第177話 闘争 二
――黄金が駆ける。
本来魔力に色というものはないが、黄金としか形容できない魔力を纏ってヴィルがひた走る。
尋常ではない密度と量の魔力は、あるいはこの黄金が何か特殊な作用を持っているのだろうか。
その黄金の中で、一際輝くのが風に揺れるヴィルの銀髪だ。
ともすれば背景の雪に紛れてしまいそうな色だが、自分は他とは違うのだと、そう主張しているようにすら見える銀が目を惹き付けてやまない。
事実、先程まで精霊を躍起になって潰し回り、術者たるあたしを狙い続けていた黒龍も、今はもうヴィルのことしか見ていない。
黒龍は憤怒と殺意を込めて、あたしは信頼と期待と少しの何かを込めて、ただひたすらにヴィルに目を奪われていた。
「ふっ――――」
踏み込んだ地面が爆発、ヴィルが一気に加速する。
弧を描くように黒龍へと接近し、そのままの勢いで関節部へと蹴りを見舞う。
黒龍の鱗が硬質な音を立てて軋む。
しかし、ヴィルの蹴りをまともに受けながらも、黒龍は僅かに体勢を崩しただけだった。
「やっぱり、硬いな……」
ヴィルは地に着地するや否や、すぐさま後方へ跳ぶ。
直後、黒龍の尾が、まるで大気を割くように唸りを上げて薙ぎ払われた。
それを僅差で回避しつつ、ヴィルは何度目か黄金の魔力を更に膨張させる。
「なら、砕くまで……!」
黄金の奔流がヴィルの身体を包み込み、彼の脚と右腕へと収束していく。
ヴィルの足元から地面が抉れ、雪と土とが舞い上がる。
――瞬間、ヴィルが消えた。
否、違う。
余りにも速すぎて、接近戦に縁がないあたしには消えたように映ったのだ。
ヴィルが駆け、十メートルに渡って直線状、一気に舞い上がった雪煙が軌跡を描く。
その軌跡は黒龍の側面へと繋がり、あたしの焦点が合った時には既に、再び関節部へと攻撃を仕掛ける所だった。
今度は蹴りではない、黄金の極光を纏う右腕を腰溜めに引き、一気に放出する――
「『破城槌』!!」
ヴィルの全身に漲っていた魔力が全て黒龍へと流れ込み、極光が爆発する。
それはまるで光属性魔術『瞬光』のように、ただの副産物すら目くらましの役割を有している。
しかしそれはあくまで偶然の結果に過ぎず、必然の結果は絶大な火力となって黒龍を蹂躙した。
「砕けろ!!」
「――――ッッ!!」
黄金の衝撃波が炸裂し、黒龍が絶叫する。
光の奔流が黒龍を呑み込み、砕けた鱗がバラバラと地面に落ちた。
凄まじい破壊力を秘めた一撃を関節部に受けたことでその巨躯は大きく揺らぎ、直撃した箇所を中心に、黒曜石のような鱗が放射線状に砕けている。
「これなら……」
ヴィルだけでも倒せるのではないか、そんな淡い期待が脳裏をよぎる。
けれどそうまでしても黒龍は倒れない、所か、寧ろその相貌に宿る憤怒は一層激しさを増し、さらに膨れ上がった殺気はもう手の付けようがないとすら思える。
咆哮と共に、黒龍が大地を蹴った。
獲物から強敵へ、評価を改めたらしいヴィル目掛けて鋭い鉤爪を振り下ろす。
「ふっ」
寸前でヴィルは身を翻し、爪撃を回避する。
が、直後に再び爪撃、回避、爪撃、回避、爪撃……攻撃が止まない。
息つく間もなく続く連撃は、それ自体はあたしでも視認可能な程度には遅く見えたが、そのどれもが人を人撫でで死に至らしめる必殺の一撃。
警戒こそすれ油断できるような代物ではない。
「くっ――!」
回避行動を続けるヴィルが額から汗を、肩から湯気を出しながら苦鳴を零す。
ここまでずっと黒龍の攻撃を回避することに成功しているヴィルだが、極限状態とは言え、当然集中力も体力も魔力も有限。
これらいずれか一つでも途切れれば、如何なヴィルとて霊峰に骨を埋める結果になりかねない。
今は何とかなっているが、この様子ではいつ均衡が崩れるか……
「ヴィル――!!」
嫌な予感は的中した。
雪に足を取られたヴィルの胸を、黒龍の鉤爪が直撃する。
真っ赤な血が純白の雪原に撒き散らされ、ヴィルの身体が受け身も取れずもんどりうって吹き飛ばされた。
自分で自分の顔から血の気が引いていく音がする。
あたしの命を奪いかけた一撃をヴィルが食らってしまった、それも怒りと闘争に燃える状態の爪撃をだ。
息が荒い、動悸がする。
元はと言えば、ヴィルがこんな危険な時間稼ぎを買って出たのは、あたしのためでもあった。
そのせいヴィルが死んでしまったら、あたしは……
「くっ……!」
自責の念を振り払うように駆け出そうとする。
けれどその瞬間、ヴィルが吹き飛ばされたあたりの地面が爆発、疾走する黄金があたしの視界に映った。
ヴィルだ、胸を真っ赤に染めたヴィルが、何事もなかったかのように黒龍へと突撃し、時間稼ぎを再開したのだ。
胸元の傷口からは血が滴り、負傷したのか左腕も不自然に垂れ下がっている。
それでも、あたしが死にかけた以上の一撃を受けたにしては、ヴィルの負傷は軽いものに見えた。
「なんで、そこまで…………」
ヴィルの献身に思わず呟く。
きっと今までのあたしなら、ヴィルの行動を理解出来ずに終わっていただろう。
けれど、
「いや、本当は分かってる」
ただ仲間を守りたい、仲間を死なせたくないと行動する人を知った。
損得勘定も抜きに人に手を差し伸べ、他人の幸せを自分のことのように喜べる人を知った。
その在り方に憧れたから、あたしもそう在りたいと願った。
「けど、願うだけじゃ足りない」
ヴィルは言った、一緒に考えようと。
それは作戦であり、戦術であり、打開策であり、何であってもいい。
とにかく何か、決め手となる一手をあたしとヴィルとで考えなければならない。
そして今、黒龍の攻撃を躱し続けるヴィルにその余裕はない。
なら、その決め手を、生きるための一手を打たなければならないのはあたしだ。
「もし、ヴィルがあたしを信じてくれるなら」
そこまで思考した所で、大きく跳び上がって黒龍の牙を避けたヴィルが傍へと着地してきた。
言うなら今だ。
「ねえ、ヴィル」
「何だい?ローラ」
「何秒あれば、あいつにもう一回でかい一撃食らわせられる?大体でいいんだけど」
「そうだね……五秒もあれば」
その言葉が聞きたかった。
「分かった。ならさ、あたしに考えがあるって言ったら付き合ってくれる?あたしを、信じてくれる?」
「今更だね。――僕はクレバスの底で打ち解けたあの時から、ずっとローラを信じているよ」
ああ、何の躊躇いも迷いもなく言い切れる、だからヴィルはヴィルなのだ。
こんなにも胸の奥が熱い、こんな絶望的な状況でもまだ力が湧いてくる。
ヴィルがあたしを信じてくれるなら、あたしも初めて人を信じる。
「じゃあそのまま信じてて。五秒――絶対に稼いで見せるから」
魔力を開放する。
残り少ない魔力を絞り出したことで視界が淡く揺らぎ、頭痛が更に酷くなった。
でも、今のあたしには想いがある。
そこに迷いも疑心もない、ただ仲間を救いたいという純粋な願いだけだ。
「『詠み手はここに、界に示す法を織る。紡ぐは信仰。三つ明かりのとぐろが世界を閉ざす』」
魔力を練り上げる、三重の魔法陣が術式を構築していく。
これまで操っていた精霊とは違い、今から呼ぶのは一度として制御に成功したことがない強力な精霊だ。
通常精霊に与えられる属性は一つだが、術者の力量次第で重ねることが可能となる。
そして今挑んでいるのは、あたしがまだ会得出来ていない三属性を備える精霊だ。
「ぐっ……!このっ……!」
強力な精霊を呼び出すためには、それだけ多くの魔力を必要とする。
そして大量の魔力は制御を困難なものにし、扱い切れない分が溢れて暴れ出す。
そうしてこれ見よがしに膨大な魔力を晒していれば、ヴィルばかりを狙っていた黒龍も標的を改める。
縦長の瞳があたしに向けられ、殺気が全身へ突き刺さる。
「大丈夫。ローラは術式の構築に集中して」
体温すら感じる距離で、ヴィルの囁き声が耳朶を打つ。
ヴィルの言葉が、あたしの背に力をくれた。
だから、もう恐れない。
世界を焼く劫火が、地を舐めるように迫って来る。
けれどあたしは黒龍の攻撃に対処をしない、する必要がない。
「――僕が守るから」
ヴィルが横抱きに、あたしを抱えてブレスの範囲を離脱する。
負傷して尚変わらない、人一人を抱えているとは思えない速度で白銀の世界を疾走するヴィル。
けどきっと長くは持たない、だからあたしも詠唱を止めない。
「大丈夫……大丈夫……今のあたしなら、きっとやれる」
三色の魔法陣が、あたしを中心として浮かび上がった。
それらの魔法陣はゆっくりと回転を始め、一カ所に集まって巨大な一つの魔法陣と化す。
属性は光、闇、土の三属性、相反する属性を土で無理矢理に閉じ込めて、一つの精霊として形作らさせる。
「『解は成った。目覚め、従え、招来せよ。半混蛇!」
――巨大な魔法陣から、一匹の蛇が転び出る。
胴の太さは両手で抱えきれないくらい、黒と白の鱗が時折きらきらと輝いている。
極太の蛇はずるずると頭から這い出て来て、しかし一向に尾を見せる気配がない。
「これが、三属性精霊……」
これまでは実力が足りなかった、呼び出す場所がなかった。
ようやく呼び出せた現時点での最強の精霊、『半混蛇』。
それは一目見ただけでも凄まじい力を内包しているのが分かるが、明らかにあたしの力量を超えていることもまた分かってしまう。
呼び出せたのはただ運が良かっただけ、そう長くは存在を留めていられないだろう。
だから、仕掛けるのは速攻。
「行って!!」
『半混蛇』が、その巨体に見合わぬ速度で蛇行する。
ごりごりと地面が削れる音と共に黒龍へ肉薄し、あっという間に片方の足首を捉えた。
「――――ッッ!!」
黒龍もされるがままではない、反対の脚で蹴りつけ、噛み付き、『半混蛇』を引き剥がそうと試みる。
――『半混蛇』のしなやかな体が黒龍の胴、両脚、首に巻き付いて動きを封じた。
黒龍もされるがままではない、ならばと翼をはためかせ、空へ逃れようと試みる。
――『半混蛇』のしなやかな体が翼をも巻き込み、黒龍の動きを完全に封じた。
今が好機だ。
「ヴィル!!」
「――征く」
あたしを降ろしたヴィルが疾走する。
風を置き去りに、一直線に、黒龍との距離を一気に詰めていく。
そうしてゼロになった距離、ヴィルはあらかじめ決めていた動きで黒龍の首の下へと潜った。
ここまでの行動に、『破城槌』のような溜めはなかった。
なら、どうするのか。
――きらり、黒龍の首元に鈍色の光。
「――ありがとう」
「~~~~~~~~ッッ!!」
迷いなくそれを引き抜く、黒龍が絶叫する。
それは遠目には、短い剣のように見えた。
「これで――」
ヴィルが跳び上がり、銀を両手で振り上げる。
狙いは眼球、鱗の存在しない最も脆弱な急所へ、思い切りに突き刺した。
「~~~~~~~~~~~~~~~~ッッ!!」
再びの絶叫。
血と血ではない、濁った液体が噴き出す。
体液の流出は、短剣を引き抜いたヴィルが離れても止まらず、痛みに悶絶する黒龍が暴れ続ける。
その瞳には、確かにヴィルへの恐怖が浮かんで見えた。
「――――」
黒龍が一声嘶き、背を向けて飛び立っていく。
霊峰の方へ、山頂の方へ、そのまま稜線を超えて、黒龍は敗走した。
脅威は去った。
長い長い、戦いが終わった。
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