第188話 貿易都市ドラウゼン
――貿易都市ドラウゼン、商品として扱いうる世界中の物が集まると言われる商業国家と程近く、陸路海路を問わず、昼夜を問わず交易が盛んに行われる『王国の大動脈』である。
その為都市の中央を貫く大市場は常に喧騒に満ちており、絶える事が無い。
布地や香辛料、宝石、書物、獣の皮や異国の楽器――数えきれない程の品が並び、その全てが物語を秘めている。
荷車を引く隊商達は汗を拭いながら値を叫び、露店の少年たちは通りすがりの旅人に声を掛ける。
都市は、活気に満ち溢れていた。
「凄ぇ活気だな!王都でもこんなに賑やかじゃねぇよ!」
「嬉しそうだね、ザック!やっぱり商人の血が騒ぐのかな!」
「ねえここうるさいんだけど!早く抜けるわよ!」
「何て!?クレア今何て!?」
喧騒がヴィル達の会話を掻き消し、ニアが声を張り上げるがその声もまた怒号にも似た声に押し流される。
ドラウゼンに到着してすぐ、一行はドラウゼン目玉の大市場に赴いたのだが、想像を絶する狂騒が観光気分を一瞬で終わらせていた。
商いでは多くの場合、どれだけ商品を魅力的に見せるか、どれだけお得だと思わせるかなど、弁論の力が強力な武器となる。
しかしここではそれらの要素は二の次、何より声の大きさが集客力と直結している得意な商いの場。
ここは余所者が遊びに来るような観光地では無い、商いに夢を見る者が鎬を削る商人達の戦場だったのだ。
「あー、やっと抜けられた。マジで人多すぎ……」
「そうか!?俺はもっとゆっくり見て回りたかったんだけどな!」
「うっさいわねアンタ!やっと抜け出せたんだから場に合わせなさいよ!」
喧騒の抜けきらないザックが頭を叩かれ、クレアから説教を受ける。
四人は一緒に大市場を回るのを断念し、大通りを外れた路地裏へと離脱、避難していた。
時期は既に秋で涼しい筈だが、商人と客に揉まれたお陰でじんわりと汗が滲む。
あの中で何時間と声を張り上げるのだから、商人は体力だという言葉にも頷ける。
「ああ、良かった。ようやく見つけたわ」
と、人混みを掻き分けるようにして、バレンシアが路地裏へとやってくる。
同じく人混みに疲れたようで、辟易とした様子で溜息を吐いていた。
「物凄い人ね。まさかここまでとは思ってもみなかったわ」
「元々活気がある所に交流戦だからね、人が特に集まってるんだと思う」
「それだけ私達の動向に注目されているという事ね。気を引き締めていかないと」
いざ交流が始まれば、王国帝国に拘らず一挙手一投足に注目される事は想像に難くない。
今からするのは少し気を張り過ぎな気もするが、気を抜かずにいる事自体は悪くないと言える。
ニアは額の汗を拭いつつ、仲間達の顔を見回した。
「それで、これからどうする?一応予定では市場でも見て回ろうって話だったけど……」
「パス」
「流石に人疲れしたから少し離れたいわね」
「マジか。俺はまだまだ回ってみたかったんだが……まあ合わせるわ」
クレアが即ギブアップを宣言し、バレンシアもそれに倣う形で否定、ザックだけは惜しむ表情を見せたものの最終的には折れた。
苦笑するニアも言葉には出さないが、戻る事を歓迎してはいない様子。
ヴィルとしてはザックと二人で露店を巡っても良いのだが、ここは人数の多い方に合わせる事にした。
「じゃあ大市場は無しだね。となると何をするかって話だけど」
「俺に考えがある」
「えー」
「えーじゃねぇ、ちゃんと聞けっての。これは親父に聞いたんだが、この都市は大市場ばかりが目立ちがちだがそれとは別に、大通りに出店する力を持たない商人達が集う、裏の市場があるらしいんだ。裏って言ってもヤバいものは扱ってないぜ?迫力には欠けるが、その分一人一人の客を大事に扱う商人が多いからな、始めからそっちを狙う客も居るらしい」
クレアの茶々もなんのその、語るザックの表情は戦闘時にも負けず劣らず生き生きとしていて、彼が商人の息子である事を再認識させられる。
ともあれザックの提案は魅力的なもの、すぐに全員が賛同し、一行は裏の市場を目指す事となった。
とはいえ誰も裏の市場とやらの場所を知らなかった為、探すのにも相応に時間が掛かると思っていたのだが、運の良い事にヴィル達が逸れた路地裏は裏の市場に繋がる道だったようで、そう迷わずに辿り着く事が出来た。
――裏の市場、そこは言葉の印象とは裏腹に、日の当たる綺麗な場所だった。
通りには色とりどりの布が軒先にたなびき、やや手作り感が目立つ看板には素朴な絵と文字が躍っている。
そこに大通りのような押し合いへし合いの混雑は無く、代わりに穏やかで落ち着いた空気が漂っていた。
「うわ……こっちの方が断然イイじゃん……」
クレアが深く息を吸い込んで呟く。
人目、集団というものが苦手なクレアにとって、ここは快適な観光地だった。
「うん。これなら落ち着いて回れそうだね」
「あれ見て!すっごい可愛いアクセサリー!」
「大通りと比べりゃちょっとばかし見劣りするが……こっちもこっちで良いな」
ニアとザックも既に周囲に目移りし、自由に露店を見て回っている。
最初は乗り気でなかったクレアも、ニアに腕を引っ張られ、アクセサリーショップに夢中だ。
「私達も行きましょうか。放っておいたらどこかに行ってしまいそうだわ」
「そうだね。皆の動向を気にしつつ僕達も軽く見て回ろうか」
それから五人は、各々自由に店を見て回った。
アクセサリーを眺め、串焼きを頬張り、珍しい柄の服を試着し、輸入品の数々に目を輝かせる。
露店の店主達は皆快活で口が上手く、そうした誘惑に弱いニアなどは事あるごとに捕まって、ほんの数メートル歩いただけで大量の品を抱える羽目になっていた。
最も、本人はホクホク顔で満足そうだったのでヴィルとしては止める理由も無い、これも観光の醍醐味だろう。
土産物を購入し、軽食を買い食いしながら市場を回る。
既に昼食を食べた後ではあるが、若い身体は幾らでも食べる事が出来た。
そうして観光を楽しむ五人は、とある武具店へと足を踏み入れていた。
普通の武器や防具から国外から輸入した珍しい武器の他、依頼すれば特注品まで作ってくれるらしく、店主はドラウゼン一番の武具店だと言う。
ヴィル達以外にも客が数人居り、一番かは不明だがそれなりに繁盛しているようだ。
もっとも、完成までに数か月を要するようなので特注品は縁が無かったが、それでも日頃から武具と付き合いのある身として、大量の武具が並んでいる光景は見ているだけで楽しいものだ。
「シアは見なくてもいいのかい?」
あらかた店内の剣を見終わったヴィルは、所在なげに立つバレンシアに声を掛けた。
「そうね、私も別に興味が無いとまでは言わないけれど……あまり大きな声では言えないのだけれど、魔剣を持っていると他の剣を見ても購買意欲がそそられないのよね」
「ああ、それは確かに」
味わい深い表情をするバレンシアを見て、ヴィルは苦笑気味に共感する。
一定以上の財力や権力を有する者は、使う得物を相当な力を入れて選んでいる。
自分の命を預けるものなのだから当然だが、特に貴族はそれが顕著だ。
名だたる鍛冶師の手がけた逸品は適切に手入れをしていれば買い替える事も少なく、それが聖剣魔剣の類であれば尚の事。
武器というものに必要以上の興味を持っていなければ、バレンシアのような態度も頷ける。
「僕のついこの間新調したばかりだからその気持ちは分かるよ。それはそれとして見たくなるものなんだけど」
「新調したのって夏季休暇よね。確かクラーラからお礼として貰ったんだったかしら?詳しい事情は知らないけれど」
「そうなんだ。特殊な能力は無いし銘も無いけど、凄く手に馴染むし頑丈だから結構気に入ってるんだ」
「武器の良し悪しについてはあまり詳しくはないのだけれど、その私から見ても良いものだったものね。それでも他の武器が気になるもの?」
「まあ、僕の場合はね。元々こういうのが好きだから実用性の有無は関係無く気になるものなんだよ。ほら、これなんかは結構面白くて、ここは聖法国特有の加工技術なんだけどここのしなり方は……」
ヴィルは棚に飾られていた一本の両手剣を指差し、バレンシアにその特徴を解説する。
バレンシアはヴィルの解説を聞きつつ、時折質問を投げ掛けていた。
「なるほど。武器にはそういう見方もあるのね。私が見る時は実用性があるかどうかだけだったから新鮮だわ。それにしても随分と詳しいのね。自分で使う訳でもないでしょうに」
「そうでもないよ。両手剣は扱いが難しいけど、冒険者時代は結構使ってたしね。他に槍、弓、斧だったり棒だったり、武器なら一通り扱えるよ」
その発言に、バレンシアが眉を上げて驚きを表現する。
「あなた、多芸だとは思っていたけれどそんなに幅広く使えたのね」
「孤児院の院長が『得物を選ばないのが一流だ』って色々教えてくれたんだ。武器とそれに応じた戦い方への理解は、いざ相手にした時の対策にも使えるからね。感謝してるよ」
そんな話をしながら、ヴィルとバレンシアは店内の武器を見ていく。
と、ヴィルのすぐ傍を親に連れられて来たと思しき子供が駆けて行く。
その足取りはふらふらとして危なっかしく、見ているだけで余人の不安を誘う。
すると案の定と言うべきか、走る子供の腕が立て掛けてあった戦斧にぶつかり、それがゆっくりと倒れていくではないか。
倒れる先には女性、本人も気が付いたが間に合うかどうか。
ヴィルはすぐさま距離を詰め、身体を前に出すように庇いながら間一髪、片手で倒れてくる戦斧を受け止めた。
「ヴィル、大丈夫なの?」
「うん、問題ないよ。何とか間に合ってよかった」
心配そうに駆けつけて来たバレンシアに笑いかけつつ、ヴィルは戦斧を元あった位置へと戻す。
すぐに子供とその親が謝罪をしに来たが、大事の無かったヴィルはすんなりとその謝罪を受け入れた。
「あなたもお怪我はありませんでしたか?」
「――感謝するわ。危ない所だったけど、見ての通り無事よ。お陰で助かったわ」
微笑むように礼を述べるのは、穏やかそうに見える女だった。
年齢は二十代後半くらい、下がり眉に柔らかな微笑を浮かべ、ヴィルを真っ直ぐに見ている。
深い紫をした髪はセミロングで胸の前へと垂らされ、すらりと伸びる肢体は成熟した色気を纏う。
武器は持っていないが鋭い物腰をしており、ヴィルはすぐに女が出来る側である事を見抜いた。
だがそれだけではない、それだけではない何かがヴィルの目をいやに惹いた。
「お怪我が無いようで何よりですよ」
「ごめんなさいね。本当なら何かお礼をしたい所だけど、わたし今日はすぐに行かなくてはならなくって……」
視線をやや伏せ気味に、申し訳なさそうに言う女。
ヴィルはそれを手で制し、気にする必要は無いと首を横に振った。
「いえ、お気になさらず。僕が助けたくて助けただけで、お礼や対価が欲しくてやった事ではありませんので」
「そう……随分と優しいのね。ならお礼はまたいずれ、会った時にさせて頂戴ね。きっと会える、そんな気がするの」
「そうですか。ではまた縁があればその時には遠慮無く」
女は最後にヴィルに笑い掛け、店主から品物を受け取るとそのまま店から出て行った。
その一部始終を見ていたニア達が、ヴィルの側へと寄って来る。
「危ないところだったけど、さっすがヴィルだね!」
「美人に礼を言われるなんざ、助けた甲斐があったな」
「そんなんじゃないよ。それじゃあそろそろ出ようか。明日に備えて宿でしっかり体を休めよう」
ヴィルの提案に全員が頷き、一行は武具店から出て宿屋へと向かう。
その最中、ヴィルの頭にあったのは倒れる戦斧から助けた女の事だった。
芯の通った体幹と鋭い物腰、明らかに命のやり取りで生計を立てる人種だ。
そういった人間は世界的に見ても珍しくはない、冒険者だって正に命のやり取りで成り立っている職業なのだから。
ただ一点、彼女についての印象を述べるとするならばそう――
(まるで油断が無かった。まるでここが戦場だとでも言うかのように)
――濃密な血の匂いが、ヴィルの鼻腔にこびりつくように香っていた。
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