第13話 少しだけおやすみ 二
翌朝、現地で儀式の準備を進めていた先行隊と合流し向かうのは、シルベスター領を囲う山が一つ、アグー山だ。
アグー山には隠された洞窟があり、その先には開けた空間が広がっているらしく、そこでレイドヴィルの治療を行う予定になっている。
なんでも今回使う術式の一部には地面の下を流れる魔力の塊、霊脈を利用するらしく、位置的にアグー山の洞窟が最適なのだそうだ。
自然豊かな山の中、レイドヴィル一行は既に馬車に乗り込み洞窟へと歩を進めていた。
道中多少魔物との遭遇などはあったものの、誰一人欠ける事なく洞窟前に到着する。
洞窟の入り口前は広場のようになっており、今はそこで諸々の最終確認を行っていたのだが――儀式目前でレイドヴィルの嫌な予感は的中した。
それは最終確認の最中、軽い昼食を取っていた時の事だった。
「失礼いたしますレイドヴィルさま!お食事を持って参りました!」
そう言ってやって来たのは、先行隊として洞窟内で準備を行っていた隊員の一人で、主に治療に使う術式の調整を行っている人物だった。
そのため術式の調整を終えた今、食事を運ぶ役に立候補したのだ。
彼女は周囲からよくドジをする気の抜けた人物だと認識されていた。
だから食事を楽しみにしていたレイドヴィルに、ポロリと秘密を洩らしてしまっても仕方の無い事なのだ。
「あなたがあのアルシリーナ様とヴェイク様のご子息、レイドヴィル様なのですね!いやー、お会いできて光栄です!」
「こちらこそ僕のために準備をしてくださってありがとうございます。こんな姿でがっかりしたでしょう」
「いえいえとんでもない、こちらこそ不謹慎でした。あのー、名前なんてったっけな、術式を使うあの子とのお別れは済ませました?」
「あの、子?」
「ほら、あの収束術式を組んだ天才ですよ。いやー、あれにはホント驚かされましたよ。まさか術者本人を核に他人の魔術演算領域に干渉を……」
「あなた、それ以上は……!!」
そのことに気付いたメイド長が注意するが、少し遅かったようだ。
「え?あっ……。アハハ……なんでもないでーす――」
「今の話……」
「ヒッ」
殺気すら混じる目線で射抜かれた女性が、情けない声を上げて後ずさる。
この女性の話を聞いた瞬間、信じられない驚愕に目を見開くレイドヴィルの疑問は一気に形となった。
ずっと、ずっと雲のように不定形で掴めない疑念はあったのだ。
朝からのみんなの様子は不自然だったし、イザベルの様子はもっと不自然だった。
視界の端でメイド長が悔しそうに唇を噛んでいるが、それも含めて問い質さねばならない。
「どういうことか、説明してくださいますか?」
その後、沈黙を許さない気迫を纏ったレイドヴィルに、メイド長達が口を割るのに時間はかからなかった。
―――――
レイドヴィル達のいる馬車の外、広場の中心では最後の微調整が行われていた。
現地である程度の準備は行われていたものの、実際にそれを使用するのはイザベルという事になる。
そのためイザベル本人が触れる必要があったのだが……
「レイドヴィル様!!いけません!!それ以上はお身体が!!」
「離して!ベル姉!ベル姉ー!!」
そこに聞き覚えのある女性と少年の怒号が響く。
そしてその声は段々と、こちらに近づいてきているように聞こえた。
何事かとイザベルが声の方向を見ると、進むのを制止するメイド長と、鬼気迫る表情でこちらを見るレイドヴィルの姿が見えた。
イザベルは慌てて立ち上がる。
「ちょ、ヴィルくん!?どうしてここに……動いちゃダメじゃない!」
「ベル姉こそ何考えてるんだよ!僕のために犠牲になるだなんて!!」
イザベルの瞳に動揺が走る。
そのまま前に進もうとしたレイドヴィルがその場で崩れるように倒れたが、先程の叫び声で動けた者は誰もいなかった。
少し遅れてイザベルとメイド長が駆け寄り、周囲にいた人々がアルシリーナ達に報告しようと駆け出していく。
駆け寄ったイザベルがレイドヴィルの足をよく見ると、脛の辺りでありえない方向へと折れ曲がってしまっていた。
抗魔具の方も内側からの圧力に耐えかねるように破壊されており、それが原因で魔術が暴走してしまったらしい。
「ヴィルくん、どうして……」
「どうして?それはこっちのセリフだよベル姉。術式の調整役の人とメイド長から全部聞いた。ベル姉を核に僕と術式を結びつけることで、半ば魂に干渉する形で僕の魔力を半永久的に一か所に収束させる術式。確かにベル姉にしかできない芸当だ、魔術どころか魔法に片足を突っ込んだような神業だよ。そんなベル姉を僕は尊敬してる。けどッ!」
地面についていたレイドヴィルの左腕から嫌な音が鳴り、関節が増えて地面に顔面を打ち付けた。
立ち上がろうと力を込める度、体のあちこちに怪我が広がっていき激痛が走っている筈だが、溢れる脳内物質が痛覚を誤魔化したまま感情を爆発させていく。
「術者は術式に囚われる。結晶化した濃密な魔力の中で意識はなく、年も取らないまま世界に置き去りにされる。そのことを秘密にするなんて、あんまりじゃんか!そのことを知ってれば僕は、治療なんて望まなかった!ベル姉を犠牲にするくらいなら、勇者として死んだほうがずっとましだッ!!」
歯を食いしばり拳を地面に叩き付ける。
拳を叩き付けた地面が陥没し、割れた手から血が滲む。
苦し気に息を荒げるレイドヴィルは目の焦点がブレ、体をフラフラと揺らし、どこか熱っぽい雰囲気だ。
既に相当な無理を重ねている証拠であり、本来なら一刻も早く治療を受けなければならない状況だ。
だが、レイドヴィルを納得させなければその治療もままならない。
イザベルは必死な表情を見せるレイドヴィルに、語り掛けるように話す。
「ごめんねヴィルくん。内緒にしてたことは謝るよ、ごめんなさい。――けど、ヴィルくんの治療を諦める気はないよ。他の誰でもない、私が決めたことなの」
イザベルの決意の籠った言葉を聞いたレイドヴィルは、その意思を拒むようにいやいやと幼子じみた仕草で首を横に振る。
しかしどれだけ否定しても、イザベルの気持ちが変わる事は決して無い。
彼女は既に決めたのだ、目の前の少年を他ならぬ自分が助けるのだと
レイドヴィルの目をしっかり見て、静かに言葉を紡ぐ。
その声は普段よりも低く、落ち着いたものだった。
「ヴィルくんは将来シルベスターを背負って立つ立場になる。そしてその時、きっと多くの人たちが救われることになる。私がヴィルくんを助けることでそうなるの。ヴィルくんなら分かるよね、私とヴィルくんのどちらがいた方がみんなのためになるか」
「違う……そんな、そんな質問はずるいよ……」
考え方としては分かる、そうレイドヴィル自身の冷静な部分が理解している。
けれど駄目だ、感情が、心が、魂が理性の考えを否定する。
そんな結末は認められないと、そんな救いは許容出来ないと叫んでいる。
このままでは、きっとイザベルの考えは変わらない。
そんな事になるくらいならいっそ……そんな自棄を起こした思考が一瞬脳裏をよぎる。
だがそんなレイドヴィルの思考を見抜いたように、イザベルはこれまで見せた事もないような顔をレイドヴィルに見せる。
何故だろうか、初めて見るその表情に目を奪われてやまない。
「――そう、これは私のわがまま。ヴィルくんを助けたいと願う私の、ただのエゴ。だからヴィルくん――私にヴィルくんを、助けさせてくれないかな」
レイドヴィルの目から涙が零れ落ちる。
イザベルはレイドヴィルの体をそっと抱き寄せる。
だがレイドヴィルの手は震えるばかりで、同じようにイザベルを抱きしめ返す事が出来ない。
触れれば傷つけてしまうから、自分の気持ちを伝える事も出来ない。
だから――
「ごめんなさい、ごめんなさいベル姉……」
「もう、謝らなくていいの。ありがとうって、そう言ってくれればそれでいいんだから」
そう優しく言ってくれるイザベル。
だがそれでもレイドヴィルは、騒ぎを聞いて駆け付けた両親とナリアが来るまで、ただ謝り続ける事しか出来なかった。
―――――――――――――――――――――――
――洞窟内、そこは先程の広場からやや下った所に自然に作られた空間。
その空間は数十人が入ってもまだ余裕があり、天井は見上げる程に高い。
今回の用途から考えても十分過ぎる広さだ。
と言うのも、今回の術式はレイドヴィルの魔術演算領域と魔力に干渉して魔術の暴走を防ぐ代物なのだが、際限なく取り込まれるレイドヴィルの魔力は私の魔術特性である『収束』によってこの洞窟内に結晶という形で蓄積される。
その為ある程度の広さがあるというのが条件だったのだが、この洞窟は適任だったという訳だ。
今は岩が剥き出しになっているこの壁や床も、やがて綺麗な魔力結晶で覆われると考えるとどこか感慨深いような気もする。
儀式用の真っ白な装束を着るのを手伝ってもらいながら、イザベルは考える。
計画では、レイドヴィルの肉体の成長が魔術特性に追いついた時に術式を解除する手筈になっていて、そのタイミングは十八歳頃になると予想されている。
――十八歳、今現在私が十七歳のため、次に会う時レイドヴィルは一歳年上という事になる。
その時彼は、どんな風に成長しているのだろうか。
レイドヴィルが私に普通以上の好意を持ってくれているという事に気付いたのは、つい最近の事だ。
いつからだろうと考えて、真っ先に考え付くのはやはり七歳の誕生日の件だろうか。
もしかするとその前から想っていてくれたのかもしれないが、露骨に感情を見せてくれるようになったのはあの時からだと思う。
一方の私はと言うと――分からない。
レイドヴィルはお世話になっている人達の子、私を慕ってくれている子、そこからさらに考えても可愛い弟分といった感じだ。
あまりに歳の差があって考えられなかったが八年後、同じような年齢になった時、私はどう思うのだろうか。
私はそんな幸せな未来を考えて――
「それはないか……」
自分の考えをすぐさま打ち消す。
レイドヴィルは貴族で公爵家、それも建国の英雄と称えられた先祖を持つ指折りの名家だ。
さらに容姿端麗で才能に溢れている彼は、将来学園でも相当に人気が出るだろう。
そうすれば好きな人というものも出来るかもしれない。
あるいは縁談のようなものが挙がって来るかもしれない。
そしてその時、平民で孤児院出身の私が選ばれる事は無いだろう。
いやいやその前に、レイドヴィルを救う事を第一に考えなければ。
捕らぬ狸の皮算用ではないが、失敗などという事になればそれこそ悔やんでも悔やみ切れない。
まずは目の前の儀式に集中しなくては。
「これで準備完了。手伝っていただいてありがとうございました」
「いえ、こちらこそ申し訳ありませんでした。あの時私が注意を怠っていなければ……」
「いやいやいや、頭を上げてください。いつかはバレる事でしたから」
最後の最後まで手伝ってくれていたメイド長がこちらへ謝罪をしてくるが、本当に気にする事は無いのだ。
あの日馬車に乗った時から、あるいは覚悟を決めたあの時からずっと話そう、いつか話そうと思っていたのだが……結局話せず仕舞いだった。
だからきっと、あれは良い機会だったのだ。
あのまま行けばきっと儀式は有耶無耶なままに終わって、レイドヴィルにはやるせない後悔だけを残して終わった筈だ。
折角の私の晴れ舞台だ、みんなにあまり傷を残して終わりたくはない。
それももう今更かもしれないけれど。
「そういえば、あれからヴィルくんの様子はどうです?大人しくしてくれてますかね」
「はい。あれから少し落ち着かれたようで、治療を受けた後はお休みになられました」
「そうですか。喧嘩別れみたいにならなくて良かったです。いつかヴィルくんを説得できるようにと言葉は考えてたんですけど……いざその時になると頭が真っ白になっちゃって。なんとか納得してくれたようでよかったです」
そう話す私に対し、何かを考えるように目を瞑ったメイド長。
……何か変な事を言っただろうか。
首を傾げ、自分の言葉を反芻して考えるが特に違和感は――
「それは違いますよイザベル様。誰一人この結果に納得しているものなどおりません。イザベル様が犠牲になって良かったなんて、誰一人思う者などおりません。私を含め、皆イザベル様のお帰りを心待ちしていますよ」
その柔らかい笑みが心に沁みる。
家族もいない、同年代の友達もいない、そんな私。
けれど八年後世界に取り残された時、私には帰る居場所があるのだ。
――家族と、そう呼べる人たちが待っていてくれるのだ。
眠っているだけで意識はない、そんな時間だけれど、その事実があるだけで私は何十年だって耐えられる、そんな気がする。
「ありがとうございますメイド長さん。私、なんだか元気が出てきました」
「私のような者の言葉が役に立ったのなら光栄です。それでは、参りましょうか」
二人して笑い合いながら儀式場へと向かうと、そこには既に参加する全員が揃っていた。
騎士達の一部は儀式後の秘匿のために洞窟近辺を封鎖していて参加していないが、それ以外の身内が集結している形だ。
私はそのままレイドヴィルの待つ儀式場の中心、私とレイドヴィルの舞台へと足を踏み入れる。
そして横たわるレイドヴィルと目が合った。
彼は何とも言えない表情を浮かべ、すぐに視線を逸らしてしまう。
怒っているのか、悲しんでいるのか、どちらにせよ彼には辛い思いをさせてしまった。
それでもお別れは、笑顔で。
「ヴィルくん、準備はいい?」
「問題ないよ、ベル姉」
とここにきて私の気持ちを察してくれたのか、ぎこちないながらも笑顔を浮かべてくれた。
私は嬉しくなって、レイドヴィルの体を壊れ物に触れるかのようにそっと抱きしめる。
そうして暫くの間、お互いの体温を交換し合う。
こうやってレイドヴィルに触れられるのもこれが最後、次があればそれは当分先になる。
――本当に、長く長く思える数秒間だった。
惜しみながらもレイドヴィルから離れ、私がしばらくお世話になる寝台へと歩みを進める。
最初に見た印象としては、傾斜が七十度程ついたベットという感じだ。
厳かな雰囲気が私の装束とは合っているけれど、肝心の中身がなんだか場違いで恥ずかしい。
けれどそのことはおくびにも出さない、最後くらいは凛としたままで。
「――――」
台座の感触は悪くない。
私はその寝台へともたれかかる様に体を預ける。
「準備できました。いつでもいけます」
私が準備完了の合図を出すと、補助についてくれる術師たちがこちらに頷きを返してくれた。
それを確認して深呼吸を一つ――レイドヴィルの胸、その中に在る心臓に意識が触れ、儀式が始まる。
「術式励起、開始」
私が一言発すると魔術演算領域が出力を開始、それに呼応して洞窟中に魔法陣が張り巡らされ発動、光を放ち始める。
続いて補助役の術師が、術式を安定させる補助術式を発動する。
魔力で土台が出来上がったら、次は詠唱でそれらを形にしていく作業だ。
今この時のために毎日練習をしてきたのだ、失敗は無い。
「『詠み手はここに、界に示す法を織る。紡ぐは収束、描くは螺旋。手元に収むは万象一切!』……」
――詠唱は続く。
基本詠唱の後、私を中心にして光り輝く巨大な魔法陣が現れ、それはやがてゆっくりと回転を始める。
これが私の魔術の最大の特徴である『螺旋法陣』、それによって魔術が構築されていく。
――詠唱は続く。
『螺旋法陣』は私の開発したオリジナルの技術で、本来魔法陣全体が一定方向に回転す箇所を複数の陣に分割、互い違いに回転させる事でより効率的に強大な魔術を発動させるというものだ。
――詠唱は続く。
当然その分の余分な魔力は消費するものの、こういった安定重視の魔術の場合は重宝する。
実は今回のレイドヴィルの治療術式が初採用なのだが、こうして基本詠唱の後の長々とした固有詠唱も続けられているあたり、発動は無事に成功したようだ。
――詠唱は続く。
魔術具等を使わない場合、一般的には無詠陣>無詠唱>法陣詠唱>詠唱の順に素晴らしいとされている。
無詠唱至上主義の人達からすれば眉を顰めるような儀式かもしれないが、これが私のやり方、レイドヴィルを救う私の全てだ。
それだけはどこの誰にも否定させない。
――詠唱が、終わる。
「……『解は成った。救いは、誓いは、ここに立つ!救済天使!』」
最後の詠唱を言い放った直後眩い光と共に術式が完成、レイドヴィルから膨大な魔力が流れ込んで来て――――
―――――
神聖さを感じさせる極光が洞窟中を満たす。
直後、レイドヴィルの体からイザベルの方へ、凄まじい勢いで魔力が吸い取られていく。
その速度は焦燥感、危機感を覚える程のもので、本当にこのままでいいのかと動けないままに不安感が込み上げてくる。
これまであった全能感のようなものが剥ぎ取られ、得体の知れない感情がレイドヴィルを満たす。
しかしレイドヴィルが見たイザベルはやり切ったと言うように体を弛緩させていた為、儀式は無事成功したのだという事だけは察する事が出来た。
――それと同時に、イザベルとの暫くの別れについても。
イザベルの体を、ゆっくりと結晶状の魔力が足元から寝台ごと覆い始める。
「これで良し。なんとかお役目は果たせたみたいだね」
「ベル姉……僕は……」
「うん」
何度も口を開閉し、それでも何を言ったらいいのか分からなくて言葉が詰まる。
対するイザベルは優しい表情でレイドヴィルの様子を待ってくれているが、そのやさしさにいつまでも甘えていてはいけない――このやさしさは、縋れば縋るほど目減りするものだから。
「僕はベル姉に貰ってばっかりで何も返せてない。大きくなったら返そうと思ってたけどそれも当分先で……いつか、いつかちゃんと返せるのかな……?」
不安気なその表情はどこか怒られるのを待っているようにも見える。
その様子にイザベルはそうだねと頷きながら、
「……確かに、ヴィルくんはあんまり私に返せてないのかもしれないね。けど、別に私があげた全部を私に返そうとしなくていいんだよ?私があげたものを使って誰かを助けて、それから余った分をちょっぴり返してくれればいいの。利子なんてものはないんだから、気長に、ね」
冗談めかしたその言葉に慰められつつも、また返さなくてはならないものが増えてしまったなと自分を恥じる。
けれど彼女がそれを望むなら、直接ではないけれど恩を返していこう。
――人のためになる事をする。
イザベルがこれまで多くの事を教えてくれたように。
イザベルがその身を捧げて命を救ってくれたように。
そしていつか、イザベルが目覚めた時に誇れる自分になろう。
もう二度と誰かを犠牲にしなくて済むように、誰よりも強くなろう。
そう決意を新たにした所で、無情にも時間がやって来る。
「そろそろお別れかな。結晶もこんなところまで来ちゃってるし」
イザベルが視線を下に落とすと、既に胸元の辺りまでが魔力結晶に覆われている。
確かにもう殆ど時間は残されていないだろう。
もっともっと言いたい事が沢山あった筈なのに、土壇場になって何を話したらいいのか分からない。
「そんな……待って、まだ話し足りない事がいっぱい……」
「そんな顔しなくても、別にこれが最後の別れってわけじゃないんだから、ね?大丈夫、ヴィルくんのこと、ちゃんと見てるから」
じわじわと結晶に覆われていくイザベルはどこか眠そうに、姉としての最後の言葉を掛ける。
――次に会う時は、もう弟と呼べる年齢ではなくなってしまっているから。
「いい、ヴィルくん。身体には気を付けること。怪我とかしないようにね。それから無理をしない事。またこんな風に重い病気にならないとは限らないんだから。それから……それから女の子を泣かせない事。ヴィルくんは強いしカッコいい。だからこそ女の子には優しくしなきゃ、ダメ。起きた時に、ヴィルくんが女の子をたくさん、侍らせてたりしたら、泣いちゃうからね。それ、か、ら――」
少しづつ瞼が重くなっていく感覚。
それはまさに眠りに落ちるときの睡魔にそっくりで、そのまま身を任せてしまいそうになる。
けれど最後の最後、これだけは言っておかなければ忘れられてしまうかもしれない。
体は固まり、身じろぎ一つできない。
もう首一つ動かす事も出来ないけれど、一言。
「……二つ、約束して。人を助けて、いつも笑顔でいる事。笑った顔っていうのは、人を安心させるものなの。だから、どれだけ辛くても、周りの人を心配させちゃダメ。あとは……ヴィルくん。その時が来たら、あなたが、私を起こすの。ねぼすけさん、って、笑って、私を……」
「ベル姉!」
やっと動くようになった体を動かし、イザベルに向かって手を伸ばす。
もうすぐ、もうすぐ届く――――
「おやすみ、ヴィルくん――――」
――ああ、ちゃんと言えた。
未練を消化したイザベルは、レイドヴィルの手の届かないままに、そのまま微睡みの中へと沈んでいった。
レイドヴィルの心に、深い後悔と空白を残して。
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