第155話 霊峰出発 一
フローリア到着から二日、一年Sクラスはいよいよ霊峰登山へと出発する日を迎えていた。
起床して身支度を整え、朝食を食べに集まった食堂は前日の楽し気な観光然とした雰囲気とは打って変わって、イベントを控えた高揚感と少しの緊張感が漂っている。
今日まで霊峰登山の為に積んできた苦しい鍛錬の数々は未だ記憶に新しい、その成果がいよいよ発揮されるというのだから、緊張の一つや二つくらいはするだろう。
神話の舞台となった地で冒険が出来る事に心躍らせる者、過酷が確定している登山の中で自分が耐えられるか不安になる者、自らの家の起源に関わる地で過去と未来に思いを馳せる者。
様々な思いが交錯する中、時は進み集合時間がやって来る。
朝靄が掛かる早朝、宿のロビーには既にSクラスの生徒全員とグラシエルを含めた教師陣の姿があった。
彼ら彼女らは靴を含めて全員事前に支給されていた専用の登山服を身に着けており、デザインの揃った衣服を着て集まる姿は壮観の一言。
点呼が済んだ所で同じ装束に身を包むグラシエルが前に立ち、それまで喋っていた生徒全員が注目する。
「では、これから霊峰の登山について説明を行う。まず、この宿から四合目までは馬車での移動となる。ここから四合目まではそれなりに距離がある。今日一日は移動と順応にあてる事になるが、明日からは間にテント泊を挟みつつ五合目、六合目と登って頂上を目指していく。また四合目には検問があり、武器の類は持ち込めない事になっている。ここまでは良いな」
ここまでの説明を聞いた生徒達が一斉に頷く、散々学園でも聞かされてきた注意事項だ、今更になって質問をするような生徒は一人として居ない。
「次に山頂まで案内をして下さるガイドの方々の紹介に移る。こちらへどうぞ」
「初めまして。これから二週間近くですね、皆さんのガイドをさせて頂きます、アルティスと申します。よろしくお願いします」
「同じくダカンだ、よろしく頼む」
「マルテロだ。何かあれば遠慮なく言って欲しい、力になろう」
「医者のスウェナです。皆さんの体調管理を任されています。数少ない女性ガイドの一人として役立てる事も多いと思います。よろしくね」
それから続けて自己紹介が一気に行われ、総勢八名、それがSクラスに付くガイドの人数だった。
一件多く感じるかもしれないが、アルケミア学園の登山者数が二十四名である事を考えれば妥当な人数だろう。
一通りガイド陣の挨拶が終わった所で次の説明、一人一人に配布される魔術具の説明を行っていく。
魔術具の説明を行うのはガイドのアルティス、物腰柔らかな彼がガイドの纏め役だ。
だがその能力と経験は確かなもの、王国貴族の子息も多数在籍するアルケミア学園は、数あるガイドの中でも最も優秀な人員を雇い入れていた。
「それでは私から皆さんに使って頂く魔術具について説明を行います。まずは皆さん、一人一つ前にある魔術具入りの鞄を取りに来て下さい。内容物が足りているかを確認しつつ、実際に手に取ってもらいながら説明をしていきたいと思います」
アルティスがそう言うと、どこからか他のガイドが魔術具の入っている鞄を持って来て、彼の前へと並べる。
外見は一点を除いて何の変哲も無い背負うタイプの鞄で、かなり巨大だが登山用であれば納得が出来る大きさだ。
一点の違い、それは鞄下の側面から柔らかい素材の筒のようなものが生えており、先端部分がマスクのような広がった形状になっていた点である。
やがて教師と生徒全員が鞄を受け取ると、説明が再開された。
「皆さん手元に鞄はありますね?では行き渡った所で説明をしていきます。まず鞄を開けて中身を取り出していって下さい。ただ鞄の底の方にある魔術具だけは出さないようにしてくださいね。それは鞄と一体になっているもので、無理に取り出そうとすると壊れてしまいますから」
注意された魔術具以外を取り出す、中には簡易的な寝袋や水筒など一般的な登山者の装備が入っている他、魔術具と思しき正体不明の装備もある。
食料などの消耗品を欠いている事に一部生徒は気付いていたが、消耗品についてはどうやら後から詰め込んでいくらしく、その心配は杞憂に終わった。
「それでは内容物について説明を行っていきますね。途中で自分の鞄に足りないものがあった場合は申し出て下さい。予備は確保していますので。まず寝袋、水筒、簡易トイレ、登山用ストックなどの登山セットです。これについては説明は省きます。次に魔術具の説明に入っていきますが、重要な情報が多いので一字一句聞き逃さないようお願いします。初めにこの四枚の板状の魔術具はありますか?」
そう言ってアルティスが手に取ったのは、短辺がやや湾曲した長方形の板の形をした魔術具だ。
良く目を凝らして見れば継ぎ目があり、恐らく魔術刻印が刻まれた二枚の板の刻印面を組み合わせて隠しているのだろうと、魔術具について知識のあったヴィルは考える。
魔術具の故障原因にありがちな刻印の欠損を防ぐ為の、一般的なアプローチの一つだ。
「これは発熱の魔術具で、服の二の腕の部分に左右で二か所、太ももに二か所、チャックがあるのが分かりますか?そこに仕込み魔力を流す事で防寒対策を行います。頂上付近は特に人間には耐えられない寒さですから、皆さんも実際登ってみればこの魔術具のありがたさが身に染みて分かると思いますよ。次にこの正方形の板、これは身体強化が使用できないエルフロストで身体機能を向上させる魔術具です。左の胸ポケットに入れて、同じく魔力を流す事で起動が可能です」
抗魔石は周囲の空間の魔力を乱すのみならず、人の内側に存在する魔力すらも乱してしまう。
『肉体は魂の器、肉体は魂の聖域』というのはこの世界における法則の一つで、肉体の内側の魔力は本人以外の何人たりとも操作する事が出来ないというものだが、その例外が抗魔石という鉱石だ。
霊峰は魔術も身体強化も使えないが生身での登山は困難を極める、その元凶たる抗魔石対策がこの身体機能向上の魔術具という訳だ。
「向上とは言いましたが身体強化には遠く及びません。最終的に頼れるのは過去の努力だけですから、それだけは忘れないで下さいね。では最後に、皆さんも気になっているであろうこの鞄と一体化している筒状の魔術具についての説明です。これは高所で懸念される呼吸困難を解消する魔術具となります。高度の高い場所は空気が薄く、そんな場所で激しい運動をしながら呼吸をすればすぐに倒れてしまいますからね、その為の魔術具です」
そこで一旦説明を止めると、アルティスは魔術具と一体化した鞄を背負う。
「それでは実際に使用する所を見せながら使い方を説明していきます。まずこの鞄の背中に接する部分には特殊な加工がされており、使用者の魔力を自動で吸収を行います。吸収は一定量の魔力が確保出来た時点で停止し、魔術具が使用されるまで待機状態になります。そして……こうやって口元を覆った状態で呼吸をすると効果を発揮します。マスク部分が周囲の空気を集め、更に温度を適切な高さで保ってくれるのです」
他の魔術具は外見からは見えず分からないが、呼吸補助の魔術具を付けると一気に重装備感が増したように思える。
しかし空気を集める機能もそうだが、温度操作の機能は極めて便利なものだ。
人間の肺は、寒すぎる空気を吸い込み続ければ機能が鈍化し、高高度特有の呼吸困難と合わさると行動不能になってしまう。
今回持って行く魔術具はどれも必需品だが、呼吸補助の魔術具は三つの中でも特に大事な道具である事は疑いようも無い。
魔術具全ての説明を終え、鞄を下ろしたアルティスは自分を見るSクラスの生徒を眺めて最後に纏める。
「今回生徒の皆さんは二十人、教師の方が四人いらっしゃるという事で、僕がガイドを担当する団体さんの中でも最多人数になります。それに合わせてガイド人数も八人、正直未経験の領域で私も戸惑っているくらいですから、初めての経験ばかりの皆さんの不安と緊張は相当なものであると思います。ですがその不安と緊張は是非とも大切にして下さい。この霊峰を登るという人生に一度の貴重な経験を通して、試練を乗り越える達成感のようなものを感じて頂ければと考えています」
アルティスはそこで一旦言葉を切り、生徒一人一人と目を合わせる。
それは危険な地を案内するガイドとしての誠意ある行為、命を預かる者として必要な行為だった。
「ですが霊峰登山をただの苦しい試練と捉えるのも、それはそれでもったいない話です。皆さんには是非適度な緊張感を保った上で、この登山を楽しんで欲しい。折角似た実力を持つクラスメイト二十人に恵まれたのです、この機会に共に苦難を乗り越え、その絆をより強固なものへと変えて学園へと帰って下さい。私からは以上です。今日からよろしくお願いします!」
勢い良く頭を下げたアルティスに続き、他のガイドも一斉に頭を下げる。
ロビー中に拍手の音が鳴り響き、生徒達からの信頼の証を受け取ったガイド達は誇らしげに胸を張ってその信頼に応えんと決意を新たにした。
その後、食糧や下着などの必需品を鞄に詰め込み、鞄に入り切らない消耗品を荷運び用の馬車に乗せ霊峰登山の準備は完了。
『夏の大雪』の従業員達に見送られつつ、一年Sクラスは霊峰登山へと出発して行ったのだった。
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