第159話 霊峰攻略 三
霊峰登山七日目、一行は不慮の事故に見舞われつつも困難を乗り越え、それから一時間後には第一の難所、クレバス帯を攻略する事に成功した。
本来であれば誰かが命を落としてもおかしくなかった事態、七日目は状況を鑑みてそこで終わりにしても良かったのだが、他ならぬ落ちた二名の希望により、引き続き山登りを行う事となった。
身体の心配もそうだが何より精神的に心配された二人は、その際こう発言している。
「もちろんすごく怖かったですけど、あれからヴィルくんが側にいてくれたので大丈夫でした。たったそれだけのことであんなに安心できたんですから、やっぱりヴィルくんはすごいです」
「正直言って、あのままあたし一人で歩いてたらいつか立ち止まっちゃってたと思う。また落ちたらどうしようって、脚が竦んで前に出なかったんじゃないかなって。けどヴィルが時々後ろを振り返ってくれてさ、声をかけて励ましてくれたんだ。だからクレバス帯で頑張れたし、これから先も頑張れると思う」
想定した通り、ヴィルの献身がクレアとニアの精神面で功を奏した形だ。
ともあれそうしてクレバス帯を攻略した一行は、その後は順調に進み、八日目の夜には六合目の山小屋へと到着していた。
当初の予定では六合目の山小屋に到着するのは九日目か十日目だった為、予想していたよりもSクラスの歩みは早い。
その要因は積雪の中の進み方に慣れるのが早かったというのもあるが、何より体力があったからだ。
技術、知識、道具、登山で役立つものは数多くあれど、結局の所最後にものを言うのは地の体力である。
その点Sクラスの生徒は数か月をかけて体力づくりを行ってきており、授業の甲斐あって、何事をするにも力尽きる事無くここまでやって来れていた。
そしてそこから先も順調に事は運んだ。
六合目から七合目にかけて、大きな難所こそ無いものの、ごつごつとした氷塊があちこちに散乱する高低差の激しい山道、それがひたすら続くという苦しい地帯を、一行は僅か二日で踏破した。
これには案内に慣れているガイドのアルティスも、
「これだけの大所帯で、これだけ早くここを抜けたグループはちょっと覚えがありませんね。王国中から優秀な人材が集まるアルケミア学園、その中でも優れたのがSクラスだというのですから当然と言えば当然なのかもしれませんが……いやはや、驚きです」
と、素直に賞賛と驚愕を口にしていた。
ここまで予定を大幅に上回る進行速度を見せてきたSクラスだ、この先もこの調子で、と考えるには霊峰は登頂の難易度が高すぎる。
というのも、次の七合目から八合目にかけては、第二の難所が待ち構えているのだ。
「――第二の難所はそびえ立つ氷の壁、通称『女神の絶壁』です。一応山小屋の窓からも見えるので、後で見てみるといいかもしれません。難所と呼ばれる理由は、文字通り絶壁が如き厳しい傾斜を登る事を余儀なくされる点です。傾斜の高さは三十四メートル、一部の巡礼者はこの壁を設置された鎖のみで登り切らなければなりませんが、皆さんには私達がロープを用いた支援を行いながら登って頂きますので、安心して下さいね」
アルティスの説明を聞く最中、ヴィルは窓の外に件の女神の絶壁を発見する。
ヴィルの視点からは丁度横から見える形で、その傾斜の厳しさを余す事無く理解する事が出来た。
なるほど、確かにあれは絶壁だ、辛うじて直角にはなっていないものの直角になっていないだけ、歩くではなく登るが言葉として正しい事が一瞬で理解出来てしまう。
果たして大荷物を背負いながら、全員であの絶壁を登り切る事が出来るのだろうか。
内心にそんな不安を抱えつつ十一日目、空の薄暗い早朝、いよいよ女神の絶壁に挑戦する日がやって来た。
山小屋から一時間と少し、一行は第二の難所である女神の絶壁の足元にまで到達する。
今は全員で一塊に集まって、絶壁を登る為の準備をしている最中だ。
「改めて見てみると……凄まじいね。これが女神の絶壁か」
「こんなのどうやって登るんだろ……」
ヴィルとニアが揃って絶壁を見上げ感想を口にする。
山小屋から女神の絶壁までは視界が開けており、ここまで来る間もずっと遠目に見ていた筈だった。
だが足元まで近づいて実際に目にすると、改めてその偉容に圧倒される。
「昔の人は何を思ってここを登ろうと考えたのかしらね。流石に理解に苦しむわ」
「そりゃそこに山があるからだろ?オレぁ結構楽しみにしてんぜ」
「脳筋のお前は良いだろうけどな、やっぱ女子の筋力じゃこれ登んのは無理臭くねぇか?」
バレンシアやヴァルフォイル、フェローと感想は続き、一部を除いて生徒達の間には本当にここを乗り越えられるのかという不安が大きい様子だった。
だがその不安は直ぐに解消される事となる。
それまで準備を行っていたガイド達の一人が、突如元から設置されていた鎖を頼りに壁を登り始めたのだ。
「アルティスさん、もう始めるんですか?」
「いや、まだ準備中ですよ。じきに終わりますから、もう少しだけ待っていて下さいね」
「では今登っている方は何をされているんでしょうか」
「ああ、彼は先に上に登って皆さんのサポートをするんですよ。荷物も引き上げなければなりませんし」
「荷物?ではこの鞄を背負って登る訳では無いと?」
「そういえば言っていませんでしたね。荷物はロープに括り付けて上から引き上げる形を取るんです。流石にあれだけの重量の荷物を背負って皆さんに登らせる訳にはいきませんから」
と、アルティスは質問をしに来たヴィルに対し苦笑交じりに答える。
ヴィルはその返答を聞いて安心した、確かに冷静になって考えてみれば、何もあれだけの大荷物を背負って登る必要は無いのだ。
しかし油断は禁物、いくら荷物が無くなったとはいえ、身体強化も治癒魔術も使えないここでは、数メートルの高さから落下しただけでそれ以降の登山に参加出来ないどころか、致命傷にもなりかねない。
取り敢えずとヴィルが情報共有していると、その間にガイドの一人が絶壁を登り終えており、更にもう一人が登り切ろうとしている所であった。
壁下では生徒達が最後の準備確認を行い、壁上ではロープを垂らし荷上げの準備を完了させる。
かくして準備は整い、遂に女神の絶壁の攻略が開始された。
「それでは準備も整いましたので登って行きましょうか。順番については特に考えていないので、我こそはという方から登って頂ければと思いますが、どなたかいらっしゃいますか?」
「ならオレが一番乗りだ!」
アルティスの提案に名乗りを上げたのはヴァルフォイル、先程期待を言葉にしていた通り、楽し気で自信満々に挑戦的な笑みを浮かべている。
誰しも一番最初に挑戦するのは怖いもので、その点ヴァルフォイルの申し出はありがたく、否やを発する生徒は居なかった。
準備運動に首の骨を鳴らしながら、命綱を腰に巻き付けたヴァルフォイルが絶壁に手足を掛け、Sクラスとして最初の一歩を踏み出す。
腕と足に力を入れて身体を持ち上げ、手を掛ける場所、足を掛ける場所を探し準備、再び腕と足に力を入れて身体を持ち上げ、後はその繰り返しだ。
ヴァルフォイルは一切苦戦・躊躇をする様子を見せずすいすいと登って行き、僅か十分足らずで絶壁の折り返し地点に到達してしまった。
「流石はヴァルフォイル、野生の勘とでも言うべきかな?あれはとてもじゃないけど真似出来そうにないよ」
「ヴィルっちでも無理なの?うちのイメージだとヴィルもあんな感じだと思ってたんだけど」
「どこがいつ崩れるとも分からない氷の壁の突起を、一切安全性も確認しないまま足場にするなんて見てるこっちが冷や冷やするよ。それで上手くっている辺り才能ではあるんだろうけどね。そういう意味で真似出来ない、というかあんまり真似したくはないかな」
首を傾げて疑問を口にするリリアに、ヴィルは賞賛半分呆れ半分に答える。
壁を登ると聞けば簡単にも思えるが、実際にやる事は膨大な安全確認と、高所で恐怖心を抑えながらそれらの作業を行う勇気だ。
その点ヴァルフォイルに恐怖心は無いが、同時に必要な安全確認も存在しない。
故に命綱があるからといって真似したくない、真似して欲しくないやり方という訳だ。
「あ、そーいう?じゃあヴァルっちの登り方って参考にはならないのか~、残念。あ、じゃあさ、次ヴィルっちが登ってよ!できれば参考になるような登り方で、お願いっ!」
「そんなに特別な事をするつもりは無いけど、構わないよ。あ、でも登るならシュトナの次ね。さっきからうきうきの表情で待機してて、割り込むのは忍びないから」
そんなやり取りを繰り広げている内に、ヴァルフォイルは苦戦する様子もなく絶壁を登り切り、続いてシュトナが挑戦する。
シュトナもヴァルフォイル程極端では無いが感覚派の人間だ、安全確認を最低限に済ませつつ、かなりの勢いで絶壁を登って行く。
一応体力が尽きたり落ちかけたりといったアクシデントがあれば、迅速に上のガイド二人が引き上げる手筈になっているのだが、シュトナに支援は必要なさそうである。
「それじゃあ行ってくるよ」
シュトナが四分の三地点を過ぎた辺りで、ヴィルはクラスメイトに手を振りつつ、壁の下で待機しているアルティスの下へと歩いて行く。
そこでシュトナの踏破を待ち、ロープが垂れて来れば命綱を着けて挑戦開始だ。
少し高めの出っ張りに両手を掛け、視線で探りつつ右足を別の出っ張りに掛ける。
手の平に出っ張りの詳細な凹凸が伝わるのは、登山中の防寒に重きを置いた厚手の手袋から薄手の手袋に変えたお陰だ。
次に手を置く位置を考え手を掛ける際、すぐに体重を乗せるのではなく二度三度と力を込めて、崩れないかどうかを確認してから体重を移動させる。
そうして確認を終えれば次は足、同じ安全確認を行って地道に絶壁を登って行く。
リリアにも前置きした通り、派手な事も特別な事も一切無い、寧ろそうなるようにするのが霊峰登山というものだ。
あと気を付ける事があるとすれば、あまり下を見ない事くらいだろうか。
ヴィルは慣れもあって感じないが、高所に立てば恐怖を感じるのは生物として当然の反応だ。
だが恐怖は思わぬ失敗を招く種、つい見たくなってしまう気持ちを押し止め、意識を上に向けながら登って行く事が肝要だ。
慎重に慎重を重ねて登る事十数分、ヴィルは先行したヴァルフォイルとシュトナよりやや遅い記録で女神の絶壁を登り切る事に成功する。
安全第一で登ったのだから早さに関しては二の次、ただ乗り越えた充足感のみを胸に、ヴィルは眼下のクラスメイト達に手を振って微笑んだ。
「遅かったじゃねぇか。オレのが五分は早かったぜ」
次の生徒の挑戦が始まり、ヴィルが休憩していると先に登っていたヴァルフォイルが話し掛けてきた。
その顔は勝ち誇った表情をしていて、どんな内容であれヴィルに勝った事が嬉しいらしい。
「勝負じゃないんだから……僕は安全重視なんだよ。ヴァルフォイルこそ、あんな無茶な登り方して。見てるこっちがドキドキしたよ」
「ハッ!実際落ちずに登りきったんだからいいだろうがよ」
「ザックやクレア、フェロー辺りが真似したらどうするんだい?真剣に霊峰登山に臨んでいる以上、命綱があるとはいえ可能な限り頼らない登り方を……」
「テメェはオレの教師かってんだよぉ。大体、オレのマネできる奴なんざ限られてっだろうが。どのみち落ちねぇんだからいいんだよ」
ヴァルフォイルは鼻を鳴らしてそっぽを向くと、水筒の水を勢い良く飲み干す。
以前拳を交えてからというもの、ヴァルフォイルとの関係は表面上だけ見れば以前とあまり変わっていない。
相変わらず当たりは強く、勝負事となればいつも突っかかって来る点に関してはより顕著になった程だ。
だがそこにはヴィルの実力を認める肯定の感情が確かに存在しており、ヴィルにはそれが心地良かった。
今は競う場面では無いが、常に自分を追い抜かさんと迫って来るライバルと、切磋琢磨しながら日々を過ごすのも悪くはない。
そんな事を考えながらヴィルがヴァルフォイルに話し掛けると、少し嫌そうな表情をしながらも普通に言葉を返して会話が続く。
そうして時間を潰しながら、一行は何事も無く第二の難所である女神の絶壁を攻略したのだった。
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