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第163話 転落 二

 

 ――視界が暗い、顔が熱く、体全体に何かが重く圧し掛かっている。

 頭が朦朧としているのが分かる、それと同時に自分が地面に横たわり、その上に大量の雪が覆い被さっているという事も。

 顔の熱さはどうやら雪の冷たさを勘違いしていたらしい、その程度の冷静な思考は残していた。

 ヴィルは力を込めた両腕を先に雪から出し、それから体を覆う雪を払って立ち上がる。

 辺りはホワイトアウトしたように白く染まっており、人影も龍の姿も視認出来ない。


(龍……どうしてこんな所に)


 霊峰は抗魔石の産地であり、そこら中に魔力を乱す抗魔石が埋まっている事もあって魔獣は発生せず、外部の魔獣も近寄ろうとしない場所となっている。

 それは最強の生命たる龍種ですら例外では無く、未だかつてエルフロストで龍の姿が確認された事は無い。

 にも拘らず、ヴィルの目にはブレスで地上を薙ぎ払った黒龍の姿が焼き付いている。

 今直ぐに大声を上げてクラスメイト達の無事を確認したい衝動を、ヴィルは逸る心を落ち着けて押し殺す。

 ヴィルの鋭敏な肌は、分厚い上着越しであっても純粋で強烈な殺気の気配を捉えていた。

 声を出せば勘付かれる、可能な限り静かに辺りを探索する必要がある。

 その点足元に雪が積もっているのは僥倖だった、足音に気を配らず探索に集中出来るからだ。

 ヴィルは足首にある得物の感触を確かめつつ、音を立てないよう細心の注意を払いつつ第一歩を踏み出し――


「――みんなー!大丈夫ー!?」


「ッ……!全員、洞窟へ走れ!!」


 冒険者として魔獣と戦った経験の無い者に、初見で分かれと言う方が無理な話だ。

 クラスメイトを心配して声を上げたリリアに被せるように、鞄を投げ捨てたヴィルは更なる大声を上げて駆け出す。

 ――直後、黒の塊が眼前に現れ、ヴィルの腹に直撃する。


「が」


 ヴィルの身体は錐揉み回転しながら激しく打ち上げられ、それから地面へと墜落する。

 積雪が緩衝材の役割を果たさなければ死んでいてもおかしくない高度、それ抜きにしても龍の一撃はそれだけで容易く命を潰す威力があった。

 だが、


「ぐ、く……」


 咄嗟に衝撃に備えて身体の力を抜き、体捌きで衝撃を殺したヴィルはまだ死んではいなかった。

 肋骨が二本程折れている感覚こそあるものの、その程度で動けなくなるヴィルではない。

 ――突如ヴィルを襲った黒い塊、その正体は黒龍の尻尾による薙ぎ払いだ。

 まだ粉雪は消えていなかった為、恐らく声の発生源を狙ったものだろう。

 だが今の一撃によりその視界不良も解消されてしまった、このだだっ広い地でもう龍の視線を遮る遮蔽物は存在しない。

 黒龍が吼える、全身が現れる、その異様が姿を見せる。

 辺りからは悲鳴と洞窟へと逃げ込めと指示する声が聞こえる、急ぎ行動しなくてはならない。


「ヴィル!大丈夫!?」


 腹部を抑えながら跪くヴィルの側にニアが慌てた様子で駆け寄って来る、どうやら先程の場面を見ていたらしい。


「ニアか、僕は大丈夫だ。皆は?」


「分かんない。ヴィルの声で何人か洞窟の方に走って行ってて、今はグラシエル先生が呼びかけてたけど……」


「あのブレスで正確な安否確認は出来ないか」


 初手でブレスを吐かれてヴィルは雪に埋まった、他の者もそうなっていないとは限らない。

 とは言え黒龍健在のこの場で捜索している暇など無い、まずは生きている者の安全を確保する事が優先だ。


「ニアは『魔力感知』を使って可能な限り辺りを探して、人が居たら洞窟に避難するよう指示して欲しい」


「それは良いけど、ヴィルはどうするの?」


「……僕はあの龍を引き付ける」


「そんな!?無茶だよ!」


 魔力を乱される霊峰では魔術はおろか身体強化すら使えない、丸腰での戦いを強要される。

 加えてここでは検問で身体検査が実施される程厳しく武器の持ち込みが禁止されており、無手で龍の相手をするなど荒唐無稽も良い所だ。

 けれどそれでも。


「それでも誰かがやらなきゃ全員死ぬ。この中じゃ僕が一番動ける筈だ。それに……」


「それ、短剣?」


 ズボンの裾を捲りヴィルが取り出したのは、刃渡りの短い短剣だ。

 龍と戦うにはあまりに頼りないそれを逆手に握りつつ、力強い視線で黒龍を射抜いている。


「ここって持ち込み禁止の筈じゃあ……」


「これは()()だよ。今だけは見逃してもらえる事を願うしかないけどね」


「……はぁ、あたしはみんなの避難誘導、ヴィルは囮ね、分かったよ。その代わり、絶対死なないで」


「勿論。僕はこんな所で死ぬつもりは無いよ」


 気丈に笑みを交換し、ヴィルとニアは立ち上がって真反対の方向へと駆け出していく。

 それぞれの役割を果たす、その為に。


「僕はここだ!掛かって来い!!」


 大声を張り上げて龍の注意を引くヴィルは上着と手袋を脱ぎ捨て、自分へ攻撃が向くよう黒龍の周囲を弧を描くように駆け接近していく。

 その狙い通り黒龍はヴィルを敵と認識し、巨大な尾を振り回してヴィルに叩き付ける。

 ヴィルはその攻撃を紙一重の所で回避し、雪と地面を割った尻尾に思い切りに短剣で斬りつけた。

 ――快音と共に剣が弾かれ、振り下ろされる反撃の爪を回避した所で距離を保ちつつ、再び黒龍の周囲を周回する。

 やはり聖剣でも魔剣でもないただの短剣では黒龍の鱗に傷一つ付けられそうにない、狙うは翼膜か眼球だ。

 だが無理をして攻撃を狙う必要は無い、今も避難誘導を行いつつ雪に埋まっていた者を救助しているニア達に注意が向かなければそれでいいのだから。


「ヴィル!」


「オレにもやらせろやぁ!!」


「駄目だ二人共!早く洞窟に戻って!!」


 雪に埋まった状態から抜け出し、状況を理解したザックとヴァルフォイルがヴィルに加勢する。

 ヴィルはその危険な行動を制止しようとするが、二人はまるで聞く耳を持たない。

 そのままなし崩し的に戦端は開かれ、三人での時間稼ぎが始まった。

 だがこの足元の悪さだ、たった一歩を踏み込むそれだけの動作でも異常に体力を消耗する。


「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ」


 加えて空気の薄い高地での運動だ、絶えず動き続けてなければならないこの状況ではあまりに厳しい環境である。

 それでも文句を言ってはいられない、動いた分だけ仲間の命が助かるのだ、動かない理由にはならない。

 それに加勢した二人に危険な真似はさせられない、ヴィルは今出せる全力で一歩を踏み込む。

 ――大地を砕く尻尾を避け、骨ごと肉を断つ爪を避け、万物を噛み砕く牙を避け、黒龍へと肉薄する。

 巨大な頭を踏み台に首、背と駆け上がっていく。

 黒龍はヴィルを振り落とそうと暴れるが、巧みな足捌きで翼の付け根まで辿り着いた。

 ――短剣を振り上げ、思い切りに右の翼膜へと突き刺す。

 弾性に富んだ翼膜は刃物に対して抵抗を見せたが、体重の全てを乗せた一撃は何とか翼を突き破った。

 怒る黒龍は体を回転させ遠心力でヴィルを吹き飛ばそうとするが、それを見越していたヴィルは黒龍の背から跳び上がり、翼膜の傷から滑らせるように短剣を空中に固定する。

 すると何が起こるか――固定された短剣に合わせるように、黒龍自ら右翼を差し出した。


「――――ッッ!!」


 それは咆哮ではない、黒龍が初めて上げた悲鳴だった。

 着地したヴィルは黒龍の怒りに任せた攻撃を掻い潜り、再び攻撃の機会を窺う。


「身体強化もねぇ状況でよくやるぜ」


「オレらも負けてらんねぇぞ!」


 ヴィルの雄姿を見たザックとヴァルフォイルも奮起し、武器を持たないながらに戦況を掻き乱す。

 このまま続ければ全員分の時間を稼げる、そう考えた矢先の事だった。


「ヴィルー!」


 洞窟の方から声、ヴィルがちらと見てみれば、ニアとバレンシアが駆け寄って来ている所だった。

 その表情は焦燥で一杯だった。


「ここは危ない!今直ぐ引き返して……」


「ローラが居ないわ!それとガイドの人も一人!」


「何だって!?」


 ローラともう一人が行方不明になっている、その情報は三人を動揺させるには十分だった。

 急いで探さなくてはと思う反面、ヴィルの思考の冷静な部分は二人が初手のブレスで焼かれてしまった可能性が高い事と考えていた。

 龍の中でも黒龍のブレスは特に温度が高く、人程度の質量であれば一瞬で灰へと変えてしまう。

 もしそうであれば望み薄、仮にそうでなかったとしてもたった二人の為だけにこれ以上の危険は冒せない。

 そんな撤退の判断を迫られるヴィルの視界に、山のように積もった雪が動く光景が映り込む。


「ローラ!!」


 雪から上半身を出し、頭を押さえながら立ち上がろうとするローラはそれまで気を失っていたのか、状況が理解出来ていない様子だった。

 ――それ故に、無造作に平らな地に棒立ちになるローラは、この場でただ一人目立ってしまっていた。


「駄目だローラ!!」


「――え?」


 ――ローラの矮躯が、大量の血飛沫と共に打ち上げられる。

 黒龍の鋭爪を無抵抗に胸に受けたローラは、先のヴィル以上に高く打ち上げられ、落ちた。


「ローラ――――ッ!」


 叫びながらヴィルが駆ける、薙ぎ払うように振るわれる尻尾を滑るように潜った避け際、腹いせのように刺突を叩き込みつつ、ローラの下へと一直線に。

 ローラは重い荷物を背負っていた、例え分厚い処女雪の下に落ちようとも、落ち方次第ではそのまま落下死してしまいかねない。

 ただでさえ龍の爪を受けたのだ、安否など確かめるまでもないと思考する理性を情動がねじ伏せる。

 自分が居る場所で死者は出させない、それはヴィルが初めて喪失を味わった時から抱き続けて来た信念だった。

 ヴィルがローラの落下地点に辿り着く、そこは氷龍の(あぎと)と呼ばれる巨大クレバスの側にある斜面、ローラが落下したと思われる円形の窪みから太く線が伸びている。

 ――視線で辿れば、今まさに意識を失ったローラが滑落し顎へと呑み込まれる瞬間だった。


「――――ッッ!!」


 躊躇いは無かった、短剣を投げ捨てたヴィルは即座に斜面へ身を投げ、空中へ投げ出されるローラの手首を掴もうと手を伸ばす。

 果たして――


「ヴィル!?」


「っ…………!」


 悲鳴じみた叫び声を上げるニアと息を呑むバレンシアが覗き込む先に人影は無い、ただ人が滑り落ちていったであろう削れた地面があるのみだ。

 ニアの思考に絶望が満ちていく、最悪を想像して吐き気すら催す程に。

 だがクレバスの縁、確かに肌色の右手が覗いている、ヴィルだ。


「ヴィル!よかった……ローラさんは!?」


「……手を、掴んでる……!けど、上がるのは……っ!」


 バレンシアに苦し気に返答するヴィル、だが無理もない。

 現在ヴィルの手には自身と意識を失っているローラの体重に加え、彼女の背負う三十キロ近い鞄の重みが掛かっているのだ、如何なヴィルといえどここから自力で這い上がるような真似が出来よう筈も無い。


「わ、分かった!すぐにロープを持ってくるからそれまで――」


「――龍がそっち行きやがったぞ!!」


 ニアの声を遮るヴァルフォイルの警告、咄嗟に振り向いたバレンシアの側に黒龍が着陸する。

 攻撃が来る――そう身構えるバレンシアを無視して、黒龍がヴィルとローラに向けてばっくりと顎を開く。

 ――その喉奥には、先程辺りを焼き尽くしたのと同じ光が満ちていた。


「ヴィル!!」


 肘ごと右手を掛けるようにして、力づくで顔まで這い上がる事に成功していたヴィルの目と黒龍の目が合う。

 覚悟と殺意が交錯し、ヴィルの思考が加速する。

 前門の黒龍、後門の奈落、最早生き残る選択肢は一つしか残されていない。


「――――」


 ――目線を動かす、ニアと目が合う、その瞳にはヴィルへの懸命な激情があった。


「――――」


 ――目線を動かす、バレンシアと目が合う、その瞳には来る未来への悲哀があった。


「――――」


 ――二人を見る瞳に色を込める、願わくばこの想いが伝わるようにと祈って。


「――――」


 ――右手を離す、灼熱が世界を灼き尽くす。

 炎に紛れて響く悲鳴に聞き入りながら、下から吹く風に身を任せる。

 奈落が二人を飲み込んでいく、二人が暗黒へと落ちていく。

 左の手の中にある温もりだけを頼りに、ヴィルは色の抜けない瞳に瞼を下ろす。

 ――状況が、転げ落ちていく。


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