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第160話 霊峰攻略 四

 

 第二の難所である女神の絶壁を攻略したSクラス一行は十一日目の終わりを野宿で迎え、翌日十二日目には八合目の山小屋へと到着していた。

 しかし到着したのが昼過ぎという事もあり、この日はそれ以上登る事は無く、物資の補給を終え次第自由時間という事になった。

 ただし自由時間とは言っても、山の上で出来る事など何も無い、極力荷物を減らす為に娯楽の類を持ち込んでいた生徒も居らず、やる事と言えば会話くらいのもの。

 その中でも主に行われていたのは、これまでの霊峰登山についての感想会だ。


「それにしても昨日の絶壁怖かったよね~。あたし一回下見ちゃってさ、命綱があるって分かってても、もうそこから足の震えがとまんなかったよ……」


「あれだけ下は見ない方が良いって言っておいたのに、どうして自分の首を絞めるような事をしたんだい」


「う……!だ、だって見るなって言われると見たくなるじゃん!見ちゃいけない、見ちゃいけないって頭では分かってるんだけど、どうしても見たい衝動が抑えられなかったの!」


 呆れた視線に堪えかねたニアが、ヴィルの肩をぽかぽかと叩きながら抗議する。

 ニア本人が言うには高所恐怖症という訳では無いのだが、どうやら人よりも高い場所が苦手なようなのだ。

 世間ではその事を高所恐怖症と言うのだが、何故か頑なに認めたがらないのが不思議である。

 段々と叩く力が強くなっていくニアを宥めつつ、ヴィルはずり落ちていく毛布を肩に掛け直す。

 ヴィルは現在、ニアを含めたクラスメイトと共に山小屋の共有スペースで寛いでいた。

 平気で昼からマイナスになる事もある霊峰では、そもそも完全防備の防寒服を脱いで過ごせる時間というのが貴重だ。

 ただそれでも贅沢なくらいにも拘らず、十数人が座っても余裕のある椅子の数と毛布、そしてここが雪山である事を忘れさせる大型暖房魔術具。

 魔術具を使っても尚季節を考えればまだ寒いのだが、何日も野宿を経験したSクラスはとうに温度感覚がおかしくなっており、室内気温がマイナスになっていないだけで暖かいと感じるようになってしまっていた。

 もっとも、その暖かさには分厚い毛布も一役買っていたのだが、そもそも山小屋と野宿を比較すれば些事のようなものだが。


「っていうか次下山する時ってもちろんここを通るんだよね?」


「まあそうだね」


「てことは女神の絶壁も降りていくんだよね?」


「そうなるね」


「……下を見ながら?」


「そういう事だね」


「い~や~だ~よ~」


 ニアは一度絶壁の中程で下の景色を見てしまった時点で相当参ってしまったらしく、気楽な事に帰りの事を考えて涙目になってしまっている。

 八つ当たりとばかりにヴィルの腕を揺さぶりつつなのは止めて欲しい所だが。

 その様子を見ていたバレンシアがふっと微笑む。


「ニアってそんなに高い所が苦手だったのね。あなた、あそこのクレバスを覗いたら卒倒するんじゃないかしら」


「あそこのクレバスって?」


 きょとんとした表情のニアに、何やら面白そうな事を思いついたらしいバレンシアが口の端を上げて立ち上がり、


「きっとここを出発する前に見られるんじゃないかしら。明日を楽しみにしていると良いわ」


 ―――――


「来るんじゃなかったー!!」


「あんまり暴れると危ないわよ。もしかしたら足を滑らせて落ちてしまうかも……」


「う~!シアのいじわる!」


「ふふ」


 十三日目の早朝、小雪の雪山、比較的平坦な雪原で暴れつつも、バレンシアに肩を掴まれ身動きが出来ないニア。

 一行はまだ空が薄暗い時間に八合目の山小屋を出発し、朝日が顔を覗かせて暫くすると登山を中止し、脇道へと逸れて行ったのだ。

 一体何事かと生徒達が妙に思っていると、その先には驚きの光景が待ち構えていた。

 ――叫ぶニアの二メートル先の眼下には、まるでそこに暗黒が蟠っているような、全く見通しの利かない深い深いクレバスが広がっている。

 クレバスとは本来深い割れ目を指す言葉なのだが、雪山に突如として現れたそれは最早谷と言っても差し支えない巨大な縦幅と横幅、そして深さを有していた。

 一度落ちてしまえば、例え魔力があったとしても助からないのではないか、そう思わせる恐怖が生徒達の身を竦ませる。

 対してそんな光景を見せるバレンシアは楽しそうで、二人の様子を見るヴィルは外気の寒さを忘れるくらい胸の奥が暖かな気持ちだった。


「楽しそうだね、シア」


「それはそうよ。長い霊峰登山の中でやっと見応えのある景色を拝めたんだもの。麓のフローリア観光からは時間が空いているし、頂上から見る景色はまだ遠い。中間地点にやって来たっていう実感が湧いて、何だか感慨深いわ」


「それはいいけどあたしを巻き込まないでくれるかな!?みんなで勝手に見たらよかったじゃん!」


「そんなの寂しいじゃない。私はこの光景をニアと共有したかったのよ」


「まさに余計なお世話!」


 寒さと怒りで頬を真っ赤に染めるニアに、ヴィルとバレンシア、三人のやり取りを見ていたクラスメイトやガイドがくすくすと笑う。

 ――八合目の山小屋近くに存在するそのクレバスは『氷龍の(あぎと)』と呼ばれ、登山者しか見る事の出来ない特別な景色として、有識者の間では有名な場所である。

 身体強化があったとしても飛び越えられないであろう奥行き、端から見ても反対側の見えない横幅、そして調査隊の調査の末不明とされた深さ、どれを取っても見る分には壮観だ。

 ――そう、この氷龍の顎こそ第三の難所、一行はこの難所に頂の景色を賭けて挑むのだ――とは幸いにもならない。

 氷龍の顎は霊峰への挑戦者にとっての純粋な観光名所であり、それ以上の意味や役割を持たない。

 学者や探検者にとっては垂涎ものの未知の領域であっても、その学術的価値について知り得ない学生達にとっては大きなクレバスというだけだ。

 とはいえこの景色を見せたかったガイド陣はニアの盛大なリアクションにご満悦の様子で、わざわざ立ち寄った甲斐があったと頬を綻ばせていた。

 そんな一幕を挟みつつ、一行は元の西ルートへと戻り登山を再開する。

 かれこれ4000メートル近くも登って来たSクラスだ、いよいよ山頂も近い。

 この先に待ち構える第三の難所を乗り越えれば、後は消化試合のようなもの――そう考えるには、八合目から先はこれまでとは少々毛色が異なる。

 その理由は説明時にも触れられたがここまで使う機会の無かったとある魔術具、そう、呼吸補助の魔術具だ。

 八合目から先はいよいよ空気が薄く、活動にも大きな支障を来すレベルになってくる為、呼吸補助の魔術具を使用しながらの登山になる。

 マスク部分を口元に当て、ゴム紐を耳に通して固定、露出した肌部分を布で覆って防寒対策を施し、準備は完了だ。

 鞄と接する背中から魔術具に魔力を流し、魔術具の起動を確認してから雪深い地面へ一歩を踏み出す。


「これ、最初は使い方に戸惑ったけれど、実際使ってみると凄く便利ね。息を吸っても肺が凍らないわ」


「そうだね。八合目まで感じてた呼吸のし辛さみたいなものが解消された感じがするよ。これならこの先もう少し寒くなっても耐えられそうだね」


「今度は身体の方が寒さで凍えそうだわ」


「ふふ、違いない」


 一歩、二歩と着実に歩みを進めつつ、ヴィルとバレンシアは呼吸補助の魔術具についてそんな感想を話していた。

 周囲の空気を集め呼吸しやすくする、吸い込む前の空気を暖めるという単純な仕組みだが、それ故に効果も単純で分かりやすい。

 しかし呼吸の方は随分と快適になったが、身体の防寒対策についてはやや不足していると言わざるを得ない。

 防寒着を脱がなければ汗を掻いてしまう、などという贅沢な地帯はとうに過ぎ去り、六合目辺りからは防寒着を着込み、防寒の魔術具を発動させなければやっていけない気温になってしまっていた。

 そして八合目から先、即ち現在は出来得る限りの防寒対策を施して尚身体の芯から冷え上がるような、命の危険を覚える程の寒さとなっている。

 霊峰の気温は、上に登れば登る程下がっていく。

 Sクラスはこの先の地形や難所とは別に、首を絞めるようにじわじわと下がっていく気温にも注意しなくてはならなかった。


 ―――――


 極寒地獄を進む一行は、十三日目と十四日目には何事も無く登山を続け、十五日目に吹雪を回避する為テントで一日を過ごし、十六日目に登山再開、十七日目には最後の山小屋となる九合目に到着する。

 四合目―五合目間に匹敵する時間を掛けた八合目―九合目間の登山は、これまでで最も辛い道のりとなってSクラスに立ちはだかった。

 標高8000メートルを超えてからは雪深い地面に加え、気を抜けば横転してしまいそうな程の強風に見舞われ、進行速度が大幅に低下していたのだ。

 単純な距離だけで言えば四合目―五合目間の三分の一以下にも拘らず、吹雪の日を除いて四日を掛けた事を考えれば、その歩みの遅さは察せられる所だろう。

 十八日目、そうして辿り着いた九合目の山小屋にて、Sクラスはガイドのアルティスから最後の説明を受けていた。


「霊峰の頂上までの道のりにあるのが第三の難所、通称『勇者の刀身』です。その呼び名の通り、剣の刀身を思わせる細く鋭い尾根が山頂まで続いている場所です。この尾根があるのは山頂までの道のりの最後の最後、ここを乗り越えれば登頂は確実という位置に存在しています」


 Sクラスはここまで、数多の試練を乗り越えて来た。

 深く沈み込み足場の悪い分厚い雪、着込んだ衣服を貫通し体温を奪いに来るマイナス気温、気を抜けば容易く命を落とすクレバス、挑戦者の恐怖心を煽る高き絶壁。

 そんな長く険しい登山の旅路を経て、ついに目的地である霊峰の頂きが目前に迫っているのだ、アルティスの話を聞くSクラスの生徒達の目にも一層真剣な色が宿る。


「勇者の刀身は非常に狭く、両脇には切り立った崖が広がっています。風が強い日には特に危険ですし、凍結した足場では滑りやすく、一瞬の油断が命取りとなるでしょう。必ず一歩一歩慎重に、命綱を使いながら進んで下さい。そして何より、決して焦らない事。登頂は確実に見えているので、最後まで冷静さを保つ事が何より重要です」


 勇者の刀身では、第一の難所であるクレバス帯と同じく登山者同士をロープで繋いでの挑戦となる。

 アルティスの説明した通り、切り立った崖は凍っていて滑りやすく、一度落ちれば何処までも何処までも落ち続け、果ては命を落としてしまいかねない。

 そこで万が一誰かが足を滑らせてしまった場合、その後ろの生徒が即座に落ちた生徒と反対側に身を投げ、バランスを取る事で転落を防ぐのだ。

 迅速な判断と身を投げる恐怖に打ち勝つ勇気が求められる対処法だが、それがクラスメイトの命が掛かった場面であれば、誰一人として躊躇う事は無いだろう。


「私達はここまで、長く苦しい道のりを歩んできました。ここで正直に告白すれば、私は皆さん全員が無事にここまで辿り着けるとは思っていませんでした。いつか誰かが音を上げるものとばかり。ですが現実は誰一人欠けず、ここ九合目まで辿り着いている。これは驚くべき事です。そしてそんな皆さんならば、全員での霊峰登頂を成し遂げる事も可能だと、私は確信しています!」


 拳を力強く握り込み、興奮も露わに熱の籠った演説を行うアルティス。

 少々やり過ぎとも言えるアルティスの話を、しかし笑う者は一人として居ない。

 ここまで共に苦難を乗り越えて来た(ともがら)として、頂上を目前にした興奮と高揚の絆が、全員の固い団結を生んでいた。


「さあ皆さん、出発しましょう!目標は山頂、天を衝く霊峰の頂へ!」


「「「「「おおぉぉぉーー!!」」」」」


 生徒、教員、ガイド全員の雄叫びが山小屋に響き渡る。

 士気は十分、装備は十全、体調は万全だ。

 登山が始まって以来最高の状態を保った一行は、いよいよ霊峰の頂上を目指して出発したのだった。


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