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第158話 霊峰攻略 二

 

 灼熱の四日目を何とか乗り越えた一行は、五日目から上昇を開始、六日目の昼には西ルート五合目の山小屋へと到着した。

 地獄と形容して相違無い四日目とは打って変わって、五日目は曇天と気温に恵まれ、快適な登山を送る事が出来た。

 六日目は中途半端な時間に到着した事もあり、五合目の山小屋に着いた時点でその日は終了、六合目への移動は七日目へと見送られた。

 そして七日目、霊峰登山開始から一週間、Sクラスは早朝から六合目に向かって進み始める。


「六合目までの道のりには第一の難所、『クレバス帯』が待ち受けています。他の山では何とでもなるクレバスも、この山では立派な脅威だ。数メートルある大きな穴に完全に落ちてしまえば、今の私達には引き上げる手段はありません。ですからここから先は全員をロープで繋いでの登山になります。そうすれば誰か一人が落ちても前後の人で協力して助けられますからね」


 と、アルティスは苦笑交じりに語る。

 クレバスとは雪山や氷河に形成される深い割れ目の事で、ここ霊峰にも無数に存在している。

 これはヴィルの勘でしかないが、アルティス自身そのロープに助けられた経験があるのではないだろうか。

 ガイドをしている以上霊峰登山の経験もそれなりにある筈だ、危機に陥った事もあるだろう。

 アルティスの説明は続く。


「それから山を歩く上で留意して欲しい点があります。それは僕が歩いた足跡以外は踏まないで欲しいという事です。僕は長い登山の経験で、雪の上からでもクレバスの位置を見分けられます。ですから僕を信頼して、安心して付いて来て下さい」


 ドンと胸を叩き、自信たっぷりに言い切るアルティス。

 ここまでの判断や指揮の正確さを踏まえても、彼の能力を疑う者はこの場には居ない。

 一行はこれまで通りの隊列を組み、ロープで前後の生徒を蛇のように繋いでいく。

 バレンシアとロープを繋ぎ終わったヴィルは、前の生徒、即ちローラにもロープを手渡す。


「はい、ローラ」


「…………」


 相変わらずの冷たい反応だが、先日のやり取りが幸いしてか拒絶されはしなかった。

 ローラはロープを受け取ると、無言で自分の腰辺りに巻きつけ結ぶ。

 全員が装着した所でガイドによるチェックが入り、適切に結べていなければ着け直し、準備が終わればいよいよ登山開始だ。

 七日目はちらほらと雪が降っているものの、風は少なく絶好の登山日和と言える。

 霊峰へ来て既に一週間、雪山の雪にも随分慣れたもので、皆大きな苦労も無く順調なペースを保って緩やかな傾斜を登って行く。

 回り道では無い傾斜を登るという意味では、本格的に霊峰を攻略するのはこれが初めてとあって、Sクラスの士気は高い。

 休憩を最小限に済ませ進む事六時間、一行は第一の難所、クレバス帯へと到着した。

 クレバス帯の進み方はこれまでとは少々異なり、人と人の感覚を二メートル前後空けながら進んでいく。

 これは誰か一人がクレバスを踏んでしまっても落ちにくく、万が一落ちてしまったとしても予めその前後の人が踏ん張れる余裕を作っておく事で、リスクを分散する狙いがある為だ。

 そう説明を行ったアルティスの指示に従い、一行はストックを手に、間隔を保ちながらクレバス帯へと足を踏み入れる。


「こうして俯瞰して見てみると、案外分かりやすい割れ目は見当たらないのね。どこにクレバスがあるのか皆目見当もつかないわ」


「確かに。こればっかりは経験がものを言うって所かな。アルティスさんを信じよう」


 バレンシアとヴィルが揃って目を凝らしても、それらしい割れ目は発見出来ない。

 無論全く無いという訳では無く、辺りを見回せば幾つか散見されるのだが、それはこれまでの道中も遠目からではあるが見てきた光景だ。

 第一の難所と題し、わざわざロープで互いを繋ぎ止める必要性は一見感じられないように思える。

 だが実際クレバス帯に足を踏み入れてみれば、明らかにこれまでの地面とは地質からして違った。

 一歩足を踏み込む度、しゃりしゃりと細かな氷を踏み潰すような音や、ぱきぱきと板状の氷を踏み抜く音が鳴る。

 五合目までの道のりは粉のような雪の下に固まった雪といった感じで、普通の雪山とこれといった違いは感じられなかった。

 だが今は靴が粉雪を通った後も足元が頼りなく、どうにも踏み込み切れない歯痒さがあるのだ。

 そしてこの中で恐らくヴィルだけが、クレバス帯の恐ろしさというものを痛感していた。


(なるほど。これは確かにガイド無しでは進めたものじゃないな)


 先頭のアルティスが第一歩を刻み、それから数々の教師と生徒が辿ったであろう足跡へとヴィルが踏み込む――その三十センチ左に、人一人を容易く呑み込む大きさのクレバスがあった。

 それだけではない、複雑に蛇行しながら進む道の近くには、そこかしこに大小様々なクレバスが口を開いて獲物を待ち構えていたのだ。

 ヴィルはその魔術の特性から、自身の周囲五メートル以内の魔力の流れで物体の位置を把握する『第二視界領域(プライベート)』という異能を有している。

 その為、肉眼では判別の叶わないクレバスの位置を、雪に覆い隠されたものであっても視る事が出来ていた。

 だがしかし、それは逆を言えばヴィルのような異能か、アルティスのような専門知識と経験が無ければ実感が出来ないという事であり、他の生徒や教師は心の恐怖を抱えながら、信じると決めたガイドの足跡を辿って歩いて行かなければならなかった。

 更にたちが悪いのが一点、雪山では足を取られない為に鋭く足を踏み込む必要があり、それはどこにクレバスがあるとも知れないここでも同様であるという事だ。

 命の危険と隣り合わせな状況でそんな綱渡りを続けていれば、精神が疲弊するのは必定。

 疲弊した精神は肉体にも影響を及ぼし、知らず知らずの内に必要以上に体力を消耗してしまう。

 そして体力を消耗すれば、その果てに待っているのは招かれざる失敗だ。


「ぁ――――!」


 ヴィルの前方、地面が崩れる大きな音に遅れて、六メートル程先から女子生徒の悲鳴が上がる。

 それと同時、ヴィルの腰に繋がるロープがぐんと引っ張られる感覚が生じた。

 ヴィルは咄嗟に両足に力を入れ踏ん張るが、雪と氷のせいかずるずると引き摺られていってしまう。

 それはヴィルの一つ前のローラも同じようで、何とかその場で位置を保とうとしたが、如何せん体重が軽く重りの役目を果たせず、引かれる勢いそのままに前のめりに倒れてしまった。

 ――ローラが引き摺られるほんの先、重さからして二人の生徒を飲み込んだであろうクレバスが待ち構えている。


「危ない!」


 ヴィルはストックを手放してロープを両手で掴み、右足を大きく踏み込んで一気に引き寄せる。

 ビンとヴィルとローラとを繋ぐロープが張り、ローラを落下寸前で何とか食い止める事に成功した。

 だがまだ安心は出来ない、クレバス内にあれだけの大荷物を背負った人が二人も居る以上、このまま現状を維持しているだけでは解決には至らないからだ。

 前か後ろ、複数人で息を合わせ一斉に引き上げる必要がある。


「全員その場で待機!私が行くまでその状態を保っていて下さい!!」


 遥か前方からそんな声が聞こえたかと思うと、三十秒と経たずアルティスとダカンがクレバスの近くへと飛んできた。

 それから二人でクレバスの様子を検分すると、アルティスがクレバスを挟んだ前方、ダカンがヴィルの側にやって来て指示を出す。


「そこの生徒!俺が誘導する!ロープを引っ張ったまま俺の指示通り動けるか!?」


「問題ありません。指示をお願いします」


「よし!それでは移動を開始する!後続は前の足跡から離れずついて来い!!そこの女子生徒!悪いがもう少しだけ耐えてくれ!!」


「…………っ!」


 己が窮地に声を出す事が出来ないローラが、代わりにかくかくと首を縦に振る。

 そうして情報の伝達が済むと、アルティスとダカンは目配せをし、クレバスの最も近くに居るヴィルと、クレバスを挟んだ反対側のカストールの誘導を開始した。

 ロープを張ったまま、ヴィルとカストールの両名が左へとずれていく。

 ゆっくり、ゆっくり、クレバスと内部の生徒の様子を窺いながらの作業だ。

 その場に緊迫した空気が流れる。

 やがて二人が完全にクレバスから離れ合流すると、ガイドから力一杯引き上げるよう指示が出される。

 ヴィルとカストール、この二人はSクラスの中でも一二を争う力自慢であり、こうした役割は正にうってつけだった。

 それからすぐに落ちかけていたローラを引き寄せてダカンに預け、クレバスに落ちていた二人の生徒を引き上げる事に成功する。

 一行は完全に危機を乗り越えた。


「ぶはっ」


 空気の薄い地での筋肉の酷使は、体力にも自信のあったヴィルとカストールをして息切れさせていた。

 だが一人も欠けずに救出出来た、その事実は疲労を補って余りある成果として二人に笑みを浮かべさせた。


「ヴィルぅぅ~!怖かったよぉ!怖かったよぉ~!!」


「よしよし、よく頑張ったね、ニア。もう大丈夫だよ」


「ヴィルぅぅぅぅ~~!!」


 クレバスに落ち、救出された生徒の内の一人がニアだった。

 ニアは余程ロープで宙吊りになっていたのが怖かったのか、先程からヴィルに抱き着いて離れる気配が無かった。

 いつもは直ぐに離れるように言うヴィルも、その恐怖を察してかニアの頭を撫でてされるがままにしていた。

 そしてクレバスから救出された生徒はもう一人いる。


「ご、ごめんなさい!ごめんなさい!わたしが落ちたせいでみんなを巻き込んで……!わ、わた……わたしのせいで!」


 涙を流し繰り返し謝罪を口にするのは、ニアと共にクレバスに落下したアンナだった。

 泣きじゃくるアンナの言葉から察するに、どうやら最初にクレバスに落ちたのが彼女だったらしい。

 だがヴィルはアンナが落ちる直前、微かに響いた音を聞いて真相に当たりを付けていた。


「アンナ。もしかして君は普通に地面を踏んで、それから地面が割れて落ちたんじゃないのかな?あんなに大きなクレバスがある真上をアルティスさんが選ぶ筈が無い。そうですよね?」


「え……?確かに、そう言われればそんな気もしてきました」


「あたし見てたよ!アンナちゃんの後ろを歩いてたらいきなりすごい音が鳴って落ちちゃって、そのすぐ後にあたしも落ちたの!」


 初めに落ちた当人はいまいち分かっていない様子だったが、すぐ後ろにいたニアはその瞬間を目撃していた。

 ヴィルが確信を得てすぐ、周囲の安全確認を終えたアルティスとダカンがやって来て、深々と腰を折り開口一番謝罪を口にする。


「申し訳ありませんでした!今回の事故は私の判断ミスが招いた結果です。本当にすみませんでした!」


「あ、頭を上げてください!わたしは大丈夫ですから」


「わたしも。こうして無事に助かったことですし、そんなに気にしてないですよ」


「そう言ってもらえると助かりますよ。……その上で、お願いがあります。本当なら怖い思いをさせてしまった君達には休憩を取らせてあげたい所なんですが、ここじゃいつ同じ事が起こるとも分からない。だからこのまま安全地帯まで登山を続けたいんです。私が信頼を損なってしまったのは事実。けど、それでもまだ私を信じてくれるというのなら、もう一度私について来てはくれないでしょうか」


 再び頭を下げ、アルティスは平身低頭生徒に頼み込む。

 アルティスの真摯な言葉と態度に、アンナもニアも頷きを返し、アルティスの表情が和らぐ。

 だが何もかもこのままとはいかない、ヴィルは次の安全地帯まで万全を期すべく、アルティスに一つ提案をする。


「アルティスさん、一つ良いでしょうか?」


「はい、何でしょう?」


「彼女達はクレバスに落ちかけて不安も残っている筈です。そこでしばらく隊列を変え、僕が二人の傍について居てあげたいと思うのですが、構いませんでしょうか」


「それはむしろ私の方からお願いしたいくらいです。見た所、あなたは二人から慕われているようですし、問題も無いでしょう。それではあなたの前後の生徒さんに説明をして、ロープをもう一度結び直しましょう」


 ヴィルの提案の必要性を認めたアルティスは賛成し、善は急げとばかりに隊列の再編成を行っていく。

 それに伴いヴィルはバレンシアと自身を繋ぐロープを解き、同じくローラに繋がるロープも解きに近づく。


「……ありがとう」


「どういたしまして。けど僕は当然の事をしたまでだよ」


「それでも。落ちかけた時、生きた心地がしなかったから。それだけ」


 相変わらず愛想に欠ける態度のローラ、しかしきちんと助けられた感謝を言葉に込めているのが伝わって来て、ヴィルはほんの少しの手応えに頬を緩ませる。

 かくして一行は危機を乗り越え、第一の難所たるクレバス帯を乗り越えていくのだった。


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