第171話 脱出準備 一
「おはよう、ローラ」
「お、おはよう」
「早速朝食にしようか。まだ準備もしてないから一緒に作ろう」
翌日、あたしとヴィルはあれから初めての食事の時間を迎えた。
状況としては何一つとして変わってはいない、ここから生還する未来はまだ見えない。
それでもこの朝はどこか清々しい気分で迎える事が出来ていた。
正直昨日のあれが夜で良かったと、今になって心底思う、時間を置いた事で何とかヴィルと顔を合わせる事が出来ている。
もしあれからすぐに顔を突き合わせて話をする機会でもあろうものなら、あたしは満足に声を出す事も出来ない羞恥に身を悶えさせていただろう。
ともあれまだ先は長い、こんな所で羞恥心を発揮している場合ではないのだ。
これから朝食が始まる、この地の底にやってきて初めてヴィルと食べる朝食だ。
あたしはともかくとして、ヴィルはあたしに食料を残す為にもう何日も食事をとっていない、彼にはあたしの目の前でしっかりと食べてもらわなくてはならない。
と、直前まではそう思っていたのだが、
「実は完全に食事を抜いていた訳では無いんだ。確かに鞄に入ってた食料は一切消費してないけど、代わりに……これ」
「これって、肉?」
ヴィルが取り出したのはやや水分を失ったような、色の悪い肉だった。
普段食べるような牛や豚とは明らかに異なる見た目は、きっとどれだけ空腹が続いていても食欲が湧く事は無いだろう。
そんな得体の知れない肉だが、まともな生き物の生息していないこの場所で調達できる肉といえば、あたしには一つしか心当たりがない。
「それ、まさか魔獣の肉じゃないでしょうね」
「そのまさかだよ」
「うわぁ……」
思わず口をひん曲げて嫌悪感を示すと、ヴィルは可笑しそうに笑う。
確かに魔獣の肉の中には美味しく食べられるものもあるが、その大半は食べられるには食べられるものやそもそもが食べる事すらできないものだ。
適切な処理や下味を付ければ可食範囲は広がるかもしれないが、ここではそれも望めない。
「それ、美味しいの?」
「…………おすすめはしないかな」
目を逸らしてのこの発言、明らかに不味いという事が分かる。
だがヴィルはその不味い肉で何日も飢えを凌いできたのだ、であればあたしもそれに倣うべきだろう。
「…………あたしも食べる」
「良いのかい?まだ普通の保存食も残ってるけど」
「ヴィルは食べるんでしょ。ならあたしも食べる。食料は温存しないとだし」
「分かった。それじゃあ出来る限り味付けを頑張ってみようか」
そうしてあたしとヴィルは一緒に朝食を作り始めた。
ヴィルが肉の下処理、あたしが調理の担当だ。
役割分担する形だがそれは形だけで、実際はヴィルが下処理の片手間にあたしに調理の仕方を教えてくれていた。
肉の繊維の断ち方、不可食部の判断、味付け(と言っても塩こしょうくらいのものだが)、煮込み時間などなど。
色々と教わりながらの調理は、こんな状況ではあるが楽しい時間だったように思う。
そうして出来上がったのが猪肉モドキこと『角豚』のスープ……はっきり言ってどう見ても美味しそうではない。
「それじゃあ食べようか」
「…………い、いただきます……」
あたしもヴィルも食事の挨拶をしっかりとして、いざ実食。
見た目は悪いし、かと言って匂いも良くない。
けれどそれでもお腹は減っているし、二人で用意した食事だし、何よりずっとヴィルが食べていた食事なのだ。
あたしは生唾を飲み込み、意を決してスープと肉を口に運ぶ……瞬間、吐き気が込み上げる。
「うえぇ……まず……まっず……なにこれぇ……うえ」
口に入れた瞬間、今まで感じた事のない異様な臭いと味わった事のない尋常ではない苦味が爆発した。
その臭いは例えるなら鹿や猪などのジビエ肉に似ているが、魔獣の肉は比較にならないほど臭い。
苦味については例えるのが難しいが、魚の内臓に似ているだろうか、とにかく不快だった。
加えて筋肉質でいつまでも噛み切れないくせに、苦味と臭いだけは無限に出てくるのだから救いようがない。
ヴィルは本当にこんなものを食べていたのだろうか。
涙目になりながら視線で問うと、ヴィルは同じものを食べているとは思えない程軽い苦笑で答えた。
「だからおすすめはしないって言ったじゃないか。これでも色々試行錯誤してみたんだよ?『角豚』の他にも狼型の魔獣とかワーム型の魔獣とか。調理方法も焼いたり蒸したりしたんだけど、これが最善だったんだ」
「最善でこれとか……あたし二度と魔獣なんて食べないから」
「ははは……一応地上には美味しい魔獣も居るんだけどね。良ければ今度ご馳走するよ」
「絶対嫌。もう関わりたくもない」
魔獣に襲われるのも魔獣を食べるのももうこりごりだ、早く牛とか豚とか普通の肉が食べたい。
そんな切実な願いがよぎるがそれはさておきだ。
「~~~~~~!まっずい!本当ムカつく!」
「あの、そこまできついなら無理しなくていいからね?さっきも言ったけどまだ保存食は残ってるんだし」
「……けど、あたしがその保存食食べてもあんたはこのくっそ不味いスープ食べるんでしょ。何回も言わせなうぷ」
心配半分呆れ半分といった薄目で見てくるヴィルに、あたしは対抗心を燃やして一気にスープをかき込んだ。
その後、半日程込み上げてくる吐き気と格闘する事になったのは大きな後悔だった。
―――――
「それじゃあ作戦会議といこうか。議題は勿論今後の方針について」
朝食の後片付けをして少し、ヴィルとの作戦会議が始まった。
正直あたしは不味い朝食のせいでそれ所ではなかったのだが、あたし達の今後の方針と言われては参加しない訳にはいかないだろう。
何とか浅い呼吸を繰り返して吐き気を誤魔化しつつ、ヴィルと反対側の岩に腰掛けて作戦会議に参加する。
「方針ってやっぱり脱出の手段、よね」
「そうだね。ここ一週間の調査の結果考えうる脱出ルートを出し終わったから、この機会におさらいしておこうか」
そう言うと、ヴィルは右手の指を三本立て、その内の人差し指を反対の手で示して説明を始めた。
「一つは僕達が最初に落ちた川を流れていくルート。下流と上流をそれぞれ辿ってみると、下流の方に穴があってね、そこに水が流れて行ってたんだ。海側に出るか陸側に出るかは分からないけど、ルートとしては存在すると思う。けど机上の空論と言うべきかな、水は冷た過ぎるし穴の先がどうなってるか分からない以上、賭けに出るには危険過ぎる。最後の手段として選択するルートだね」
ここの寒さは、朝と夜に嫌という程思い知らされている。
脱出の為とはいえただでさえ寒い気温以上に冷たい水の中に浸かれば、数分と経たず凍死する事だろう。
故にヴィルは最終手段と言い表したのだ。
次に中指。
「二つ目は壁を登っていくルート。落下時間の感じからしてここ氷龍の顎の高さはおよそ三千メートル、かなり厳しいけど登れない事は無いと思う。問題としては道具を制作する必要があるのと、高くなるにつれて激しくなる谷風、それから休憩場所の確保かな。このクレバスの壁でそう都合良く休めるような広さを確保出来るとは思えない。精神的にも肉体的にも厳しいルートになる」
突如襲ってきた黒龍に落とされ、奇跡的に一命を取り留めた巨大クレバス、氷龍の顎。
あたしは気を失っていた為落ちていた時の記憶は無いが、三千メートルと聞くとその恐ろしさを改めて認識させられる。
数字で言われても実感が湧かないが、どう考えてもあたしの体力では登り切る事は叶わないだろう。
或いはヴィルであれば問題無く登って見せるのかもしれないが、我が身可愛さという訳では無いが、その辺りにも課題が残る。
最後に薬指。
「三つめがここより更に下、地下を行くルートだ。探索中は何度も魔獣に襲われてね、その度に討伐して回ってたんだけど、その時に地下に通じる大穴を見つけたんだ。穴からは微かだけど強い魔力の流れを感じたし、魔獣もその穴から出て来てたから、もしかすると抗魔石の影響を逃れられるかもしれない。魔獣の数こそ脅威だけど、その先から地上に出られる可能性もあるルートだね。……ただ個人的な見解を述べるなら――」
「――地下だけは絶対にない、わね」
あたしが割り込んで断言すると、ヴィルは驚きに眉を上げつつ深く頷く。
魔力が使えるかもしれないというのは大きなメリットだと思う、ヴィルも全力が出せるし、あたしの精霊魔術で支援が出来れば生存確率は更に上がるだろう。
それでも、あたしは地下に行くべきではないと声を大にして言う。
「僕も同意見だよ。けど参考までにローラの否定の根拠を聞かせてもらってもいいかな?ローラの意見が聞きたいんだ」
「……意見とか、そういう論理的な説明は出来ない。けど、あたしの感覚が絶対に下に行くなって言ってる。あんたに気持ち悪さみたいな、得体の知れない怖さみたいなのを感じてたのと一緒。何故か信頼してる今も全く薄れてないから、本当に感覚的なものなんだ、と思う。説明できないのは悪いけど」
「いや、感覚は大事だよ。結局の所、最後に役に立つのは感覚だったりするからね、今回のそれも無意識に拾った情報を感覚として感じ取ってるのかもしれないし。となると、やっぱり地下も厳しそうかな」
顎に手を当てて考え込むヴィルは、いっそ拍子抜けする程にあっさりとあたしの感覚を受け入れてくれた。
ヴィルも同じ意見だったとはいえ、あまりにあっさりし過ぎている気もする。
とはいえ意見は揃った、後はどのルートでここから脱出するかだが……
「それでどうすんの?聞いた限りじゃ川も壁も無理っぽいけど」
「……僕としては、壁を登るルートが一番現実的だと思う」
「それ、本気で言ってるの?」
「勿論本気だよ、こんな所で冗談なんて言わないさ」
ヴィルは口元こそ笑っているが、その目は真剣そのもので、それが本気の発言であることを物語っている。
確かに明らかにヤバそうな地下や凍え死にそうな川よりはマシかもしれないが、壁ルートだって相当な危険地帯だ。
墜ちれば一発即死、道中では休息を取れるかも怪しい。
それに最大の問題がある。
「そりゃあんたは普通に登れるだろうけど、あたしはそんな力ないし絶対登れないって。三千メートルもあるんでしょ?」
「体感だけどね。確かにローラが登るのは厳しいかもしれない。――だから、僕がローラを背負って行くよ」
「……それ、正気で言ってるの?」
「勿論正気だよ。こんな所で冗談なんて言わないさ」
ヴィルはまたも笑って見せるが、あたしは笑えない。
普通に考えて、人一人を背負って三千メートルの壁を登るなど不可能だ。
そこには更に食料や道具などの荷物も入ってくる、どう考えても正気の沙汰ではない。
それならばまだヴィル一人で脱出を試みた方が生存確率は高まる、あたしなどそれこそただのお荷物だ。
そんなあたしの後ろ向きな思考を読んでいたのだろう、ヴィルは立ち上がり、あたしの隣へと腰掛けて話し始めた。
「確かに茨の道である事は承知の上だよ。けど、そもそもがこのクレバスから脱出する事自体が困難でもある。どんなルートを選んで安全対策を講じたって、高いリスクがある事は変わらないんだ。だったら僕は、全員が助かる可能性が少しでも高い手段を取る。今回の場合、僕がローラを背負っていく事がそれに当たると思うんだ」
「あんたはそれでいいわけ?あたしまだ足の怪我治ってないし、本当に足手まといだけど」
「言っただろう?僕にとって人助けは当たり前の事なんだ。僕が助けたいから助ける、それだけの事だよ。それに、現実的な話をすると食料が残り少ない。これから数日を掛けて壁を登っていく事を考えると、軽くてかさ張らない保存食は出来る限り残した状態にしておきたい。やるならすぐなんだ、ローラ」
ヴィルはそう言うと、あたしの目をしっかりと見据える。
その目は揺るがない意思を伴ってあたしの判断を待っており、一度頷くだけで始まってしまうのが分かった。
別に急いで危険を冒さなくても、このまま助けを待っても良いのではないか、そんな思考が頭を過る。
魔獣を狩って不味い肉を食べて、ぬるま湯のような日々を過ごしていればいつか誰かが助けてくれる、最初から抱いていたそんな淡い期待は今になっても消えてはいない。
けれどそんな後ろ向きな思考も、ヴィルの目に宿る強い意志に押し流されるように消えていき、最後にはあたしの中にも確かに存在する強い意志だけが残る。
「――分かった。やろう」
「よし、それじゃあ準備を始めようか」
あたしの頷きと同時にヴィルが立ち上がり、あたしに手を差し伸べる。
あたしももう躊躇わない、冷たい手を取り、引き上げる力強い腕に身を任せる。
そうして、氷龍の顎脱出作戦は動き出したのだった。
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