第145話 ヴィルの貴族邸訪問 ウェルドール家編 一
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レッドテイル家を訪れた二日後、ヴィルはまたしても王都の貴族街を訪れていた。
向かう先はクラーラの実家であるウェルドール家、理由としてはクラーラとその両親が毒術師の事件で助けられた事への礼をしたいからという事らしい。
本来であればこうした感謝は直ぐに伝える事が望ましいのだが、ヴィルが学生の身分である事、そして何よりウェルドール家の現当主であり、同時にアルケミア王国正騎士団団長でもあるウィリアム・フォン・ウェルドールが多忙で予定が確保出来なかった為、この時期にまで延期されていた。
王国正騎士団とはその名の通り王国全土を活動範囲とする組織であり、その規模は銀翼騎士団とは比べ物にならない程大きい。
当然騎士団長ともなれば式典や任務などでスケジュールになっている事は想像に容易く、いくら娘であるクラーラとその母の命を救った相手とはいえど、そう簡単に予定を空けられないのが実情だった。
しかしこの夏季休暇を逃しては次の機会が無い(冬期休暇の騎士団長は夏季休暇以上に忙しい)と、多少無理をしつつスケジュールを調整したようだ。
ヴィルはバレンシアの時と同じく形だけは遠慮していたのだが、内心ではかの『剣聖』に会えるとあって期待に胸を膨らませていた。
――『剣聖』、それはその代で最強の剣士に与えられる異名であり、王国ではウェルドール家の当主に与えられる称号。
そんな人物と直接対面出来る機会というのは今のヴィルには得難いものであり、剣の道を生きる一人の人間として一度は会ってみたいと常々考えていた。
そんな訳でヴィルは乗り気であったし、何よりウィリアムは確実にレイドヴィルの存在を知っていると判断出来る数少ない人物だ。
ヴィルの父ヴェイクと私的な交友関係がある上にウェルドール家は公爵家、国家機密に触れる条件は十二分に満たしている。
そういう意味でもヴィルにとってウィリアムは一度は会っておきたい相手だった。
「今日はお招き感謝するよ。まさか直接こっちに来てくれるとは思わなかったけど。もし行き違いになってたらどうするつもりだったんだい?」
「それメイドにも言われた。けどこうして会えた」
「結果論だけどね。相変わらず適当だなぁ」
何故か誇らしげに無い胸を張るクラーラを見て苦笑するヴィル。
もしヴィルが馬車道を挟んだ反対の道を歩くクラーラを見つけていなければ、クラーラはヴィルの居ない孤児院を訪ねる事になっていただろう。
剣に関してだけは真面目だが、他の事については見ている側が心配になる程ずぼらなのがクラーラだ、仕えるメイドの日頃の心労が手に取るように分かってしまう。
通学時寝癖が跳ねていたり、眠たげにふらふらと歩いているクラーラを見ていたヴィルにとって、その苦労は非常に身近なものだった。
二人は休暇中の過ごし方について話しながら歩き、ウェルドール邸へと辿り着く。
規模で言えばレッドテイル邸と同程度、こうして立て続けに訪れていると感覚が麻痺して来るが、平民街に建っている建物と比べれば途轍もなく巨大な屋敷である。
その分庭の方も広くなる訳で、見る人が見ればあまりにも無駄な敷地だと思うかもしれない、長い長い門から屋敷までの道のりを歩く。
そうして辿り着いた屋敷の扉の前には、ヴィルの隣に居るクラーラを見て安堵するメイド二人の姿があった。
「ようこそいらっしゃいました。まずはお客様、当家のお嬢様を連れ帰って頂き感謝致します。ほら、あなたも頭をお下げなさい」
「……はっ!申し訳ございません!私としたことがお客様に見惚れてしまって……あ、いえ!そうではなくてですね……」
「お気になさらず。なんとか合流出来て良かったですよ。ご両親は既にお待ちになられていますか?」
「奥様はいらっしゃいますが、旦那様はまだ戻っておりません。ですがじきに戻られる筈ですのでご安心下さいませ」
「それまで鍛錬……する?」
「どこから出してきたんだい?その木刀」
どこから取り出したか、自分で一本持ちつつもう一本鍛錬用の木刀を差し出してくるクラーラに、ヴィルは呆れた苦笑を零しながら一応木刀を受け取る。
こくりと首を傾げ、受け取って貰えたのが嬉しいのか静かに口元を笑ませるクラーラは可愛らしいが、誘い自体は物騒で全く可愛らしくない。
面会前にも拘らずそんな誘いをするクラーラをメイド二人が窘める。
「なりませんお嬢様。お嬢様はこれからお着替えがありますから汚れても問題ありませんが、お客様は替えのお召し物をお持ちではないのですよ。それに披露した状態で旦那様と奥様にお会いして頂く訳には参りません」
「そうですよ!それにその服は鍛錬用じゃありませんし、汚したら大変ですよ!」
「むぅ……」
そうして木刀を没収されたクラーラはどこか不満げだ。
恐らくは似たやり取りを日々繰り返しているのだろう、メイド達の一連の動きには一種の慣れが存在していた。
クラーラから向けられる信頼、メイド達から向けられる親愛、そんなものを感じ取りヴィルの頬が自然と緩む。
がしかし直ぐに表情を元に戻し気を引き締める、ここはもういつ『剣聖』に会うとも知れない場所なのだ、気を抜いていては勿体無い。
と、ヴィルがそんな事を考えていた時だった。
「――おや、あれは……どうやら旦那様がお帰りになったようですね」
気付いたメイドの一人がヴィルの後方、遠くを見ながら言った。
どうやら偶然にもヴィル達と重なるタイミングで件の『剣聖』が帰宅してきたらしい。
まさかの邂逅、想定外の事態にヴィルは珍しく自分の心が弾むのを自覚する。
最初にその姿を見たのは幼少期にこっそりと参加した終戦の式典、遠目からで豆粒のようだったが確かに視界に捉えていた。
どれだけ遠くから見ても薄れる事の無い恐怖、幼い自分はそう解釈したが今なら分かる、あれは刃物のように鋭く研ぎ澄まされた剣気だったのだ。
当時の憧れは冷めやらぬまま、今現在に至るまでヴィルの胸の内に燃え続けている。
剣の頂き、憧憬の剣士、最強たる『剣聖』、そんな人物と対面出来る期待を胸に、ヴィルは逸る気持ちを抑えつつ振り向く。
――眼前、胴を薙ぐ剛脚がヴィルに迫る。
「――――ッッ!!」
は?と間抜けな息を漏らす事も叶わない一秒以下の間隙、ヴィルの思考が最大まで加速し、殆ど無意識的に運動エネルギー分解力場を最大出力で展開、加えて代償魔術で心臓の鼓動を停止させ魔力を全開放、迫る脚と胴の間に持っていた木刀を滑り込ませる。
思考ごと吹き飛ばす衝撃がヴィルの全身を襲い、横向きに激しく吹き飛んでいく。
二度三度と地面を転がり受け身、体勢を整える。
間違いない、間違えようがない、この本能が沸き立つような鋭い蹴りを放ったのは『剣聖』ウィリアムその人だった。
何故、そんな短い疑問を口に出す暇も思考する猶予も無い、ヴィルの勘が伝えている、追撃が来る。
その予想通り、膝をつきつつ何とか体勢を立て直したヴィルに大上段からの一撃が迫っていた。
その手には木刀、いつの間にかメイドがクラーラから没収したそれがウィリアムの手に渡っている。
『剣聖』が剣を持っている、その事実がどれだけ絶望的な事か理解出来ない人間はこの世には居ないだろう。
ヴィルは久しく感じる恐怖を心の内に抑え込みつつ、咄嗟に頭上に木刀を合わせ防御を行う。
――その剣撃の何と重たい事か。
「~~~~ッッ!!」
木刀同士が打ち合っているとは到底考えられない重撃音が庭園に響き、今にも折れてしまいそうな木刀の断末魔が軋む。
ヴィルは必死に木刀を支えながら、圧倒的な身体能力と身体強化から繰り出される力の前に歯を食い縛って耐えていた。
ウィリアムの一撃はヴィルの持っている木刀と全く同じもの、にも拘らず全身に響くその重さは尋常では無い。
このままでは押し負ける、そう判断したヴィルは剣を傾けて受け流し、横っ飛びに距離を取ろうと試みる。
だが……
(読まれた!?)
受け流して跳び上がり目論見が成功したと確信した矢先、逃れようのない空中で剣を振るわれる。
もしヴィルでなければ得物が木刀であっても両断されていたであろう威力、洗練され尽くした木製の斬撃が世界を斬り裂く。
斬り裂いたのはヴィルでなく世界、ヴィルは咄嗟に足元付近の空気の位置エネルギーを固定、縮めた足を限界まで延ばし攻撃範囲からの離脱に成功する。
都合三度、それがヴィルがウィリアムの剣を空中で避けた回数。
ヴィルの魔術を知らない人間から見れば、足場の無い空中で意味の分からない機動で回避した異常な光景、目の前の現実を信じられず思考が停止したとしてもおかしくない状況だ。
だが『剣聖』は止まらない、着地したヴィルに対し続けて宙へ逃れる道を潰しながらの連撃が叩き込まれる。
逃げているだけでは埒が明かない、相手はそんなに生易しい相手ではない、ヴィルはここで初めて前に一歩を踏み出した。
「おぉぉぉおおおおおおお!!」
迫力、剣気、鬼気、剣圧、言い方は自由だが身体を縛るそれらを、ヴィルは腹の底から声を上げる事で振り払う。
迫る連撃に対しヴィルが取った行動は、それぞれの剣撃に真っ向から木刀を合わせるという選択。
何とも情けない話だが、今のヴィルではウィリアムの剣に食らい付くだけで精一杯、下手な小細工を弄する暇は無く、そんな事をすれば瞬く間に戦況はウィリアムに傾いてしまうだろう。
そして一度傾いた形勢は二度とヴィルの手には戻って来ない、挽回の機会が与えられる程生易しい相手ではないのだから。
であればここで粘らずしてどう戦うというのか。
――ただがむしゃらに剣を振り続ける。
ウィリアムの剣速はヴィルの認識限界のギリギリ、故に迎撃をする毎にヴィルの精神は擦り切れていく。
ただでさえ身の毛のよだつ剣気を常に向けられているのだ、一手の間違いすら致命となり得る無数の斬撃を凌ぎ続けるのは正に至難の業。
だが凌げなければ待っているのは死だ、針の穴に糸を通すような作業を最高速度幾度も繰り返す。
――受ける、受ける、先んじて攻撃を潰そうと試みる、届かない。
受ける、受ける、受ける、鍔迫り合い、そして――激突の負荷に耐え切れず、両者の木刀が遂に崩壊する
当然と言えば当然か、世界最高峰の剣のぶつかり合いに、ただの鍛錬用の木刀が耐えられる筈が無かったのだ。
「「――――ッ!」」
突然の事態に両者の意識に空白が生まれる――そんな醜態を晒す二人では無く、すぐさま拳撃の応酬、拳同士がかち合い距離が離れる。
初撃の奇襲から三十秒と経過していない短時間の攻防、にも拘らずヴィルは苦しそうに息を荒げ常軌を逸した量の汗を流していた。
厳しさで有名な銀翼騎士団の鍛錬をぶっ続けで行ったとしてもこうはならないだろう、対してウィリアムは息を乱す程度に留まっている。
これが今のヴィルと到達点との絶対的な差、いずれ埋めなければならない長い道のり。
ただ一つ、二人の共通点を挙げるとするならばそれは表情だ。
――二人は激戦を心から湧く感情そのままに笑っていた。
傍から見れば異常な光景、だが二人にとってはここで笑う事は当然の帰結だった。
楽しいから笑う、その行動に何を躊躇う事があるだろう。
得物を失った二人だがその程度では止まらない、互いに拳を構え、今一歩を踏み込んで再びの激突を――
「――二人ともそこまで」
する直前、輪って入って来たクラーラが一閃、何の容赦も無くウィリアムに木刀の一撃を見舞う。
極限の緊張感を保っていた中での横槍、気の抜けたヴィルは詰まっていた息を一気に吐き出し、地面に腰を下ろして休息を取る。
そして娘に斬り掛かられたウィリアムはといえば、
「チッ、お前も剣聖の娘だってんなら無粋な真似してんじゃねぇよ。折角こっから楽しくなるとこだったってのによお」
舌打ちまでして途端に機嫌の悪くなるウィリアム、右手で頭をがしがし掻きながら、反対の手では難無くクラーラの木刀を受け止めていた。
「はっ」
それを見たヴィルは呆れた苦笑と共に視線を落とす。
威力速度共に申し分ない剣だったにも拘わらずだ、ヴィルの『第二視界領域』ような異能を持っていない事を考えれば驚くべき武才だ。
もしもあれだけの技量があれば、異能を持つヴィルはより強くなれるだろう。
今は憧憬を向ける『剣聖』ですらヴィルにとっては通過点に過ぎない、超えなければヴィルの存在意義は果たせない。
無力感に苛まれている場合ではない、今はただこの敗北を噛み締め、次の機会に活かさなくては。
「おらよ」
地面に影が差す、ヴィルが思考を打ち切り顔を上げれば、そこには座り込むヴィルに向かって手を差し出すウィリアムの姿があった。
藍色の短髪に端正な顔立ち、しかしその表情は溢れ出る野生を隠し切れておらず、凶暴な本性が垣間見える。
ウィリアムの予想していなかった行動に驚きつつ、ヴィルは半ば無意識的に差し出された手を取る。
「坊主、テメェの剣、良かったぜ。正直一発目でイイの入れるつもりだったんだが……まさか合わせられるとはな。その後のやり合いも悪くねぇ」
思わぬ一言に更に驚愕しつつ、ヴィルは一拍遅れて返答する。
「……いえ、自分の未熟さを恥じるばかりですよ。現に殆ど反撃も出来ないまま一方的に終わってしまいました」
「このオレを相手に三十秒も耐えておいて良く言うぜ。普通オレと戦って善戦したら誇るもんだ。余程理想が高ぇのかただのバカか、オレは前者だって信じてるぜ、なぁ?」
「……恐縮です」
ヴィルは少し照れ臭い気持ちになりつつ表面上は隠し、ウィリアムの手を借りつつ立ち上がる。
そして目の前に立つこの男が、自分が憧れていた「剣聖」その人であるという現実に改めて実感を噛み締める。
今代の『剣聖』ウィリアムと言えば傍若無人、周囲からの反対反感その全てを実力と成果で黙らせて頂点へ上り詰めてきた豪傑である。
それは騎士団長になっても変わらず、指揮は他に任せ自ら最前線へ足を運んだり王族相手に不敬とされかねない言動をしたりと自由な振る舞いを好み、人を褒める事など滅多にしないと聞く。
だからこそヴィルの剣を「良かった」と評したウィリアムの言葉は、これまでの努力が少しでも報われたような気持ちにさせてくれた。
「わたしを無視しないで。あとヴィルは襲われたんだから怒って」
見れば無視される形になったクラーラはご不満でお怒りだった。
胸を張って腕を組み、わたしは怒っていますと言わんばかりに頬を膨らませている。
確かに奇襲を受けたのは事実だ、だが、
「まさか。人類最強の剣士と名高いウィリアム様と手合わせの機会に恵まれたんだ。感謝こそすれ、怒る事なんて何一つとしてないよ」
「……ばか」
ぷいとそっぽを向くクラーラに、獰猛なものと柔らかいもの、二つの笑みが向けられる。
その背後からは戦闘が終わり、慌てて駆けつけて来る二人のメイドの姿があった。
激戦から始まったウェルドール家訪問は、まだ始まってすらいない。
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