第70話 学外演習 二
初心者マーク付きの作者です。
暖かい目でご覧ください。
エルフロストについて話すその前に、霊峰を語る上で外せないのは、やはりエルフロストが霊峰と呼ばれるに至った経緯、ゼレス教の教える神話についてだろう。
――今は昔の大昔、三千年前のゼレス大陸、それが神話の舞台だ。
当時大陸に名は無く、山に名は無く、海に名は無く、村に名は無かった。
その暮らしは今の田舎村とそうは変わらず、野菜を育てて獣を狩り、村人同士で助け合う。
それが今のアルケミア王国の始まり、ヴィル達のみならず、今の世に住む人全ての祖先だ。
――ただ一つ、今と違う事があるとすれば、それは生活の中に神という存在が身近にあった事だろう。
それは目に見えぬ崇拝ではない、かといってありふれた単なる偶像崇拝でもない。
生活を共にする、実在する隣人への、確かな尊敬と感謝であった。
そう、三千年前の世界において、神とは衣食住の生活を共にし、時に笑い合い、泣き合い、時に叱咤激励し合う。
彼らは家族であり、友であり、師であり、そして同時に自らの造物者でもあった。
この世界において人間は他の動植物とは違い、進化の祖を持たない生物であり、進化の樹形図で言えばヒトという種の原点にあたる生命だ。
神が自分達を真似て創り出した命、それが当時の人間だった。
これが神話の序盤、『世界創造』の次に記されている神の偉業、『人類創造』である。
と、長々と記したが、それでも神話の中身のほんの一端でしかない。
それに触りの部分は誰しもが知る話である為、ヴィルはここで話す事はせず、割愛した。
それでエルフロストが霊峰と呼ばれる所以についてだが、ここでヴィルにも非常に深く関わりのある人物が登場する。
レギン・シルバー、シルベスターの家を一代で築いた神話の英雄、本物の人の英傑である。
曰く、神の手で生み出されたその時から誰よりも信心深く、人を敬い敬われる、信徒の鑑のような人物であったと。
そして主神ゼレスの加護を受けたその剣は地を砕き山を割き、海を割ったと言われている。
ヴィルは正直生まれながらの信徒という記述には懐疑的だが、そんな事を敬虔なゼレス教徒の前で言えば据わった目で烈火の如く怒り狂うので、胸の内に秘めておく。
それはさておき、その女神ゼレスの加護をレギンが受けたのが、かの霊峰エルフロストなのだ。
彼は世界一登頂が困難と言われるエルフロストを剣を片手に一人で登り切り、そこで女神の祝福を受けた。
かくして、神から祝福を賜ったレギンは魔王の封印を果たし、後の世に勇者と呼ばれるようになり、所縁の地であるエルフロストは霊峰となるに至ったと、そういう話だ。
「ま、今の世界で剣一本なんて狂気の装備で霊峰を登頂できる人なんていないんだけどね」
「夢がない!」
神話で語られる偉業をぶった切ったヴィルにリリアが叫ぶ。
「そんな事を言われてもね」
「確かに並大抵の人じゃできないかもしれないけどさ、もっとこう……何かあるじゃん!」
リリア的にはヴィルの何かが気に食わなかったらしい。
アンナも若干の苦笑い。
「ヴィルくんってそういう所ありますよね……。ちょっと現実的というか」
「ふむ。しかし我が盟友よ。汝であれば或いは適うのではないか?汝は確か冷気への耐性があったろう」
そう問うのは、変わらず右目を瞑るクロゥ。
神話などの話に目が無いクロゥは、先程まで子供のように目を輝かせていたが、流石に何度も聞いた話とあってか今は普通だ。
逆に、何度も聞いた話で興奮できるのが凄いと評するべきか。
とはいえ、
「流石に無理だよ。どんなに優れた剣士でも、どんなに優れた魔術師でも、クォント持ちだったとしてもね」
「ヴィルくんがそこまで言うだなんて……」
アンナが驚いた顔でヴィルを見る。
だが、ヴィルも何の考えも無しに言った訳ではない。
「理由はいくつかあるけどね……。まず一つはエルフロストの性質が昔とは大きく違う事。神話ではレギンが大勢の魔獣を倒しながら、魔力による単純な身体強化一つで山頂を目指したとされているけど、今の霊峰はその身体強化すら満足に出来ない環境になっているんだよ。如何なる堆積物の変化か魔力の影響か。詳しくは分かってないけど、エルフロストといえば王国有数の抗魔石の産地だ。ご存じ拘束具に用いられる抗魔石は山の至る所にあって、登山者の体内にある魔力を掻き乱して魔術を封じる。魔力溜まりが無くなって魔獣が発生しないのはいいけど、魔術が使えないんじゃあの寒さに人は耐えられない」
魔獣の発生源は魔力溜まりである、という説が一部で有力視され始めたのは今から約百八十年程前だが、現在は周知の事実として広まっている。
形と指向性の与えられていない魔力は時間を掛けて形を成し、やがて魔獣を生み出すのだ。
ちなみにエルフロストは世界有数の抗魔石の産地であると共に、世界トップクラスの魔力濃度を誇る場所として知られているのだが、その抗魔石がある影響で魔力が形を作れず、常に滞留し続ける。
そして溜まり渦巻く魔力は高高度で雪雲となり、エルフロスト周辺は常冬の地となったと、こういう訳だ。
外敵が居ないとはいえ身体強化が使えない、魔術で体を温める事も出来ない、食料となる動物も居なければ草木も無いとなれば、剣一本での山登りがどれだけ狂気的な行為かお分かり頂けるだろう。
それに、ヴィルが無理だと断じた理由はもう一つある。
「それからもう一つ、レギンが生きていた時代の人間と僕達今の人間はそもそも体の作りが違うんだ。片や神代に神の手で直接創り出された人間、片やそこから代を重ねて血が薄まった人間。肉体の質、保有する魔力の量、当時の世界の魔力の質、何もかも圧倒的に異なるというのは過去の文献からも良く分かる。事実僕達は以前の世代と比べると、本当に少しずつだけど平均魔力量が少なくなってきているんだ。だから一人で踏破したというのは昔の話で、今の世じゃどう頑張っても無理なんだよ」
更に付け加えるのであれば、ヴィルは話さなかったが魔法と魔術の差もある。
三千年前の当時は魔術というものは無く、代わりに魔法と呼ばれる技術が使われていた。
魔法は魔術で扱える殆ど全てを上位互換的に発動し、また現在の魔術では再現不可能な現象を引き起こす、失われた技術だ。
魔術師ではなく魔法使い、それもまた覆しようの無い差の一つだ。
そうして長く時間を掛けたヴィルの説明に、三人は揃って感心の声を上げる。
「なんだか先生の授業を聞いてるみたいでした」
とはアンナの言。
「フッ。やはり懐かしき世の語りは何度聞いても素晴らしい。汝もそう思うであろう」
とはクロゥの言。
「はー……。うちから言っといてなんだけど、ヴィルっちもよくそんなにスラスラ文章出てくるよね。普通に尊敬するよ」
とはリリアの言だ。
「僕は昔から本ばっかり読んでたんだけど、それこそ寝食を忘れて没頭する事も多かったから、いつの間にか知識だけは多くなってね。本を教えてくれた人には感謝しかないよ」
本を教えてくれた人、というのはイザベルの事だ。
彼女はヴィルが幼い頃から本の読み聞かせをしてくれ、ヴィル本人の素質もあったのだろうが、ヴィルを本の沼に引きずり込んだ張本人である。
……という表現をしたが、ヴィルは口にした通り、イザベルに対して尊敬の念しか抱いていない。
ヴィルにこれだけ多くをくれた彼女を、嫌えよう筈も無い。
「じゃあさっきのあれも本に書いてたの?ほら、世界の魔力の質とか、平均魔力が減ってるとかの話。うちはそんなの聞いたことないんだけど」
リリアがふと浮かんだ疑問を口に出す。
ヴィルもさらりと言った事なのに、リリアは人の話をよく聞いている。
「わたしも聞いたことないですね」
「同じく」
この場に誰一人として知る者は居なかったが、それはそうだろうとヴィルは苦笑する。
「まああれは通説じゃなくて自説、厳密に言うなら仮説でしかないからね。僕の……先生みたいな人の考えなんだ」
これは昔、イザベルが暇つぶしの形でヴィルに教えてくれた話であり、それが通説ではないと知ったのは少し後の事だった。
今でこそヴィルはイザベルの考えに共感する賛同者だが、思えば幼い日のヴィルには真の意味での理解は出来ていなかった。
無知だったあの頃とは違い、今の自分ならばイザベルの良き理解者になれるだろうと思うが……今は話す事さえ叶わない。
しかしいつか必ず、とは思う。
そうしてヴィル達が話に花を咲かせていると、先程馬車を出た教師が戻って来た。
どうやら所定の時間になったらしい。
「それじゃあ気を付けてね。何かあったら、魔術で知らせればわたし達先生が駆けつけるから」
「分かりました。――よーし!それじゃあみんな!頂上目指してがんばろー!おー!!」
「「「おー!!」」」
班長のリリアの音頭で、皆で拳を突き上げ、叫ぶ。
そして一行は目標であるイモリ―山の頂を目指して歩き出した。
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