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第168話 永住凍土

 

 ただただ必死になって走り続けた、その結果生き延びる事が出来た。

 だからその過程については何一つとして記憶に残ってはいない。


「はあ……はあ……はあ……はあ……」


 息が上がる、肺に冷たい空気が入り込んで凍るように痛い。

 状態の悪い地面を走ったせいで足が震えて痛い、全身で痛くない場所を数える方が早いだろう。

 もう一歩も動けそうにない。

 ――魔獣から逃れるように走り続けたあたし達は、その後何とか魔獣の群れから逃れ、更には身を隠すのに丁度良い洞窟を発見するに至っていた。

 奥行き五メートル程の洞窟の中は湿っぽくひんやりとした空気が漂っており、最初は汗ばむ体に丁度良かったが、時間が経った今となっては体温を奪っていくだけの障害でしかない。


「一応周辺を確認してきたけど、ひとまずは安全かな。安心して休んで良いよ」


 ヴィルが戻って来た、自ら哨戒を買って出たヴィルだが、流石に疲労があるようで戻って来るなり地面へと腰掛ける。

 それも当然だろう、何せヴィルは逃げるあたしに襲い来る魔獣の群れを素手で捌きつつ、最終的には囮となって洞窟から離れた場所まで誘導してのけたのだから。

 と思いきや、


「それ、さっきの『角豚』の角?」


「うん。折角だからこれを削って武器でも作ろうかと。また魔獣に襲われた時素手で相手するのは骨だからね。時間も余ってる事だし」


 どうやら本気でやるつもりらしい、相変わらず馬鹿げた体力だと思う。

 いや体力だけではない、その気力も尋常では無い。

 あれだけの魔獣を相手にした直後に、これだけ淡々と次の行動に移れる事自体が異常だ。

 それに引き換えあたしは……


「~~~~~~!!」


「お腹空いたね。取り敢えず夕食にしようか。確か塩漬け肉があった筈だからそれでスープでも作るよ。少し待ってて」


 最っっっっ悪だ、お腹が鳴ったのを聞かれてしかも苦笑と共に気遣われてしまった、本当に死にたい。

 急な出来事の連続で自分でも気がついていなかったが、存外空腹だったらしい、ヴィルにスープを作ると言われて自覚して、急に食欲が湧いてきた。

 どれだけ寒かろうと、死にかけようと、恥ずかしかろうと、生きている限りお腹は空くのだ。


「ならあたしも……っ……!」


 炊事の手伝いにと立ち上がろうとして足首に激痛、思わず座り直してしまう。

 見れば左足首が気持ち悪い紫色に変色していて、指の腹でほんの少し触れるだけでピリピリと電気のような痛みが走る。


「大丈夫かい?魔獣から逃げてた時に捻挫したのかな。取り敢えず状態を確認したいから足見せて」


 あたしは言われるがまま、ヴィルに見えやすいように靴と靴下を脱ぐ。

 跪くヴィルが、あたしの左足を下から支えるように手を添える、反対の手が患部を探るようにそっと触れて来る。

 刺すような痛みに顔を顰めると、すっと手を放し、今度はあたしの反応を見ながら足首を回すように動かしていく。

 ヴィルが跪いた状態であたしの足に触れている、そんな背徳的な状況がどこか気まずく、視線をあちこちに飛ばして確認作業を待つ。


「やっぱり捻挫だね。深刻な状態ではないけど軽くもないから、暫くは動かさない方が良さそうだ。少し待ってて、今包帯を持ってくるよ」


 ヴィルが包帯を取って戻って来る、手際良く巻かれる包帯が紫色の患部を覆い隠していく。

 治療が終わり、靴下と靴を履き直しているとヴィルが立ち上がる。


「包帯はこれで大丈夫だから、後は患部を冷やそうか。幸いここでは氷には困らないしね。料理は僕に任せて、ローラはゆっくり休んでて」


「……分かった」


 ヴィルが微笑み、洞窟の入口の方へと歩き去って行く。

 それから二十分くらい経っただろうか、良い匂いで洞窟の中が満たされ始めた。

 鼻をくすぐる香ばしい香りが、冷え切った体を少しだけ温めてくれるような気がする。


「はい、お待たせ。塩漬け肉と乾燥野菜のスープだよ。味は保証出来ないけど、少なくとも体は温まると思うから」


「……ありがと」


 ヴィルが差し出した木の器から湯気が立ち上り、その中に小さく刻まれた肉や野菜が見え隠れしている。簡素な料理ではあるが、今の状況では何よりのご馳走だ。

 両手で抱え、逸る気持ちを抑えながら口を付ける。


「……美味しい」


 出汁は無い、味付けとしては肉の油と塩、それから野菜の甘みくらいのものだろうか。

 ただそれでも、じんわりと広がる温かさが疲れた心と体に染み渡るようだった。

 自然、ずっと固まっていたようだった頬が緩む。


「お口に合ったようで何よりだよ。僕は洞窟の入口に段差を作って来るから、何かあったら呼んでね。おかわりが欲しかったらまだあるから、自由に食べて」


 微笑みと共に言い残すと、ヴィルは洞窟の入口の方で雪を盛ったり氷を削ったりと作業を始めた。

 何でも閉鎖空間で段差を作ると、冷気が低い場所へと流れて高い場所が暖かくなるらしい。

 この洞窟は入口から奥まで平坦なため、小さな工夫が活きるとヴィルは言っていた。

 正直その効果の程は眉唾物だが、結果はいずれ分かる事だ、今は大人しくスープをすすっていよう。


「………………」


 体の冷えが少し和らぎ、心にも余裕が戻り始めた。

 スープの湯気を見つめていると、今日の出来事がゆっくりと脳裏に浮かんでくる。

 魔獣の咆哮、足元で氷が砕ける感覚、呼吸をするたび肺が痛む冷たい空気――全てがまだ鮮明だ。

 逆に、こうして温かいスープを飲んでいる自分という状況が嘘なのではないか、死にかけているあたしが見ている白昼夢なのではないかとすら思える。


「大丈夫?あんまり進んでないみたいだけど、もしかして体調が悪いとか……」


 気が付けば作業を終えたヴィルがすぐ側までやって来ていた。


「いや、そんなんじゃ……あんたも食べるのかと思って」


「ああ、残しててくれたんだ、ありがとう。けど大丈夫、味見の時点である程度食べてたからこれは全部ローラのなんだ。だから遠慮せず食べてくれていいよ。勿論、満腹なら置いておいてもらえれば僕が食べるから」


「そ。じゃあ遠慮なく」


 食べていいと言うのなら遠慮はしない、鍋からよそおうとした所でヴィルに手を差し出され器を預ける。

 そして並々と注がれた器を受け取り、再び口を付ける。

 と、あたしが食べている姿を見てニコニコと微笑むヴィル。

 これではまるであたしが食に貪欲なようではないか。

 あたしは居心地の悪さを誤魔化そうと、ずっと気になっていた質問を投げかけてみる事にした。


「そういや、あんた何で身体強化なんて使えたわけ?またアーティファクトのお陰?」


 誤魔化しとは言ったが、半分は純粋に興味があっての質問だ。

 仮に何かしらの手段で魔力が使えるようになったのであれば、あたしも真似すれば魔術が使えるかもしれない。

 そうなればここからの脱出も現実味を帯びて来る、そんな淡い期待を抱いての質問だったのだが、返って来たのは思いも寄らぬ答えだった。


「ああ、あれね。あれは何と言ったらいいか……慣れた?」


「……は?」


「実は霊峰に入ってからずっと魔力が使えないか試してたんだよ。抗魔石の効果は魔力を乱す事。なら乱される以上に魔力が強固であればいい。だからこの三週間近く、魔力を圧縮して練り続けてたんだ。その結果がこれ。流石に魔術までは使えないけど、身体強化程度なら何とかなる。出力は落ちてるから何とも言えないけどね」


 照れたように苦笑するヴィルに、あたしは思わず絶句する。

 三週間近くを費やしているとはいえ、()()()()の努力で抗魔石を克服できるのであれば、今頃抗魔石式の拘束具を運用している監獄は脱獄者で溢れている事だろう。

 つまりあたしの知る限りにおいて、抗魔石の影響を無効化したのはヴィルが初めてだという事になる。

 魔術師でもないヴィルがそれだけ精緻な魔力操作をやってのけた、その事実があたしには恐ろしいものに思えた。

 そして同時に、その才能が羨ましいとも。


「さて、食事も終わった事だしお喋りは終わりにしようか。今日は色々あって疲れてるだろうし、そろそろ休もう」


 そう言って、ヴィルが例の懐中時計型アーティファクトを見せて来る。

 一応時計としての機能もあるのか、懐中時計は夜十時を指し示していた。


「もう、そんな時間なんだ」


「この暗さだからね、時間の感覚がおかしくなっても仕方ないよ」


「あんたはどうすんの?」


「僕は入口を見張っておくよ。いつ魔獣が来るとも限らないからね」


「そ。なら適当な時間で代わるから起こして」


「気持ちは嬉しいけど大丈夫だよ。冒険者じゃ野営はしょっちゅうだったからね、見張りながら休めるように体が慣れてるんだ。だからローラは明日に備えてゆっくり休んで。心配してくれてありがとう」


「っ……心配なんて……おやすみ!」


「うん、おやすみ」


 毛布に包まり、今も微笑んでいるだろうヴィルに背を向けて横になる。

 心配なんてしていない、あたしはただ何もしていない自分が嫌だっただけだ。

 なのに結局それを言い出せず、またヴィルに負担を押し付けてしまった。

 冷静になって考えれば、ヴィルはあたしがこういう反応をすると分かって、心配してくれてありがとうなんて言い出したのかもしれない。

 だとしたらこれもヴィルの手の平の上、思うつぼという事になる。


「ほんと最低……」


 芯まで氷そうな寒さと少しの自己嫌悪に震える体を抱きながら、あたしは睡魔に意識を委ねた。


 ―――――


 目が覚める、凍り付く瞼を苦労して開いても辺りは暗いまま。

 洞窟の中なのだから当然と言えば当然だが、外に出たとしても寒いばかりで日の光を浴びる事は出来ない。

 もし脱出が叶わなければ、この暗闇の中で寒さによって殺される――その実感がじわじわと胸を締め付ける。


「おはようローラ。昨日はよく眠れたみたいだね。朝ごはんは用意してあるから準備が出来たら食べて」


 いつも通りのヴィルの微笑みが、松明の炎に照らされている。

 いつの間に設置したのやら、すぐ傍にはあたしが眠っていた洞窟の奥と手前とを遮る幕のようなものが設置されていて、無駄にあたしのプライベートが保たれていた。

 ……そういえば今ヴィルが着ていた服に見覚えが無い、一体どこで調達したのだろう。

 あたしは寝惚け眼を擦りつつ、ヴィルの後を追う。


「……………………なにこれ」


 幕の向こうには、昨日とは全く異なる光景が広がっていた。

 中央付近に焚き火と鍋、ここまでは昨日と同じだからまだいい――問題はその周囲にある。

 まず氷と岩で作られた物干し竿にとてつもなく大きい毛皮が干されている、恐らく昨日ヴィルが倒した『角豚』のものだろう。

 そして池だ、洞窟の端の方に昨日までは無かった穴が掘られており、そこには水が溜められている。

 川から汲んで来たのか雪か氷を溶かしたのかは分からないが、それなりに時間が掛かったのではないだろうか。

 極めつけに、洞窟の入り口には即席とは思えない程綺麗に組まれたバリケード……訳が分からない。

 一体、何日眠っていればこんな光景が出来上がるのか。


「勿論脱出が出来ればそれが最善なんだろうけど、目的が叶わない場合しばらくの行動拠点になるのはここだろう?だから少しでも快適になればと思って些細な工夫を施してみたんだ」


 些細な、もし地上に帰れたら真っ先に辞書で調べる言葉になるだろう。


「じゃあその服も?」


「ああ。元の服は返り血で酷い状態だったからね、物は試しで乾かしてる間に『角豚』の皮をなめして作ってみたんだ。針は骨、糸は筋肉の筋で。まだちょっと臭うけど……まあそこは我慢かな」


 遭難して、魔獣と戦って、ボロボロになって、魔獣に追われて、その果てにやる事が裁縫とは。

 呆れてものも言えないとはこの事だ、よもやヴィルはここに永住するつもりなのではあるまいか。


「少し外に出てくるよ。僕はもう食事は済ませたから、自由に食べてて。何かあれば笛を吹いてくれれば駆けつける。それじゃあ行ってきます」


 まるで家から出かける旦那かのように、笑顔で手を振ってバリケードを超えて行くヴィル。

 非日常の中の日常に、あたしは言葉も無くヴィルの背中を見送った。

 置いて行かれる可能性は、もう頭を過る事は無かった。


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