第37話 学生という日常 一
初心者マーク付きの作者です。
暖かい目でご覧ください。
――レイドヴィル・フォード・シルベスターという人物の人生は、弱冠十五歳にして波乱万丈の様相を呈している。
歴史に幾度となくその名を見せるシルベスター公爵家に生まれ、その才覚は彼が幼少の時点で片鱗を見せるに至っていた。
赤子の頃から早熟で、四歳の頃には魔力による身体強化を会得、六歳でエネルギー操作という特異極まる魔術特性が発現。
七歳で自分が世界の命運を握る勇者であるという事を知り、紆余曲折あってレイドヴィルは只のヴィルになった。
その後も今現在に至るまで、常に死と隣り合わせの環境に身を置き、己を厳しく鍛え続けてきた。
そんな生活の中で訪れた、学園生活という安息の日々。
しかし、入学からの三日間もまた、波乱の連続であった。
一日目に入学早々公爵家の娘に告白され、二日目に学園初友人の誘拐騒動の解決に尽力し、三日目にはその友人と模擬戦を行い、その日の内に担任教師と模擬戦を行い、今も目下の『視線』――クラーラの件に頭を悩ませている。
幼い頃に言われた『平穏に嫌われている』という言葉を信じてしまいそうになるくらいには、あまりに平穏という言葉の逆を行き過ぎている。
王国の教育機関は週休二日制なので一週間も折り返し――ここに来てようやくヴィルの思い描いていた日常が訪れていた。
一、二時限目の授業は魔術基礎理論と実技理論の座学構成、三時限目に座学と実技の間にあるような礼儀作法の授業を行い、現在は昼休みだ。
ゆったりと食事を摂り終えたヴィルは趣味を満喫するべく、一人ある場所へと向かっていた。
適度に雲の浮かぶ晴れやかな空、春らしい暖かな空気を運ぶ風、心安らぐ鳥の鳴き声。
そのどれもが、ようやっと訪れた平穏を祝福しているかのようだった。
もう新学期四日目になり、新一年生の間にあった変な緊張も取れたのか、この日は昨日までよりも少しだけ賑やかさを増している。
ヴィルの見た所、案外身分の違いによる諍いは起こっていないらしい。
流石に一定以上の身分の差がある場合は、そもそも関わりが生まれ難いというのもあるようだが。
これはAクラス以下の生徒に対しても、身分平等の旨が徹底されている為だろう。
王国が運営していると言ってもいい学園が謳う身分平等、その理念は相応に重いと見るべきだ。
だが平民が王族に気軽に口を利いても良いのかというと、それはまた違う話。
やはりある程度の礼儀作法というものは必要であるし、その為に礼儀作法を教える授業もある。
礼儀作法に精通した貴族にはより深く、そうでない平民には作法の基礎を。
通常貴族しか受けられない教育を受けられるというのは、恵まれていると言えなくも無いが、クレアのように貴族の真似事をしに学園に来た訳じゃない、と考える生徒も少なくは無いだろう。
二年生になれば選択式の授業も出てくるのだが、それはまだ一年後の話。
……その事を聞いたクレアは思いっきりに顔を顰めていたが。
と、そんな事を考えながら廊下を歩いていると、気が付けばヴィルは目的地に到着してしまっていた。
――アルケミア学園が誇る超巨大国立図書館、それがヴィルの目的地である。
総蔵書数は十万冊、本の海が如き圧倒的物量を誇るこの巨大な図書館こそが、王立アルケミア学園最大の売りだ。
王国の図書館としての役割も果たすここは、国の保有する世界的に見ても貴重な図書がある事から、学園の敷地内にあるにも拘らず学園外からの来客も珍しく無い。
中には禁書扱いされている危険な書物も保管されており、生徒の立ち入れない領域も意外と多かったりする。
来客が出入りする為、こうしてかなり歩かなければならない程学園の端にあるのだが、ヴィルにとっては全く苦では無かった。
何故なら、知識の蒐集と読書を趣味とするヴィルにとっては、まさに楽園のような場所であるが故あまり気にならないのだ。
逸る気持ちを抑えつつ図書館に入ると、入って直ぐに受付があり、そこで学生証の提示を要求される。
これは図書館に入館した人物の把握と盗難を防ぐ溜めであり、それほど貴重なものが揃っている証左でもある。
やがてあっさりと入館の許可を得たヴィルは学生証を受け取り、膨大な本の山に目移りしつつ、お目当ての歴史書を探す。
シルベスター邸も三万を超える蔵書数の書物庫はあったのだが、文字通りの桁違い、規模が大きすぎる。
軽く深呼吸という、文字にしてみると違和感のある呼吸をすると、紙とインクの香りが胸一杯に広がり、気分が高揚しつつも落ち着いていく。
ヴィルの探す歴史書も貴重な一冊で、シルベスターの書物庫には無かったものだ。
明確に分類配置された本棚は非常に探しやすく、五分程探しただけで簡単に見つける事が出来た。
パラパラと中身を見ても、出版から数十年経っている事を感じさせない見事な管理技術だ。
そうしてお目当ての本を見つけ出したヴィルは本を閉じ、次に座って読む場所を探し始める。
入口の辺りで見た地図を頼りにヴィルが歩いていると、曲がり角、見覚えのある少女と出くわす。
艶のある紺色の髪と女性にしては背の高い体躯、彼女もヴィルに気付き驚いた顔で――
「こんな所で会うだなんて奇遇だ。君は確か、ヴィル・マクラーレン君だったね」
「ええ、シュトナさんも。入学試験以来ですね」
――シュトナ・バックロット。
入学試験でヴィルが戦った、ガントレットを操る凄腕のクラスメイトが、髪を掻き上げきた。
―――――
「それにしても意外だった。まさかヴィルが読書を趣味にしているなんてね」
「意外、だったかな?」
「そうとも。こう言っては何だが、本というものはかなりの金食い虫だ。一冊買うだけで随分値が張るし、シリーズを揃えようものなら……ね。だから出が孤児院の君の趣味が意外だったのさ」
落ち着いた雰囲気の読書コーナーの一角、ばったり出会ったヴィルとシュトナは同じテーブルで読書談義を繰り広げていた。
本来は少しの時間だが本を読もうかとも思っていたのだが……
「だが良かったのかい?私はともかく、君はその本をここで読むつもりだったんだろう?貴重な読書時間を奪っていなければいいんだが」
「ああ、お気になさらず。元々僕もこの分厚い本をここで読み切れるとは思っていなかったからね。寮で読み込むつもりだったんだよ」
ヴィルの言葉を聞いたシュトナは、安心に柔らかく破顔して実際に胸を撫で下ろし、
「それならよかった。読書好きの私としても本を読む事を妨げるのは心苦しかったからね。――それでさっきの話の続きだが、騎士家の私はかなり貧乏でね、平民の金銭感覚は多少理解出来ているつもりだ。だからこその純粋な疑問なのだよ」
本が高いという感覚は、公爵家に生まれたヴィルも共感できるものだ。
近年になってようやく製紙技術も発展してきて、紙も比較的安価になりつつあるが、未だ本というのは高級品である。
ヴィルが昔騎士団の皆に勉強を教えて貰っていた時、教科書を汚して涙目になっていたイザベルをヴィルは覚えていた。
厳密には正当な貴族ではない騎士爵家は、男爵家と比べても収入が少ない。
それで本のための資金繰りには相当苦労してきたのだろう、自身以下の境遇のヴィルがどうやって本を手に入れるに至ったのか、シュトナが口にした通り純粋に疑問に思ったようだ。
「それは僕の育ての親……院長の趣味が読書でね、幼い頃は絵本から読んでいって、それから院長のコレクションに触れていってハマっていった感じかな。思い出の本は何度も何度も読み返したのを覚えてるよ。タイトルは確か……『ソレティーヌの橋』」
本を読み返したという話と、そのタイトル以外は勿論嘘である。
だがその話を聞いたシュトナは瞳を輝かせた様子で、
「『ソレティーヌの橋』か!あれはとても良い~作品だった。ラストの主人公とソレティーヌが橋から飛び降りる瞬間の描写には衝撃を受けたんだ!」
「そうそう、あのシーンの美しさといったらなかったよね。主人公の青年に手を引かれて一緒に落ちるヒロインの表情が、瞼の裏に浮かんでくるみたいでさ」
同じ本について語らう二人は、完全に意気投合していた。
シュトナは元々本の話題を振ろうと機会を狙っていたし、ヴィルの方もシュトナと本の話をするのは楽しかった。
何より、シュトナが自分と全く同じ趣味を持っていた事が嬉しく、また話が弾む要因でもあったのだろう。
「そう!そうなんだ!いや、こうして趣味を語れる友人が出来て実に良かったよ。入試の組み合わせには心からの感謝しておこう」
入試という言葉を聞いて、ヴィルには一つ思い出した事があった。
というのも、その実技試験の最初の相手が目の前のシュトナだったからだ。
「入学試験と言えば、あの時シュトナは無手だったよね」
「ああ、愛用の武器が持ち込み不可だと分かったからね。片腕で投げられ押し倒された苦い記憶だったが、読書友達が出来るきっかけだったと思えば良い記憶さ。それが何か?」
「昨日の模擬戦は持ち込みが許可されたんだと思ってね。凄まじい迫力の拳撃だったし、シュトナについていろいろ聞きたいなと思って」
模擬戦第三試合――シュトナとクラーラの戦いでのシュトナは、ヴィルが入学試験で当たった時よりも数段強く感じられた。
その理由は当然ガントレット――拳から肘の辺りまでを覆う形の、魔術具に分類される武装にある。
ヴィルは第三試合を見た時から、いつかシュトナに聞いてみようと考えていたのだ。
「持ち込みの許可については私も予想外だったがね。曰く『試験で実力を認められた以上、自分を伸ばす努力は欠くべきじゃない』と。他の教師に関しては分からないが、グラシエル先生は認めていくつもりのようだった」
肩をすくめて話すシュトナに、ヴィルは嬉しそうに呆れた笑みを浮かべる。
直接対峙したからこそ分かる、グラシエルらしい意見だ。
持てる全てでもって自分らしく戦う、彼女の戦いの在り方そのものと言える。
「しかしヴィルほどの剣の使い手が私に興味を抱くのは何故だい?あのバレンシア嬢に勝った剣も驚きだが、正直拳と拳の戦いでも君は簡単に勝たせてくれなさそうだ。話すのは構わないが、これでも私はあまり素直な性格じゃなくてね。代わりに聞きたい理由を教えて欲しいな」
面白そうな表情を顔に湛え、ヴィルの言葉を待つシュトナは楽しげな声音で訊ねる。
風のない夜の湖面を思わせる、静謐の青い瞳が悪戯に細められて返事を待つ。
理由は特に考えていなかったと、ヴィルは顎に手を当てて考える。
特に理由はない、だが敢えて言うのならば――
「――只の好奇心、じゃあ満足してもらえないかな?」
「くは……」
幼い頃から教育を受けていた為腹を抱えて笑う愚は犯さないが、直ぐにでもそうしてしまいそうな程、シュトナの笑い声は大きなものだった。
直ぐにここが図書館である事に気付き慌てて声を潜めるが、そうした後も口に手を当てて笑い続けている。
ひとしきり笑って落ち着いた後、シュトナは呼吸を整えながら口を開いた。
まだ少し笑いが残っているのか、その言葉は震えている。
「いや済まない。まさか、乙女に質問をしておいて、その理由が好奇心とは思いも、しなかったものでね。……ふう、我ながら可笑しな笑いのツボをしているな」
どこか呆れを多分に含む自嘲を浮かべつつ、未だくつくつと喉の奥で笑うシュトナに、いつの間にか最初は驚いていたヴィルまで釣られて二つ三つ笑いが湧いた。
「そんなにおかしな事を言いましたかね?」
「ああ悪かった、悪かったからそんなに睨まないでくれ。期待していた答えとは違ったが、まあ教えるとしよう」
そう言ったシュトナはんんと軽く咳払いをしてから改まった様子で、
「私が御爺様から受け継いだあれは『剛拳フィルバーナ』と言ってね、装着者から吸い上げた魔力に応じて、次の拳撃の威力を底上げする代物なんだ。私自身魔力は少ないが、僅かな魔力でもかなり威力が上がるから実に助かっているよ。フィルバーナと共に頂いた『武具に頼るな』という言葉の体現にはまだまだ遠いがね」
「――『剛拳』フリック・バックロット様だね」
ヴィルがその名前を口にした瞬間、穏やかな微笑はそのままに、シュトナの纏う雰囲気がより鋭く空気を刺した。
「本当に、君には何度も驚かされる。よもや御爺様の名前を知る者が同年代の、それも平民の子にいるなんてね。……一体どこでその名前を?正直御爺様の活躍した歴史は骨董品レベルの――ああ、そういう事か」
ヴィルが何処からその名を知ったのか、そんな疑問を浮かべるシュトナに『答え』を提示すると、途端に眉を上げて納得した表情を浮かべる。
その『答え』とは、ヴィルがこの図書館で最初に手に取った一冊の歴史書だった。
「『王国の叙勲と騎士爵』……君は騎士に興味があったのか。それにしてもマイナーな人物を覚えたものだ」
シュトナの言葉とは裏腹に、その口元には喜色が浮かんでいる。
それはシュトナにとって、ヴィルが尊敬する師でもある祖父を理解してくれていた事と同義だったからだ
「将来は立派な騎士になる、それが僕の目標だからね。先人の事は当然調べたよ。――『剛拳』の名が轟いたのは四十七年前、当時まだ本格的に争い合っていた帝国との戦争で、無名の志願兵が相手指揮官を討ち取り一躍名を馳せた。それがフリック・バックロット様、貴方のお爺様だ。そして同じくお父様も一代限りの騎士爵の家に生まれながら国に貢献し、受勲して騎士爵を授かった」
「――その話を御父様から聞くたびに胸を熱くした。バックロットの名に恥じぬ騎士にならねばと志を新たにした」
瞑目し回想するシュトナの顔は穏やかで、祖父に対する本物の経緯が感じられた。
それはヴィルの抱える重責とはまた異なる、シュトナが自分自身に課した責務だ。
「ヴィル、君は素晴らしい騎士になれる。素晴らしい騎士を知る、私が保証しよう」
そう言ってヴィルを見るシュトナの瞳は、まるで眩しいものを見つめるように細められている。
同じ終着を目指す二人は、この時確かに理解者同士だった。
「と、そろそろ教室に戻らねば授業に遅れてしまうな。行くとしようか」
昼休みの終わりを告げる鐘が鳴り、シュトナは昼食後の時間を存分に満喫できた事に満足しながら席を立つ。
ヴィルもシュトナの言葉に同意を示し、二人揃って図書館を出ると、同じく図書館で時間を過ごしていた多数の生徒達が、急いで自分達の教室へ走っている姿が見受けられて。
「――――」
その様子を見てヴィルとシュトナは顔を見合わせると、笑い合って教室へと駆け出した。
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