第156話 霊峰出発 二
山の荒れた悪路を馬車が行く、大抵の登山者は四合目まで馬車で向かう為最低限の舗装はなされているが、それでも山は山、快適な旅時とはいかない。
それにエルフロストは降雪の絶えない地だ、降り積もった雪は馬車が通る度に押し固められ、地面の不安定さが常に保証されているようなものである。
そして何より馬車の進行速度がとにかく遅い、距離で言えば大した事が無いのにも拘らず遅々として進まないのは、二メートル以上も積もる雪を除雪しながらの行軍だからだ。
この辺りの馬は寒さや雪に強いとはいえ、流石にメートル越えの積雪の中を馬車を引きながらでは進めない。
そこで御者の隣に魔術師が座り、火属性魔術で雪を溶かし、水属性魔術で溶けた雪を排除しながら進んでいくのだ。
そうした手間が掛かるからこそ馬の歩みは遅い、霊峰を目前にしてのこの事態に多少の焦燥感が募る。
とはいえ学園のあるベールドミナからフローリアまで一週間近くの道程を馬車で進んで来たのだ、たかが一日、一行にしてみれば今更とも言えるだろう。
代り映えのしない一面の銀世界を見ながら、ヴィルは携帯食料を口にする。
お世辞にも美味しいとは言えない一品だが外に出て調理をする訳にもいかない、栄養源としては優れていると頭で考えつつ半ば機械的に胃に詰め込んでいく。
騎士団の任務でこうした携帯食料に慣れているヴィルはともかくとして、他の生徒はかなり堪えている様子だった。
「あー、もう宿の飯が恋しいぜ。こっから登山終わるまでこれとか耐えれる気がしねぇ」
携帯食料を片手に、ザックががっくりと項垂れて愚痴を零す。
日々の生活を送る上で食に重きを置くザックにとって、満足のいく食事をとれないというのはかなりの苦痛だったのだ。
その様子を見て、隣に座るクレアが肩を竦める。
「まー好き好んで食べたい味じゃないのは確かね。でもお腹は膨れるしアタシは文句ないわ。食べ飽きてきたのは分かるケド」
「携帯食料を食い続けるだけならまだ耐えれたかもしんねぇけど、一回良いもん食ったらやっぱ駄目だな。舌が肥えるっつーか」
「バカ舌のあんたが何言ってんのよげらげらげら」
「んだとぉ!?」
娯楽が無い馬車では基本的に寝るか話すかしかない、となれば早朝から二度寝をする訳にもいかず、必然的に会話をする事になる。
いつものやり取りに熱が入るザックとクレアにヴィルが割って入る。
「まあまあ。今は馬車の中だから仕方無いけど、登山中はここまで残念な食事にはならないと思うよ。最低でも黒パンと、後は干し肉でスープくらいは作るんじゃないかな。これよりはマシだよ」
「スープか……まあ確かに、温かい食い物があるだけマシかもな。……って、ふと思ったんだが、俺らの食事って誰が作るんだ?まさかガイドが全部作る訳じゃねぇだろ?」
「基本的にはそうなんじゃないかな?お願いすれば僕達にもやらせてくれるだろうし、少しくらいは手伝いたいけどね……基本的に塩漬けの肉を雪で煮るだけだから、誰がやっても変わらないと思うよ」
「雪で?水じゃなくてか?」
ザックが至極当然の疑問を口にする。
料理で水で煮る事は数多くあれど、雪で煮るという表現は中々聞くものではないだろう。
だが、それにはこの土地ならではの理由があった。
「フローリアもそうだけど、エルフロストじゃそう簡単に水は手に入らない。川は無いし、雨は地上に着くまでに雪へと変わってしまう。それに水を運ぼうにも寒すぎるこの場所じゃたちまち凍ってしまうし、第一、数週間分の食料を運んでいる以上、そこに加えて同じだけの水を運ぶなんて不可能だろう?そこで使うのが雪だ。何しろそこら中にあるからね、熱で溶かして煮沸すれば衛生面も問題無い。その場その場で水を補給しながら登っていけるからね」
「なるほどな。それで限界まで荷物を減らしつつ水を確保するって訳だ。……考えた奴頭良いなぁ」
道中で物資の補給が叶わない霊峰では、ありとあらゆる消耗品が貴重品だ。
そんな中でも水は何も飲むだけが用途ではない、調理や洗濯など幅広い用途がある利用価値の高いものである。
その為、人は数多の経験と研鑽を通して最適な登山法を編み出したのだ。
そんな歴史による数々の恩恵があって霊峰に挑む事が出来るのだから、先人達には感謝しなくてはならない。
その後も雑談をしながら馬車で進む事一日、一行は次の日の朝に四合目の山小屋へと到着した。
「……ねえ、アタシこの扉開けたくないんだけど」
「奇遇だね、あたしもこのまま籠ってたい」
「それじゃあニアもクレアも留守番よろしくね。ご開帳」
「「寒い~!!」」
馬車の扉を開けた瞬間、凄まじい豪風と共に雪が中に居たヴィル達に叩き付けられる。
年中のみならず一日中雪が降り止む事が無い霊峰はしかし、無風の時間も存在している。
だが折り悪く今はかなり厳しい風が吹き荒れており、その寒さは通常の何倍にも増して感じられた。
抱き合って少しでも暖を取ろうとする二人を見て、ヴィルは呆れた溜息を零す。
その溜息は、雪にも負けない真っ白な水蒸気を伴って風に消えた。
「もう馬車の外に出るんだから魔術具を使っても良いんだよ?ほら、外に出てもそこまで寒くない」
「本当にぃ?ぅう……確かに体は温かいけど隙間と手足が寒いぃ……」
「ほら口元まで襟立てて、あとは実際に運動すればすぐ温かくなるよ。それどころか逆に大量に汗をかく事になると思うから覚悟しておいた方が良いよ」
「それでどんだけ汗かいても服脱げないんでしょ?嫌だなぁ、お風呂もないし」
「そこは試練だからね、さあ、行こうか」
いざ登山が始まるという所で気分が下がって来たらしいニアの手を引いて、ヴィルは他の馬車から降りてくる生徒達の下へと向かう。
なんだかんだ言っているニアだが、いざ本番になれば真剣に取り組むだろう事をヴィルは長い付き合いで知っていた。
「これ……凄く歩き辛いわね」
「大丈夫?ほら、あたしが手握ってあげるよ?」
「……ヴィルに手を引かれながらなのが説得力に欠けるけれど、今は甘えさせてもらうわ」
そう言ってニアの手を取るバレンシア。
そこにはニアの少しでも暖を取りたいという本音が見え隠れしていたが、ヴィルはニアの優しさという事にして黙っている事にした。
「うおっ!」
「っと。大丈夫かい?」
「悪ぃな、助かったぜヴィル」
転倒しかけたザックに手を差し伸べ、ヴィルの両手が埋まる。
その様子を見たクレアは口に手を当て、
「あらヤダ。ヴィルってば両手に花(笑)じゃない。よかったわね~」
「お陰様でね。良ければクレアもどうぞ。生憎と手が足りないから鞄を握って貰う事になるんだけど」
「ハッ!アタシを甘く見ないでもらいたいわね。この程度の雪でヘマするアタシじゃ――わぶっ!」
「……お手を拝借」
「……笑ったら殺すから」
足元は一面の積雪で、平地とは一風変わった感触に、一歩を踏み出す度に足が沈んでしまって慣れない。
あちこちでぎこちない歩みが散見される中、結果として五人は仲良く手を繋ぎガイド達の傍まで歩いて行った。
「気持ちは分からないでもないが、この調子では初日は大して進めそうにないな」
山小屋の壁に辿り着いたヴィルに声を掛けて来たのはグラシエル。
新雪に悪戦苦闘するSクラスの面々を見て先が思いやられたか、表情に呆れを滲ませての一言だった。
「そういう先生はあまり苦戦している様子がありませんでしたね。以前登られた事が?」
「いや、初めてだ。これ程深い雪もな。ただ霊峰を見ているとどこか懐かしい気分になる。私の故郷はここから遠く離れた地なんだがな」
「ここは広義の意味でですが、全人類の祖先が住んでいた第二の故郷とも呼べる土地ですからね、そういう事もあるでしょう。僕もこの景色を見ていると郷愁を覚えますし、不思議な引力のようなものがあったとしても驚きません」
「何せ曰く付きの山だからな。聖魔大戦でゼレスを含めた多くの神が滅び、勇者を含めた大勢が死んだとされる土地だ。そういう意味では死者が私達を誘っているのかもしれんな」
「不謹慎ですよ。霊峰への評価もそうですが、ゼレス様を呼び捨てなんかしたらゼレス教徒が怒りの表情で飛んできますよ」
「怒らせておけばいいだろう。奴らに全盛期ほどの権力はもう残されてない。それにうちのクラスに敬虔なゼレス教徒も居ないだろう?」
「確かにそうですが。気を付けて下さいよ?先生が異端認定で消えるなんて結末は見たくありませんからね」
「私だって馬鹿じゃない、話す相手くらいは選ぶさ。それに、その点お前ならば何の心配も要らんだろうしな」
ニヤリと口の端を上げ、試すような視線を向けるグラシエル。
それに対しヴィルは答えを返さず、肩を竦めるに留める。
「……今回の霊峰登山、誰も脱落せずの登頂は可能だと思うか?」
ふと、グラシエルがそう呟く。
それは教師として自分の生徒達を心配しているようにも思える発言。
ヴィルは既に決めていた文言を返す。
「勿論ですよ。僕達はこの数か月ずっと準備を続けてきました。肉体的にも知識的にも十分以上の資質を有していると考えます。今は毛色の違う雪に戸惑っているかもしれませんが、一日か二日もすればすぐにコツを掴める、そんな生徒ばかりだというのは先生も良くご存じの筈ですよ」
「……そうだな。柄にもなく不安になっていたらしい。まずは私が手本となる姿を見せなければな」
そう言い残すと、グラシエルはヴィルから離れて見えやすい位置へと歩くと、すうと息を吸い大きな声で呼び掛ける。
「全員よく聞け!ここを出発したら次の五合目に着くのは数日後になる。まともに休息が取れるのは最後だと思え。三十分後に出発する、各自準備やトイレを済ませておくように」
グラシエルの指示に従い山小屋の中へと入って行く生徒達。
彼ら彼女らに指示を飛ばすグラシエルは堂々としていて、宣言通り教師として生徒の手本となる姿を見せていた。
最初は貴族嫌いを表明していた彼女だが、実際口では何だかんだと言いながらも公平に生徒の面倒を見ている。
その様子に苦笑しつつ、ヴィルも他の生徒と同じように小屋の中へと入って行く、その時だった。
「あれからローラとの進展は無かったそうだな。お前でも彼女の心の内へは入れなかったか」
「残念ながら。期待されていたのなら申し訳ありませんが、やはり元の好感度が低い僕では足りませんでした」
ヴィルを引き留めたグラシエルが目を閉じて静かに唸る。
元々クラス内の団結不足に警鐘を鳴らしたのはグラシエルだ、ヴィルも団結の必要性は認める所だが、彼女なりに何か思う所があるのだろう。
「だが彼女の相手を出来るのは現状お前だけだ。生徒の隊列は私に一任されている。ローラをお前の前に配置するから面倒を見てやれ。頼んだぞ」
そう言い残し、グラシエルはヴィルを抜いて小屋の中へと消える。
何とも勝手だと感じるが、今思えばグラシエルは元からそういう性格だったと思い至り嘆息、これも自分の役回りかとヴィルは半ば諦めるように心の内で承諾した。
一抹の不安を残す霊峰攻略が、今始まる。
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