第49話 聖青絶霞 一
初心者マーク付きの作者です。
暖かい目でご覧ください。
――暗い、暗い階段を下る足音が二つ。
片方は視界がおぼつかず足元も見えない暗闇を、見知った足取りで歩いていく。
だがその歩みは遅く、暗がりでなければ不安そうで頼りない、騙し騙しのものに見えた事だろう。
それはクラーラ、暗闇と自分の決断への不安が、その歩みを遅く拙いものへと変えていた。
もう片方は視界がおぼつかず足元も見えない暗闇を、まるで見知ったような足取りで歩いていく。
それはヴィル、歩みに迷いは無く、『第二視界領域』により暗闇である事を感じさせない足運びは、傍から見れば後従している事を忘れてしまいかねない程だ。
人に根源的な恐怖を与え平常心を奪う暗闇に、しかし二人の男女の間にある空気は堅く険しい。
会話も無くただ黙々と下っていく二人は、単純な気まずさとはまた違う奇妙な感覚を味わっていた。
それは下りを終え通路に入ってからも変わらず、寧ろ一層強くなっている錯覚すら感じる程だ。
ただ通路に微かな明かりを放つ鉱石が備え付けられている分、ほんの少しクラーラの不安が取り除かれたように見える。
先程からの慣れた様子を見るに、ここに連れてくる事は計画の内だったのだろうとヴィルは思う。
てっきり路地裏での戦闘になると踏んでいたのだが、黒幕の男はここベールドミナにも拠点を持っていたようだ。
少々予想と外れた形にはなるが、その辺りはニアが上手くやるだろう。
位置情報を知らせる必要も無く、突入タイミングは魔力を操作するだけで済む。
今回は先日の通信用魔術具は持って来ていないのだが、ヴィルの魔術を応用した特殊技能で魔力反応を隠したり漏らしたりする事で反応を明滅させ、それを魔力感知でニアに捉えてもらう事で合図を送る手筈になっているのだ。
本当にこういう場面ではニアの右に出る者はなく、改めて凄まじい能力であると実感する。
そんな事を頭の片隅で考えつつも、ヴィルの目と意識はクラーラから離されていない。
手足の挙動一つ一つに目を配り、得意分野では無いだろうが魔術の発動にも十分警戒している。
その警戒から見てもクラーラの動きは自然で、多少の緊張こそ見られるものの、この通路に罠は無いと言い切る事が出来た。
この観察眼もまた訓練の賜物であり、十歳で魔術を大きく弱らせたヴィルは、ローゼルに散々しごかれたものだ。
もっともそのお陰で助かった経験は数え切れず、感謝こそすれ負の感情など湧いて来よう筈も無い。
と、幾度目かの曲がり角を曲がると、通路に光が差してきた。
どうやら先の曲がり角が最後らしく、ようやく目的地へと着いたらしい。
――角を曲がった直後、クラーラの足が逡巡したように鈍ったのは、ヴィルの気のせいだったのだろうか。
クラーラは先程までと変わらぬ速さで歩いていくと、振り返る事もせず光の中へ消えていった。
それに遅れぬよう、ヴィルは第二視界領域で周囲を警戒しつつクラーラに続き――
――通路の先は何も無くだだっ広い、正方形の部屋だった。
一辺十メートルはあるだろうか、天井と壁の所々に備え付けられた鉱石の照明が、ささやかに部屋の中を照らしている。
それから部屋の中央に目を向けると、手を広げ堂々とヴィルを迎え入れた白衣の男と、そこから少し離れた場所に立つクラーラの姿があった。
「ようこそヴィル・マクラーレン、キミを歓迎しよう。この一週間、この時をずっとずっと待ちわびていたぁ!」
落ち窪んだ身の毛もよだつ狂気の眼に、ヴィルは表情一つ変えず何も思わない。
事務的に、表面上は態度を正し言葉を引き出そうと試みる。
「それは申し訳ない事をしたかな?これ程熱烈な歓迎を受けるとは思っていなかったから、手土産なんかは持って来ていなんだけど……」
「んんー構わないともぉ。キミが五体満足で来てくれればそれで、ねぇ?」
人を人とも見ない視線に嫌悪感を覚えながらも、こうした手合いに慣れたヴィルは不自然に見えないよう会話をこなし、俯いたままのクラーラに話しかける。
「クラーラ……君が僕をここまで連れて来たって事は、そういう事だと思ってもいいのかな?」
「…………騙して悪いとは、思ってる。けど、わたしももう決めた。理由が、あるから」
ここでヴィルがクラーラについて触れなければ、彼女がここに居て当然の人物であると知っていた事になってしまう。
その為ヴィルにとっては意味のない質問を掛けたのだが、クラーラの覚悟は相当に極まっているらしい。
――そうでなくては、ヴィルの計画にも支障が出てしまうのだが。
「理由か……。その理由は僕が聞いても?」
「―――――」
ヴィルの質問へ返答に、クラーラが選んだのは抜刀だった。
瞬間、ヴィルは自分の心が歓喜に跳ねるのを感じた。
「ヴィルは知らなくていい。言い訳も、するつもりはないから」
クラーラの腰から引き抜かれたのは、一切の装飾の無い細身の剣だった。
素人からしてみれば、市販の安物とそう変わりの無いように感じるかもしれない。
だが分かる者には分かる、その鋭さが、その硬さが、その吸った命の重みが圧倒的に違う。
それはシルベスター家が保有する、純剣イージスのような神話級の代物では無い、無いが、それらに比類する一振りであろう事は疑いようも無い。
――神の御業に非ず、それは人による研鑽の至高。
たった一本の歴史に息を呑み、ヴィルは半ば無意識で腰の剣を抜き放っていた。
剣のぶつけ合いが会話ならば、二人の抜刀は始めの挨拶に相当しただろうか。
――ヴィルの抜刀に応えるように、静謐をその身に纏い、クラーラが疾走する。
細身の剣の柄を両手で持ち、肩口で構えて走るクラーラのイメージにそぐわない走法は、しかし印象通りの静けさでもって、静の斬撃を相手に叩きこむ。
秘剣『音無』、それは純粋な日々の研鑽によって培われる、体捌きのみで体現される無音の、致命の一撃。
対するヴィルは腰溜めに、どっしりと腰を落とし、迎撃の構えを取ってクラーラに相対する。
両者の激突はもう間も無くか――そこに、ほんの少しのズレが生まれた。
「――!」
不動の構えだったヴィルが、何の予備動作も無しに前進したのだ。
それによりクラーラの予測していたタイミングに齟齬が生じ、剣筋に乱れが生じる。
そして、その隙を見逃すヴィルではない。
咄嗟の判断で横に薙ぐ斬撃を放つクラーラの一撃を、その軌道を完全に見切っていなければ不可能な、奇術めいた体捌きでもって躱してみせ――クラーラを無視し、じりじりと後退る白衣の男に攻撃を仕掛ける。
「させない!『聖剣抜刀』!!――ぐっ!」
後方から迫るクラーラにエネルギー操作で強化した雷魔術を放ち、対処する隙に白衣の男にも同じ魔術を仕掛ける。
放たれた電撃は一直線に男に迫るが、その半ばで壁に阻まれるように弾けて消えた。
魔術攻撃は効果なし、速やかに思考を切り替えたヴィルは、突進の勢いそのままに先程魔術の消えた辺りに、全力で剣を叩き付ける。
「――――ッ!」
轟音――――しかし凄まじい反動がびりびりと腕に返るだけで、男には一条の傷も付けられていない。
男は初めから余裕の笑み、どうやらこの部屋の一定範囲から結界で遮られているようだ。
図らずも男と目線を合わせる事となったヴィルは直ぐさましゃがみ込み、肉体的死角である背後からの斬撃を、まるで見えているかのように躱す。
ヴィルの背後から驚愕の気配が伝わってくるが、そこから返る判断は早く、二度三度と追撃が迫る。
その斬撃を、剣を背にする得意の無視界背面防御で凌ぎ切り、狙いを定めず空間を薙ぐ事で、強制的にクラーラと距離を取る。
一旦仕切り直しとなった状態だが、ヴィルはクラーラに剣を向けて牽制するに止め、視線を男に向けた。
「結界か、厄介だな……。それも対魔法物理のかなり高位なものだ。結構値が張ったんじゃないかな?」
「いぃやぁ。こういう時のための備えだ、これで憂いはなくなったからねぇ」
「へぇ。それだけの資金、一体どうやって手に入れたのやら。――盗賊団のパトロンにでもなったのかな?」
ヴィルの小声の揺さ振りに、男の眼に動揺が走る。
本人は必死に押し隠したつもりのようだが、ヴィルの肥えた目を欺ける程ではない。
先週行った盗賊団の討伐で銀翼騎士団は、敵拠点から多くの資料を回収している。
ただ事前に襲撃を察知して口封じを行う程の周到さは、資料の中に証拠を残さないくらいには徹底されていて、そこから黒幕を割り出す事は出来なかった。
しかし人体に干渉する魔術に精通したナリアが、体内に残った魔術毒の痕跡が、白衣の男の手の甲にあった魔法陣に酷似している事を見つけ出したのだ。
その時点でヴィルも黒幕を確信に近い所まで考えていたのだが、男の反応からも確定して良いだろう。
一方のクラーラに目を向けると、ヴィルの方には目もくれず、結界を見て目を見開いている所だった。
恐らくクラーラはこの頑強な結界の事も、盗賊の事も、何も聞かされていないのだろう。
ただ、利用されているだけ。
ヴィルは自分の作戦に僅かばかりの修正を加える。
「さぁぁああ!クラーラぁ、やれぇぇえ!」
左方、急激に気配が膨らむ。
最早第三の眼で見る必要もなく、ヴィルは前方結界の方へと跳び、結界を強く蹴って剣を振りぬいた姿勢のクラーラから距離を取る。
追撃――。
一撃一撃が致命の連撃を体捌きのみで捌き、回避不可能の攻撃には剣を合わせ防御するに止める。
後退り、後退り、曲線を描きながら防御を続けるヴィルは防戦一方で、危うさを感じさせる明らかな劣勢だ。
普段のヴィルからすればやや消極的な戦いだが、前提としてクラーラは被害者であり、傷付ける訳にはいかないという点が枷となっていた。
さらにもう一つ理由を挙げるとすれば、純粋にクラーラの剣力がヴィルと拮抗しているのだ。
剣聖の娘としてひたすらに剣に打ち込み続けたクラーラと、勇者としてあらゆる教育を受けてきたヴィル。
魔術無し、異能無しの純粋な剣力では、クラーラとヴィルの間に差は無く、寧ろ前者が微かに上回っているのではないかという程であった。
これが王国最強の剣士に鍛えられた剣、次代剣聖の実力か。
今も各所に傷を作り、追い詰められるヴィルは表情の上で苦しげな顔を作り、意識では強者との邂逅に心を震わせていた。
限定的な状況とはいえ、ここまで実力の拮抗する剣士はそういない。
息つく間もない連撃に体勢が崩れ、力任せの一撃を防御したヴィルが吹き飛び、地面を転がる。
跪いて震える息を吐いたヴィルの手に握られた剣は、一回の戦闘で既に刃毀れが目立ち、直ぐに処置をしなければ使い物にならなくなる程に傷付いていた。
ヴィルの剣は市販のものとはいえ、自分で選んだ優良品。
だが、それでもクラーラの聖剣の相手は務まらない。
これが覆し得ない剣の差、ヴィルにとっての三つ目のハンデであった。
「もう諦めて、ヴィル!これ以上痛くしないから、大人しく……!もうこんなにボロボロで、ヴィルに勝ち目なんてない!剣も実力もこれだけ差があって、なのにどうして……」
どうして?抵抗する理由ならある。
自分の命が惜しいから?イザベルとの約束があるから?人を救う事が勇者の使命だから?
――答えは全て、全てが当てはまる。
人の犠牲の上に成り立つ大切な借り物の命を、どうして無下に出来ようか。
命を救ってくれた恩人の願いを、どうして無下に出来ようか。
そして何より、人を救う事を運命に定められた身で、それを放棄して逃げるなど、起きたイザベルに顔向け出来ない。
その事を言葉に出す訳にはいかないが、思いは確かにヴィルの胸の中に在る。
ただ、敢えてこの場で言うのであれば――
「自分が殺される理由も知らずに死んであげる程、僕はお人好しじゃ無いんだ。どうしてクラーラが僕に剣を向けるのか、その理由を知るまでは死ねない」
ヴィルから放たれた言葉に、いつものクラーラの無表情が悲痛に歪む。
痛みを堪えるように固く引き結ばれた口が、彼女の理由を話したくないという意思を何より露骨に表現していた。
だが、そんな気高い意思は守られない。
「く、ハハハハハハ!そんな低俗な理由でいいなら今すぐ教えてやろぉ。そこの女はなぁ!このワタシに母親を人質に取られ、キミを殺さなければ母親が死ぬと言われてるんだよ!魔術実験の実験台にするためにだ!とんだ自分勝手!どうだぁ!傑作だろう!クハハ!」
三人しかいない広大な空間に、ただ一人の哄笑が響き渡る。
哄笑は狂い止まず、聞く者に不快感を与える不協和音が地下室に反響している。
隠し通そうとした事実を暴露され、クラーラは悔し気に俯いたまま。
反対に、ヴィルは天井を見上げたまま動かない。
そんな両者の反応がお気に召さなかったのか、男がつまらな気に首を振り、耳障りだった音が止む。
と、
「人質……魔術実験ね……。それがクラーラの従う理由か。それなら、仕方無いのかな」
沈鬱な表情の裏、ヴィルは騎士団でも掴んでいなかった思わぬ情報に拍子抜けした。
クラーラの母親が人質に取られているという事は知っていたが、ヴィルを狙う目的が人体実験の為とは思ってもみなかった。
ただ、どうせ碌でも無い理由なのだろうという予想は当たっていた訳だが。
ヴィルのその諦めともとれる発言に、男の口元に笑みが浮かびかける。
もしかするとこの瞬間、クラーラもまた僅かに希望を抱いたのかもしれない。
だが――
「「――――ッ!!」」
息も出来ぬ程濃密な殺気が、部屋全体を一瞬で満たしていた。
発生源は当然ヴィル、普段と変わらない表情で――では無い。
これまで見てきた学園での人を魅了する表情とも、ここに来るまでの優し気な表情とも異なるそれは、完全な無。
平素からは想像もできない無表情から放たれる威圧が、この場の空気を完全に支配していた。
「――命を狩る側の人間が、まさか狩られる覚悟もしていないなんて、そんな事は無いだろうね。クラーラ」
ここまでずっと防御にしか使っていなかったヴィルの剣が、確かな攻撃の意思を持ってクラーラに突き付けられる。
先程までとは全く違う、明確な敵意を込めた視線で射抜かれて、クラーラは――
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