第184話 帝国への備え 一
アルケミア学園Sクラス、朝会。
出席確認と連絡事項の伝達などが行われるその時間に、担任であるグラシエルからある重要事項が共有された。
「さて、フローリアから戻って一週間。全員しっかりと体と心を休められた事だろうと思う。霊峰で予定を大幅に超えて滞在した分、授業の予定が逼迫した中ではあるが、お前達に朗報だ」
「何だろ。秋の大会……はもう終わっちゃったよね」
「うん。この時期だと大きい大会は思いつかないな」
教室がざわざわと騒がしくなる。
霊峰では登山中黒龍に襲われる事件が発生し、結果として予定されていた一か月を超え、その後の休息日も含めれば約一か月の予定超過となった。
本来であれば、Sクラスは秋の大会にも出場予定だったのだが、今年は残念ながら間に合わず参加辞退という事態になってしまっていた。
誰が悪いという訳では無いこの結果に、Sクラスは意気消沈していたのだが、このタイミングでの朗報にクラス全体が期待していた。
「先生!朗報って何ですか?まさか大会とか?」
「そう急かすな。話は最後まで聞け。残念ながら大会では無いが、腕試しの場ではある。それも王国の威信が掛かった、な。――喜べお前達。お前達は帝国との親善交流戦の代表に選ばれた。十日後、貿易都市ドラウゼンで帝国代表の生徒達と交流戦を行ってもらう!」
グラシエルの堂々とした宣言の後、Sクラスの生徒達が一斉に湧く。
それは闘争を求める生徒の雄叫びであり、唐突な使命に驚く生徒の驚愕であり、催事の開催を喜ぶ生徒の歓喜の声だった。
ヴィルのはす向かい、ザックが立ち上がってガッツポーズを取る。
「よっしゃぁあああああ!!来たな大会!腕が鳴るぜ!」
「けど交流戦?帝国と?そんなの出来るワケ?」
「少し前まで戦争をしていて停戦中というだけだもの。どちらから持ち掛けたにせよ、正気とは思えないわね」
クレアとバレンシアは一度は喜びを露わにしたものの、相手が帝国と知って感情を押し止めていた。
それは他の面々も同じようで、何人かは不安や不信を表情に出す生徒が見える。
というのも、王国の隣国バルグ帝国とは、長きに渡り戦争を繰り返した因縁のある国なのである。
直近でも数年前まで殺し合いをしていた中で、両国が大きな損害を負った事で停戦条約と平和条約が結ばれたが、歴史的に見てもこれは一時的なもの。
今になって仲良くなりましょうと手を差し伸べられても簡単には手を取れず、それは逆にこちらから手を差し伸べたのであっても同じ事。
ざわめきの止まない教室に、グラシエルが睥睨して静寂を作り出す。
「お前達の不安は分かる。私も帝国がこの数年で考えを改めたなどとは思わん。だがどのような思惑があるにしろ向こうも馬鹿ではない、表立って敵国の真っ只中で事を起こすような真似はしないだろうし、王国としてもそこは最大限警戒をしている。お前達は安心して力を振るえばいい」
生徒達の不安を可能な限り取り除く、生徒達に十全にその能力を発揮させる。
グラシエルは担任教師として、その責任を果たすべく、堂々とした口調で続けた。
「お前達は、王国の未来を担う才覚を持つ卵だ。力を試す機会を恐れるな。疑う事は悪い事では無いが、臆病と履き違えれば害でしかない。それにだ、これは考えようによっては王国と帝国の代理戦争、お前達は既に王国という看板を背負っているとも言える。どうだ?少しはやる気が湧いてきたんじゃないか?」
生徒達はまだ若く、戦争にも参加経験が無い為帝国に対抗心はあれど、憎悪や殺意を持つ者は少ない。
だが一人の王国民として帝国に思う所はある訳で、その感情をぶつける機会に恵まれたのであれば引きさがる事は出来ない。
何より、血気盛んな若者達にとって、腕を競い合う大会というものはどんなものであれ歓迎するものだった。
「ま、王国貴族の一人として負ける訳にはいかないよなぁ」
「ええ、ええ!無様な姿など見せようものなら貴族の恥。勝利はわたくし達のものですわ!」
「オレぁ相手がどこの誰だろうが関係ねぇ。何だろうがぶっ潰すだけだぜ!」
フェロー、マーガレッタ、ヴァルフォイルが率先して声を上げ、それにつられるようにクラスの士気が一気に向上する。
それを見たグラシエルは満足そうに微笑んで、
「良いぞ、その意気だ。それでは交流戦までの期間、お前達には帝国戦に向けての備えを行ってもらう。個人の能力強化とチーム戦の心得――それから交流パーティーの作法と帝国語の習得だ」
「「「「「「「「え??」」」」」」」」
とんでもない爆弾を投下したのだった。
―――――
「さて、俺達にはあと一週間と少しで乗り越えなければならない大きな壁がある。今回はこの壁を乗り越える方法を全員で話し合いたいと思う」
フェローが神妙な顔で切り出し、クラス会議が始まった。
クラス会議とは、クラスで問題が発生した際定期的に開かれる会議で、これまでにも何度か開かれており、直近では霊峰登山の前になる。
今回の議題は、当然帝国との交流戦についてだった。
「いやぁ、先生ってばいきなりとんでもない無理難題ぶっこんでくれたよねー。帝国語なんてわからんちんだよぉ。うちらはほら、作法とかは義務みたいなとこあるから大丈夫だけどさ」
「我が半身の述べた通り。我が二度の生でも彼の地には縁が無く、言葉を知らぬ。誰ぞ操る者は居らぬのか」
リリアもクロゥも貴族だが、帝国語に関しては殆どの生徒に心得が無かった。
貴族は当然として、平民出身の生徒も礼儀作法の授業で作法とダンスについては学ぶ機会があるのだが、帝国語となると話は別だ。
神代が終わりを告げて、フローリアから離れた流浪の民が建国したと言われるバルグ帝国、言語が変化していったのもここが始まりだと言われている。
そうして長い時間を掛けて変化していった帝国語は、どういう訳か広く使われている王国語と異なり、とにかく難解なのだ。
特に王国語を使っている者ほど習得が難しいとされ、余程の事情が無ければ習得する必要の無い言語というのもあって、世界的に見ても扱える者は少ない。
更に王国と度々戦争状態になっているというのもあって、帝国語を学ぼうとする者自体が少なく、王国国内においてもそれを専門とする教師や教材が非常に限られていた。
そんな中で、バレンシアがすっと手を挙げる。
「私は少しだけね。ある程度単語が分かるのと、簡単な会話くらいならやれるわ。ただ貴族相手にもてなしが出来るかと言われると微妙な所ね」
「わたくしも!わたくしも帝国語なら出来ますわよ!」
「私はマーガレッタ様とは違って単語が精々といった所ですね。ですが家庭教師の方から本格的な教育を受けていらしたマーガレッタ様ならば十分に役目を果たせるかと」
フェリシスの支持を受けたマーガレッタが自信満々に薄い胸を張るが、その実力が自分と同程度だという事をバレンシアは知っている。
なにせ同じ教師から帝国語を学んでいるのだ、その習得具合にそうそう差が出来る筈も無い。
と、こうしてSクラスが集まって会議を開き、少しでも上手く帝国語が話せる人物を探しているのには、ある理由があった。
それは――
「――ローゼン・クレーネ貴族女学院の歓迎代表、ね……」
バレンシアが愁いを帯びた表情でぽつりと呟く。
今回の王国・帝国の親善交流戦は生徒達にとっても大きな行事だが、国際情勢的に見ても極めて重要な意味を持つ。
なにせ長年緊張状態と戦争を繰り返していた四大大国の二つが、数百年ぶりに和平を結ぶかもしれないのだ。
王国と帝国の二国のみならず聖法国や商業国家も注目しており、各国の重鎮が生徒達の交流戦を観戦に来るという。
そんな交流戦で何よりも大切なのが勝敗では無く初対面、帝国側の生徒達への歓迎の言葉だ。
グラシエルの話では全員で出迎えはするものの、王国側、つまりSクラスの代表一名が同じく帝国側の代表一名と簡単な挨拶を交わす事になっているらしく、当然その場面は会場中の全員が注目する。
だからこそ、Sクラスで最も帝国語に秀でた生徒を探そうとしているのだ。
「学ぶ機会が限られている以上貴族なのが最低条件、他に居なさそうな事を考えるに私かマーガレッタの二択ね。まだ一週間以上あるから、それまでにより多く詰め込めた方を代表として選ぶのが最善かしら」
「それが自然であろうな。我輩ももう少し帝国語に貪欲であれば候補に入れたやもしれんものを……惜しい事をした」
逞しい腕を組んで唸るカストールの父親は軍部大臣、その職業柄帝国語を扱う機会も多く、当然跡を継ぐ事になるカストールも最低限履修してはいる。
しかし教育方針と帝国との緊張状態、それとカストール自身が帝国語に興味が無かったというのもあって、疎かになってしまっていた。
その事を悔いつつ、カストールはバレンシアの考えを肯定する。
「とはいえ相当努力しないと間に合わなさそうね。最低限使いそうな単語と文を押さえて、発音と……あとはアドリブね」
「ま、シアとマーガレッタ以外も残りの時間で教え合えりゃ何とか会話くらいは出来るようになるだろ。あれ?そういやヴィルはどこ行った?」
薄く口元を笑ませていたバレンシアを横目に、教室を見回したフェローが周囲に問う。
それを聞いた他生徒が辺りを見回すが、ヴィルの姿は無い。
と、その中でリリアがぴんと手を挙げる。
「ヴィルっちなら生徒会室に行ってから来るって!庶務の手続きが残ってるからって言ってた!」
「そうか。けど今来てもらっても結論は出ちまったしな。ヴィルには悪いが……とと、噂をすればだ」
がらがらと教室の扉が開き、生徒会から戻ったヴィルが姿を見せる。
「ごめん、遅くなって」
「生徒会だったんだろ?気にすんなって。まあ話し合いは殆ど終わっちまったけどな」
「間に合わなかったか……詳細を聞いても?」
「おう、勿論だ」
それから会議の大まかな流れと結論をフェローが話し、会議内容が共有される。
「なるほど。大体分かったよ。ありがとう」
ヴィルはそう頷いて自分の席へと歩いて行き、ひとまず鞄を机の上に置いた。
とはいえ既に結論が出た会議、ヴィルが参加してもこれ以上話す事など無いのだが、
「ま、一応聞いとくか。ヴィルって帝国人相手に通用するレベルの帝国語話せたりすんの?」
「問題無いよ」
「そうだよな。流石のヴィルでも問題無いよな。よし!それじゃあ基本はシアとマーガレッタを軸に前日に代表を選出。他の生徒は協力し合って帝国語の習熟に努めるって事で。じゃあ解散!」
「ちょっとフェルルン!?ノリツッコミにしては長いよ!?ヴィルっち問題ないって言ってたよ!」
「何で出来るんだよ!じゃあ普通に解決じゃねぇか!一体どこで帝国語なんて学んだんだよ……」
「僕が育った孤児院の院長が聖法国の出身っていうのは前に話したよね。その人が帝国語も達者でね、幼い頃に教えてもらってたんだ」
「またその人かよ!ヴィルの師匠とんでもねぇな!?」
フェローが目を剥き、隠せない驚きが叫びとなって教室中に響き渡る。
交流戦に関してのクラス会議の内容がひっくり返ったのだから、その驚きは当然のものと言える。
他の生徒も、程度こそ違えどおおよそ同じ驚きを共有していた。
ただその中で、納得出来ない生徒が二人。
「……待ちなさい、ヴィル。まだ、まだ決まった訳ではないわ。知識と実戦は違うのよ。単語を知っているだけで話せるとは限らない。発音や抑揚だって言語の重要な要素だもの」
「そうですわ!べ、別にヴィルを疑っている訳ではありませんけれど?喋れるというなら証明していただきませんと!」
ここまで代表候補になっていたバレンシアとマーガレッタは共に負けず嫌いのライバル同士。
そうでなくとも、ほんの僅かな間とはいえ代表になるという心持ちで居たのだから、そう簡単に呑み込める話ではない。
がしかし、
「『ようこそいらっしゃいました、帝国の皆様方。お越し下さりまして、誠に光栄に存じます。私は王立アルケミア学園の代表を務めさせて頂いております、ヴィル・マクラーレンと申します。以後よろしくお願いいたします』……どうかな?」
「きぃいいいいいいい!!」
「悔しいけれど完敗、ね……」
マーガレッタがハンカチを噛み、バレンシアが額に手を当てて白旗を上げる。
ヴィルの帝国語は、なまじ帝国語について学んだ二人だからこそ、発音から抑揚まで流暢な完璧な帝国語だった。
これならまず歓迎代表として申し分無い資格を有している、二人はそう判断した。
「シアとマーガレッタにそう言ってもらえると嬉しいよ。それじゃあ現時点では僕という事でよろしく頼むよ」
「現時点も何もあと一週間しかない以上、どう転んでもひっくり返る事は無さそうだけれどね。……それだけ完璧なのだから残り一週間弱、あなたは私達にしっかり帝国語を教えて頂戴。それくらいは呑んでもらうわよ」
「そうですわね。ヴィルに教えてもらえるのであれば、当時までにバレンシアを超える事も夢ではありません……いえ、超えて見せますわ!」
「勿論。僕に出来る事があれば何でも協力させてもらうよ」
恨み事と啖呵とを受け、ヴィルは穏やかな笑みを湛えて承諾する。
かくしてクラス会議は終わりを迎え、ヴィル・マクラーレンは帝国との親善交流戦の歓迎代表に選ばれたのだった。
お読み頂き誠にありがとうございます
また評価ボタンを押していただけると筆者の励みになります
感想等ありましたら顔文字絵文字、何でも構いませんので是非是非('ω')
誤字脱字等発見されましたらご一報下さい




