第21話 一年Sクラス 二
Sクラスへの最初の挨拶開始早々、多くを敵に回しそうな苛烈な言葉を吐いたグラシエルだったが、それからだがと言葉を続ける。
「今の私は教師だ。大嫌いな貴族も平民も、傑物も愚物も等しく全力を尽くして面倒を見てやる。それについてはこの場で約束しよう」
そう言って取り出したのは、教卓に置いてあった書類――生徒名簿だ。
教壇に立ったグラシエルは伏せられたままのそれを一瞥し、中身を見る事無く一人一人の名前を呼び始めた。
「ヴァルフォイル・リベロ・フォン・バーガンディー」
そう呼ばれた赤髪の青年が、不機嫌そうに胡乱気な視線を向ける。
「カストール・フォン・ガルドール」
そう呼ばれた二メートルにも迫る青年が、腹の底から吠えるように返事を返す。
「シュトナ・バックロット」
そう呼ばれた長身の少女が、背筋を伸ばし優雅に返事を返す。
「ルイ・ミロー」
そう呼ばれた聡明な色を瞳に宿す青年が、至って真面目な返事を返す。
「レヴィア・フォン・サンゲルタン」
そう呼ばれた紫髪の少女が、艶のある声で返事を返す。
「ジャック・エリエクタス」
そう呼ばれた影の薄そうな青年が、軽く返事を返す。
「ザック・バラン」
そう呼ばれた茶髪の青年が、声を張って返事を返す。
「クレア・フロント」
そう呼ばれた茶髪の少女が、間延びした返事を返す。
「クラーラ・フォン・ウェルドール」
そう呼ばれた空色の髪をした少女が、眠たげな目を瞬かせながら小さく返事を返す。
「マーガレッタ・フォン・アルドリスク」
そう呼ばれたドリルヘアーの少女が、優美に返事を返す。
「フェリシス・フォン・クトライア」
そう呼ばれた巻き毛の少女が、先程の少女に続くように返事を返す。
「フェロー・フォン・フロストリーク」
そう呼ばれた緑髪の青年が、格好をつけて返事を返す。
「バレンシア・リベロ・フォン・レッドテイル」
そう呼ばれた真紅の髪の少女が、貴族はこうあるべきという整然とした返事を返す。
「ヴィル・マクラーレン」
そう呼ばれた銀髪の青年が、聞いた者を魅了するような声で返事を返す。
「ニア・クラント」
そう呼ばれた明るい茶髪の少女が、元気良く伸びる返事を返す。
「クロゥ・フォン・ヴォルゲナフ」
そう呼ばれたオッドアイの少女が、不敵な笑みを零し独特な返事を返す。
「リリア・フォン・ヴォルゲナフ」
そう呼ばれた小柄な少女が、華やかな高い声で返事を返す。
「ローラ・フレイス」
そう呼ばれた黒髪の少女が、気だるげに返事を返す。
「アンナ・フォン・シャバネール」
そう呼ばれた伏し目がちな少女が、蚊の鳴くような声で返事を返す。
ヴィルはこの点呼に、素直に驚いていた。
総勢20名、これだけの人数を覚えるにはそれなりの努力が必要だ。
コミュニケーションの第一歩、それを『貴族嫌い』のグラシエルが行った。
それは宮廷で知られているグラシエルのイメージとは、かなり乖離している。
だがこれが教育者としての彼女の在り方ならば……
「以上20名、お前達が今年の一年生の代表たるSクラスのメンバーだ。平民も貴族も関係無い、面倒な礼儀作法も不要だ。せいぜい仲良くやってくれよ?」
片目を瞑り念押しするように忠告をする『貴族嫌い』のその様子に、ヴィルは内心で期待を大きくしていた。
と、何やら廊下の方が騒がしい。
何人かの生徒は既に気が付いたらしく、グラシエルの発言を聞き逃さないようにしながらも、意識が廊下の方に散ってしまっている。
ヴィルが見た限りでは予期せぬアクシデントの類いではないが、それでも慌ただしく動かねばならない事態だと予想しているのだが……どうやら当たりだったらしい。
「全く、後もう少しくらい待てんのかあいつ等は……まあいい。さて、本学園の困難な試験を突破し、見事Sクラスの席を勝ち取ったお前達に一言言いたい生徒が居るそうだ。皆ありがたく受け取るように。入れ」
「――失礼いたします」
声と共に二人の生徒が教室に入ってきた。
ヴィルの隣、バレンシアが入室した生徒を見てはっと息を呑む。
――その気品に満ちた声を発した女性を見た反応は、大きく二つに分けられただろう。
一つはこの常軌を逸した美しい人は誰だという疑問の反応、主に地位の低い生徒達のものだ。
そしてもう一つはどうしてこの人がここにという驚愕の反応、こちらはある程度地位の高い生徒のもので、その驚きは前者よりも大きいかもしれない。
それはヴィルも例外ではなく、何故ここにというよりは何故今なのかという違いこそあれど、驚きの具合としてはおおよそ変わり無かった。
ここSクラスの教室の中で最も鮮やかに咲き誇る金の髪、洗練された立ち姿と所作は王国最高峰の教育を受けた証だ。
一歩引くように移動したグラシエルに代わり、その女性が教壇に立つだけでこうもがらりと雰囲気が変わるとは、これがカリスマというものなのだろう。
グラシエルが教壇に居た時が普通の教室だとするならば、今の教壇はまるで王座の間のようだ――いや、まるでという言葉は彼女には不要な比喩だったか。
アルケミア学園三年であることを示す青のリボンを付けたその女性は、一人一人と目を合わせるように教室中を見渡すと、一つ頷いて聞き惚れる声で話し始めた。
「中には既に話した事のある方もいるでしょうが、念のため。皆さん初めまして。私は三年の、ヴェステリア・ゼレス・レオハート・フォン・アルケミア。アルケミア学園の生徒会長をしています。この度はSクラスでのご入学、おめでとうございます」
その微笑む一言で、彼女の名を知らなかった生徒の間にどよめきが広がる。
アルケミア、その名を家名とする家は世界にたった一家だけだ。
――アルケミア王族、代々ここアルケミア王国が戴く君主を輩出する家系であり、貴族の規範たる貴族の大本。
そしてヴェステリアは現国王の第一王女という立場にあり、平民からすれば雲の上の人である。
ヴィルの隣に座るニアなどは、名前は知っていたようだが姿と一致していなかったらしく、唖然とする口が全く閉じていない。
完全に理想通りの反応だろうな、とヴェステリアの人柄を知るヴィルは思った。
「これから皆さんはこのクラスで共に勉学に励み、鍛練に励み、多くの思い出を残す事となるでしょう。それはきっと掛け替えのない、人生を変える経験ばかりであると、本学園で三年を過ごした私が保証します」
浮かべる笑みに嘘臭さは全く存在せず、話しながらも一人一人と目を合わせようと視線を巡らせる様子は、人心を掴もうとする意図よりも寧ろ誠実さを感じさせる。
人前に立ち演説する事に慣れた確かな技術は、ヴェステリアが既に為政者として完成されている何よりの証拠だった。
「しかし、これからの学園生活が楽しいものばかりでない事もまた事実です。長い学園生活です、不安や悩みを抱える事もあるでしょう。私自身、これまでに多くの悩みを抱えて、ここまでやってきました。中にはご学友や教師の方々に相談しづらい内容もあるでしょう、そんな時には是非生徒会を頼って下さい。我々生徒会は、いつでもあなた方の力になります」
そう話すヴェステリアの傍に控える、バレンシアによく似た髪色の女生徒もまた生徒会の役員なのだろう。
生徒会長と共に来たのだから、相応の役職に就いているのだろうと察せられる。
「それから自分の持つ力で人の役に立ちたいという生徒の方は、是非生徒会に所属してみて下さい。Sクラスに在籍するに至った皆さんのお力を、生徒会は必要としています。……最後になりましたが、皆さん一人一人に言葉を掛けさせていただきたいと思います。生徒会長として、また一人の王族として、皆さんの今後のご活躍に期待します」
気高く演説を終えたヴェステリアは最後に一礼し、それから傍に控える生徒を連れて一番前の席に座るヴァルフォイルと呼ばれた生徒の席の前に立つと、笑みを湛えたまま握手を求める形で手を差し出した。
普通の生徒ならば戸惑う場面だろうが、そこは若くとも上級貴族、ヴァルフォイルは素早く立ち上がり手を合わせる。
「ヴァルフォイルさん、期待していますね」
「あー、そのお言葉、ありがたく頂戴いたします。期待に応えられるよう、今後とも精進していく次第です」
丁寧なヴァルフォイルの言葉に満足そうに笑みを深くし、五秒程握手を続けていただろうか。
それから手を解いたヴェステリアは、その隣に座るカストールと呼ばれた生徒に対しても同じようにし、またその隣へと続いていく。
どうやらSクラスの全生徒に対して、一言ずつ掛けて握手をしていくようだ。
決められた定型文を交わし、握手をするだけの単純な行為だが、それを王族が行うという事自体に意味がある。
学園を出れば、生徒の多くが身分差から声を掛ける事も出来ない存在である王族だが、学園では王族も平民も同じ生徒として接する機会があると示す事で、新一年生特有の身分格差を無くそうという目的があるのだ。
そんな目的を抜きにしても大勢に認められる将来国を担う人物、それも美人から話しかけられ握手を求められれば、誰だって嬉しくもなる。
自らの求められる役割と立場、そして人を惹き付ける容姿を含めた上での行動だ。
ヴェステリアは自分の事をよく理解している。
「バレンシアさん、期待していますね」
「ありがとうございます、殿下。今後とも精進いたします」
順番は巡ってバレンシアを終え、次はヴィルの番だ。
視線に応えて立ち上がり、言葉を待つ。
と、
「――ヴィルさんも、期待していますね?」
それはほんの少しのニュアンスの違い、かなり意識を向けていなければ分からない程度の違いでしかない。
だが手を握るヴィルは、内心でかなり冷や冷やしていた。
ヴィルとヴェステリアは以前からの知己であり、何度か茶会で話した事もある関係だ。
それ故に言葉をアレンジしたのだろうが、やや悪戯が過ぎると言わざるを得ない。
「ありがたきお言葉、感謝致します。ご期待に沿えるよう一層頑張らせていただきます」
しかしヴィルはそんな思考の素振りを一切見せる事無く平静を装い、当たり障りのない返しを行う。
その内心は穏やかならずとも、だ。
次会った時にどう礼を返してくれようかとヴィルが思索を巡らす傍ら、ヴェステリアは何事も無かったかのように全員に言葉を掛けていったのだった。
―――――
「それではグラシエル先生、貴重なお時間をありがとうございました」
ヴェステリア達が退出し、教室には緊張の緩和が多く見られた。
相手は王族なのだから当然なのだが、ただ一人グラシエルだけはやれやれといった様子で教壇に戻っている。
そんなグラシエルは開口一番、
「ま、王族と言えどこの学園内ではただの生徒だ。頼りになる先輩とでも思って気軽に声を掛ければいい」
等と言っていたが、大半の生徒にとっては何よりの難題だろう。
その後グラシエルは言葉遣いの荒い言動とは裏腹に、懇切丁寧に学園のルールや設備について説明してくれた。
この学園は貴族も平民も分け隔てなく平等に学ぶ場所である事、学園に在籍する限り平民の貴族への不敬罪が無効となる事、生徒同士の争いは正式な決闘によって白黒をつける事、授業は基本的に午前九時から午後五時までである事、等々。
ヴィルはそれらの内容を一つ一つ丁寧に記憶していく。
そして一通りの説明を終えたグラシエルは最後に、
「今日はこれで以上だ。さて諸君、早速だが明日から座学が開始される。初日だが容赦する気は無いからそのつもりで。明後日は午前中の能力測定の後実技の授業に入るからな、楽しみにしておけ。以上、解散!」
そう言い残すと、さっさと教室を出て行ってしまった。
残された生徒たちは寮へ帰ったり、学園の探索に赴いたり、教室に残り友人同士で先の王女について話したりと、皆銘々に思い思いの時間を過ごしていた。
そんな中ヴィル達はというと――
「ねえ、ヴィルとバレンシアはこの後どうするの?昼から結構暇だよね?」
「僕はこれから学園の施設を見て回ろうかと思ってるんだけど、良ければ一緒に来る?」
「ごめんなさい、私は遠慮しておくわ。寮にかなり私物を持ち込んだから整理しないといけないの」
「そっか、残念だけど仕方ないね。あ、あたしはもちろんヴィルについてくよ?」
「分かった。それじゃあ今日はここまでだね。じゃあまた明日、シア」
「ええ、また明日」
貴族であるバレンシアは寮へ荷物の整理に、ヴィルとニアは一緒に学内の探索に乗り出す事になった。
チラチラとこちらを、正確にはバレンシアの方を見ていたヴァルフォイルも、バレンシアが教室を出たのを確認し退出。
ヴィルとニアもそろそろ出発しようかと言い席を立った――のだが、
「――ねえアナタ、ヴィルって言ったかしら?」
教室内に残っていた数人の生徒の内、一人の少女がヴィルに話しかけてきた。。
その少女はヴィルと同い年でありながら、既に女としての色香を帯びていた。
髪は深い艶のある濃い紫色、整った顔立ちに口元のほくろが特徴的、目は穏やかな目つきに透き通るようなアメジスト。
身長は160センチ程度か、窮屈そうに制服を押し上げる胸からも健康的な肉付きの良さが見て取れる。
Sクラスの生徒の名前と顔は既に記憶済みだ。
この少女は――
「ええ合っていますよ。レヴィア様は僕に何か御用ですか?」
レヴィア・フォン・サンゲルタン、王国西部に領地を持つサンゲルタン公爵家、その長女。
それがヴィルに話しかけてきた彼女に関する情報の一部だ。
ヴィルの返答に、レヴィアは嬉しそうに微笑む。
「あら?ワタシの名前を憶えていてくれたのね。嬉しいわ」
「点呼の時に。記憶力には自信がありましてね、人の名前を覚えるのも得意なんですよ」
そうして微笑みを交換し合うヴィルとレヴィア。
ある程度雑談をした所でレヴィアが本題を切り出し――
「――この後教育棟裏に来てくれないかしら?少し話があるの」
そう嫣然と言い放ったのだった。
―――――
――古来より、校舎裏で行われるのはカツアゲとイジメ、それから告白と決まっているのだ。
とは、ここではないどこか遠くを見て言い放ったニアの言葉である。
ヴィルは現在ニアと予定していた学内探索をキャンセル、Sクラスの教室が入っている教育棟の裏手に、レヴィアに導かれるままにやってきていた。
「―――――」
レヴィアの背中を追う間、ヴィルは思考する。
その内容は、レヴィアが自分を呼び出した目的についてだ。
まず最初に、ニアの言っていた告白の可能性については除外していいだろう。
理由はいくつかあるが、そもそもヴィルとレヴィアは初対面で、話したのもつい先ほどの会話が初めてである。
唯一接点がありそうだった入試試験の会場も違ったようだし、見た覚えもない。
ヴィルは限定的ながら事前にレヴィアの情報をある程度知っていたが、レヴィア側にヴィルの情報を集められたとは到底思えないのだ。
ヴィル・マクラーレンという人物の活動年数は五年程、活動範囲は王都の冒険者ギルドとその郊外のみ。
多少目立ってしまった事があったと仮定しても、精々が噂話止まりだろう。
故に、当時王国西部に滞在していたレヴィアがそれを知る事は難しい。
これらの前提条件が、ヴィルの考え得るレヴィアの目的の大半を打ち消していく。
そうして残った極小の可能性、もしそんな可能性があるのならばあるいは――サンゲルタン家当主から、『レイドヴィル・フォード・シルベスター』の話を耳にしている可能性。
「―――――」
レイドヴィルに関する情報は、ヴィル・マクラーレンに関するものよりも遥かに入手難易度が高く、得難い。
王国法第十五条に記載されている国家機密法、そのレベル五に指定された情報は公爵家以上の当主と、国政に関わるごくごく一部の者達の間で宣誓によって保護されており、その範囲にないレヴィアがレイドヴィルの名前を知る事は一見不可能に思える。
――余談だが宣誓というのは宣誓魔術の略称で、個人と個人に両者間の秘密を守る事を強要する、貴族が行う魔術の才のない者にも使える、だが強力な情報保護手段である。
だがこと過失による盗み聞きには、その効力を発揮しないのだ。
もしレヴィアが、自分の秘密について何か知っているのだとすれば――。
もっとレヴィアという人物についてよく調べておけば……そんな後悔はもう遅い。
ただ冷静に状況を見極め、その場の最適解を用意するのみである。
「――そろそろこの辺でいいかしらねえ」
レヴィアが足を止めたのは、教育棟と学園の敷地の壁に挟まれた場所だった。
彼女が振り返る瞬間、ふわりと香水の匂いが香る、この香りはジャスミンだろうか。
「それで、僕に何の御用ですか?」
来る――――!
会話の火蓋を自ら切り、何事にも対応できるよう身構えながら、しかし傍から見て不自然にならないよう振舞う。
全ては次の一言に対応するために―――
「――ヴィル、あなたワタシと付き合うつもりはないかしら?」
ヴィルは、それまでの思考が真っ白になる感覚を味わった。
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