第194話 仮面武闘会
ダンスパーティーの終盤、ヴィルは一人飲み物を探して会場を歩いていた。
もう何時間もぶっ続けでダンスのパートナーを務め続け、さしものヴィルと言えど疲労を感じていたのだ。
王国の代表生徒を務めている時点で仕方のない部分ではある、あるのだが、それにしても限度というものがある。
その凄まじさたるや、ローゼン・クレーネの学生、二国の貴族令嬢、その中から数を絞ってもヴィル待ちで行列が出来ていた程だ。
貴族でもないただの生徒にである。
代表生徒という肩書に、飛び抜けた容姿に、洗練された所作に惹かれ、年端もいかない貴族令嬢から伴侶を持つ貴族婦人まで。
そうした相手に気を遣いながらのダンスは、単純な肉体的疲労もそうだが、それ以上に精神的に疲労が溜まる。
故にヴィルは一番最初に集まって来た一団とのダンスを終えた所で後続を断り、こうして休息を取っていたという訳だ。
会場内には飲み物を配りながら歩いているスタッフが居る筈なのだが、折り悪く見当たらず、会場の端にあるバーにやって来たヴィル。
ヴィルはそこで、奇跡的に空いていた一席に腰掛けようと隣の少女に声を掛ける。
「失礼。お隣よろしいでしょうか?」
「え?ああ、どうぞどうぞ!」
ぽかんとした後に赤面して両手で席を差し出され、ヴィルはありがとうと感謝を述べながら席に腰掛けた。
酒を注文して届くまでの間、ヴィルは隣の少女に視線を向ける。
何と言うか普通の少女だ、緊張した面持ちで、両の手でカクテルグラスを持っている姿は明らかに場慣れしていない。
きょろきょろと周囲に視線をやる姿は挙動不審で、誰かを探しているのか、ダンスパーティーが物珍しいのか判断が付かない。
「こうしたパーティーは初めてですか?」
「え、あたし、ですか!?え、えと……初めて、です……」
「道理で。失礼ながら慣れていらっしゃらないご様子でしたので」
「あはは……いや、普段こういうとこ来ないんで、見るもの全部が新鮮で。なんかすみません」
「謝る事などありませんとも。誰も彼も最初の一歩はあるもの。それを否定してしまっては閑古鳥すら鳴けませんよ」
「えへへ……そう言ってもらえると助かります」
ふにゃりと苦笑する少女を見て、ヴィルはどこか心が和らぐのを感じていた。
華やかな装いの下に計算を潜ませた者達とは対照的な、素直で純粋な在り方がヴィルには新鮮だったのだ。
「普段縁が無いという事はご出身は商家ですか?見た所王国の方のようではありますが」
「はい!ええと……父が商人をしていて、近頃ようやく名が売れるようになったので今回のパーティーに呼んで頂けたんです。父は今は急用で外に出ていて、まだ掛かると思います」
「そうなんですね」
聞きもしていない情報を吐く少女は、一連の言葉だけに淀みが無い。
まるであらかじめそう話す事を決めていたかのように。
その後もヴィルと少女は話を続け、少女も徐々に緊張がほぐれてきたのか屈託なく笑う場面もあった。
それからかなりの時間が経っただろうか。
少女は時折時計を気にするような仕草を見せ、どこかそわそわとしているように見える。
そろそろ頃合いかと、普段ならば察してお開きにする所だが、今回ヴィルは敢えて配慮しなかった。
少女は会話を切り上げようとするが、ヴィルは可能な限り会話を引き延ばしている。
徐々に空気が盛り下がっていくのを感じるが、それも無視する。
そうして破綻が現実のものとして訪れようとしていた、その時だった。
「ノーラ、ここにいたのか……」
「あ、ネスター……」
少女をノーラを呼ぶ青年が現れ、ヴィルと少女の側へとやって来たのだ。
少女――ノーラは知人を見て露骨にほっとした表情を見せた。
「時間になっても来ないからみんな心配して……って」
「これはとんだ失礼を。既にパートナーの方がいらっしゃったとは、ご迷惑でしたね」
「い、いえいえ!お話しも楽しかったし、ダンスに誘ってもらったのも嬉しかったです!」
「それでは私はこの辺りで。もし次の機会があれば一曲お相手頂ければ幸いです、ノーラ嬢」
「は、はい。それは是非是非」
「行こう、ノーラ」
ネスターに手を引かれ、ノーラはそのまま会場を後にしていく。
用事で席を外した事に対する罪悪感か、時折ヴィルの方を振り返りながら。
――ヴィルは、その確認が途切れた後も視線を向け続けていた。
―――――
ダンスパーティー会場、場外。
会場の警備は厳しい、が、それは外から入る者に対しての警戒であって、内から出て行く者達はその限りでは無い。
衛兵に夜道には気を付けなと忠告を貰った二人は、しばらく大通りを歩いた後、すっと脇道へと逸れ闇へと潜っていく。
深く、深く交流会の賑わいの届かない所まで。
そうして辿り着いたそこは、やや開けた空き地となっており、周囲には元あった建物と思しき瓦礫が散乱していた。
二人が到着したと同時、暗闇から十数の人影が出現する。
瓦礫の影に身を潜ませていた彼ら彼女らは、いずれも艶の無い黒の仮面を身に着けていた。
その中の一人、一歩前へと進み出た少女は、仮面を外しながら怒りの表情を露わにして――
「ノーラ!遅い!!」
「ごめんエレナ!」
「謝罪はいらない!言わないよりはマシだけどね。さあ、みんな遅れた訳を話してもらおうじゃない。まさか、まさか下らない理由で遅れたんじゃあ、ないわよねぇ?」
「そそそ、そんなまさかぁ!」
エレナと呼ばれた少女に超至近距離まで詰められるノーラは、冷や汗をかきつつしどろもどろになりながらも否定しようとする。
が、残念ながら既に目撃者は居るのだ。
「聞いてくれよ。ノーラのやつパーティー会場で男引っ掛けてたんだぜ?しかもとびっきりのイケメンを」
ノーラをここまで引っ張って来たネスターが、情け容赦無く会場での状況を暴露する。
「そうなのノーラ?」
「ちちち、違う!とにかく言い方が悪い!!」
両手をぶんぶんと振って否定しようとするノーラだが、ここは明らかに形勢が悪い。
エレナやネスターは勿論の事、その他の者達からも非難するような咎めるような視線がノーラへと寄せられる。
しかしそれらの視線に本気で罪を償わせようというような意思は無く、どちらかと言えば面白がるような視線が主だった。
「あたしから声かけた訳じゃなくて、向こうから話しかけて来たんだってば!その人めっちゃ話が上手くてさ、それに優しくて、カッコよくて、全然抜け出す隙が無くって……」
「やっぱり満更でもなかったんでしょ?」
「ちが!違うってぇ………………うん、違う」
「いやこれマジじゃん」
くねくねもじもじと身体をくねらせるノーラに、真顔でツッコむエレナ、どっと湧く笑い声。
何とも緊張感に欠けるやり取りだが、全員が黒ずくめの服装で剣や槍で武装しており、その目的が平穏なものでない事は明らかだった。
「まあ、その件については後からしっかり事情を聴くとして。はい、ノーラとネスターの武器」
「ありがと。今回の遅れは今回の働きでしっかり返すから」
「あんまり気負い過ぎるなよな。一人で突っ走ったってまたドジ踏むだけだし」
「分かってるって、今回の作戦も絶対失敗出来ないんだから。誰にも見つからないように、誰も傷付けないように……」
「――それが作戦の失敗条件なら、もう既に破綻していると思うんだけどどうだろう?」
「「「「――――!?」」」」
影が一斉に声のした方向へ振り向き、それぞれの得物を構える。
その動作は訓練され洗練されたものであり、門を叩けばすぐにでも正騎士団に採用されるであろう練度だった。
その中の一人、エレナは暗がりから放たれる凄まじい圧迫感と驚きに冷や汗を流す。
まるで気配がしなかった、声が発される直前までそこは無人の空間だった筈なのだ。
肺を絞られるような、心臓を握り潰されるような鬼気に息を呑む。
息が荒いのはエレナだけではない、静かな夜に、何人もの吐息が木霊している。
やがて圧迫感をくぐるように、一人の青年が黒づくめの集団の前へと躍り出た。
月光を返す銀髪、人並み外れて整った相貌、そして他を寄せ付けない実力を伴った剣気。
誰にも悟られず影の密会へと闖入するその青年は、余裕を口元の笑みで表しながら言った。
「こんばんは、黒の仮面の義賊さん。今夜はどんなお宝をご所望なのかな?」
――ヴィル・マクラーレンが、黒の仮面の義賊達の前へと立ち塞がった。
―――――
賑やかなドラウゼンの街の夜、その中で静かな緊張が走る。
半ば義賊に包囲されるような形で割り入ったヴィルは、周囲への警戒を解かないままにノーラへと視線を向けていた。
「あなた、は……」
「これは失礼、名を名乗り忘れていましたね。僕の名前はヴィル・マクラーレンです。ここでは敢えて傲慢に、勿論知っていますよねと問わせてもらいますが……」
「っ!まさかノーラが話してた人って」
「ヴィル・マクラーレン……ボスから聞かされてた中でも最悪の名前だぜ……!」
「その様子だと詳細な自己紹介は必要なさそうだ」
義賊の間では何故かヴィルが要注意人物として認識されていたらしく、緊張が臨戦態勢へと転化していく。
義賊達が完全武装しているのに対し、方やヴィルはパーティーのドレスコードそのままの格好で、帯剣すらしていない。
それでも尚、形勢の優劣に関しては語るまでも無いだろう。
ここで一歩前に出る形になっているエレナが、当然抱く疑問を口にする。
「どうしてここが分かったの?ノーラとネスターを尾けて来たんだろうけど、怪しい点なんてなかったはず。まさか可愛いノーラをどうこうしようとしてた訳じゃないでしょ?」
「そうだね。ノーラ嬢に魅力がある事は否定しないけど、僕が疑いを持ったのはそこじゃない。そうだね……仮面で顔は分からないけど、体格からしてそことそこのペア、それから君とノーラ嬢かな」
「…………?」
「――音楽公演と演劇、それから街の中でも見たかな?君達、フォーメーションを組んでいただろう?標的を色んな角度から監視出来るように散り散りになって、ペアを変えて」
「「「「…………!」」」」
「そこまでならまだ妙に思うだけに留めていただろうけど、パーティーにまで参加するのはやり過ぎだったね。今日のパーティーに参加する王国側の人間の顔は軒並み把握してる。例外についてもある程度予想は出来るからね、帝国の人間じゃないのなら答えはそれ以外。侵入に関しては相当警戒してる筈だし、どうやって入ったのか興味はあるけど……今は目の前の問題だ」
ヴィルの目がすっと細められ、義賊達を射抜く。
ヴィルはここに来るまで義賊がこの街に居る事も、何か行動を起こそうとしている事も知らなかった。
しかし何の因果か辿り着いた、ならばやる事は一つ。
その眼光に射竦められ、たじろぐ様子を見せる義賊達。
「エレナさん、不味いですぜ。そろそろパーティーが終わっちまう」
「ごめん。あたしが遅れたせいで……」
「いや、俺のせいだ。俺が行かなきゃ怪しまれる事も無かった」
「……責任を押し付け合うのはなし。今はとにかく……」
エレナ達がヴィルから視線を外さず相談していた、その時だった。
「う、うわあああああ!!」
圧迫感に耐えかねたか、はたまた迫る時間制限に焦りが出たのか、義賊の一人がヴィルに向かって飛び掛かった。
先走ったのだ。
「あいつ!」
「くっ!仕方ない、私達も行くわよ!」
そこからなし崩し的に、ヴィル対義賊の戦端が開かれた。
先頭を行った最初の義賊が打ち倒され、その後も続々と義賊達が猛攻を仕掛けるが、そのいずれもヴィルの命には届かない。
無手と武装という格差があって尚、ヴィルと義賊の戦力差は埋め難いものがあった。
拳撃を喰らい、貫手を喰らい、蹴脚を喰らい吹き飛んで行く。
死んではいないが犠牲者が出ている以上、仲間を放置していく事は出来ない。
そうした情の繋がりが、義賊達をこの戦場に縫い留めていた。
そして、
「君で最後かな」
「く、うぅ……」
エレナが膝を折って地面に頽れ、ヴィルが敵の一人から奪い取った剣を地面に落とし、義賊達はここに全滅した。
いずれも生半可な腕の者達では無かった、だがそれでもヴィルに一撃を届かせた者は一人も存在しない。
ヴィルは落とした剣を踏まないよう避けながら、倒れ伏すエレナへと歩み寄って行く。
何を狙っていたのか、誰を狙っていたのか、どういう手筈だったのか、ボスは誰なのか。
知りたい事は山のようにある、それを聞き出す為に。
死屍累々一歩手前といった惨状で、誰もが立ち上がろうと足掻いてしかし身体は追い付かない。
そうしてあと数歩でエレナの下へと届く、まさにその時だった。
「何っ!?」
思わず声を上げるヴィルの背後も背後――唐突に、息の掛かるような距離に剣が迫る。
大前提として、ヴィルは背後を含めた奇襲に対して強い耐性を有している。
『第二視界領域』は全方位を視る目の役割を果たし、距離の制限があるとはいえ自らの間合いを俯瞰する程度の視力を持つ。
或いはそんな異能を有していたからこその油断か、警戒網にすら掛からなかった凶刃、その一撃がヴィルの心臓へ迫る。
「ッッ!!」
レイドヴィルをして死を覚悟する一撃、それを右足を軸に旋回するように身を回して何とか躱す。
その際背中から左肩にかけて負傷したが、本来完全完璧であった筈の一撃を無理に回避した代償としては安いものだ。
続けて敵を正面に背後へと跳躍し、安全を確保しながらその正体を視界に捉える。
――黒い、ただ黒い仮面が、在った。
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