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第74話 共感 三

初心者マーク付きの作者です。

暖かい目でご覧ください。

 

「――――!――――ッ!――――――ッ!!」


 無言で叫ぶ、という文字にして表せばどこか不思議な行為を、わたしは今現在進行形で行っている。

 口を開けば舌を噛む、と言われて口を閉じたはいいものの、やっぱり声を出すのは止められなかった。

 だって仕方ないじゃないか、怖いのだから。

 いくらヴィルくんに安心感のある抱えられ方をしていても、出ている速度と後ろからの怒号に身が竦んでしまう。

 あとは抱えられている立場で言うのもあれだが、地面が遠い。

 わたしにとって初めての空中はあまりに頼りなく、校舎で言えば七、八階相当の高さに思考は真っ白に、精神に置いていかれる身体は無意識にヴィルくんの首に腕を回してしまう。

 いくらこのイモリ―山が比較的登りやすい山だと言っても、急斜面や崖の類いがないわけではない。

 そういう場所は登山中もよく見かけていたけど、全部先導していたヴィルくんが別ルートを探してくれていたお陰で、わたしたちは大抵の場所で安全かつ楽に進むことが出来ていた。

 だが今は緊急事態、崖に逃げれば追われづらいというのは理屈として理解できるし、ヴィルくんに任せれば何とかなるだろうとも思う。

 だがそれはそれとして、怖いものは怖いのだ。

 欲を言えばもう少し心臓に負担の少ない場所を逃げて欲しいけど、そんな立場にはないので黙っておく他ない。

 そうして考えている内にも、段々と地面は近づいてくる。

 別に空を飛んでいるわけではないのだから、それも当然と言える。

 当たり前のことが当たり前に起きるだけ。

 その当たり前が、わたしにとっては怖いのだけど。

 わたしたちが地面に迫る、地面がわたしたちに迫る、地面が近づき――着地、したらしい。

 したらしいというのも、わたしにはとても着地をしたような感覚がなかったからだ。

 驚くほど自然に、驚くほど不自然に、一切の衝撃なく着地して、その直後にはもうヴィルくんは走り出している。

 本当に、地面に吸い付くようだった。

 あとは抱えられている立場で言うのもあれだが、地面が近い。

 ヴィルくんはそのまま倒れるのではないかというほどの前傾姿勢で走っていて、それがまた怖いのだ。

 恐らくヴィルくん的には走りやすい体勢なのだろうが、木の根や岩がわたしの頭の近くを通ると気が気ではない。

 欲を言えばもう少し腕の位置を上げて欲しいけど、本当にそんな立場にないので黙っておく他ない。


「もういい!ここで逃げられるくらいなら殺して構わん!手に入らないのであれば同じ事だ!」


 ……ちょっと待って欲しい、今、後ろからものすごく物騒な発言が聞こえた気がする。

 手に入らないなら同じ事?そんなわけない!手に入れる努力は怠らないで!!

 と言いたい気分だったが、実際に手に入れられるとすごく困るので、出来れば諦めて欲しいところなのだが、そう簡単にはいかないらしい。

 そこから、わたしを生きて捕らえるという目的を捨てた彼らは、お構いなしに魔術を放ち始めた。

 雨の中だから火はないけど、風とか氷とか土とか、色んな属性の魔術がわたしたちに向けられる。

 当たっても致命傷とまではいかないだろうけど、まず間違いなく逃げ切れなくなる威力の魔術。

 それらの魔術を、ヴィルくんはまるで後ろが見えているかのような挙動で躱し、躱し、躱していく。

 その際、ヴィルくんは一切後ろを振り返らない。

 一体全体、どんな修行の果てにこんな芸当が可能になるのか。

 まったくもって想像がつかない。

 だがこうして被弾がゼロだとはいえだ、ヴィルくんも体力が無限にあるわけではないし、いずれ限界が来る、来るはずだ。

 もしも限界が来たとき、戦えないわたしではヴィルくんの足手まといにしかならない。

 そうなる前に何か手を打たなければならないが、ヴィルくんは何か考えがあるのだろうか。

 ふと思いつく。


「ヴィ、ヴィルくん。さっきみたいに木の上を逃げるわけにはいかないんですか?きっと逃げやすいと思うんですけど……。それともわたしが邪魔になってますか?重いですか!?」


 喋っている内に、結局自分が何を言いたいのか分からなくなってしまった。


「うん?ああ、別にアンナさんが邪魔なわけじゃないよ、軽いし。そうじゃなくて、木の上だと雷に打たれる可能性があるからね。下手に高所に立ちたくないだけだよ」


 なんだか変な気遣いをされた気がする。

 納得がいかない。

 けれど、ヴィルくんの話はわたしも聞いたことがある。


「高い所とか、金属に落ちやすい、っていうあれですか?」


「あれだね。雨脚も強まって来たし、これ以上濡れると体に障る、んだけど……」


 と、歯切れの悪いそれきり、ヴィルくんの顔は険しい。

 後ろとの距離もかなり離れてきた。

 ここまで順調に逃げれているのに、どうしたというのか。

 そこから間もなく、わたしたちは久し振りに開けた場所に出た。

 そこは丘のようになっていて、盛り上がった中央には周囲よりやや大きな木が鎮座していた。

 ぴしゃぴしゃと、ヴィルくんの足が水溜まりを踏み抜く音が聞こえる。

 ここまでちょっとした傘の役割をしていた木々が消えて、雨が直接地面に降り注いでいるからだろう。

 既に傘なしでは歩けないような強さにまで達した雨は、わたしもヴィルくんも平等に濡らして、わたしはもう下着までびっしょりだ。

 普通なら濡れた状態で雨の降る環境にいれば、寒くて体の一つも震えるところなんだろうけど、ヴィルくんの傍にいると不思議と暖かいままだ。

 ヴィルくんの体温が高い、というよりヴィルくんの周囲の空気が暖かいとでも言うのだろうか。

 何とも言い表し難い不思議な感覚だ。

 丘を駆け上がるヴィルくんの健脚は衰える気配もなく、たちまち丘の頂上、大樹の根元へと辿り着いてしまう。

 がしかし、そこでヴィルくんの足が止まった。

 ここまでずっとお姫様抱っこをされていたわたしも、優しく降ろされる。


「やっぱり囲まれたか」


「え?」


 囲まれた?

 ヴィルくんの呟きを聞いて、焦ったわたしは辺りを見回した。

 けれど人の姿なんて見えなくて、前も横も後ろも誰もいない……あ。

 そういえばおかしいと今更ながらに気付いた。

 前や横はともかく、後ろからも誰も来ていないというのは不自然にもほどがある。

 さっきまであんなに必死に追いかけていたというのに、簡単に諦めるとは思えない。


「アンナさん、少し下がっていて。絶対に僕より前に出ないように」


「は、はい、分かりました……」


 ヴィルくんの指示に従って、大人しく数歩下がる。

 ふと気になってヴィルくんの方を見ると、小さなナイフで木に何かを刻んでいるところだった。

 ちらと見た感じでは魔法陣みたいだったけど、詳しくないわたしにはそれがどんな効果を持つ術式なのかまでは判別できなかった。

 ただ、軽く引くくらい細かく素早く刻まれるそれは、わたしたち魔術師が普段使う術式とはかなり違って見えた。

 それを刻み終えてヴィルくんが振り返った先、木々の間から黒い外套を纏う男の人が姿を現す。

 それだけじゃない、同じ服装の人が何人も、わたしたちを囲むように全方位の森から出てくる。

 ヴィルくんの言う通りだった、本当に囲まれていただなんて。


「ふん。よくもまあこれだけ逃げ回ってくれたものだな。とはいえ、無駄な足掻きもこれまでという訳だ」


「そうですね。僕も逃げ足には自信があったんですが……流石にプロの追いかけっこ集団には勝てませんでしたよ」


「!?!?!?!?」


 え?なに?今ヴィルくんはサラッとなにを言ったの?

 喋る隊長の男の人――さっきわたしが運ばれている時にヴルドと呼ばれていた、ずんぐりとした熊みたいな人の眉がピクリと動く。


「これはまた随分な言い様だな。我ら『竜の牙』が、たかが平民一人如きに止められるとでも思っているのか」


「割と思ってますよ?僕は既にそちらの内九人を葬っていますし、貴方達の格好もボロボロ。こんな平民一人でも意外に止められるものですね」


「!!!!」


 隊長さんの発言を揶揄した言葉に、周りの人たちが殺気立つ。

 対するヴィルくんは傍から見た横顔の表情を崩さず、けれど悪意十分にそれらの視線を受け止めている。

 やっぱり聞き間違いなんかじゃなかった、ヴィルくんは意図的にあの人たちを煽っているのだ。

 ヴィルくんって普段そういう事を言う人だったっけ?

 とか考える思考をなんとかよそに追いやって、今はヴィルくんを止めないと。


「ちょ、ちょっと!すごい睨まれてますから……!」


「心配しないで。アンナさんだけは何としても守るから」


(大丈夫じゃないよぉー!)


 小声で肩を掴み腕を掴み揺するわたしに、ヴィルくんは安心させるように微笑みかけてくる。

 その微笑みは確かに安心できるけど、それはそれとして挑発するのは止めて頂きたい。


「生意気だな。そう言う貴様こそボロボロではないか。大口を叩くには余裕が無いように見えるが?」


「子供二人に大人が三十以上。有利不利は論じる必要も無いかと思いますが……まあ否定はしませんよ」


 隊長さんの話を聞いて、わたしはハッと気付く。

 ――ヴィルくんは全くの無傷なんかではないという事に。

 頬、肩、腕、足、至る所に切り傷を負っているというのは、ほつれて血の滲んだ服から分かった。

 傷を見て半ば反射的に治癒しようと手を伸ばしたわたしは、再度気付く。

 この傷は、わたしを庇ってできた傷なのだと。

 追手から逃げる際中、ヴィルくんは進みやすい獣道ばかりを走っていたわけではない。

 さっきみたいに崖に逃げる事もあれば、それこそ目と鼻の先すら見通せない茂みに突っ込む事もあった。

 手入れの成されていない茂みを進むのは、文字通りいばらの道だ。

 枝や葉は鋭く、迂闊に触れれば傷つきもする。

 わたしには何故か傷一つ付く事はなかったけど、今思えば何ということはない、わたしの代わりにヴィルくんが全て受けていてくれたのだ。

 どうやってとか、ヴィルくんをあまり知らなかった以前のわたしならそういう疑問も抱いただろうけど、今となっては不思議と納得が出来た。

 茂みの中、何気なく選んだと思っていたルート取りも、ヴィルくんがわたしを傷つけないようにと頭を巡らせて選んでくれていたのだと、そう。

 そこまで考えて、わたしは急に申し訳ない気持ちになった。

 それと同時に、ヴィルくんがとても遠い存在のように感じた。

 伸ばした手が、ヴィルくんに触れない。

 こんな状況下で、わたしなんかの手足が多少傷物になったからって、誰も怒らないだろうに、責めないだろうに。

 治癒魔術があるから残ったりしないし、痛みだって一瞬のことでしかないのに。

 戦えるのはヴィルくんだけなのに、自己犠牲を貫き通して。

 今もそうだ。

 三十人以上の大人に囲まれたこの状況でわたしを背後に隠し、自身も傷を負いつつなお頼もしい背中を見せている。

 そんなことってあるだろうか、こんなことってできるだろうか。

 わたしにはできない、わたしには絶対に真似できない。

 それは只人の辿り着けない領域、英雄の器だ。

 わたしにはとても、共感なんて……


「――けど、大丈夫。何とかするさ」


 それはきっと、わたしにしか聞こえていなかった声。

 それがわたしに向かっての言葉だったのか、それともヴィルくん自身への言葉だったのか、わたしには分からない。

 けど、その声は確かに――


「アンナさん?」


 鍛えられた筋肉を感じる背中に、両手で触れる。

 いくら治癒魔術が通りにくいと言ったって、わたしの出力ならどうにでもなる。

 王国が認めて、国一番の治癒術師が認めて、グラシエル先生が認めて、ヴィルくんが認める、わたしのただ一つの才能。

 ――わたしにとっては、致命傷さえかすり傷だ。

 治癒の光が爆発して、体中にあったヴィルくんの傷が淡い光に包まれ、跡形もなく消えてなくなる。

 どれも精々が体の動きにくさを感じる程度の浅い傷だったけど、これで万全になっただろう。

 次に身体強化魔術だ。

 こっちは治癒魔術ほど得意じゃないけど、一般的に支援と呼ばれるくらいの出力はあると思う。

 魔力由来の身体強化はヴィルくんも出来るだろうけど、魔術由来のは得意じゃない。

 ヴィルくんは英雄なんかじゃない、苦手なことも出来ないこともある、わたしと同じ人間だ。


「わたしも……わたしも戦います。ヴィルくんみたいにはできないかもしれないけど、わたしも」


 具体的なことは何一つ言えてない。

 こんな宣言をしたからって、何が変わるわけでもない。

 それでも、わたしのこの気持ちは伝えたかった。

 わたしにしか出来ないことが、必ずあるはずだから。

 そんなことを突然に伝えられたヴィルくんは驚き顔で、それも当然かと思ってわたしは顔が熱くなる。

 瞬間、ヴィルくんの姿がブレて、わたしの後ろに回り込んだ。

 急いで振り返ると、そこにはわたしが魔術を発動したのを見たのか、人攫いの一人が奇襲を仕掛けて失敗していた。

 佇むヴィルくん、倒れる人攫い。

 いや、倒れるなんて表現はもうよそう。

 これまでも、わたしは争うこと、戦うことから逃げ続けてきた。

 思考の中ですら、死という言葉を避けていた。

 けれど、わたしは戦うと決めたのだ。

 たとえわたしが直接手を出していなくとも、ヴィルくんが剣を振るったのはわたしのため。

 今、目の前で、人攫いが一人死んだ。

 それはもう、誤魔化さない。

 最初の一人の死を起点に、わたしとヴィルくんを囲む男の人たちがじりじりと包囲網を狭めているのが分かる。

 きっともう、彼らはわたしの命に固執しない。

 何の遠慮もなく、弱いわたしを殺すだろう。

 けれど……うん、大丈夫だ。

 ヴィルくんが、わたしの方を見て微笑む。

 それはさっきまでとはまた少し違う笑い方で――


「――ありがとう。それじゃあ、一緒に行こうか」


「っ!はいっ!」


 それは、認めてくれたとか大層な変化ではない。

 けれど確かに、わたしにとっては大きな変化だった。

 

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