第23話 日常と事件
「ようご近所さん、今ちょっといいか?」
そう話しかけられたのは、ニアとヴィルが二人で登校して教室に着いた、そのすぐ後の事だった。
丁度バレンシアと自分の前の席から振り返って話しかけてきたのは、青年と少女の二人組だ。
青年の方は王国南部に多い茶髪に茶色の目をしており、活発そうな印象を受ける。
肩幅が広く、固く締まった筋肉の持ち主で、付け加えれば実技入試の時に大剣を振り回していた青年でもある。
もう一人の少女の方は、やや明るい茶髪に勝気そうな茶色目が特徴的だ。
隣の青年と比べて小柄で華奢な身体からはしかし、侮る事の出来ない実力が垣間見える。
そんな二人の名前を、ヴィルは入学式の記憶から引き出す。
グラシエル先生の点呼では確か――
「良いよ。確かザックくんとクレアさんだったよね。初めまして、僕はヴィル・マクラーレンで、こっちが」
「ニア・クラントって言います。ニアでいいよ。よろしく、ご近所さん」
自分の胸に手を当て一礼、ニアはひらひらと手を振ってそれぞれの自己紹介を行う。
対する二人は驚いたように顔を見合わせ、それから、
「アタシはクレア・フロント。まさかもう名前を覚えられてるなんてね……もしかしてヴィルって頭イイ?」
「俺はザック・バランってんだ。名前で笑ったら決闘だから覚えといてくれよな。ヴィル・マクラーレン……てことはお貴族様じゃなかったんだな、安心した安心した」
クレアは呆れたような表情で、ザックはニカッと歯を見せて笑いながらそれぞれ名乗った。
だが、ザックの名前に何か変な所があっただろうか。
人の名前を笑う事など出来ないと思うのだが……と、そこでふと気付く。
「ザック・バラン……ざっくばらんか!そうか、なる程それで……でも僕は笑わないよ。そんな失礼な事はしない、約束する」
と、ヴィルは自分なりにきちんと答えを返せたと考えたのだが、
「いやこれ俺が初めて会う奴にやる鉄板ネタだから!真面目にやられると嬉しいけど悲しいぜ」
「そうよ、じゃないと子供の時初対面で大笑いしたアタシがバカみたいじゃない。ちゃんと笑い飛ばしてもらわなきゃ」
「テメエは散々笑ったんだからいいだろうが!初対面だけで笑うんだよ普通は!」
「あ~ら怖い。オホホホホ」
上機嫌な笑いと不機嫌な唸り声を聞いていると、二人の仲の良さが窺える。
幼馴染か何かなのだろうか、若干自分達が置いてけぼりな気はするが、仲が良いのは良い事だ。
「ていうかあたし達への用事はよかったの?もうすぐ授業だけど……」
「ん?ああ悪い、実はさっきの自己紹介と、今後も仲良くしましょうってのが俺達の用だったんだよ。昨日は普通に話してた三人が貴族に見えたからな、声掛けづらくてよ。けど先生が貴族も平民も平等だっつーから今日声を掛けさせてもらったんだ。なんで、これからよろしくな!」
「うん。こちらこそよろしく」
差し出された手を握り返すと、ザックは満足げに一つ頷いて席に戻っていった。
どうやら二人は、本当にそれだけが目的だったようである。
だが円滑な学園生活を送る為にも、近くの人と仲良くなる事は必須事項だ。
それで向こうから歩み寄ってくれたのなら、ザックとクレアには感謝しなければならない。
そんな事を考えていると教室の扉が開き、教師と思われる若い男性が入って来た。
やはり全ての授業をグラシエルが行うという訳では無いらしい。
そしてやはり――
「シア、間に合わなかったね」
「……ああ」
顔を寄せ、ニアがこそこそと耳打ちする。
結局バレンシアは教室に来る事なく、一時限目の授業は終わりを迎えたのだった。
―――――――――――――――――――――――
王立アルケミア学園から少し、各学年各クラスが生活する寮の一年生Sクラス棟。
その一室でバレンシアは、不安を抱えつつ大切な探し物を探していた。
ヴィルが懐から懐中時計を取り出すまで気が付かなかった。
疲れていたからか、新生活に慣れていなかったからか――いずれにせよ必ず見つけなければならない。
――あれは無くしては取り返しのつかない、バレンシアにとって替えの利かない宝物なのだから。
「確かこの辺りに……」
昨日は丁度実家から持ち込んだ大量の家具と私物の整理で、部屋中を動き回った為、どこかに外して置いておいたのかもしれない。
机、ベッド、棚や引き出しのあちこちを洗い、目当ての品を探す。
そして――
「――あった」
バレンシアが手にしたのは、銀色のネックレスだ。
一目見て高級だとわかる凝った装飾の中心に、バレンシアの瞳と同じ色の宝石が埋め込まれている。
だがそのネックレスの本当の価値は、ネックレスを大事そうに胸に抱える彼女にしか分からない。
ただ現金としての価値ではない、別の価値が存在する事のみが窺える。
そのネックレスを首に掛け、服の内側に仕舞い込む。
これで良しとばかりに大きく息を吐くと、部屋の隅に置いていた鞄を手に取る。
バレンシアは部屋を出て、寮を出て先程引き返して来た学園への道を再び歩く。
先刻とは違い周囲に生徒の姿は無い。
代わりに市場の人や冒険者が道を歩く姿がちらほらと見え、彼らはこれから働き始めるのだろう。
ベールドミナの街が段々と活気付いてくる。
そんな喧騒を背景に、バレンシアは少し遅れて登校していく。
それにしても初日から遅刻してしまうとは、自分の迂闊さには呆れて物も言えない。
一人考え事をしながら歩いていると、ふと、本当に視界の端がふと気になり、道の反対側にあった小路の方を見た。
――五歳くらいの少女が、複数の男達に連れ去られたのが見えた。
「―――ッ!」
瞬間剣以外の荷物を捨て置き、気が付けば駆け出した後だった。
小路に入った、既に少女と男の姿は無い。
だが進むべき道はそう多くない、曲がり角を二度曲がり――見つけた。
数は三人、まだこちらには気づいていない。
剣を抜き放ち、不法行為を咎めるも声を出さず突進する――手加減も容赦もしない。
一人が気付いたが遅い、断末魔の声すら出させず、紅色の剣閃が男の喉笛を掻き斬る。
残りは二人、両方が気付いた。
片方は剣を持ち、片方は子供を担いでいる為手が出せない――狙うのは後者、子供が優先だ。
「があ!」
男が現状を理解し、行動に移す前に左腰から刃を通し、両断。
下半身を失った上半身から少女を回収し、残党から三歩程跳躍し距離を取った。
少女を壁にもたれさせるように地面に下ろし、残った男に剣を向け牽制する。
「テメェ、どっから湧きやがった!クソが!」
男もようやく状況が分かったようでバレンシアに剣を向けてくる。
剣の持ち方、構え方、どちらも素人同然――行ける。
剣先をわずかに下げ、怒りに顔を赤くする男の首を刎ねようと突撃し――
「――そこまでだ、ガキ」
直前に背後から声が聞こえ、背中から全身に衝撃。
あまりの激痛に乾いた吐息が漏れ、目の前が真っ白になる。
それ以上、意識を保つ事が出来ない。
膝をつき、横に倒れ、ゆっくりと瞼が閉じていくのを止められない。
男の足音は今も近づいており、直ぐにでも反撃しなければならないのに。
次第に意識は遠くなっていき、そして――――
―――――
……五感が遠い、目も耳も手も足も、まるで自分のものではなくなったかのように一切言う事を聞かない。
微睡みの中にいるような感覚と、身を捩りたくなるような不快感が体に同居している。
暗闇で藻掻く内、次第に意識が覚醒を始める。
未だ手足は動かない、だが視覚と聴覚と触覚、三者が段々と浮かび上がって来て――
「…………ここ、は……」
久し振りに開いた視界に入ってきたのは薄暗い、倉庫だろうか、何であれあまり長く居たい場所では無い。
清潔感の無い埃っぽい匂いと、カビ臭い空気が鼻腔を嫌に刺激する。
身体はどうなっているのか確認しようと手を動かし、腕を動かそうと力を込めた。
するとジャラリという金属音と共に両手両足に違和感、どうやら四肢を枷と鎖で繋がれているらしい。
両手は後ろ手に拘束され、両足は正座の態勢で拘束されているのが感覚で分かった。
意識を失う直前、何があったのかをゆっくりと思い出し、
「――この男」
「やっと起きたか寝坊助さん。その顔を見るに、俺の事は思い出してもらえたみたいだな。さっきは背中から撃って悪かったよ」
悪びれもせずヘラヘラした様子の男に苛立ちが募る。
この男が先程激痛を与えてくれた下手人か、怒りを魔力に籠め、目の前の男を焼き尽くさんと魔術を行使し――
「っ!?これは……」
「お察しの通り王国謹製、抗魔石付きの拘束具だ。いかに魔力の多い貴族と言えど、それじゃ魔術は使えねえぜ?」
抗魔石付きの拘束具――抗魔具を付けられている状態では、魔力を流す事は極めて難しくなる。
抗魔石や抗魔具のランクによるが、犯罪者用の抗魔具であれば魔術を行使する事はまず不可能だ。
これ程の品を用意出来るこの男達は、一体何者なのか。
「な~んにも理解出来てないあんたに教えてやるよ。俺達は子供を攫って売りさばく人身売買組織。そおで丁度一人のガキを攫った所で迷い込んできた哀れなカモがあんただ。理解できたかね?」
「…………」
「沈黙は肯定と受け取るぞ。まあ、今更喚いても無駄だから諦めろ。今から小せえガキとお前を連れて帝国へゴーだ。王国の貴族を売り渡すとなりゃ、一生遊んでも使い切れねえ金が手に入るだろうからな。せいぜい大人しくしといてくれよ?」
嘲るようにバレンシアを嗤いながら、男は薄暗い倉庫の奥の方へと戻っていく。
その先には組織の人間と思われる、二十人に迫る男達がたむろしていた。
つまりはどの道先程の小路は、文字通りの袋小路だった訳だ。
朝、自身の迂闊さに呆れたばかりのバレンシアだが、今度こそ自分の迂闊さを呪いたい気分で一杯だった。
しかし、この状況ではどうする事も出来ない。
両手両足を縛られ武器は無く、魔術も封じられてしまっている。
朝早くに誘拐が起こった為、目撃者が居る可能性も絶望的。
この倉庫を出発する前に助けが来る可能性は、ほぼ無いと考えていい。
そうして考えている内に、男達の会話から少女の名前らしきものが聞こえて来た。
名前はミィナ、年齢は五歳。
どうやらあの子供は、本当に攫われてしまったらしい。
それを認識した瞬間、全身から力が抜けていくのがありありと分かった。
(……私がもう少し注意を払っていれば、こんな事にはならなかった)
自責の念と後悔が、胸の内から際限無く湧き上がる。
最後に残った男に止めを刺そうとせず、少女を連れて逃げていれば……そんなどうしようもない後悔ばかりが頭をよぎった。
後悔先に立たずとはまさにこの事ではないか。
このまま少女と二人、帝国でその命を終えるのか、そんな最悪を想像してもいいのに。
(今頃、ヴィル達は何をしてるのかしら)
ふと、そんな考えが頭に浮かんだ。
こんな時こんな状況で考える事では無いのに、どうしてか考えてしまう。
どんな授業をしているのか、どんな内容を学んでいるのか、グラシエル先生はどんな風に教えてくれるのか、ニアは勉強についていけているのか、ヴィルはきっと余裕な表情をしているに違いない。
そこで気づく、バレンシアは、自分は――
(――私は、私が思っていたよりも学園での生活が楽しみだったんだ)
こんな簡単な事に気付くのがこんな状況でだなんて。
――友達と登校するのが楽しみで仕方なかった。
――毎日の授業が楽しみで仕方なかった。
――友達と同じ食事を食べるのが楽しみで仕方なかった。
――クラスメイトと研鑽を積んで強くなっていくのが楽しみで仕方なかった。
そういえばヴィルとニアは、学園で初めて出来た友達ではないか。
次に会ったら、友達になってくれてありがとうとお礼を言わなければ。
素直にそういった事を言うのはあまり得意ではないけれど、二人ならきっと待ってくれる。
どれだけ言葉に詰まっても、優しく待ってくれるはずだ。
だから――だから――だから――
だがそんな現実逃避にも似た、あるいはそれそのものの思考は突然に終わりを迎える。
「――お?お前いいもん持ってんじゃん」
いつの間にか慌ただしく撤収準備を始めていたさっきとは別の男が、バレンシアの身に着けているネックレスに気が付いて声を上げる。
そのままどうにか首から外そうと、男は無遠慮に手を掛けて、
「気安く触らないで!」
そう声を荒げても、今のバレンシアにはどうする事も出来ない。
されるがまま、祖母から貰った大切なお守りが、詰まった希望ごと奪われるような気がして――
「黙ってな。へっ、このネックレスは俺達遊ぶ金に換えてやっから……」
「――それは彼女の大切な物だ、その手を放せ」
――ネックレスを奪おうとした男の腕が前腕の中程で斬り落とされ、大量の血が噴き出す。
その鮮やかな斬り口は、斬られた本人に腕の欠損を気付かせない程だ。
やや遅れて、男が自分の両腕を失った事に気付くが、
「あ……俺のうで――――」
その先の言葉は、声の発生源たる喉を抉られた事で永劫に知る事は出来なくなった。
そしてその悲鳴を遮ったのは――
「――――ヴィ、ル?」
「ああ、そうだよシア――助けに来た」
安物の剣を握った銀髪のクラスメイトがバレンシアに微笑み、剣の血糊を振るい落とした。
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