第183話 学園長との会談
「それではお先に失礼します。お疲れ様でした」
「はい、お疲れ様です」
生徒会での業務を終えたヴィルは、ヴェステリアに一言声を掛け、一足先に生徒会室を後にする。
他の生徒はまだ仕事が残っているのだが、ヴィルがあまり仕事をやり過ぎると経験を積む事が出来ないと、ヴェステリアとイリアナの判断で早く終わる事が多かった。
それに今日は、数か月前から果たす機会を失っていた約束を、ようやく果たす事が出来る日なのだ。
生徒会室から五分、ヴィルは目当ての人物を見つけて合流する。
「待たせて悪かったね、ニア。思わぬ手続きがあって遅れてしまって」
「大丈夫大丈夫。図書館で本読んでたらいつの間にかこの時間だったから」
そう快活に笑うのはニア・クラント、今日の用事に同行する待ち合わせ相手だ。
「それなら良かった。それじゃあ行こうか」
ヴィルは微笑んで、ニアの隣に並ぶ。
秋の陽はもう随分と傾き、二人の影が長く伸びている。
冷たく感じられるようになって久しい風は、どれだけ冷えたとしてもあの山に吹いた風には届くまいと、厳しい経験がそう高を括らせた。
「そういえば思わぬ手続きって何のことだったの?」
ニアがヴィルの横顔を覗き込むようにして尋ねた。
「ああ。生徒会で正式に庶務になったらどうかって誘われてね。どうにも避けようがない状況だったから正式に所属する事になったんだよ」
「へー、よかったじゃん!ヴィル的にはどうか分かんないけど、生徒会に所属できるなんて凄いことなんだよ?」
「確かにそうかもしれないけどね。まあ、役職に就かなかっただけマシだと思う事にするよ。これ以上目立つような真似は避けたいしね」
「あはは!面白い冗談じゃん!」
そうして短い時間ではあるが、一日の出来事を話しながら歩いていると、すぐに目的地へと到着した。
そこは学園校舎の最上階に存在する一室で、生徒会長が王族である事を除けば、学園で最も地位の高い人物が使用する部屋。
――即ち学園長室、それがヴィルとニアが訪れた目的地である。
「なんか緊張するね。旦那様とか奥様の部屋なら慣れてるんだけど」
「そこと他とを比べるとどこも緊張しそうな気がするね。自分で言うのもなんだけど、二人共公爵貴族にしては少し易し過ぎると思うよ」
ニアの横顔はほんの少しだけ緊張を滲ませていて、本人の言葉が嘘でない事がヴィルには分かる。
学園長室の扉は生徒会室のものと比べてより豪華な装飾が施されており、王立学園として恥ずかしくない見栄が張られていた。
豪華さではシルベスター邸の執務室と遜色無いのだが、如何せん中に居る人物の性格が大きく異なっている。
加えて言うのであれば、ニアはシルベスター家でメイドとして働いており、ヴィルの両親にも慣れているので、逆に知らない貴族と会うのが怖いのだろう。
とは言え今回主に用があるのはヴィルの方で、しかもその内容は挨拶程度のものだ。
ヴィルはニアの前に立って扉を叩き、入室の許可を得て扉を開けた。
「良く来てくれた。掛けてくれ」
「本日はお招き頂きありがとうございます。失礼します」
「失礼します」
ヴィルとニアは礼儀正しく一礼してから、学園長の勧めに従って並んで椅子に腰を下ろす。
室内には重厚な木製の家具が並び、窓際には季節な花が室内の空気に僅かな香りを添えていた。
「今日はわざわざ時間を作ってくれて感謝する。レイドヴィル君、ニア君」
「こちらこそお会い出来て光栄です、アルフォンス学園長」
威厳を感じさせる声でそう言ったのは、王立アルケミア学園の創設者にして現学園長、アルフォンス・ローベル・フォルト・フォン・ダッグライナー。
姿だけを見れば穏やかな老人にも見えるが、その身に纏う空気は明らかに只者ではない。
知性や経験、地位に裏打ちされた深い落ち着きと、それだけでは説明の付かない滲み出る圧迫感。
その正体は、帝国との苛烈な戦争で『水霊』と呼ばれ恐れられた、かつての最強の魔術師が放つ魔力の圧だった。
「こんな時間に済まなかった。本来であれば夏季休暇が始まる前に顔を合わせておきたかったのだが、生憎予定が立て込んでいてこの時期になってしまった」
「いえ、お気になさらないで下さい。私達も霊峰から戻るのが遅れてしまい、予定を先延ばしにしてしまいましたから」
「報告は私の耳にも入っている。犠牲となったガイドについては残念だったが、学園の長として生徒に死者が居なかった事は安堵している。大方君が動いたのだろうとは思っていたが……実際に見て確信した。以前見かけた時と比べて明らかに格が違っている。霊峰で何かあったかね」
「ご明察です。霊峰で女神ゼレスにお会いしまして、そこで勇者として覚醒を致しました」
「ちょっとヴィル!?」
一切包み隠さず話すヴィル――レイドヴィルに、ニアが思わず声を上げる。
「それ喋ってよかったの?めちゃめちゃ国家機密だと思うんだけど!」
「心配いらないよ。アルフォンス学園長は僕が学園に通う過程で事情を知っている人物の一人だし、そもそも国家機密を知る権利を持っているからね。部屋には防音結界が張られているし、問題はないよ」
「ふむ。流石にシルベスター家の従者は情報管理の概念が染み付いている。その考えは大切にしたまえ」
露骨に慌てるニアにアルフォンスがふっと笑い、テーブルの上を見て気付く。
「本題に入る前に何か飲み物を持って来させようか。何か希望はあるかね?」
「――そんなの聞く必要ないわよ、アルフォンス。あたしの淹れた紅茶が飲めるんだから、それ以上は贅沢を通り過ぎて強欲ね」
そう言いながら部屋の奥から出てきたのは、妙な存在感のある少女だった。
外見で特徴を挙げれば、鮮烈な水色の髪と独特の波紋が走ったような瞳の模様、体格的には生徒会で一緒だったリリアが近いだろうか。
だが何より異質なのは身に纏う濃密な魔力と、瞳に映す静寂で重厚な知性だ。
前者が妙な存在感の正体であり、後者は少女を見れば見る程更に異質に見せる。
アルフォンスを呼び捨てにする少女を見てニアは困惑していたが、レイドヴィルは深々と頭を下げ、ともすればアルフォンスに向ける以上敬意を表した。
「お初にお目にかかります、水の大精霊ミストベル様。私はシルベスター家次期当主、本名をレイドヴィル・フォード・シルベスターと申します。学園ではヴィル・マクラーレンの名で通しておりますので、どうかそちらでお呼び下さい」
「そう。挨拶は及第点ね。流石に勇者、礼儀も心得ているようね。そういう人、嫌いじゃないわ」
――水の大精霊ミストベル。
レイドヴィルの礼節を弁えた態度を見て、口元だけで満足そうに微笑む彼女こそ、神代の終わりから三千年近くを生きた精霊であり、観測されている限り現代を生きる唯一の精霊である。
噂によればその叡智は四大大国をも凌駕すると言われており、歴史の研究者達が喉から手が出る程欲しがるような、貴重な失われた歴史や知識を有しているという。
「そんな大層なものじゃないわよ。頭の出来はそんなに良かった方じゃないし、あるのは精々無駄に積み重なった記憶くらいね。あなたもあたしに色々と聞きたい人間?」
「本音を言わせて頂けるのであれば。しかしお聞きしても中々話して頂けないと耳にした事があるのですが」
「その噂は事実よ。神代の頃は精霊は生まれてなかったから知らないし、精霊が消えた話についても口止めされてるから言えないわ。まあ、仮に契約が無かったとしても語って聞かせるいわれはないけどね。特に銀髪の人間には」
つまらなそうに鼻を鳴らしつつ、アルフォンスの隣に腰掛けてカップを口元に運ぶミストベルは、レイドヴィルの聞いていた前評判通りに気難しい性格のようだ。
とはいえ相手を全ての人間を見下しているという訳では無く、長命種特有の、個への興味の薄さ故だろうとレイドヴィルは見る。
「それは申し訳ありませんでした。銀髪はお嫌いですか?」
「銀髪が、と言うよりはそれに付随して思い出される記憶が原因だけれどね。あなたにとっては知ったこっちゃないでしょうけど。まあ、どうやらあなたは特別な人間のようだし、少しくらいなら話してあげてもいいわよ」
「済まないがそこまでだ。ミストベルと親交を深めてくれるのはありがたい事だが今日は時間も遅い、この辺りにしておこう。なに、これから話す機会は幾らでもある」
「そうですね。申し訳ありません、ミストベル様。お話の続きはまた次の機会に」
「ふん。精々あたしの気まぐれが次まで続いている事を祈りなさい」
興が削がれたミストベルが不機嫌に鼻を鳴らしつつ、話は進む。
今日の本題は、レイドヴィルがヴィルとして学園に通う挨拶と近況報告、それからニアの身に着けていた通信具に関しての便宜の件だ。
「通信具に関しては色々と手を回して頂けたようで、遅くなりましたが、お礼申し上げます」
「ありがとうございました」
「あの件か。あの通信具に関しては元々外見だけの試供品をばら撒く予定だったからな、あの程度手を回したという程のものでもない。感謝は不要だ」
あれは学外演習の前、Sクラスで女子会が行われニアが参加した折に、誤って機密情報である耳の装飾品を模した通信具を持ち出してしまったのだ。
既にクラスメイトに知られてしまった以上、正式に実装された際にニアが詰められるのは確実。
そうなる前に手を打つ必要があった為、レイドヴィルはシルベスター家を通してアルフォンスに協力を要請した。
即ち学園として、国から依頼があったという形で、通信具と同一の見た目をした装飾品を不特定多数の生徒に配ったのだ。
今日レイドヴィルはその礼に会いに来たのだが、どこか拍子抜けしたような表情のアルフォンスは建前では無く、本心から気にしていなさそうであった。
だがだからといってそうですかと退くものでもない、レイドヴィルは「しかし……」と続けるが、手の平を向けるアルフォンスが遮る。
「それに私は君の祖父君と祖母君に返し切れない大恩がある。二人が亡くなられた以上、この恩は残された血縁者に返す形で報いるべきだろう。君は老人の身勝手に付き合わされていると思ってくれればいい」
「そんな事は思いませんが……そうですね。お気遣いありがたく。このご恩はいずれ、必ず」
「全く、律儀で頑固だな。その辺りは祖母君によく似ている。とはいえ恩人の善意も無下に出来んか。わざわざ恩を返してもらえるのなら、今後の活躍を楽しみにしているとしよう」
アルフォンスがふっと短く回顧するように笑み、本題はここに片付いた。
その後もレイドヴィルは学園生活の事や銀翼騎士団での活動などを話し、アルフォンスはそれを孫の話を聞く祖父のような穏やかな笑みで聞いていた。
ミストベルは、表情だけは常に興味がなさそうに澄まされていたが、時折話すレイドヴィルにちらちらと視線を送っており、耳を傾けている事はその場の全員にバレていた。
そうして時間は過ぎていき、会談は解散の流れを辿る。
「本日はお時間を頂きありがとうございました。とても有意義な時間を過ごせました」
「それはこちらの台詞だ、ヴィル君。今日は話せて良かった。今後ともよろしく頼む」
「ミストベル様も。紅茶が大変に美味でした。今度は時間の許す限りお話し致しましょう」
「そうね。気分が乗ればまた手ずから淹れた紅茶をご馳走してあげるわ」
ミストベルがどこか満足げに紅茶のカップを傾けるのを最後に、ヴィルとニアは再び礼をして学園長室を後にした。
廊下に出ると、扉が静かに閉まり、緊張感が一気に解けるような空気が流れる。
ニアは小さく溜息を吐いて、肩を回した。
「ふー、緊張した。まさか学園長だけじゃなくて大精霊様までいらっしゃるなんて」
「無理もないよ。あの圧迫感は相当だったからね。気難しい方ではあったけど、あればっかりは意図したものというより、本人の生来の魔力量かな」
「何かちょっとでも粗相したら消されそうな感じあったよね!?つ、次はひとりで行ってね……?」
ヴィルは微笑を浮かべ、そんなニアに軽く肩を竦めてみせる。
「……仕方ないね。次に会う時は茶菓子でも持って行ってくるとするよ、独りでね」
冗談めかしたその言葉に、ニアはむっとしながらも、どこか安心したように微笑む。
寒々しい秋空が、二人をそっと見下ろしていた。
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