第146話 ヴィルの貴族邸訪問 ウェルドール家編 二
玄関前でひと悶着あったものの、ヴィルはようやく今日ウェルドール家を訪れた本懐を果たそうとしていた。
通されたのは応接間、高価でこそあるのだろうが当主の意向か、落ち着いた雰囲気の調度品で統一された室内は、戦闘で昂った気持ちを静めるのに一役買ってくれている。
ただそれはくつろげるという意味では無く、寧ろ先程戦っていた時とは別種の緊張感がヴィルの身体を支配していた。
その原因は眼前の二人にある。
「今日はわざわざ来てもらったのにごめんなさいね、大変だったでしょう?うちの人はいっつも自分勝手で、そのくせ自分が強いのを分かってないのよ。あ、これ食べる?昨日陛下から頂いたお菓子なんだけど」
「い、いえ、お構いなく」
「あらそう?食べたくなったらいつでも言ってね、沢山あるから。あと感想も聞かせてね、陛下に言ったらきっとお喜びになるわ。それからもし良かったらなんだけど孤児院と家の方に持ち帰る用のも……」
フラーラ・フォン・ウェルドール、『剣聖』ウィリアムの妻でありクラーラの母、ヴィルが毒魔術師の魔の手から救い出した一人である。
クラーラとはやや色合いの異なる深い青の長髪、顔立ちは非常に似通っているがコロコロと変わる表情や盛んに行われる身振り手振り、それを動かす明るい性格や一度開けば止まらない口などは真反対と言って良いだろう。
他に違う点として体つきなども挙げられるが、そこはクラーラの名誉の為にも明言は控えておく事としよう。
ともかくこのフラーラという女性はおしゃべりで、ヴィルが応接間に通されてからというもの休まず喋り倒しているのだ。
それは或いはクラーラの無口はフラーラが原因なのではあるまいかと考えてしまう程に。
しかしやりにくさこそ感じるもののフラーラが緊張の原因という訳では決して無く、寧ろ会話している内は幾らか気が紛れる為助かっているくらいだった。
問題はその隣に座る人物だ。
「もういいだろフラーラ、そろそろ終わっとかねぇと日が暮れちまうぞ。オレだって暇だからここにいる訳じゃねぇんだ。とっとと始めんぞ」
「あらごめんなさい。そうね、あまり時間を取らせても悪いものね」
ついた肘に顎を乗せ、不満げに零すのはウィリアム・フォン・ウェルドール、ヴィルに緊張感を与える張本人である。
クラーラと同じ色の短髪、整った顔立ちには無精髭が生えており、全身から放たれる無骨な剣気が四十代になっても衰えを知らない彼の並々ならぬ強さを物語っていた。
そう、ウィリアムの剣気は屋敷に上がっても変わらず、常に精神を刺し貫くような剣呑な雰囲気を纏っている。
しかしそれは不機嫌だとかヴィルを嫌っているとかではなく、純粋にウィリアムの剣士としての在り方の問題だった。
きっと自身と同じように、ウィリアムもまた自身の役割を定め、そう在ろうと努めているのだとヴィルは考える。
折れず、曲がらず、鋭利な在り方は正に一振りの剣のよう。
そんな『剣聖』を前にしているからこそ、ヴィルは普段感じる事の無い緊張を味わっていたのだ。
「手始めにそうだな、オレの事はヴェイクから聞いてんだろ?」
問われたヴィルは、答える前にちらとフラーラの方に視線を送る。
それは当主以外に話しても構わないのかという意図だったが、
「わたしの事は気にしないで。全部分かってるから」
「そうですか。……ええ、存じております。では改めましてお初にお目にかかります、レイドヴィル・フォード・シルベスターと申します。いつも父がお世話になっております」
どうやらフラーラは例外だったらしく、ヴィル――レイドヴィルは胸に手を当てる騎士流の礼を尽くしつつ自己紹介を行う。
「オレもテメェの事は知ってる。聞いてた通り堅っ苦しい喋り方してんなぁオイ、折角面白れぇ剣してんのにもったいねぇ。ま、アイツの息子って言われちゃなんの文句もつけれねぇが。そっくりだぜテメェ」
「似て、いますか?」
「ああ似てるな。ちーとばかし面白味に欠ける部分はあるが……まあ背負わされてるもん考えりゃ当然かもな」
「私の歩く道は自分で決めた道です。誰かに選ばされたものではありませんよ」
「ハッ!そういうとこだよ、本気でそっくりだ」
ウィリアムは鼻を鳴らして可笑しそうに笑う。
レイドヴィルとしてはあまり似ているという感覚は無いのだが、昔から友人関係にあるウィリアムから見ればそう見えるのかもしれない。
どこか誇らしい気持ちになりつつ、レイドヴィルは困った表情を作り直す。
「ってんなこたどうでもいいんだ。まずはフラーラとクラーラを助けてくれた件、礼を言っとくぜ。オレともあろうものが、家の中の害虫に気付きもしなかったなんてな。何の言い訳も利かねぇオレの失態だ、感謝する」
「わたしからも感謝を。あなたのおかげでまだクラーラちゃんの成長を見守っていけるわ、本当にありがとう」
「人として、騎士として、そしてシルベスター家次期当主として当然の事をしたまでです。そして今の私は身分を偽る身、報奨を預かる立場としては失礼に当たるかもしれませんが、どうか謝礼には配慮頂ければ幸いです」
「それについてはオレも理解してるつもりだ。だが下手にケチればうちの沽券に関わる上に関係も邪推されかねん。そこでいくらかの謝礼金と、クラーラとの戦闘で失った剣一本を補填しようかと思ってるんだが、どうだ」
「はい、それでしたら問題はないかと。ご配慮、痛み入ります」
「ああ、剣に関しては屋敷にある中から好きに持ってけ。……面倒なやり取りはこれでしまいか」
「面倒なんて言い方はどうかと思いますけど、一通りは終わりましたね」
フラーラの肯定にウィリアムは首をコキリと鳴らし、獰猛な笑みを深めレイドヴィルの瞳を覗き込むように前のめりに座り直した。
「ずばり本気のクラーラとやってみてどうだった?ヴィルが本気だったかどうかはさておき、顔なじみと殺し合う機会なんてそうそうねぇからな。『御天に誓う』なんざ遊びだ遊び。やっぱ戦いは生身じゃねぇとな。それで、どうだったんだ?」
「ちょっと、不謹慎ですよ」
「いいじゃねぇかフラーラ。身内が殺し合った話なんてめったに聞けるもんじゃねぇんだ、気になるだろうが。で、どうだったんだ?」
窘めるフラーラと押し通すウィリアム。
レイドヴィルは二人の話せ話すなの圧力に辟易しつつ、投げ掛けられる数々の質問に返答していったのだった。
―――――
「おつかれ、ヴィル」
「ありがとうクラーラ。なんだか気を張り続けてたからか疲れたよ」
「……ヴィルでも疲れるの?」
「なんで疲れないと思ったんだい?」
会談を終えたヴィルはクラーラと合流し、そのままウェルドール邸の武器庫へと足を運んでいた。
その目的は先程の会談の中でも話題に挙がっていたヴィルへの報償の一つ、ヴィルがクラーラとの戦いで失ってしまった剣の補填、その選定をする為だ。
ウェルドール家は騎士団の長という役割上武具防具とは切っても切れない関係にあり、敷地内にはかなりの保管数を誇る武器庫を所持している。
流石に騎士団本部には及ばないが、ウェルドール邸の武器庫には本部で保管されている騎士用の武具ではなく、より高価で強力な武具を保管しているのだ。
「それじゃ、見てく?」
「そうだね。それじゃあ案内を……」
「――は~い!武器庫の案内にはわたしも同行しま~す!」
クラーラが武器庫の扉の鍵を開こうとした矢先、廊下の角から楽しそうな声と共に、フラーラが軽快な足取りでやって来る。
どうやら彼女も剣の選定についていく心積もりらしい。
「ついて来てもいいけど、剣分かるの?」
「さっぱり分からないけど面白そうだから」
「帰って」
「や~」
拒否するクラーラの腕に抱き付き、ごねるように体を揺するフラーラ。
仲が良いのだなと思いつつ、どちらが子供か分からない状況にヴィルは苦笑する。
「僕は構わないよ。賑やかになっていいんじゃないかな」
「ヴィルく~ん!流石いいこと言うわね!」
「……ヴィルがいいならいい」
不承不承といった風にクラーラが頷いた事でフラーラの同行が決定、一行は共に武器庫の中への足を踏み入れる。
中は薄暗く、広い部屋の所々に設置された灯りだけが薄ぼんやりと内部を照らしていた。
武器庫という名に相応しく中は武具で溢れており、棚に置き切れないものが壁に立てかけられており、ひどいものでは床に置かれているものもある。
しかし扱いが杜撰な訳では無く、遠目からでも手入れが行き届いている事がヴィルには分かった。
「ほこりっぽいところでごめんなさいね。けどちゃんと手入れは専門の人に依頼しているから状態はいいはずだから、あんまり気にしないで」
「そこは疑っていませんのでご安心を。それにしても凄い数ですね、想像していた以上でした」
「そうなのよ~。ほら、うちって『剣聖』の家系でしょう?職業柄集まって来るのよ」
「これは時間が掛かりそうですね……案内をお願いできますか?」
「あ、わたし剣の良し悪しだけじゃなくて武器庫の中についても分からないから、クラーラちゃんにお願いしてくれる?」
「本当に帰って」
困ったように頬に手を当てるフラーラ、じとっとした目でツッコむクラーラ。
だが彼女の言葉通り武具の数は膨大で、入口付近からでは到底見渡す事の出来ない広さがあった。
ヴィルはとにかく動こうと、近場から手当たり次第に物色していく。
「ヴィル、これは?」
「どれ?……結構良いね。丈夫そうだ」
「ヴィルはどういう剣がいいの?重心とか幅とか長さとか」
「ある程度の個体差を埋められるように訓練して癖を消すようにしてたから、特にこれといった拘りは無いかな。強いて挙げるとすれば頑丈さかな」
「分かった。こっち」
時折クラーラの手を借りつつ探索し、報奨として受け取る剣に当たりを付けていく。
そうしている内に早くも飽きてきたのか、フラーラが見分しているヴィルの手元を覗き込んだ。
「どう?気に入ったのは見つかった?」
「どれも良い品ばかりで目移りしてしまいますよ。流石『剣聖』の家系ですね」
「ヴィルくんは剣のどういう所を見てるの?わたしそういうの分からなくって」
「そうですね、例えば厚みであったり比重、重心の偏りであったりですかね。他にも……」
ヴィルはいつも通りの笑みを浮かべて答えつつ見分を続ける。
彼にとって雑談をする程度の事は、剣を見る妨げにはならなかった。
その後もヴィルを暇潰しに使っていたフラーラは、クラーラが剣を探しに少し離れたのを見るとすっとヴィルに近付き、耳元に口を寄せて囁く。
「ところで……ヴィルくんはクラーラちゃんの事はどう思ってるの?こっそり聞かせてくれない?」
いたずらっぽく笑い、期待の籠った目でヴィルを見るフラーラ。
どうとはつまりそういう事なのだろうが、彼女の意図する所を察しながらヴィルは溜息を一つ普段通りの表情で答える。
「どうしてこんなリスクのある場所で聞くんですか……私はクラーラの事をかけがえのない友人だと思ってますよ」
「むぅ、つまんない答え」
「ここで面白い回答を期待されても困りますよ。僕もクラーラもお互い立場というものがあるでしょう。兄弟や血縁が居ない以上当主の座に就く事は確定事項、仮に恋愛感情を持っていたとしても、そんな人間が軽々しく想いを口に出す事は許されませんよ。特に、僕の場合は」
貴族とは民から徴収した税で生活する存在であり、その行動・在り方には責任が伴う。
自らの嗜好で相手を選ぶ事は出来ず、安易に交際などもってのほか、自由な恋愛など望めない。
ましてやヴィルは貴族である上に『勇者』なのだ、普通の貴族以上に身辺には気を使わなくてはならない立場なのだ。
その事を暗に伝えたヴィルだったが、フラーラは納得がいかなかったようでうーんと首を傾げている。
「確かにそういう面はあるわよね。かく言うわたしだって、ウィリアムと出会ってなかったらそうなってたと思う。どうしようもないこともあると思う。けどね、それって最初から諦めてなくちゃならないものでも無いと思うのよ」
フラーラは穏やかな微笑みを湛えてクラーラを目で追う。
クラーラはヴィル達の会話に気付いていないのか、剣の選定に勤しんでいた。
「変な義務感みたいなのは捨てて自由に生きてたらいいな~って思う人が一人二人は見つかるわ。けど諦めてちゃそこから先は発展しようがないでしょう?そうじゃなくて一度頑張ってみるのよ。話し掛けて仲良くなって関係を深めて、後は親を説得するか周りを説き伏せるかして納得させるの。それでもダメなら……駆け落ちするか諦めるかね」
「それは……貴族として本当に良い行動なのでしょうか?」
「いいの!挑戦することが大事なんだから。失恋だって立派な恋でしょう?挑戦しなくちゃ失恋だってできないわ。わたしが言いたいのは機会を潰さないってこと。親としてはお似合いだって思うしあんまり言いたくないんだけど――別にクラーラちゃんを選ばなくてもいいのよ。そこはそれこそ本人の自由だし強制させられることじゃないと思うから。けど役割とか立場に固執して自分をないがしろにしちゃダメ。ちゃんと自分を労わって、いつかヴィルくんの本当の気持ちを聞かせてね」
柔らかな笑顔と共にフラーラが語った内容は、ヴィルに意識の埒外から殴られるような衝撃を与えていた。
フラーラが語ったような、「挑戦すること」の重要性を彼は考えた事が無かった。
貴族として、何より勇者としての使命を最優先にしてきたヴィルにとって、それは当然の選択の結果であり、個人の自由を犠牲にする事は大前提の条件として受け入れていた所だ。
故にヴィルにとっては思いも寄らない方向からの一撃だった。
「挑戦する、か」
「どうしたの?」
ヴィルが無意識に呟きながら物思いに耽っていると、剣を持って来ていたクラーラがこてりと首を傾げて問う。
「何でもないよ。ただ少し考え事をしてただけさ。それよりその剣は?」
「魔剣じゃないけどすごく頑丈そうだったからどうかなって。持ってみて」
そう言って手渡された剣は華美な装飾などの無い、無骨な鈍色をしていた。
ただ数々の剣を見て手に取って来たヴィルには、その剣が歴史のあるものであるという事、ヴィルの運用法に堪える頑丈さを持ち合わせている事が分かっていた。
頑丈で重厚感があり、そして何より不思議とヴィルの手にしっくりと馴染むような感覚がある。
「クラーラの選んでくれたこれにしようかな」
ヴィルが静かに言うと、それを見ていたクラーラとフラーラが満足げに笑う。
二人のその表情は笑みの深さの程度にこそ差はあれど、瓜二つと言って差し支えない程に似通ったものだった。
―――――
その後、準備が整ったヴィルは剣と謝礼金を手に別れの挨拶を行い、惜しまれつつもウェルドール邸を後にした。
その際見送りを行ったクラーラとフラーラは、報告の為ウィリアムの執務室を訪れていた。
「ウィリアム、今ヴィルくんを見送ってきましたよ」
「ん?ああ、ご苦労だったな」
「あなたも見送りに来ればよかったのに」
「んな時間はねぇよ。この後もすぐ本部に戻らにゃならん。それにオレが見送りに行った所で誰も喜ばねぇだろうが」
「そうかしら?ヴィルくんって絶対ウィリアムのこと好きだったと思うけどな~」
「ハッ!」
如何にも小馬鹿にしたようにフラーラの言葉を鼻で笑うウィリアム。
と、そこでクラーラはずっと気になっていた疑問をウィリアムにぶつける。
「父さん。ヴィル、どうだった?」
「そりゃ人としてか?強さ的なもんか?」
「強さ的なの」
「お前は相変わらず言葉が足んねぇな。付き合ってる奴らはさぞ大変だろうぜ」
「ごめんなさい?」
「……まあいい。あいつは強かったぜ。ありゃ異常だ」
首を傾げるクラーラに対し、ウィリアムは伝えてはいけない情報を省きつつ、言葉を選んで続ける。
「剣技は混ざり過ぎて元の流派が分からねぇし、体術も相当高いレベルで修めてやがる上に、魔力の質も半端じゃねぇ。加えて背後から奇襲を受けてあの反応速度とその後の冷静な対処。うちの騎士団に居たなら即戦力どころの話じゃねぇ、レ……ヴィルに勝てる奴を探す方が難しい位だ」
自ら振った話ではあるものの、クラーラは意外感から眉を上げる。
ウィリアムが他人を評価する事は滅多に無い、それは自身が強すぎるが故に他人を比較評価出来ない為だ。
そんな父がヴィルを高評価した事を嬉しく思いつつも、クラーラは内心で驚いていた。
だがそんな驚きはそれだけに留まらない。
「クラーラ、お前アイツと戦った時剣だけなら互角だっつってたな。オレと戦ったアイツを見てどうだった?」
「……正直、勝てないと思った」
「だろうな。オレもお前から聞いてた話と違うと思ってたが、何の事はねぇ。成長してんだよ、尋常じゃ無い速度でな。あの調子なら二年……いや、見え張んのもみっともねぇか。一年もすりゃオレと互角か、下手すりゃ勝てなくなるだろうよ」
その発言にクラーラは瞠目し、フラーラは口元を手で押さえて驚きを露わにする。
二人にとってウィリアムは世界最強の存在であり、クラーラにとっては生涯を掛けて背を追う憧れだった。
そのウィリアムがヴィルに勝てなくなると、王国最強の名を欲しいままにする『剣聖』をヴィルが超えると、そう言ったのだ。
それはクラーラにとってもフラーラにとっても、そして王国にとっても看過出来ない事実だった。
多少の波乱を残しつつ、ヴィルのウェルドール邸訪問は終わりを迎えたのだった。
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