第72話 共感 一
初心者マーク付きの作者です。
暖かい目でご覧ください。
ぽつり、わたしの首筋に、雨粒が一滴。
高速で後ろ向きに流れていく景色、こんなにも木々が生い茂った暗い森の中で、ピンポイントで雨が降ってくるだなんてどんな確率だろう。
あるいは、既に天気は崩れてしまっているのか。
荷物でも運ぶかのように肩に担がれて攫われるわたしには、天気を気にして空を見る余裕なんて残されてはいなかった。
ただし、慌てることもせず、頭はふわふわしてどこか他人事。
抵抗らしい抵抗も見せないのは、わたしらしいというべき軟弱ぶりだ。
――わたし、アンナ・フォン・シャバネールは臆病だ。
いつも人を怒らせないようにと考えて、人に嫌われないようにと考えて、そのくせ人の顔色を窺うということが出来なくて、察せなくて、共感できなくて。
本当は寂しがりやだというのに、人と話すことが苦手で、性格が暗い。
なんて面倒で、面白みのない人間なんだろう。
少なくとも、わたしならそんな人とは仲良く出来そうにない。
と散々に言ったけれど、これらは全部自分のことで、わたしはきっと、わたしとは仲良くなれない。
わたしも昔はこうじゃなかった……と思う。
小さな頃の記憶なんてあやふやで、あまり思い出したくない記憶があったのもあって、思い出さないようにと思っていたら、いつの間にか引き出せなくなっていた。
普段覚えようと思ったことは覚えられないくせに、別にどうでもいいことを覚えていたりする。
嫌な記憶は思い出せるのに、肝心の記憶は遥か彼方。
ままならない。
「ぐっ……!」
振動がお腹を打ち、思考が中断される。
担がれているわたしのお腹に、担いでいる男の人の肩が岩を飛び越えた後の着地の振動で食い込んだ結果、鍛えていない私の腹筋はいとも容易く衝撃を受け入れてしまった。
痛い、気遣いも配慮も何もない雑さが痛い。
――瞬間、これ以上痛めつけられたらどうしようという思考がよぎって、抵抗の意識が完全に霧散する。
別にいまさら何か抵抗しようとしていたわけではないし、この痛みが彼らの脅しではないのは分かっているのに、分かっていてなお、わたしにはもう何もできなくなっていた。
これからわたしはどうなるのか、この男の人たちはどこへ向かっているのか、そもそも彼らはどこの誰なのか。
そんなあって当然の疑問を差し置いて、わたしの頭の中に浮かんでいたのは今回の学外演習のことだった。
一番最初に学外演習の話を聞いて、担任のグラシエル先生がくじ引きを取り出した時、わたしは落胆して、けれど同時に助かったとも思っていた。
これからランダムに班を組まれ、見知らぬ人たちと班行動をすることになるのだという気重さと、どうせ見知った仲の人などいないのだから、自由に班を組んでくれと言われなかっただけマシだろうという思いだ。
けれどどうか過激な人ではなく優しい班員に恵まれますように、と祈り倒していた当時のわたしには、その心配は杞憂に終わるんだよと教えてあげたいくらいだった。
三番のくじを引いて先生が指示した場所に向かうと、そこには学園で最初に話をした生徒であるリリアちゃんがいた。
当たったと思った、これはわたしにも運が回ってきたと。
その喜びは隣にいたクロゥさんを見た瞬間になかったことになりかけたけど、話してみれば悪い人ではなかった。
何を言っているかが分からないのだけが欠点だけど、そんなのは些細な差だ。
……やっぱり些細ではないかもしれない。
それよりもわたしにとって問題だったのは、ヴィルくんが同じ班にいたことだ。
眉目秀麗、博識多才、才色兼備に文武両道、八方美人で八面六臂ともなれば、それはもうわたしにとってとことんお近づきになりたくない人種の完成形だ。
分かりやすく言えばカッコよくて何でもできる人、その一言。
もちろんヴィルくんのことが嫌いとかそういうのではなくて、むしろわたしに対して好意的に接してくれる彼は好きな部類に入る。
でも、だからこそ話しづらい。
初対面の時も優しくて、学外演習用の班を組んだ時も治癒魔術の授業の時もそれは変わらないのに、どうにもうまく話せない。
多分目が合ってない、返事がどもった、今のはそっけなかったかもしれない。
そんな思考ばかりが渦巻いて、見かけ上は普通を作れているはずだけど、変になっているかもしれない。
とかなんとか考えつつも、治癒魔術の魔法陣を描くわたしの手は淀みない。
これだけだ、みんなが色んな特技や得意を持つ中で、唯一治癒魔術だけがわたしが自慢できる、わたしのただ一つだけの才能。
いや、もちろん人に対して自慢とか、そんなのできるはずもないけど。
今日も綺麗に描けた、と自己満足を終えて隣を見ると、ペアを組んだヴィルくんも丁度魔法陣を書き終えていて、目が合ってびっくりした。
けどそれ以上にびっくりしたのが、ヴィルくんの魔法陣を描く速度と精度だ。
それに加えて、わたしも驚くくらいにというとちょっと偉そうだけど、それくらい洗練、簡素化された記述。
わたしの唯一の自慢も、隣のヴィルくんにはなんてことのない普通なんだと思うと、治癒魔術は苦手だなんだと言っていたくせに、とこの時は何だか少しモヤモヤしたものだ。
もっともそのモヤモヤも長続きはせず、ヴィルくんが治癒魔術を使った時にはそれが謙遜でも何でもなかったのだと気づいた。
完璧な魔法陣、完璧な魔力から紡ぎ出される、何の変哲もない、どころか平均を下回る出力の魔術。
あれだけ戦えるにもかかわらず治癒魔術は苦手なのか、とそれに似た言葉が口から出て、怒らせてしまったのではないかと不安になったが、ヴィルくんはいつも通りの優しい顔をしていた。
流石、持っている人は心に余裕がある。
それから今度はわたしが治癒魔術を使う番になって、そこでほんの少しの違和感に襲われた。
これが、何と言うべきなのか、今でも分からない。
治癒魔術が効きづらいというか、魔力が通りづらいとでもいうのだろうか、あやふやだが傷が治りにくいような錯覚があったのだ。
実際には傷なんてなかったけど、もし傷があればそうなったであろうことは、日々培ってきた経験からなんとなくだが分かった。
もしかするとそういう呪い――クォント持ちなのかもしれないが、聞くのは憚られた。
他人のそういうところに踏み込んでいけるなら、こんな性格はしていない。
学外演習までの日々で何が一番辛かったかと言われたら、まず間違いなく体力づくりと答える。
辛い、本当に辛い日々だった。
体力がないわたしは、校庭を走っていると抜かされ放題で、同じ班の人には近づくたびに励まされる。
最初こそリリアちゃんと一緒に走っていたものの、リリアちゃんは持ち前の明るさからか前のめりに体力づくりに取り組み、徐々にペースを上げ始めて、わたしは段々ついていけなくなっていた。
なにより辛かったのは、同じ班のみんなに大きな迷惑を掛けていることだった。
運動が出来ないこの体が恨めしい。
そうして学外演習までもうすぐというある日の休日、わたしは気分転換に外出することにした。
いつもは寮の自分の部屋に引きこもって休日を過ごすし、その日はわたしも連日の疲れを取ろうとしていたけど、精神的な充足のためにもと一人買い物に歩くことにしたのだ。
そして、ものの見事に軽薄そうな男の人たちに絡まれることになった。
運が無い、と嘆きつつ、男の人の押しの強さに負けそうになっていると、どこからか颯爽とヴィルくんがやってきて、そうとしか思えない完璧な演技で男の人を追い返したのだ。
その時はわたしも少しだけ演技に付き合ったけど、ちょっと楽しかった。
そこからは、ヴィルくんがわたしの買い物に付き合ってみたいということで、わたしはあまり乗り気ではなかったけど、それがそれがお礼になるのならと一緒に街を歩いた。
ヴィルくんは道中わたしの荷物を持ってくれて、やっぱりこういうことをさらっと出来るのが本物の紳士なんだなぁとか思ったり、趣味の話になってつい口が軽くなってしまって恥ずかしい思いをしたり、ヴィルくんの服を選んだり、色々あった。
ヴィルくんは、商業区の店の情報をあれこれ言うわたしの話を嫌な顔一つせず聞いてくれて、なによりわたしの趣味についても理解を示してくれた。
普通わたしの購入癖はあまり受け入れられないのだけど、ヴィルくんは素直に賛同してくれて、それがまた嬉しくてついいつもよりも多く買ってしまった。
結果としてその買った物もヴィルくんに持ってもらったので、少し、いやかなり申しわけない。
けれど、本当に楽しい外出だった。
人と買い物をするという機会がなかったわたしにとって、誇張抜きに人生で一番楽しい買い物だったと断言できる。
そうして浮かれた気分のままに寮のお風呂に入って、ベットに入って余計な思考。
(男子と女子、二人の生徒が一緒に出掛けたのなら、それはもはやデートでは?)
そんな買い物の途中にも湧いた浮ついた考えが脳裏に浮かんで、しばらく手で顔を押さえて悶え続けた。
そして今日になった。
湧き出る不安は尽きなかったけど、昨日の夜にヴィルくんと少し話をしたのがよかったのか、わたしの不安は薄まっていた。
綺麗さっぱりという風にはいかなかったけど、薄まった、それは間違いない。
これは勘だけど、ヴィルくんは不安を紛らわそうとするわたしの意図を察して会話に付き合ってくれたんだと思う。
これが見当外れだったら恥ずかしさで憤死するけど、間違いはないはず……多分。
ともあれ山登りは順調に進んで、わたしのためにペースを揃えてくれてるんだろうなとは思ったけど、ヴィルくんやリリアちゃんに言われた通りに気にしないようにしていた。
そして唐突に襲われた。
わたしを攫った人たちは、どうも最初からわたしを目的にしていたみたいで、真っ先に飛んできて、何もできないままにあっという間に森の中に引きずり込まれた。
最後に見えたのはヴィルくんの目。
何を伝えたかったのかは分からなかったけど、ただただ力強いその目に魅せられた。
それがあったから、わたしは取り乱さずにいられたのかもしれない。
そして今に至る。
現実逃避の走馬灯じみた回想は引っ込み、どうしようもない現実に追いつかれる。
曇り空と鬱屈とした森がもたらす薄暗さは、そのままわたしの心境を表しているみたいで、今さらになって不安と絶望が心を満たす。
心が暗く染まれば、自然と嫌な考えばかりが浮かんでくる。
ここから行きつく先は果たして拷問か、人体実験か、死か、あるいはそれ以上の地獄か。
いずれにせよ、ろくな結末にならないのは目に見えている。
――ぞわり。
不意に湧いた想像に寒気がする。
こんなことなら、もっと学園生活を心から楽しんでおけばよかった。
今のわたしなら、もう少し違う考え方ができる気がする。
――ぞわり、ぞわり。
息が荒い。
それも当然か、こんな何の整備もされていない山を、重いわたしを担いで走っているんだ。
いくら筋骨隆々の男の人でも息くらい上がるだろう。
――ぞわり、ぞわり、ぞわり。
なんだか違うと少し違和感。
違う、わたしだ。
息が上がっているのはわたし。
運動なんかしてないのに、肺が空気を欲している。
わたしを担いで走る男の人と、その人と一緒にわたしを攫いに来た人、それに加えていつの間にか合流した同じ格好の人たち。
その人たちが血相を変えて何事かを叫んでいる。
嫌な予感がするとか、追われてるとか、そんな感じ。
もしかすると、後ろを向いた状態で担がれているわたしには見えるんじゃないだろうか。
後ろから迫ってくる、恐怖の正体が。
――ぞわり、ぞわり、ぞわり――ぞわり。
そう、これは恐怖だ。
武術とかそういうのに疎いわたしも、精通した男の人たちも平等に恐怖させる。
そんなナニカが、後ろから――
――ドンッ!
そんな大きな音を立てて、それがわたしの視線の遥か先に着地する。
衝撃が地表から木の葉と土を巻き上げ、それの正体を遮る。
そういえば、ここはさっきまでと違って木々が密集してなくて、数十メートルは先だろう土煙がよく見えた。
音を聞いた彼らは、わたしを強く担ぎ直してさらに速く走り始めた。
だめ、待って欲しい、もうすぐ、もう少しで見える。
ほら、今土煙の間から銀色のなにかが見えて……あ。
見覚えのある髪が揺れる、見覚えのある顔が笑みを浮かべる、見覚えのある口が、言葉を紡ぐ。
――見つけた。
再び密度の高い森に入っていく直前、言葉は聞こえずとも、わたしの目は確かにそう言った彼の口の動きを捉えていた。
その頼りになりすぎる姿が、わたしの目に焼き付いていた。
――ヴィル・マクラーレンの青の瞳が、わたしを捉えた。
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