第75話 共感 四
初心者マーク付きの作者です。
暖かい目でご覧ください。
開けた丘をヴィルくんが駆ける。
包囲網の出っ張った部分目掛けて、二振りの剣を持って走る。
その距離は大体ヴィルくんの五歩分くらい、いつの間にかこんなに距離を詰めてきていた。
お互いに近づいていくから、衝突は一瞬だ。
「このっ!」
「ふっ――!」
鋭い踏み込みと共に放たれた斬撃を、ヴィルくんはギリギリのところで回避する。
その隙に横薙ぎの一閃、難なく斬り抜ける。
続けて右上から一振り、左の刺突、意表を突く右の蹴脚、崩れた体勢にとどめの一撃。
流れるような連繋に、わたしは思わず見惚れてしまう。
ヴィルくんは強かった。
その事実はこれまでの道中でも分かっていたことだけど、改めてそう思う。
あれだけの人数に囲まれながらも、まるで尻込みしていない。
果たして冒険者をしているだけでこんなに度胸が付くものだろうか――また二人斬り捨てた。
込み上げる嘔吐感を、唾を飲んで堪える。
吹き出る血に、地に伏せる死体に、忌避感が無いと言えば嘘になる。
なんて言ってみたけど、そんなのは当然のことだ。
――ヴィルくんがわたしの方に走ってくる、わたしもヴィルくんの下に走っていく。
いくら一緒に戦うって言ったって、体の拒否反応が消えてなくなるわけじゃない。
人が傷つくのを見たくないのも、血を嫌うのも、死を拒むのも、当然のこと。
そうあればこそ、目は逸らさない。
――わたしとヴィルくんがすれ違い、わたしの背を追ってきた人と斬り結ぶ。
目を逸らすということは、逃げるということだ。
逃げるということは、戦わないということだ。
だから目は逸らさない、少なくとも今は、これがわたしの戦いだ。
――背後で鳴り響く高音に、恐怖を押し殺して振り返る。
また呆気なく、黒づくめの死体が増える。
この小一時間にも満たない間に見慣れた光景だ。
あまり見慣れたくはないけど、見なくてはならない。
「ここで仕掛けろ!敵は一人、体は一つだ!」
わたしとヴィルくん、それぞれ同時に三人が差し向けられる。
確かに同時なら、ヴィルくんもわたしを守り切れないかもしれない。
わたしは足手まといだ。
剣を振って戦えず、魔術も治癒魔術しか能がない、こんな有様だ。
――けど、お荷物には、ならない。
こちらに迫る三人に、わたしは両の手を向ける。
魔法陣が浮かぶ。
「ハッタリだ!そいつは攻撃魔術は使えない、やれ!」
逡巡を捨て、黒と殺意を纏った男の人たちが来る。
流石は熟練の人攫い集団、そんなことまで調べて来ていたのか。
確かに、わたしの攻撃系魔術の腕はそんなに高くない。
それどころか、魔術行使の際の不安定な精神状態のせいで、発動すらろくに出来ない始末だ。
その点では攻撃魔術を使えない、という情報も正しいと言える。
「はぁ……はぁ……」
息が荒い、向ける手が震える。
心の奥底に沈めた記憶、思い出したくないそれはトラウマと呼ばれるものだ。
呼吸は浅くなり、視界は狭く、耳は遠くなる。
けれど、わたしは前を向くと決めた。
敵と、そして自分と戦うことを決めたのだから。
それに、後ろで聞こえる剣戟の響きが、わたしに勇気をくれる。
だからきっと、もう大丈夫だ。
「――水は彼方に、『落滝』ッ!」
「なっ!?」
この場にありふれた水を集めて持ち上げて、三人に向かってぶつける。
攻撃が出来ないという前評判もあって、いい感じに不意を突けた、と思う。
結果としては相手が怯んだ、ただそれだけ。
一応びしょ濡れにしたというのも加えてもいいけど、これだけ雨が降っている中ではそう意味なんてない。
魔法陣を使って、短縮形とはいえ詠唱までして、そこまでしてもわたしの魔術は敵を怯ませるに止まった。
我ながらなんともしょぼい、未熟者ですと喧伝するような誰一人傷つけることのない魔術だった。
けどこれでいい。
これがわたしなりの戦い方だ。
「クソッ!小細工を――」
「いい小細工だったよ。頑張ったね」
そんな事を言われたら、なんだか物凄いことをやってのけたみたいな気持ちになるからやめて欲しい。
敵の罵詈雑言は続きを紡ぐことも叶わず、わたしが魔術で時間を稼いだ間に後ろを片付けたヴィルくんの手によって、強制的に黙らされた。
「ぬうぉおおおお!!」
ヴィルくんが声のする方に振り向き、剣を合わせる。
轟音。
相当に重いだろう一撃を、ヴィルくんは一切仰け反ることも足を下げることもなく受け切り、
「はあぁ!」
「ぬぅ!」
弾き返す。
見た目からは想像も出来なかったのだろう剛力に、隊長さんから声が漏れる。
「させやせん!」
「食らいやがれぇ!」
さらに二人、ヴルドさんを押すヴィルくんに迫る。
わたしの目から見ても一段違う精鋭二人に、熊みたいな隊長さん。
一番かどうかは分からないけど、隊長と呼ばれるからには腕は立つはずだった。
けど、そんなのは関係なかった。
数多の剣を掻い潜り、隊長さんの首を狙うヴィルくん。
さらにそれを阻むように繰り出される剣の連撃。
見切る事すら困難なそれらを、ヴィルくんは事もなげに躱し、避けて、反撃していく。
「なん、なんだこいつあぁぁぁぁぁ!!」
いなし、あしらい、流し、弾く。
人を変え位置を変え連携する三人に対し、ヴィルくんは背中に目でもついているのかというほど正確に合わせていく。
時折骨すら砕きそうな蹴りを腕で受けてしまうヴィルくんだけど、その度に心臓の跳ねるわたしをよそに、ヴィルくんは半歩すら動かない。
それどころか、蹴りを受け止めた直後に行った別の人への反撃は、剣と剣の衝突でありながらも、相手の方がありえないくらいに吹っ飛んでいったくらいだ。
あれを見た時は自分の目を疑った。
さらに凄い点というのが、その三人との戦闘がわたしを守りながら行われているという点だ。
普通ヴィルくんが隊長さんを含めた三人と戦っている間はわたしを守れないわけで、その間に他の男の人たちがこちらに来るのは作戦として当然と言える。
当然と言えるのだが、その男の人たちの魔の手すらヴィルくんは斬り払って見せる。
流石にヴィルくんも苦しいのか、そこから敵に致命傷を与えることは叶わず、逆にヴィルくんが負傷したりしていたが、それでも優勢だった。
わたしも負けてはいられないと意気込んで、魔術で妨害したりヴィルくんに治癒魔術を掛けたりもしてはいたのだ。
けど、そんなのは本当に微力だ、謙遜でも何でもなく。
数分も経てば、満足に立ち上がれる人は六人もいなくなっていた。
隊長も精鋭二人もそれぞれ傷に手を当てて、息を荒くしている。
ヴィルくんが息を吸い込む。
「これ以上、僕達と戦おうとする者は居るか!実力差は歴然、勝敗は既に決した。ここで引き下がるのならば、僕も貴方達の事は追わないと約束しよう!それでもなお戦うと言うのならば、僕は最後の一人が倒れるまでこの剣を振るおう!返答は如何に!!」
吠えるように響くヴィルくんの声に、男の人たちが怯むのが分かった。
わたしもその一人。
急に大声を出すからビクッとした。
普段のヴィルくんに似合わない雄々しさと迫力に、もう何とも言えない。
けど、これだけ言えば、流石に彼らも……
「――怯むな!!我らの忠義が何処に在るか、忘れたか!」
「「「!!」」」
「最早この地では口に出す事すら出来ぬ御名を、心で叫べ!祖国を叫べ!応える者は、我に続け!!『術式融解』!!」
――そこから先は、地獄だった。
まず隊長に続くように、二人が口を開いた。
次に三人、次に五人。
合計十一人、残党全てが同じ言葉を口にし、苦鳴と絶叫の調べが森の中に響き渡る。
その絶望の音色が、わたしの精神を摩耗させる。
――『術式融解』、それは術者の魔術回路を代償に、一時的な魔力・魔術増大効果を得る魔術。
代償は自身の魔術回路と、想像を絶するほどの壮絶な痛み。
場合によっては命すら失いかねない危険な術だと、そう学園入学初期に学んだ。
そのことを聞いた時は誰がそんな魔術を使うのかと思っていたけど、ヴィルくんは、わたしの想像以上に彼らを追い詰めていたらしい。
まさに玉砕覚悟の相打ち狙い。
誰も彼もが血走った眼でこちらを見て、苦痛と、そう簡単に言い表すことすら出来ない痛みに顔を歪めながら、武器を構えている。
遠くで鳴る雷も相まって、本当に地獄みたいだ。
わたしにそんな価値はないから、お願いだから、もうやめて欲しい。
そんな声も、きっともう届かない。
それほどまでに、この場にいない誰かとやらは忠誠を捧げるに相応しい人物なのか。
そんな人がいるのなら、わたしはその人のことが大嫌いだ。
そうやって見えぬ人に非難の思考を飛ばしても、この場の問題が解決するわけじゃない。
命を対価に燃え滾る炎は馬鹿に出来ない。
覚悟の窮まった彼らは、もう自らの命にすら拘泥しない。
そんな人が十人も同時に襲い掛かってくれば、さしものヴィルくんもわたしを守り切れはしない。
よしんば守り切れたとしても、それでヴィルくんを失ってしまうのであれば意味がない。
――詰み、という言葉が頭をよぎる。
今日二度目の絶望がわたしの心に影を差す。
打つ手なし、ここでわたしは死ぬ。
最期に、ヴィルくんだけでも逃げて、なんて言ってみようか。
本でよく見るセリフで、わたしなんかには縁のないものと思っていたけど、今なら言えそうだ。
言えそうなのに、もう喉まで出かかっているはずなのに。
わたしは、結局言えなくて。
「アンナさん、最後だから頑張って。さあ、走るよ」
最後?最期?
ヴィルくんがどちらの意味で言ったのか、わたしには分からなかった。
けれどわたしは走った。
今日一日、肉体的なものだけではない疲労で鈍った頭で、言われるがままに走った。
頭が諦めたはずなのに、体のどこからこんなに力が出てくるのか、分からない。
分からないままに走った。
後ろから追われる経験も、今日だけで随分と積んだ。
もう二度と人生で役立たないだろうなと思考半分、もうすぐ傍まで迫る苦悶の咆哮に恐怖半分。
自分のこと、今まさに起こっていること、死の間際だというのに、未だどこかふわふわした他人事感が拭えないまま。
――気が付けば、丘の中央に生える大樹まで戻って来ていた。
「あ……」
そうまでしても、きっと無駄だ、無意味だ。
『術式融解』は魔術の増幅だけでなく魔力の増幅、つまり身体能力の底上げも含まれる。
いくら足の速いヴィルくんでも、これ以上は逃げのびられない。
ただ、終わりまでの時間を引き延ばしたに過ぎない。
どうして、まだ抗えるのか。
これ以上苦しい思いをするくらいなら、いっそここで――
「アンナさん!」
左腕一本、男性特有の力強さと逞しさを感じる腕力で、深く抱き寄せられる。
白熱する思考、右手を伸ばすヴィルくん。
――そうして、ヴィルくんの舞台は整った。
「『術式励起』!!」
ヴィルくんの右手が大樹の幹に触れ、声を上げた瞬間、大樹が巨大な魔術具と化したのが分かった。
木全体が一つの役割を与えられ、大樹の性質ががらりと変質する。
今になってようやく分かった。
あの光り輝く魔法陣は、魔術具に刻まれる魔術刻印だったのだ。
魔術刻印を習うのは二年生から、選択式の授業でだったと記憶していたけど、ヴィルくんなら既に知っていてもおかしくはない。
今なら自然とそう思えてしまう。
「――――」
ヴィルくんの施していた策に、ただただ圧倒される。
先を見通さず、その場その場をなんとか乗り切ってきて諦めたわたしと違い、ヴィルくんはずっと未来を予測し、この状況になることすらも想定していたのだ。
諦めただの、無意味だの、そう考えていたのはわたしだけだった。
わたしが一人で勝手に絶望している間に、ヴィルくんは着々と準備を整えていた。
横顔を、見る。
――その目に宿るのは、死にたくないというある種当然の思い。
人の考えを読めないわたしだけど、これだけは不思議と読み解くことが出来た。
だって、わたしもそうだったから。
わたしも死にたくない。
鏡を見れば、きっとわたしもヴィルくんと同じ生を渇望する目をしていることだろう。
それが今は誇らしい。
さっきまで、わたしはヴィルくんを英雄か何かのように感じていた。
けれど違ったと気づいた、その時の言葉を繰り返そう。
――ヴィルくんは英雄なんかじゃない、苦手なことも出来ないこともある、わたしと同じ人間だ。
ああ、すっきりした。
死の手が触れるまでのほんの刹那、雷光が曇天を染める、極光が迫る、時間差もなく、轟音が音を殺す。
そんな中、死への拒絶と生への渇望をヴィルくんに見て、わたしは本当の意味でヴィルくんの隣に立つことが出来た――共感が出来たのだ。
――ふと、左胸のずっと奥、わたしじゃない心臓がズキリと痛んだ。
瞬間、ヴィルくんから魔力が溢れ――――
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