第51話 役者と幕引き 一
初心者マーク付きの作者です。
暖かい目でご覧ください。
――肉を裂き、命を削る不快な感触が、汗ばんだ手に握る剣の柄越しに伝わってくる。
『御天に誓う』は現実に近しい感覚が売りの魔術である筈なのに、それを用いた模擬戦で何度も味わった感覚の筈なのに、命の掛かった現実ではこうも違うものなのか。
勢いのままに放った刺突は、制服と日頃から鍛えられているであろう腹筋をあっさりと貫通し、冗談のようにヴィルの背中から飛び出していた。
指に掛かるこの生暖かい感覚は血だろうか、刺さった剣を伝って流れ続けて、止まる気配が無い――致命傷だ。
今思えば、自分が行けると思った隙は、彼が意図的に作り出したものだったのだと分かる。
それに気付いた両の手に確かにある剣は、もう握っているとも言えなくて、震える手が時折思い出したかのように、軽く柄に触れるだけ。
声一つ上げず痛くないのだろうか、なんて逃避じみた思考が浮かぶ自分に愕然とする――だって自分が刺したのに、そんなのはおかしいではないか。
「あ、ああ…………」
――後悔先に立たず、実にいい言葉だ。
後悔は『後』から『悔』やむから『後悔』なのであって、もう取り返しがつかない。
起こる物事より先に後悔する事など、出来る筈も無いのだ。
当たり前の事ではあるけれど、こういう時には本当に身に染みる。
顔を上げて見たヴィルの顔は安堵で、剣が突き刺さる直前にも同じ顔をしていた。
その顔は学園で目にしていたものと変わらないヴィルで、目に映る感情だけは相変わらず読み取れなかったけれど。
――彼の目に映った自分は信じられないものを見るような、今にも泣きそうな表情をしていた。
「どうして……?」
この一言以上に、今の自分の心情を表す言葉があるだろうか。
疑念――いや、もう疑問という言葉の方がよりしっくりとくる。
結局自分が見つけたと思っていた全ての隙は、ヴィルが故意に作り出した誘いでしかなかったのだから。
だがそうと知れても、何故そんな事をしてまで自分から刺されたのかが理解できないのだ。
刺されても微動だにしないその瞳の奥で、彼は何を思っているのか。
「どうして…………」
「無事で、良かった」
「え?」
彼は、何を言ったのだろうか。
聞き間違えているとは思っていないが、それでももう一度問うのは、半ば思考の停止した反射的な行動だった。
「最初から、こうする事は決めてたんだ。僕が刺されて、クラーラに殺される所までね。……僕のさっきまでの言葉、あれは殆ど嘘だよ。君のやる気を引き出す為の、ね。全部が嘘だったなんて、言わないけど、僕は僕以外の人の、犠牲の上に成り立つ未来を許容、しない。だから、クラーラと、君の母親が助かって、本当に良かった……」
まるでやりきったという風に、重苦しい息を吐く。
ヴィルの声は弱々しくなっていくものの、しっかりとこちらを見据えながら、言い切った。
彼の言う事が本当なら、全ては自分の為の行動だったという事になる。
これまでの自分がそれ程の恩恵を与えられる何かを、ヴィルにしてあげられた訳も無く。
ならばその行動の源は、原動力は一体何処に――
「なん、で……どうしてそこまでできるの?わたしは貴族で、ヴィルは平民で、まだ同じクラスになって一か月も経ってないのに。そんな、他人のために」
「他人、か。おかしいな」
ふっと力の抜けるような息遣いの笑いに戸惑い、剣から完全に手が離れてしまう。
それを見かねたヴィルは己の腹に刺さった剣の柄を握り、ゆっくりと引き抜いていく。
眉一つ動かさず血を流すその姿に、痛くないのか、抜かない方が止血になるのではないかと言おうとして、その資格がない事に思い当たり口を噤む。
やがて完全に抜き終わったヴィルは壁にもたれかかり、滑るようにして床に座り込んでしまう。
自らを刺した剣を労わるように壁に立て掛け、それからこちらを見上げたヴィルの瞳は――
「――僕の事を友達だって、そう、言ってくれたじゃないか」
学園で見たよりもずっと、ずっと感情が籠っているような気がして。
――涙が零れ、膝から崩れ落ちる。
「クラーラは、きっとこれから、選択を迫られる」
涙でぼやけて、ヴィルの顔を直視している筈なのに、よく見えない。
「それは、簡単なんかじゃなくて、きっと、難しい、選択になる」
ヴィルの声はもう弱々しく消えそうで、もう長くない事が嫌でも分かる。
「どれだけ迷ったって、良い。けど、逃げちゃ、駄目だ」
だって治癒魔術を使える人が居なくて、致命傷で、当然だ。
「クラーラの、気持ちに、心に沿った、答えを……」
喋る度に血が口から溢れて、もうどうしようも無い筈なのに。
「――クラーラ。君を、信じてる」
ヴィルは最後だけははっきりと声に意思を乗せた、そんな一言を残して――死んだ。
首の力が抜けて、右肩に頭を乗せるような形で、微動だにしない。
誰かの死を見たのは、これが初めてだった。
母は、自分が幼い頃に祖父を看取った事があると言っていたが、自分はそれを覚えていない。
だから人の死を見ただけで判る筈など無かったが、それでも、今のヴィルは確かに死んでいた。
「ちが、違う!違う!!」
力の入らない足を気力で動かし、それでも立てず手も使ってヴィルの元に駆け寄る。
部屋の壁際は絶妙に暗く、ここまでの戦闘で目が慣れていなければ、視認もままならなかった筈だ。
自分が付けた腹の傷――そこからはもう血も流れておらず、ヴィルの死がより確定された気がして、口が否定の言葉を叫ぶ。
違う、違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。
触れた身体はまだ温かい――それもそうか、だって息絶えたのはついさっきの事だ。
人が生きている証、ヴィルの心臓の上に自分の両手を置く。
わたしは頭があまり良く無い、貴族の子女として最低限の教育は受けてきたが、それとは別に頭の回転という面でだ。
医療に関する知識なんて持ち合わせていないし、こういう場合の生死確認だって、他にもっと良い方法があるのかもしれない。
それでも、今の自分に出来る事をやらなければならない。
両手を必死に胸に押し当てる――けれど自分の両腕は震えて使い物にならず、肝心の振動が伝わってこない。
それがもどかしく、ならばとヴィルの胸に頭をもっていき、耳を当てる。
これならば、これならば判るだろうと、そう。
息が荒い、耳鳴りが、自分の心音が煩い、喧しい。
それでも自分を押さえつけ、ヴィルの生を拾おうと、耳に意識を集中させる。
生きていてくれと、生きていてくれと願い、そしてその願いは――叶わない。
聞こえてくるのは死の幻聴、即ち無音、だった。
「あ、あ、あ……」
その瞬間に、ヴィルの死が確定する。
認めたくない事実を自分から認識して、なのに不思議と涙は流れない。
友達だと、そうヴィルの口から聞いた時にはあれだけ心が痛んだのに。
嬉しくて悲しくて、涙が流れたのに。
分からない、もう何も分からないけれど、何かがすとんと落ちたのだ。
今は諦観というか観念というか、達成感というと聞こえは悪いけれど、とにかくそういうものに近い。
友達を殺してしまったのに悲しみが薄いのは、ヴィルが本気で抵抗したからだろうと思う。
肌は傷つき髪は乱れ、聖剣の全力行使で軽い魔力欠乏を引き起こしている。
死闘だった。
これまで戦った中で強者と呼べる人物は何人もいたが、勝てないと思わされたのは父とヴィルだけだ。
今回勝てたのは偶然に近しい、あと九回戦ったとして一度でも勝てるかどうかという相手だったと、感覚で分かっていた。
だからこそ、難敵を打ち破った後特有の無気力状態が、自分の感情を鈍らせていたのだろう。
それから……絶望だ。
これは言い訳のしようも無く、誤魔化しのしようも無く、人の命を奪ってしまった事への後悔。
人を殺めるという事は、これほどまでに人の心に闇をもたらすのか。
胸の奥に穴が開いて、そこから体の熱が根こそぎ逃げていく感覚。
心が冷えて、感情が凍てついていくのが分かる。
何かを考える事すら億劫になる程に、何もかもがどうでもよくなりかけて――
「し、死んだ……?はは、ハハハハハ!死んだ!死んだ死んだ死んだぁー!!」
何かひどく耳障りな声が聞こえて、虚ろな目を向ける。
今、ヴィルの死を、嗤ったのか。
「このワタシをビビらせた割にはあっけない最後だったじゃないかぁ。なーにが殺すだなーにが選択を迫られるだ!結局なぁんにも出来ずに実験体の仲間入りだざまあない!ひぃははは!」
不快、ただひたすらに不快だ。
男が何事か、どうせ何の為にもならないような戯言を吐いている。
けれど頭が意味を理解する事を放棄して、言葉の意味を理解出来ない。
そんな事はどうでもいい、思い起こされるのは、最期にヴィルの残した言葉だった。
選ぶ事、逃げない事、自分の気持ちに素直になる事――ヴィルがわたしを信じているという事。
自分のやりたい事はもう分かっている――復讐だ。
自分でヴィルを殺したくせにどの口が言っているのか、おかしいのは分かっている。
それでも、感情が納得しない。
ヴィルの死のきっかけを作り、その死を嗤ったあの男を許せない――自然、拾った剣の柄を握る手に力がこもる。
「はぁ、笑った笑ったぁ。さて、それじゃあクラーラ、その死体を運び出せ。お前の数少ないご友人だ、丁重に扱って……」
――その瞬間、自分の疲労も人質の事も、全てが頭から蒸発した。
「うああぁあああああああああああぁ!」
「ひぃ!?」
残された力全てを使い、力任せの剣撃を結界に叩き付ける。
耳障りな音が鳴り響き、しかし無傷――構わずがむしゃらに剣を振り続けた。
斬って斬って斬って斬って、ぎゃりぎゃりぎゃりぎゃりと耳障りな音が閉鎖空間に響き続ける。
怯える男が、結界を削る音よりもなお耳障りに喚く。
「お、お前ぇ!あ、頭がおかしくなったのか!ワタシは死体を運べと言ったんだぁ!」
息が荒い、眩暈がする。
魔力欠乏症状が出ているにも関わらず、常時聖剣を魔力で強化している時点でとうに限界なのだ。
その上ヴィルとの激戦の後で体力まで無いとくれば、こうして動けているだけで驚きの目で見られるだろう。
自分だって驚いている、けれど不思議と気力だけは絶えず湧いてくる、これが復讐心という奴なのか。
ヴィルを憎もうと思うとあれほど難しく辛かったのに、目の前の男を憎む事に何の抵抗も覚えない。
これなら最初からヴィルと一緒に協力すればよかったのだ。
そうすればきっと母だって簡単に助けられた――もう意味の無い仮定になってしまうけれど。
男の罵声を自らの叫びで掻き消し、渾身と呼ぶには程遠い一撃を叩き込む。
だが足りない、ヴィルとの戦いの最中に聖剣全力の一振りが直撃していた事もあり、多少削れてはいるだろうが、それでも足りない。
ならばと、残された魔力を体中から絞り出し、足りない分は命で補って、全力で聖剣を行使する。
震える足を。軋む身体を酷使し、振り上げる。
それでもヴィルの死を、彼の言葉を――――
「お前の母親がどうなってもいいのかぁ!」
――その言葉だけは、どうしても掻き消し切れなかった。
意識してしまえば、もう駄目だった。
剣を握っていた両の手から力が抜け、身体に満ちていた気力が萎えていく。
どうしてここで踏ん張れない?どうして非情になり切れない?
ヴィルに命を貰って、言葉を貰って、尚もまだ足りないのか。
何かあと一つ、あと一つあれば……
――不意に視界の端、人の影が映った。
銀色の髪、目を疑うような美貌、力強い意志の籠った瞳。
現実?否、幻覚だ、自分の隣に彼が立っている筈が無い。
だが、幻覚だろうと構わない、今ここに立つ覚悟を奮い立たせてくれる、この手の温もりだけが現実だ。
魔力が爆発する、使い果たした筈の魔力が広がり、聖剣へと収束していく。
曲がり、うねり、捻じれ、歪曲し、集い、廻り、そして、
「――――――――――ッ!!」
世界に聖剣が振るわれた。
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