第52話 役者と幕引き 二
初心者マーク付きの作者です。
暖かい目でご覧ください。
「――――――――――ッ!!」
名前は無い、ただ全力全開、至高の一撃。
視覚と聴覚を殺した一撃は強固な結界を完全に打ち破り、尚も余りある威力は壁に激突し、大地を揺るがす程だった。
感覚が死んでいたのは、恐らく数秒の間だったと思う。
微かに痛む目を開ければ、地面正面に走る巨大な傷跡と、それを目の当たりにして間抜け顔を晒す男――それから満身創痍ながらも両の足で隣に立つヴィル。
「ヴィ、ル?本物、なの……?」
「ああ勿論。今クラーラの目の前に立ってるのは本物のヴィルさんだよ」
道化めいた仕草で、冗談めかして答える彼が増々偽物に思えてくる。
普段の彼がそんな事を言うだろうかと、ならばこれは自分が作り出した都合の良い幻覚なのかと。
――触れてみれば、分かるだろうか。
「…………」
恐る恐る、手を伸ばす、息が震える。
触れたが最後、夢は醒め、真実が否応無しにその姿を覗かせる。
壊れ物に触れるように、そっと、そっと手を伸ばし――
「……よくも……よくも裏切ったなクラーラぁ……」
意識に横切り、幽鬼の如きおどろおどろしい声を上げるのは、砂埃で白衣を汚し、憤怒の表情でこちらを見る男だった。
そうだ、まだ何一つ終わってはいない。
そう決意を込めて男を見てふと、真っ先に何か致命的な違和感に襲われた。
何がと、具体的に言い表せるものではないのだが。
「お前はぁ!どうしようもない程にバカだったのかぁ!?この!魔法陣が!人質がぁ!!見えてないのかぁ!?」
あ。
それに気付くと同時、ヴィルが堪え切れないとばかりに笑いを零す。
「何がおかしいぃ!」
「いや何、そんな真っ新な手の甲を見せつけて、何がしたいのかなと思っただけだよ」
「あ?」
自らの手の甲を見た時に男を襲った衝撃は、結界を壊された時の驚きを上回った事だろう。
――なにせ切り札であった母の命を握る魔法陣が、跡形も無く手の甲から消え去っていたのだから。
「な、何故、何故、なぜぇ……」
「手品が得意でね。手土産代わりに――楽しんでもらえたかな?」
「ひ、ひぃあーー!」
身の竦む気迫に、茫然自失といった様子だった男が我に返り、脱兎の如く逃げ退る。
向かう先はこの地下にある二つの出入り口の一つ、丁度自分とヴィルが入ってきた反対側の方だ。
「逃がさな……」
逃がす訳にはいかないと追いかけようとして、膝から前のめりに体が崩れる。
咄嗟に手を突いたが、何が起こったのかと立ち上がろうとして、しかし立ち上がれない。
再度挑戦するも腕が震えて結果は同じ、どうやら聖剣を二回も全力行使したせいで、身体の方はとうに限界を迎えていたらしい。
追いかけろ、逃がすなと精神が命じるが、肝心の肉体は生まれたての小鹿のように無様に震えるばかり。
足を引きずり這いずってでも……そう思った矢先、肩に手が置かれた。
見上げればあとは任せろと、そう目で語るヴィルの微笑みがあって。
――その手の温もりに、ヴィルが死んではいなかったのだと、ようやっと理解する事が出来た。
ヴィルが駆ける、激闘後の疲労も重症も感じさせない健脚で、駆ける。
その速度は、逃げ果せようとする男と比べるべくも無いくらい。
疾風と化したヴィルは、男をあと一歩という所まで追い詰めるが――
「くるなぁ!」
大人しくやられるつもりも無いのだろう、振り返った男がヴィルに向かって手を向けると魔法陣が閃き、ヴィルの頭ががくりと落ち立ち止まる。
――男の顔に、おぞましい笑みが走る。
つつーと、鼻から血を流すヴィルを襲ったのは、物理的な手段以外の現象のように見えた。
そうだ、立ち尽くすヴィルを見て嫌な笑みを浮かべるあの男の魔術は――
「っ!ヴィル!」
「ああ、毒か」
鼻に当てた手に付いた血を見て、ヴィルがしれっと呟く。
その何でも無いかのような態度とは裏腹に、わたしは背中が冷たくなるような感覚を味わっていた。
あの男が毒魔術を得意としている事は、これまで何度も聞かされていた。
それが致死性のものであるという事も、この場に解毒できる人がいないという事も。
なのにどうして、どうしてヴィルはあんなにも平然としているのだ。
真っ先にその異常に気が付いたのは、やはり魔術を使った本人だった。
「何故だ……何故死なない……。それは予め構築しておいた渾身の――」
「――生憎と、魔術毒じゃ僕は殺せないよ」
驚愕の表情で口走る男の言葉の先を奪うように、ヴィルが言葉を続ける。
そしてそのまま一歩を踏み込み、男の頭を片手で鷲掴んだ。
「このっ、離さあガガガガガガガ」
必死に抵抗する男だったが、唐突に白目を剥いて痙攣をし始めた。
これもヴィルの魔術だろうとは思うのだが、常軌を逸した様子で震える男を見ていると、背筋に冷たいものが伝う。
やがて力なくぐったりした男を床に放すと、白衣の襟を掴んでこちらに引き摺り、放り投げる。
ぐしゃりと打ち捨てられた男に呆気に取られていると、座り込むわたしを見かねたのか、ヴィルが手を差し出してきた。
――それは一枚の絵画のような、あるいは御伽噺の一幕の騎士様のようで。
ならば自分が救い出されるお姫様か、などと考えてしまって、なんだか気恥ずかしい。
そんな思考を気取られるなと思いつつ、差し出された手を取る。
初めて触れた手は大きくて力強くて、自分が同年代と比べても小柄な自信はあったが、軽々と引き上げられてしまった。
そうしてヴィルの正面に立って、改めて彼の全身を眺め見る。
相変わらず酷い有様だ。
自分が付けたものではあるが、制服の左腕部分と腹は真っ赤に染まり、服の破れた箇所からは凄惨な負傷が顔を覗かせている。
どういう訳か血は止まっているようだが、そう簡単に凝血する傷ではなかった筈なのだ。
訊きたい事は山程あるが、その前にまず一言言わねばなるまい。
「ヴィル……無事で、よかった、本当に。……それと……」
例え彼に許されなかったとしてもだ。
「ごめんなさい。わたしは自分のためにヴィルを殺そうとした。人質は言い訳にならないし、謝って許される事じゃないけど、それでも、ごめんなさい。どんな罰だって、受ける覚悟はある」
たどたどしい言葉と共に深く頭を下げ、自分の気持ちを素直に伝える。
頭を下げたのは決して許しを請うためではない、そう簡単に許されて良い事では無い。
それでも謝罪を口にしたのは、今の自分がそれしか持ち合わせていないからに他ならない。
どんな言葉も受け止める覚悟を決め、ぎゅっと目を瞑ってヴィルの反応を待つ。
しかし視界に映らないヴィルは、どこか困ったような雰囲気を醸し出していて。
「あーうん。それに関しては僕もクラーラを利用したようなものだからね、全然気にしなくて良いよ」
「え?」
彼は何を言っているのだろうか。
利用?意味が分からない。
いや、何であれ罰を受けずに終わるなど到底許容出来るものではない。
「でも、わたしはヴィルを殺そうとした。罰は受けないと」
「そう言われるとね……」
わたしの強固な意志に屈したのか、うんうんと唸るヴィルはやがてあっと声を上げ、
「それじゃあ剣を買ってもらおうかな。今回の戦いで壊れちゃったし、『罪には相応しい罰を』、状況を加味しても適正な罰だと思うんだけど、どうかな」
そう首を傾げて問うヴィルの表情が、本気で言っているのだと物語っている。
正直自分的にはそれでは足りないと言いたいのだが、これ以上譲歩してくれた彼を困らせてはいけない。
「うん……分かった」
その言葉には多少不満が滲んでしまったかもしれないが、満足そうに微笑むヴィルはそれで納得したらしい。
それなら次はこちらの順番だ、まず訊くべき事は――
「ヴィル、さっきはどうやって生き返って……いや、死んでいられたの?確かに心臓は止まってたはずで、それと傷も」
「傷は治ってないけど、止血は魔術でなんとかね。刺される時に急所は避けたし。それと、実は心臓も魔術で止めてたんだ。詳細は伏せるけど、僕は人体に干渉する魔術が使えてね、自分の身体は特に弄りやすいんだ」
「……本当に死んだのかって、心配、したのに」
「そこまで騙せたのなら、僕には役者の才能があるのかもしれないね。ああいや、心配を掛けたのは悪かったと思ってるよ」
ヴィルは申し訳なさそうに苦笑するが、そこに一抹の本気さが表れていて、逆にわたしの方が申し訳無くなる。
ならばと傍に転がる男を指さし、
「じゃあ、さっきこれにしたのも魔術?」
「うん。脳の方に電撃と振動波をちょいちょいっとね」
たったそれだけの事であれだけ惨い事になるのかと思うと寒気がするが、それも自業自得だ。
「じゃあ毒は?鼻から血が出てたけどそれも……」
「魔術だね。体内に干渉してくる魔術の殆どは分解出来るから、魔術による毒は効かないんだ。流石にあのレベルの毒ともなると瞬間分解は出来なかったから、無様な事になっちゃったけどね」
ときた。
それにしても、どんな魔術が使えれば心臓を止めたり、体内の魔術を分解したり、あの男にしたように昏倒させる事が出来るのか。
本音を言えば訊きたくてしょうがないが、そんな事を訊けた立場ではないし、そもそも他人の魔術について詮索するのはあまり良い行動とは言えない。
ヴィルの魔術についての好奇心を抑えつつ、そういえばもう一つ質問があったのだと思い至った。
「――母さんの毒の呪いは、どうやって解除したの?あれは簡単な方法で解除できるものじゃないはず」
そう、わたしが今一番聞きたかった答えがこれだ。
あの男が母に掛けた魔術は、素人が解除できるような生半可なものでは無かった。
詳しい技術については聞き及んでいないが、あの魔術は両者の体のどこかに仕掛けられた魔法陣がリンクした毒魔術であり、今回であれば男の側の魔法陣が崩れれば即座に母は死に、また逆に母の魔法陣を解除しようと試みれば男の側にそれが伝わり魔術が発動されてしまう、極めて厄介な呪いであった筈なのだ。
そのことを男に聞かされてからは解除を諦めていたのだが、ヴィルはそれをやってのけたと言う。
その手段だけは、何が何でも知らなければならない。
「お願い、教えて」
「――それは簡単、騎士団に通報しておいたんだ」
「え?」
この短時間で、わたしは一体何度驚かされたのだろうか。
通報?騎士団とは……
「あー、騎士団って銀翼騎士団の事だね。あそこの医療班には王国一の医者が居るって聞いたから、毒についても詳しいかなと思ったんだ。正直ちゃんと間に合うか不安はあったけど、結果は推して知るべし、ってね」
こんな状況だからだろう、普段に増して明るく振舞うヴィルがぱちりと片目を閉じる。
聞いた事がある、銀翼騎士団には王族の治療にも対応出来る、極めて優秀な治癒術師がいるのだと。
正騎士団団長の娘として、銀翼騎士団に救われた事に思う事が無いでは無いが、今は純粋に感謝の念しか無い。
まさか母の為に、そんな人物が動いてくれるとは。
……いや、おかしい。
「ヴィルは……なんで毒だって分かって……そもそも、いつからわたしに気付いてたの?」
監視中のヴィルのあまりに不審な行動から、既に感付かれているものとは思っていたが、そこまで事前に調べる時間があったというのか。
だとすれば、いつから。
「確信したのは能力測定の頃だったかな」
「ほとんど最初……」
「狙われてるのは分かってたから尾行したんだ。『レストランボティニア』、良い店だったね。また今度行きたいな」
「あ」
そういえばそうだった。
今考えれば、王国にごまんとある飲食店の中で、朝食の店が被るなどそうそうある事では無いではないか。
あそこから尾行されていたのだとすると、路地で男と会っていた場面を見られていても不思議では無い。
それにしても自分の監視能力と察知能力に自信があった訳では無いが、こうも簡単に監視を見破られ尾行されては少し落ち込んでしまう。
だがまあ、その素人さがヴィルに事前対策の猶予を与えたのだと考えれば、それも悪くない。
そう気持ちに折り合いを付けていると、ヴィルが笑みつつもやや真剣な顔を作った。
「急いで話すべき事はこれくらいかな。――それじゃあクラーラ、この男はどうする?」
そういって彼が指差したのは、未だ地面に転がったままの男だった。
どうするも何も、
「……?騎士団に差し出す?」
ヴィルが生きているという事を知って、先程までわたしの中にあった憎悪とか復讐心とかいうものは、嘘のように綺麗さっぱり消えてしまっていた。
母を危険に晒され、死ねば良いのにという思いは確かにあるが、復讐の意味も無くなった今、男に対する関心は半分薄れつつあったからだ。
我ながら単純だとも思うが、今は何よりヴィルと母が生きていてくれて良かったという思いが強い。
故に、法に照らして裁くのが適切だと考えたのだが――
「うん、そうだね。きっとそれが一番正しい選択で、正解だと思う。間違い無くね。けど――ここで殺してしまう選択肢も、クラーラは持っているんだよ」
「え?」
その一言は、ヴィルの口から発せられたのだと理解するまでに、幾許かの時間を要した。
別に悪い意味ではなないが、それ程に意外な一言だったのだ。
「一定以上の階級の貴族は私刑権を有する。そしてクラーラの母親を人質に君を脅したこの男は、その対象だ」
わたしの目を見たまま、真剣かつ険呑な光を宿してヴィルは続ける。
「僕が言いたいのは復讐だよ、クラーラ。クラーラがこの男を騎士団に渡すだけで満足するのかって事。別に君がそれで良いなら良いんだ。無理にする事じゃないし、この場で殺さなくても貴族に手を出した時点でどの道死刑は確定。わざわざ手を汚してまでする価値はこの男には無い。……でも、これが最後のチャンスなのもまた事実だ。後悔の無いように、よく考えて選んで欲しい。どうする?」
ヴィルの目は変わらない、一点の曇りもない、明るい瞳。
わたしの気持ちを純粋に案じてくれているのだ、それが伝わってくる。
――告白してしまえば、復讐とヴィルにそう言われた時、彼が少し怖く見えた。
彼はどちらかと言えば復讐を止める側のイメージがあったし、演技だと笑った殺意を纏うさっきの彼と、少し重なって見えたからだ。
けれど目が、決定的に違う。
考えた時間は、二十秒かそこらだったと思う。
短いかもしれないが、それでも自分なりに真剣に考えて答えを出した。
「……うん、やっぱり騎士団に引き渡す」
選択の理由も、きちんと話さなければならない。
「わたしが人を殺したのは今日が初めてで、友達で、理由も自分のため。忘れられない最初になった。――だから、次は人のためにしたい。復讐じゃなく、誰かのために剣を振りたい。自分のためじゃなく、誰かを守って剣を振るの。それが答え」
わたしを見ていたヴィルの目を見て、答える。
意志を、気持ちを込めて、心から答える。
その私の答えを受けて、ヴィルは――
「――分かった。クラーラ、君の答えを尊重しよう」
そう言って、きっとわたしと同じように、微笑んだ。
とここで一区切り、一応ここまでが二章の内容となります。
時々言葉が浮かばず過去の部分を訂正しに出張したりと逃げていましたが、ようやく漕ぎ着けられました。
この先もまだまだ続きますので、続きが気になるという方は是非感想等。投稿ペースが上がるかもしれません。(なおペースが上がるとは言っていない)
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