口調は、先程の殺気が嘘かのようだった。
男が探るように窺うように少女に目を向ける。
「本当にもう怒ってないよな?許してもらえてるよな?頼むぜ本当。俺は大抵の相手には詰まない自信があるが、あんただけは別だ。抵抗すら許さずに俺を殺せるのは、この世界広しと言えどあんただけだろうよ」
「……何それ?別にボクを褒めても何も出ないけど?」
唐突に男から褒められ、見えていれば少女がパチパチと驚きに目を瞬かせるのが分かっただろう。
その言葉には本当に怒りは無く、純粋に困惑の色があった。
だが男は冗談じゃないぞ?と続け、
「俺がこの世界で唯一敵に回したくないと考えてるのは今のところあんただけだ。魔王が神を殺せても、勇者が魔王を殺せても、あんたただ一人だけは誰にも殺せない。俺も、勇者も、魔王ですらな」
「――――」
あまりに大袈裟な男の言葉に呆れつつ、しかし少女は否定の言葉を口にしない。
それは即ち、少女がその事実を認めているという事だ。
髪の色すら窺い知れないその少女は、諦めたように大袈裟に溜め息を吐いた。
「もういいからさっさと帰ったら?大人しくしてる内は手出しするつもりもないからさ。ボクはもう少しヴィルを見てくから」
「はいよ。そんじゃあ邪魔者はサッといなくなるとするか」
男はぶれない少女に肩を竦めつつ、言われるままにその場を立ち去る。
二人の間に上下関係というものは存在しないが、それでも逆らってはいけない相手だという点を、男は履き違えていなかった。
ただ、その去り際、
「――ガキが。俺は俺で好きにやらせてもらうぜ。ヴィル・マクラーレンは必ず殺す。俺が、そう決めたんだからな」
決して少女に悟られぬよう言い残し、男は姿を消した。
そして残された少女は、
「全部聞こえてるのにねー。なーにが好きにやらせてもらうぜ、だよ。ヴィル・マクラーレンなんて言ってる間は何したって勝てっこないのに。底が知れるよねぇ、あーやだやだ」
うえーと吐くような仕草で、男の消えた方角を見ていた。
心の底からの嫌悪感を声に滲ませ、しかし直ぐに恍惚に蕩けた表情を浮かべる。
「あぁ、やっぱりヴィルはカッコいいなぁ。他の子に心配かけないように強がってさ、痛みに耐える訓練をしてきたとはいえ、本人が痛みを感じない訳じゃないのに。あぁ、アンナちゃんが羨ましいなぁ。あんなに近くで膝枕なんてボクもされた事ないよ、全く。ヴィルのクラスメイトに、友達になれたのがアンナちゃん最大の幸運だね。ヴィルがそこにいて、その友達が死ぬなんてありえないんだから」
少女の両目は閉じられ、顔は避雷針としての役割を果たした大木の残骸の方を向いている。
閉じられた瞼の裏に映るのは、ヴィルがこちらを見下ろし優しく微笑む姿だ。
その笑みは少女に向けられ――否、アンナに向けられたもので、アンナの視界を通して見る少女は完全なる部外者だ。
だがそれでも構わないと、盗み見る少女は言うだろう。
――世界の誰も見る事の叶わなかった少女の顔は、誰が見ても恋する乙女の表情だったのだから。
「――レイドヴィル。ボクだけの騎士様」
偽りの名ではなく、震える唇が愛する青年の真名を紡ぐ。
記憶が擦り切れる程に反芻するのは、自身が持つ中で最も古く大切な記憶。
それまでの人生が一変した、正に少女にとっての転換点。
「いつか必ず、ボク達は結ばれる。例えどれだけかかっても、どんな事をしてでも」
それはあの時より心に決めた、揺らぐ事の無い絶対の決意。
何も持たない少女が持った唯一を振るい、彼女はただ一つの理想を掴む。
だが、それまでは。
「ひとまず日常に戻るとするかな。こんな山の中に置いていかれたら帰るのも面倒だし」
少女はありふれた日常に、退屈する事の無い毎日に埋没する。
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