第22話 一年Sクラス 三
「――ヴィル、あなたワタシと付き合うつもりはないかしら?」
レヴィアの一言に、ヴィルの意識が一瞬凍り付く。
付き合うとは、一体全体どういう事なのか……
「ええと……付き合うっていうのは、所謂男女の付き合いという意味でしょうか?」
「当然その通りよ。買い物に……とか、ワタシの用事に……だなんて、陳腐な冗談は止して頂戴ね」
あまりにもあっさりと、ヴィルを揶揄うように言うレヴィア。
ヴィルはその表情をじっくりと観察して――それがレヴィアの冗談でない事を確認する。
まさか、まさか選択肢として最初に消した告白がレヴィアの要件だったとは……ニアには後で謝らなければなるまい。
現実逃避じみた思考をするヴィルは、当然とも言える疑問をレヴィアにぶつける。
「けれどどうして僕に?僕の記憶ではレヴィア様にお会いした事が無いように思うのですが」
「もちろんワタシもヴィルを見るのは初めてねえ。会話もさっき教室で話しかけたのが初めて。だから、これはいわゆる一目惚れって奴よ」
頬をほんのり赤く染めた顔は、まさに恋する乙女の表情だ。
あまりに突然な展開にヴィルが固まっていると、レヴィアが独白を始めた。
「――ワタシね、自分で言うのもなんだけど恋多き女なのよ。幼い頃からいろんな人に恋をして、いろんな人を好きになったわ。熱しやすいって冷めやすい……長続きしない理由の殆どが相手に振られたからだから、冷めやすいって訳じゃないわねえ。みんな性格も立場もバラバラだったけど、その全員が――」
レヴィアが少し言葉を溜め、答える。
「――顔の良い男だったのよ」
顔―――――。
確かにヴィルはよく容姿が整っていると言われるし、両親の容姿も相まってその自覚はあったが……。
しかしこうも直接言われた経験は、記憶を掘り起こしてもありそうにない。
「けどワタシは貴族だから、相手は選んだしきちんと節度あるお付き合いをしてきたわ。どの人も長くは続かなかったけど、だからこそ分かる。ヴィル、アナタはこれまで見てきた男の中でも一番の顔をしているわ。もちろん顔だけじゃなくて、性格も実力も抜きん出てると思うわよ。間違いなくこれからアナタは学園で人気が出る。だからこの機会を逃したくないの」
穏やかな笑みで滔々と、だが真摯に自分についての事を伝えてくれるレヴィア。
微笑む表情とは裏腹に、その様子からはただ真剣な意思のみが感じられる。
だからこそこの想いを、ヴィルが裏切る訳にはいかない。
「――申し訳ありませんレヴィア様。僕はその気持ちに応える事は出来ません」
「それはどうして?アナタにもメリットのある話だと思うんだけど……」
唇に手を当てて考える仕草をするレヴィアに、しかしヴィルは首を振った。
「勿論僕にとってメリットの多いお話だとは思います。レヴィア様はとても魅力的ですし、公爵家の方ですからね。基本的に僕にデメリットはない。ですが……」
ヴィルの目を見て想いを伝えてくれたレヴィアのように、ヴィルもまた御空色の瞳をレヴィアのアメジストに向けて伝える。
「僕はまだ貴女の事を何も知りません。容姿と家柄以外は何も。そんな状況で付き合ってしまえば僕も貴女もきっと後悔すると思うんです。それに何より――そんな失礼は僕が僕自身に許さない」
真っ直ぐに見つめてくるヴィルに対して、レヴィアはその目を見返して、そして嬉しそうに微笑んだ。
「そう……けどちょっと意外だったわ。ワタシは二つ返事で了承をもらえるか、キッパリ断られるかのどっちかだと思ってたから。……でも分かった。少し早急過ぎたかしらねえ。ならまずはお友達から、というのはどうかしら。これからお互いの事を知っていって、それからまた考えてもらえると嬉しいわ」
そう言って、握手の形でレヴィアが手を差し伸べてくる。
握手をする事、友人になる事にヴィルが断る理由は無い。
「ええ、これからよろしくお願いします、レヴィア様」
「呼び捨てで構わないわよ?グラシエル先生も平等だっておっしゃっていたし、むしろそっちの方が嬉しいわ」
細く柔らかな手と固く握手を交わす。
こうして紆余曲折ありながらも、ヴィルは学園で二人目の友人を手に入れたのだった。
ちなみにその後、かなり待たせてしまったニアには、謝り倒してご機嫌取りをする事で何とか許してもらう事が出来た。
―――――
翌日、寮で寝食を行う新鮮さに万感を覚えつつ、ヴィルはニアと共に学園までの道のりを歩いていた。
本当にここでの生活は新しい事ばかりで、常に刺激を与えてくれる。
昨日は一日で実に様々な出来事があったせいか随分と疲れてしまったが、それでも充実してこれからに期待が持てる始まりの一日だった。
今日は座学もある事だし楽しみだ、そう考えていると、ニアが前方の人物に気が付いた。
紅く美しい長髪――バレンシアだ。
ニアが声を掛けながら走って行き、後ろから抱き着く。
バレンシアはめんどくさそうにしながらもヴィルとニア、二人が揃うときちんとした挨拶を返してくれた。
登校が二人から三人へ、これからこの光景がいつも通りの光景になっていくのだろうか。
そうなってくれる事を切に願う。
「シア、荷物の整理はもう終わったの?」
「ええなんとか。昨日はごめんなさいね、付き合えなくて」
「いいよいいよ気にしないで。それに来ないで正解だったかもよ?あたしも待ちぼうけ食らったし、ね~?」
「その件は悪かったよ……けどレヴィアの誘いを無下にも出来ないじゃないか」
昨日の事をまだ根に持っているのか、レヴィアからの告白の件を蒸し返すニア。
確かにあの後、レヴィアとの話が少し長引いてしまったのは本心から申し訳なく思っているが、ここまで根に持つのはいかがなものか。
と、自分の知らない話には興味が湧くのが人の性。
「レヴィア……彼女と何かあったの?」
「それがね……」
ニアがバレンシアに事細かに昨日何があったかを説明していく。
そして、
「告白?会ったその日に?」
「そうなの!これは間違いなく一年生で一番早い告白だね!」
あれほど文句を言っていたくせに、何故か自慢げに振舞うニアに頭を抱える。
レヴィアと自分、どちらの側から考えてもあまり言い触らされたく無い内容なのだが……
「……そう。ヴィルの容姿が整っているとはいえ初日に告白してくる生徒が居るだなんてね。良かったじゃない、身分の高い女性と付き合っていて損はないと思うけれど」
色恋沙汰に興味が無いのか、どこか興味無さ気な態度で返すバレンシア。
するとニアがニヤニヤとした表情でバレンシアに近寄り、
「結局ヴィルは断っちゃったんだけどね。でもヴィルの顔を褒めるのは意外だったなぁ。シアはレヴィア様の告白に何か思うところがあったり?」
「変な勘繰りは止めて。彼の容姿が整っているのは客観的な事実だし、告白について思う所は特に無いのだけど……断ったの?」
ニアのからかいをきっぱりと否定し、バレンシアがちらとこちらを見て問う。
既に告白の件について知られている以上、最早隠し立てする意味も無い。
「うん。気持ちは嬉しかったけどレヴィアの事を何も知らないからね、失礼になると思って断らせてもらったよ」
「真面目なのねあなた。その方が好感が持てるけれど」
そう微笑むバレンシアは、ヴィルの回答に満足したようだった。
ヴィル個人としても、他者の肯定が得られて少しホッとした気分だ。
と、ここでこの話題は一区切り、次の話題を提供したのはニアだった。
「そういえば今日から授業が始まるんだよね。ヴィルは置いといてシアはどうなの?かなり余裕な感じ?」
「置いといて?」
「そうね、入試のままの難易度なら何とかついていけそうだわ」
「うう、勉強が苦手なのはあたしだけかぁ。『その時』が来てもあたしを見捨てないでね」
震える瞳でこちらを見るニアを二人で宥め、『その時』――定期試験の際に勉強の面倒を見る事で合意する。
自分としてもかなり余裕はあったので、放課後誰かに勉強を教えるのはやぶさかではない。
「ヴィルは結構勉強が出来るのよね。入試の時に私の知り合いが話していたわ」
「そうなんだよー!ヴィルってホントなんでも卒なくこなすからすごいよね、入試の点数一位だったんだから」
「…………ああ、そう。誰かと思ったらあなただったのねヴィル。まさかこんなに近くに私の上に立つ生徒が居ただなんて、思いもしなかったわ」
これまで見たバレンシアの表情の中で、最も恐ろしい表情を目撃してしまった。
普段は凛とした顔が笑みの形を作っている――が、目が笑っていないとこれほどまでに恐怖を覚えるものなのか。
あれ程目を奪われたルビーの瞳が、今はただ怖い。
「あはは、てことはシアが学年の二位だったんだ」
「正確には三位ね。入試の結果は自分の成績と順位しか送られて来ないからずっと気になっていたの。それがまさか隣の席の人だったなんてとんでもない偶然ね」
ニアの予想をわずかに訂正してバレンシアが呻く。
その様はとても悔しそうに見えて、負けず嫌いという調査結果が間違っていなかった事を確信した。
……これからの定期試験は実に苦労が絶えなさそうだ。
「そういえば気になったのだけど、ヴィルはどうやってそこまで勉強したの?自慢、になってしまうかもしれないけれど、私はかなり恵まれた環境で勉強をしてきたわ。教材、教師、それこそ道具に至るまでね。とてもじゃないけれど孤児院出身のあなたが満足のいく環境を整えられたとは思えないのよ」
誇示するでもなく、見下すでもなく純粋な疑問を投げ掛けられる。
どうやって勉強したのか、それは貴族の身からすれば当然の疑問だ。
残念な事に、世間一般的に孤児院というものは貧しく清潔感の無い場所、という偏見が根付いてしまっている。
この問題は国が改善を目指している所ではあるが、帝国との小競り合いもあり中々計画通りに進んでいないのが現状だ。
仮に一般の家庭に生まれたとしても高価な紙や本、アルケミア学園に合格させられるだけの腕を持つ教師を揃えるのはそう簡単な事ではない。
故にどう勉強したのかという疑問が湧くのは必然だが、素直に真実を話す事は当然出来ない
それは何故か――ヴィルは貴族として、恵まれ過ぎた環境で勉強を行ってきたからである。
平民の身分ではとてもではないが揃える事の出来ない、大量の書物に潤沢な資源。
血の才能か物覚えもかなり良い自信があるし、イザベルやローゼルを筆頭に優秀な教師に教育されてきた過去がある。
だが繰り返すがこの事を話す事は出来ない。
ではどうやってバレンシアの疑問に答えるのか、その回答は既に構築済みだ。
「僕とニアはシルベスター家が運営する孤児院の出身だからね、他の人よりも恵まれてたんだと思う。それに院長が過去にシルベスター家に仕えていた執事だったらしくてね、色々と面倒を見てくれたんだよ。院長の名前はローゼルって言ってね、その人の私物を借りたりして毎日勉強してたんだ。足りない紙とかは冒険者として稼いだお金で何とかやりくりしてたよ」
淀み無く、すらすらとさもそれが事実であるかのように話していく。
これら一連の作り話は事前にローゼルやニアと共有済みで、決して今作った話ではない。
仮に疑われたとしても過去からも、そして自分やニアの表情からも何も読み取れはしない。
だがバレンシアに今の話を疑う気は無いようで、なるほどね、と彼女の中で得心がいったようだ。
「確かにあの家が関わっているのならある程度環境が整っていても不思議ではないわね。そうだとしてもあなたの学力には驚かされるわ。……あら?その首に掛かっているのは……」
バレンシアが指したのは首元、そこに掛かる金色の鎖だった。
これは特に隠すものでもないため、胸元から鎖を手繰り寄せて見せる。
鎖の先にあったのは首から下げることのできる懐中時計だ。
金色の縁の中にⅠからⅫまでの文字が刻まれた、美しい時計がはめ込まれている。
「ああこれ?これは物心ついた時から持ってたんだ。僕にとってのお守りみたいなものかな」
「お守り…………」
お守りという単語を聞いて、バレンシアが胸元にそっと手を這わせる。
そして――
「――ごめんなさい、少し忘れ物をしたから寮に取りに戻るわ。あなた達は先に行っていて」
指先に目当ての感覚が無い事が分かると踵を返し、寮の方へと引き返し始めた。
「ちょっと、もうすぐ学園だよ?授業に遅れちゃうよー!」
ニアが声を掛けたものの、バレンシアは登校を促して寮に引き返してしまった。
だからといって、こちらも引き返す訳にはいかない。
ニアの言葉通り、これからついて行ったのでは授業に間に合わなくなってしまう。
「行こうかニア。シアだって後から追いかけてくるさ」
「……うん、そうだね」
ニアは目に焼き付けるようにバレンシアをじっと見た後、ヴィルに視線を移して渋々首を縦に振った。
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