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第166話 地底の景色 一

 

 ありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえない――ありえないっ!!

 あたしはただただ心中で憤っていた、これまでの人生で間違いなく一番の怒りで満ちていた。

 だってそうだろう、気絶している間に異性に裸を見られたのだから。


「……………………」


 ヴィルは申し訳なさそうに顔を伏せており、その左頬は真っ赤に染まっている。

 理由は歴然、あたしが恥ずかしさと怒りから思いっきりに引っ叩いたからだ。


「……ローラ、聞いて欲しい。僕が許されない事をしたのは分かる。その事は何度だって謝るよ、ごめん。許して欲しいとも言わない。けど、どうか今だけは呑み込んで欲しい。呑み込んで、協力して欲しい」


「…………」


 咄嗟の事とはいえ本気だった、この寒さもあって可哀想なくらいに痛々しく、一瞬あらゆる感情を超えて心配が浮かんだくらいだ。

 しかしそれでも尚怒りが勝った、それ程までに強い怒りだった。

 だって普通、寝ている女子の服を脱がせて治療して着替えさせよう!だなんて頭のおかしい思考には至らない。

 これが平時であれば間違いなく通報していた、れっきとした事件になっていた事だろう。


「こんな状況だ、ローラの協力無しには先に進む事は出来ない。だから……」


 ――けれどあたしは、既にヴィルの事を許そうとしていた。

 本当は分かってはいるのだ、ヴィルが下心を持ってあたしの服を脱がせたのではない。

 あれは正真正銘の聖人君子だ、ヴィルがいっそ嘘臭い程に根っこの先まで善人だという事は、これまでの学園生活での日々で知っていた。

 当初こそ必ず裏がある筈だと疑ってかかったものだが、逆に疑いの目をもって注視していた結果、ヴィルの善性を自分で裏付ける形になってしまった。

 ……もしも、ヴィルがあたしを着替えさせず治療も行ってくれていなければ、あたしは失血死していたかもしれない。

 いや、それより先に凍死していただろうか、いずれにせよ命を救われた事は確かだ。

 そんな命の恩人相手に本気で手を上げたばかりか、今まさに無視まで決め込んでいる、こんな恩知らずな事も無いだろう。

 ――それにだ、もしもヴィルに愛想を尽かされでもしたら、こんな所に一人で置いて行かれたらと思うと、怖くて怖くて仕方が無い。

 ヴィルに限ってとも思うが万が一という場合もある、そしてその万が一を引いてしまえばあたしはそこで終わりだ。

 一人この暗い地の底に置いて行かれて孤独の中に果てる、そんな想像が現実を伴って脳裏を過り、血の気が引いて体が震える。

 ……だからこれは仕方のない苦渋の決断だ、どれだけ絶望的な状況だとしても今は少しでも生き残る確率の高い方を選ぶ他に選択肢は無い。

 あたしはいかにも不機嫌ですといった態度でヴィルを一瞥し、重々しく口を開いた。


「……………あたしが寝てる間、変な事してなかったんでしょうね」


「勿論だよ。誓って邪な行いはしていない」


「あんた、本当に下心はなかったんでしょうね」


「無かったよ。神に……いや、剣に誓って」


 真剣な眼差しであたしの目を射抜くヴィル、その瞳には思わず目を背けたくなるような真摯さがあった。

 きっと剣に誓ってと言い直したのも、ヴィルがそこまで神を信仰していないからなのだろう、それだけにヴィルの本気が伝わってくるようだ……下心が無いと即答されたのは少し苛立たしいが。


「……分かった。今はあんたに協力してあげる。その代わり、上に帰れたら覚悟しといて」


「ありがとう。その時はローラの願いを何でも一つ聞くよ。僕に叶えられる願いならだけどね」


 そう言いながらヴィルは安堵したように相好を崩し、人好きのする笑みをこちらに向けてくる。

 ……帰れたらだなんて、思ってもいない事を言ってしまった、普通に考えれば戻れるはずがないのに。

 ともかく、決してヴィルの事を許した訳では無い、それだけは決意として心の内に強く刻んでおいた。

 そうして一応の和解に成功したあたし達は状況確認、特に所持品の確認を行う運びになった。

 正直あのクレバスに落ちたと聞かされた時点で所持品については絶望視していたのだが、意外な事に結構な数の品々が残されていたのだ。


「それって……」


「落ちる時にローラが背負ってた鞄だよ。落下中邪魔になったから捨てたんだけど、奇跡的に流れて来たんだ。幸い雪山登山用だけあって防水性能も高かったから、中身は殆ど無事だったよ」


「ってことは食料とか魔術具とか全部入って……?」


「うん。食料に関しては切り詰めて五日分くらいかな。テントと寝袋もあるし、発熱と身体機能強化の魔術具もある。最低限ではあるけどね」


 ヴィルから鞄を受け取って寒さに震える指で中身を確認する、確かに最後に準備した中身そのままだ。

 食料の量はなんとも心許ないが、この地の底でずっと空腹状態でいるよりは何倍もマシだ。

 これであたしの鞄の中身は終わり、てっきり所持品もこれだけだとばかり思っていたのだが……


「僕の方は短剣が一本だけ。仕方無かったとはいえ上で龍と戦ってる時に荷物も上着も捨てたのがまずかったね」


「は?あんたなんで武器なんか持ち込んでるわけ?持ち込み禁止のはずじゃ……ってか龍と戦ったって……」


「こっそり二本だけ。龍と戦ったのは皆が洞窟に逃げる間の時間稼ぎのためだよ。その時に短剣を一本落としたから今は一本だけだね」


 あんな龍に身体強化も無しで挑むなど正気の沙汰とは思えないが、ヴィルならばやるだろうという確信も同時にあった。

 そうして所持品を確認していると、ふと出発前の事を思い出した。


「そういえば……」


「どうかした?」


 確か鞄の奥の方に……あった。


「これ、使えんじゃないの?」


「それは……魔術ランタンかい?どうしてローラがそれを?」


「龍に襲われる前洞窟にいたでしょ。その時ガイドの人に預けられてそのまま返しそびれたから、とりあえず鞄に入れてた。使い方、分かる?」


「以前に同じ型のを使った事があるから大丈夫だと思う。お手柄だね」


 ヴィルはそう言って笑いながらランタンを弄ると、ぼんやりと魔力の光が灯る。

 あたしはランタンの光を見つめながら、胸の中に湧き上がる不安を抑え込んだ。

 この光があるだけでも、闇の中で感じる孤独が少しだけ和らぐ気がする……でもそれは一時的な安心感でしかない。

 この地の底でいつまでも留まっている訳にはいかないのだ。


「で、これからどうするの?」


 あたしはできるだけ平静を装いながら尋ねた。

 出来ない奴が焦ったって仕方が無い、ならあたしは可能な限り出来る奴の邪魔をしないようにするだけだ。


「まずは洞窟なり窪地なり温度を保って休める場所を探そう。それから……出口を探すしかないね。横からか、或いは上からか……とりあえず進めそうな道を探すしかない」


「適当に歩くってわけ?」


「いや、歩きながら痕跡や地形を観察するよ。少なくとも風の流れや湿度の変化があれば、出口に繋がる可能性のある道が見つかるかもしれない」


 上――――――――

 見上げていくら目を凝らしても何も見えない地底の景色、現在の昼夜すら判断が付かない闇が広がっている。

 その発言が一体どこまで本気なのか、それとも冗談なのかあたしには分からない。

 けれど、少なくともあたしがどれだけ考えても出て来ない発想であり、荒唐無稽にしか思えない手段だった。


 ―――――


 それからあたしとヴィルはランタンと鉱石の淡い光を頼りに体感で三十分と少しくらいだろうか、深いクレバスの底を歩き回った。

 ヴィルは何やら頷きながら地面や鉱石を見ていたが、何も分からないあたしは本当にただ歩いていただけだ。

 バカみたいに重い荷物はヴィルに背負ってもらっている、それでもあたしの疲労はピークに達していた。

 一歩を踏み込むその場所すら判然としない暗闇と、激しい凹凸は必要以上に体力を奪っていく。

 それに霊峰登山での疲れと胸の痛みも相まって、もうこれ以上は動けそうにない。


「一旦休憩にしようか。丁度平らな岩もある事だしね」


 そんなあたしの疲労も織り込み済みだったのだろう、前を歩くヴィルはそう言って微笑みかけて来る。

 けれどあたしにはそれに答える余力が無い、氷柱に囲まれた岩にへたり込むように座り、水筒の中身をあおる。


「…………」


 横に座るヴィルは休憩だと言ったにもかかわらず、ランタンで辺りを照らしながら何か手掛かりはないかと観察を続けている。

 観察しながら先導し、後ろへの配慮を欠かさない、そういう所は本当に、手放しに凄いと思う。

 それに引き換えあたしはどうだ、ほんの少し歩いただけで息を上げ、これではヴィルが背負っている荷物と変わらない、いや、役に立つだけ荷物の方がまだマシだ。

 ただヴィルの足を引っ張っている、自分で自分が情けなかった。


「あんまり気にしなくていいよ。怪我も完治してない状態で体力も戻ってないだろうし、今はまだ急ぐ段階じゃないからね。ゆっくり進んで行けばいいよ」


「…………」


 心の内を見透かされた、思わず睨み付けそうになってすんでの所で目線を地面へと落とす。

 それは無力な自分を棚に上げたただの八つ当たりだ、気遣ってくれた相手にして良い行動では無い。

 ――せめて精霊魔術が使えたならどれだけ良かっただろう、そんな意味の無い仮定が浮かんだ。

 精霊さえ呼び出せれば荷物を持たせられる、周辺の地形も調べられる、或いはクレバスからの脱出も叶ったかもしれない。

 けれど霊峰で魔術は使えない、この地に大量に眠っている抗魔石の影響はクレバスの奥深くまで達している。

 そこまで考えて、あたしの中にふと一つの疑問が浮かぶ。


「ねえ、あんたどうやってあたしの怪我治療したの?ここじゃ魔術は使えないし、大体あんた治癒は適正なかったでしょ」


「よく知ってたね。確かに僕に治癒魔術の適正は無い。ローラの怪我を治療したのはこれだよ」


 そう言ってヴィルが胸元から取り出したのは懐中時計だった。

 ⅠからⅫまでの文字が刻まれた時計が、鎖に繋がれて首から下げられている。

 一見何の変哲も無い代物だがこんな場所だからだろうか、明らかに異様な雰囲気で、神々しさすら感じる。


「……それ、アーティファクト?」


「ご名答。これは『(から)時計』と言って、魔術を一つ保存して一度だけ使用出来るんだ。一応魔術の増幅効果もあるんだけど、抗魔石で散らされたせいで完治にまでは至らなかったからあんまり意味は無かったかな」


 情けないとばかりに苦笑するヴィルだが、あたしは驚きに声を出せないでいた。

 歩いている最中に軽く試したが、いくら力を込めても魔術の一つも発動出来ないのが霊峰という地だ。

 だと言うのに致命傷を治癒してしまう程の魔術出力を持つアーティファクト、一体どれだけの値が付くのか。

 知力や武力といった分かりやすい部分もそうだが、ヴィルという人間はまだまだ底が知れず、頼もしいと同時にどこか恐ろしい。


「さて、それじゃあそろそろ行こうか。今日か明日中には何か一つは手掛かりが欲しいからね」


 ヴィルが勢いよく立ち上がり、沈黙するあたしに手を差し伸べて来た。

 その瞳はどこまでも真っ直ぐで、自分を頼れと言わんばかりに手が伸びている。

 けれど素直に手を取る事は憚られる、起き抜けにあんな事があったばかりで手を借りる事など出来ない。

 手を取らず一人で立ち上がったあたしにヴィルはまた苦笑して、力無く手を落とす。

 すぐに後悔、ひどく子供じみた意地を張ってしまった気がする。

 思わず視線が落ちたヴィルの手を追ってしまい――


「……ねぇ」


「うん?どうかした?」


「これ、何か分かる?」


「どれ……あ?」


 ヴィルの笑みが唖然とした表情へと変わる、そして次の瞬間には頬を強張らせた真剣なものへと。

 あたしにはそれが何か分からず聞いたのだが――素人目から見ても、それは何かの骨だった。


「……ローラ、すぐにこの場所を移動しよう」


「……分かった」


 ヴィルはそう言うや否や鞄を背負い、この場を立ち去るべく視線を巡らせる。

 その判断は迅速なものだったと思う――けれど行動に移すには遅かった。


「―――――――――――!!」


 ――氷柱が倒壊する、空間が崩壊する。

 それはこの地に居る筈の無いもの、居てはいけないもの。

 地響きを伴う咆哮が薄暗い地の底に反響し、衝撃となって押し寄せる。

 一メートルはある蹄の付いた後ろ足を繰り返し地面に打ち付け、殺意にぎらつく瞳があたしとヴィルを睥睨する。


「――『角豚(つのぶた)』」


 ヴィルの呟きは、魔獣の咆哮に掻き消された。


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