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第50話 聖青絶霞 二

初心者マーク付きの作者です。

暖かい目でご覧ください。


 目の前、諦めたかのような表情で呟いた青年の一言に、クラーラは確かに僅かな希望を抱いていた。

 覚悟を決めたとはいえ、自分に良くしてくれた友人を過度に傷付けるつもりは、とてもでは無いがクラーラには無かった。

 だからヴィルの言葉は、クラーラに僅かばかりの安堵をもたらすのに、十分な筈だったのだ。

 なのに。


「――――ッ!!」


 まず何を思うより先に、クラーラが剣を構え臨戦態勢を取った。

 それは無意識によるもので、こんな状況でなければ、脊髄反射で反応できるまでに鍛えてくれた父に、感謝の一つでもしていたかもしれない。

 だが、この時のクラーラを支配していたのは、他の何も介在する余地の無い、純粋な恐怖だった。

 体が震え、心が震える程の恐怖を感じさせる殺気を、クラーラは未だかつて体験した事が無い。

 剣聖である父も鍛錬の際にはクラーラに殺気、剣気を中ててきていたが、それとは次元が違う。

 次にクラーラが感じたのは、それ程の強烈な殺意をヴィルが放つ事が出来た驚きだった。

 剣気は、まだ分かる。

 厳しい鍛錬の果てに体得する事の出来る剣気は、れっきとした剣の技術であり、人を殺めた事の無いクラーラにも扱う事が出来る。

 しかしこの殺気は、この殺意は、違う。

 これは実際に人を憎み、殺したいと願い、望みが叶って初めて知る概念だ。

 しかも、それだけで自由に扱えるようになる訳でも無い。

 恐らくは、日常の中で身近に触れ、何度も何度も数えきれない程の()()を経て至る領域。

 ――ヴィルは、それを経験してしまっているのだろうか。


「――クラーラ、君の気持ちは分かるよ。僕がクラーラでも、きっと同じ行動を取っただろうと思う」


 自分から裏切ったくせに今更な感傷を抱いていたクラーラは、ヴィルが話し出した事で我に返る。

 ぽつぽつと話し始めるヴィルは、その穏やかな言葉とは裏腹に今も殺気を放ち続けていた。

 クラーラの視界の端には顔を引きつらせてへたり込む男の姿があったが、そのような些末事は意識に映らない。


「でも、ごめん。僕はクラーラに殺されてあげられない。僕は……僕の命が惜しい。今死ぬ訳にはいかないんだ。それでも、君が僕を殺すというのなら――僕は君を殺さなくちゃいけない」


「!」


「命を狩る側の人間が、まさか狩られる覚悟もしていないなんて、そんな事は無いだろうね。クラーラ」


 ここに来て初めて、クラーラとヴィルの目が合う。

 表情は変わらず無表情、そしてその目の感情も読み取る事は叶わず、ただ本気で言っているのだろうという事は察せられる。

 クラスメイトが初めて見せた本性の一端を見て、クラーラの心と足が震えた。

 ヴィルの普段とはかけ離れた姿に、クラーラの瞳は怯懦に濡れてしまっていた。


「言ってしまえば、僕は君の母親の命にも興味はないからね。クラーラとは仲良くなれそうだったけど、それは躊躇する理由にはならない」


 ヴィルのその一言に、クラーラの足の震えがぴたと止まる。

 恨まれるのは、分かっていた事だ、嫌われるのは、分かっていた事だ。

 けれどそれを承知で、それでもなおヴィルを、友人を裏切ったのは何故だ。

 それは自分の母親を救う為、その初心は今もこの胸の中に確かに在る。

 聖剣の柄を、『クリフィーラ』の柄を再度握り締める。

 正直、ヴィルがここまで強い意志の持ち主だとは考えていなかった――だがそれが生を欲する人間の普通なのだ。

 ヴィルがここまでクラーラと拮抗する腕の持ち主だとは思っていなかった――ならばそれを上回る剣技でもって斬り伏せればいい。

 だってクラーラは――自分は剣聖の娘なのだから。

 ――胸に走った疼痛は、覚悟の前にねじ伏せられた。


「母さんは、わたしが救うの。そのために、ヴィルは死んで」


 舞台の幕引きとなる、最後の決別のセリフを吐いた。

 ――その言葉と殺意に、ヴィルがほくそ笑んだ事は終ぞ知らないままに。


「はぁああああ!」


 らしくもなく己を鼓舞する叫び声を上げ、クラーラがヴィルに迫る。

 その速度はヴィルも目を見張るもので、ヴィルは咄嗟に雷魔術を発動、適性の低さから極めて貧弱なそれを、エネルギー操作で補強しつつ放つ。

 一瞬の判断かあるいは山勘か、クラーラは魔力を流した剣を体の前に立てるようにして、奔る電撃を流し切る。

 魔術に堪能でないクラーラにとって、対魔術の剣技は必須の技能だ。

 この歳で覚えている技としては稀な『魔斬(まきり)』という一流派の奥義だが、ヴィルは驚いた様子もなく電撃対処の隙に剣をねじ込んでくる。

 だが、クラーラはそれを予期していた。

 魔術が満足に使えないのはヴィルも同じ、そんなヴィルが遠距離から魔術を放って終わりな訳がない。

 魔術で隙を作れば、当然剣での一撃を用意してくる。

 だからこそ敢えてクラーラは隙を作り、ヴィルの剣撃を誘ったのだ。

 迫る剣は斜め下からの突きの姿勢、クラーラは合わせて剣を下から跳ね上げ、両者の腕が天井を向く――流れを組み立てたクラーラのつま先が、ヴィルの脇腹に突き刺さった。


「ぐ――」


 骨の軋む感触を確かめるが、違和感、更に力を込めてそのまま豪快に蹴り飛ばす。

 魔力の強化を受けた脚に肺を潰され、押し出された苦鳴を隠し切れないヴィルが地面を跳ね転がっていく。

 確かな命中の確信にクラーラが追撃を仕掛けようとして、淡い照明がクラーラとヴィルの間の()()を照らしたのが薄っすらと見えた。

 瞬間、本能が警鐘を鳴らして追撃を諦め、剣を二度振り飛来する何かを打ち落とす。

 鳴った音は硬質、部屋の端に落ちた物体の正体は、暗さで全体像は見えなかったが、投げナイフである事は確かめられた。

 つまり驚くべき事に、ヴィルは蹴りを受けて転がる最中に、どこからか二本のナイフを取り出し、正確にクラーラに向けて投げたという事らしい。

 一体何をどうすればそんな芸当が可能なのか、その事実に戦慄しつつヴィルを見れば、既に体勢を立て直したヴィルが、クラーラに肉薄している所だった。

 先程までの守りの剣とは違う、明らかな全力の一閃。

 焦りを抑え、剣を軌道を見切り、合わせるように――放つ。

 快音――――。

 腰の左に構え、腕の力と腰の捻りを生かした急拵(きゅうごしらえ)の一撃でなんとか相殺したが、無論それだけでは終わらない。

 即座に次、次、次が来る。

 甲高い金属音の絶えない、激しい攻防が二人の間で繰り広げられる。

 ヴィルの放つ剣撃は多種多様で変幻自在、それでいて素早く的確に急所を突く、最適化された剣技だ。

 対するクラーラの剣技は流麗な王国の剣で、殺し合いの最中でさえ見惚れてしまいそうになる程。

 しかしそんな剣撃は想像を絶する威力を秘めており、受け損なえば絶命は必至だ。


「はあ……はあ……」


(剣が、重い……!)


 クラーラの息は荒い。

 既に数えきれない程斬り結んだヴィルの剣は、印象よりも頑丈で一撃が重く、かつ地上空中と技が多彩で、受ける度に体力と精神を削られていく。

 対してクラーラの剣は、恐らくヴィルに大したダメージを与えられていないだろう。

 説明のしづらい妙な感覚なのだが、クラーラの剣がヴィルの剣に触れる直前のほんの一瞬、自分の剣が鈍るような感覚があるのだ。

 それに加え鍔迫り合いも押し切られる事が多く、まるで自分の剣から力が抜けていくかのようで。

 初手の蹴りも、見た目程はダメージが通っていない。

 ――威力を、殺されている。

 それが体術によるものなのか魔術によるものなのかは分からないが、攻撃手段が剣だけのクラーラにとっては致命的なまでに相性が悪い。

 男に命令されてヴィルを調べていた時から敵にしたくないとは思っていたが、実際敵に回すとこれ程厄介だったとは。

 距離の開いた隙に息を整えるが、思考が回らない。

 あまりの極限状態に、身体と脳が悲鳴を上げているのが分かる。

 それでも――負けられない。

 母を救う為、こんな所で止まっている訳にはいかないのだ。

 頭を振ってぼやける思考を縫い留め、今も平然と立ち剣を構えるヴィルの隙を探ろうとする。

 ――実を言えば、先程から隙はあるのだ。

 正眼に構え、満遍なく敷かれた警戒網の中の極小の穴。

 丁度脇腹辺りの同じ位置に、もう何度も行けると思う隙が発生しているのだ。

 しかし、そう簡単に仕掛けていいものかと直前で迷い、結局攻撃が出来ていない。

 ヴィル程の実力者が、そう簡単に分かりやすい隙を晒すものなのだろうか。

 これが本当か、誘いなのかが分からない、仕掛けて、返り討ちに遭いやしないだろうか。

 それとも、こう迷わされている時点で彼の術中に嵌ってしまっているのか。


「――考え事かな?」


「!?」


 油断をしているつもりは毛頭無かった。

 だが警戒と警戒のほんの隙間、ヴィルが文字通りの一瞬で、クラーラの視界から消え失せる。

 後から考えれば或いは、それがクラーラの瞬きの合間を狙った超絶技巧だったのだという事が分かったかもしれない。

 だが突然にそんな事をされて、分かれと言われる方が無理のある話だ。

 突如後方から湧いた声に、クラーラは咄嗟の判断で上半身を下げ、前方に転がり飛ぶ。

 姿勢を崩しながらも残心を取れば、ヴィルが先程の位置にて剣を横に振り抜いた体勢を取っている所だった。

 クラーラの額を冷たい汗が伝う。

 もしもヴィルが攻撃の直前に一言発していなければ、反応の遅れたクラーラは確実に胴を両断され腸をぶちまけていた。

 このままでは埒が明かない。

 ちらと男の方を見れば、ヴィルの殺気に気圧された事もあって顔は怒りに染まり、かなり焦れてきてしまっている。

 例え罠だったとしても、もうなりふり構ってはいられない。

 覚悟を決め、呼吸を整える。

 集中して、集中して――往く。


「ヴィル――――!」


 先ずはヴィルの隙を作る事から。

 隙があるとは言っても、常から露出している訳では無いのだから当然だ。

 叫び自らを鼓舞しつつ、もう何度目かの突撃を敢行する。

 小細工無し、真正面からの一撃は、肩口から振り下ろす事で見た目以上の威力を発揮する剛の剣技。

 だがそれを平然と受けてくるのがヴィルだ、今も頭上に掲げた剣で受け止められている。

 鍔迫り合い、この展開が自分にとって不利な事はクラーラにも分かっていた事だ。

 故に――


「ふっ」


 結界を背負うヴィルの目が、予想だにしなかった驚愕に見開かれる。

 それもそうか、()()()()()()クラーラの右拳が、鳩尾の辺りに突き刺さっていたのだから。

 だが、虚を突いた筈のクラーラの表情は芳しく無い。

 剣士が剣を捨てるという奇策の拳撃も、ヴィルの左手一つで受け止められてしまっていたのだから。

 クラーラに拳術の素養は無い。

 最低限の鍛錬は受けたが、これ以上続けてもヴィルには通じないだろう。

 しかしそれも当然、これはあくまで布石に過ぎない。

 ヴィルの表情が、驚愕を通り越した歓喜に染まった。

 ――小柄な体の背に隠し()()()()()()()()()()左腕が、クラーラの頭上に掲げられる。

 捕まれたままだった右手を軽く捻り、ヴィルの拘束を逃れる。

 ――右手で剣を握り締め、左手は軽く添えるだけ。

 経験と本能が発する危機感に、ヴィルが今行える全力の防御を展開する。

 ――魔力がうねり、練り上げられ、聖剣へと収束していく。

 可視化できる程に出力された膨大な全魔力は、青く白く輝き、そのまま威力に直結する。

 蒼白の極光に世界が歪む幻聴が聞こえ、そして――


「――『絶霞(ぜっか)』」


 聖剣の機能と『音無(おとなし)』の組み合わせ、クラーラの扱える最高火力がヴィルに迫る。

 命の危機に思考が引き延ばされ研ぎ澄まされる感覚、触れれば即死の一撃が迫り、迫り、迫り――――極光が、流れ落ちる。

 ヴィルが、魔術を纏わせた刀身で聖剣を受け流したのだ。

 それはエネルギー操作魔術と、ヴィルのずば抜けた技量が合って初めて成り立つ、離れ業。

 絶霞はクラーラが余力も残さず放った正真正銘全力の一撃、これが躱されれば後は無い。

 絶大な威力の極光が地面を溶かし、剣が突き刺さる――直前、剣が反転する。

 これは『燕返し』と言われる有名な技術だが、実際に実戦で使うとなると相当な練度が必要となる技術でもある。

 ましてや絶霞の様な高威力の攻撃で行おうとすれば、一体どれだけの――。

 ヴィルはもう一度受け流す準備をしようとして、悟る。

 ――ヴィルの剣が、致命の威力に耐えかねて崩壊する。

ここまでクラーラの扱う聖剣と、何度も激しく打ち合わせ続けた結果だ。

 ヴィルの魔術による補強が働いていたとはいえ、寧ろよくここまで耐えた方だろう。

 愛剣が命を散らした代償に、被害は左腕が爛れるに留まり、極光がヴィルの後方へと逸らされ激震が走る。

 既に二度振られた聖剣の一撃は、結界を崩壊に至らせる程の威力は保っていなかったが、それでも結界の輝きが翳る程の削りを見せた。

 衝撃に土煙が舞い上がり、舞台に残るのは魔力欠乏の初期症状が現れつつも、威力を失った剣を腰溜めに構えるクラーラと、剣を失い片足の浮いた無防備なヴィルのみ。

 剣が、標的の腹を刺し貫かんと迫る。

 ――これで、ようやく終わる。

 クラーラの頭に浮かんだのは安堵とも達成感とも言えない、複雑な感情だった。

 長い、本当に長い戦いだった。

 だが、この苦しい時間ももう直ぐ終わりだ。

 それは、そんな解放感から生まれた思考だったのかもしれない。

 ――わたしはヴィルの最期に、どんな顔をさせてしまったのだろう。

 それは本来不必要な、考えなくても良かった事で。


「あ」


 剣は止まらない、当然だ、十分な踏み込みを持って放った一撃が、死力を尽くして放たれた一撃が当たる寸前で止められる訳が無い。

 ――ヴィルの安堵したような、慈しむような顔を見ても、止められる訳が――。


 ――遅すぎる気付きと、後悔に塗れた弱々しい剣が、ヴィルの身体を容易く貫いた。


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