第128話 醜悪の怪物 二
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『オオオオオオオオオオォォォォォォォォォォ!!』
地の底から響くような雄叫びと共に、醜悪の怪物が鳴動する。
まだ怪物は身動ぎをしただけ、叫んだだけだ。
にも拘らず怪物を中心に爆音が放たれ、地面表層の砂を巻き込みながら衝撃波が駆け抜ける。
その現象は目の前の怪物が精霊の領分を超えた、ケインソン家が想定した守護精霊を上回る性能を有している事の証左だった。
イリアナが懐から新たな呪符を取り出しつつ、額に汗を浮かべる。
「吠えただけで、この威力か。これは不味いな」
「そうですね。幸いあの巨躯では本体の移動はままならないでしょうから、市街地に手を出される心配は無いでしょうが……触手による攻撃範囲の広さが厄介です。元が守護精霊である以上魔術も失われてないでしょうしね。それに……」
そこで言葉を切ったヴィルは、怪物から意識を逸らさないようにしつつ背後に居るクラスメイト達を見やる。
後ろに立っているのはいずれも、アルケミア学園において最優の評価を受けた秀才達だ。
皆一人一人が誰にも真似の出来ない特殊技能を備え、視点を学園から王国に広げたとしても戦場で一線級の活躍をするだろう事は想像に難くない。
だがそれはあくまでも、将来的にという話だ。
現時点、彼ら彼女らはあくまで学生でしかない。
如何に剣に優れていても、魔術に優れていても、守りに、異能に優れていても、圧倒的に経験が足りていないのだ。
先のならず者を相手にしていた時もそう、一部を除いて生徒達には人を殺める事に対する迷いがあった。
ヴィルはそれ自体を悪いとは思わない、それどころか寧ろ、ヴィルはその迷いを中和させる経験を用意した立場なのだから。
――そう、ヴィルは今回、精霊術師と対峙するにあたってバレンシア達を巻き込む事をあらかじめ決めていた。
ヴィルがその判断を下したのは新人戦が終わった少し後、魔剣の支配から逃れたマーガレッタの見舞いの最中だった。
謹慎が解けた復学後、クラスメイトに受け入れてもらえるかどうかという不安を吐露したマーガレッタに対し、その場では自分が支えると口にしたヴィル。
それは掛け値無しの本心であったが、同時に頭の片隅ではそれだけでは厳しいだろうとも考えていた。
大抵と言うよりは殆どの場合好ましく働くだろうが、敢えて良くも悪くもと評そう――良くも悪くも、ヴィルの友人達は仲間意識が強い。
困っていれば見返りなど無くとも助けるし、友人が傷付けられればその事は忘れない。
今回の場合、新人戦を目前にした模擬戦で、マーガレッタを相手に負傷してしまったのがいけなかったとヴィルは惜しむ。
それより前の彼女の態度を起因とする好感度に関しては打つ手もないが、薬物と魔剣で操られた状態にあったマーガレッタに襲われた際、腕と特に背中を派手にやられてしまったのは痛恨事だった。
確かにどうしようもない場面ではあったのだろう。
魔剣を持っていたとはいえ相手はマーガレッタ、ニアを庇った状態で相手も自分も無傷で事を済ませようというのは高望みが過ぎるだろうし、逆に自分優先で戦っていれば、ニアが傷付けられるという本末転倒の最悪の事態に陥っていた。
マーガレッタとニア、二人の無事欲張った結果の負傷なのだから、ヴィルとしてはその行動自体を後悔するつもりは毛頭無い。
ただ存在するのは、もう少し自分が強く在れれば上手くやれたかもしれないという、希望にも似た漠然とした思いだけ。
そして現実としてヴィルが負傷した事で、ザックやクレアを始めとする友人達はマーガレッタの復学後も、彼女に対し強い抵抗感を残していた。
それは今後の学園生活は勿論、訪れるだろう団体戦にも支障をきたす障害。
そのわだかまりを解消すべく、ヴィルはイリアナに対し、屋内ではなく屋外でデートの話を持ち掛けたのだ。
誰にも知られないよう秘するだけならば、はなから生徒会室を借りて遮音結界を展開すればいいだけの事。
それでも敢えて人の目は避けたとはいえ、盗み聞かれる危険性もある外で密談を行ったのは、ひとえにバレンシア達Sクラスの中心生徒とマーガレッタの仲を取り持つ為。
友人達が自分に対し程度の差こそあれ興味を抱いていたのはヴィルも知っていた、故に少し好奇心を刺激すればすぐにでも食い付くだろう事は容易に想像出来た事だ。
あらかじめ詳細を伏せた上で、フェリシスにだけ話を通してマーガレッタの行動を誘導し、イリアナと校舎裏に向かう道中、リリアが会議に出席している時のクロゥがいつも図書室で暇を潰している事を知っていたヴィルは、わざと時間を調整し図書室から出て来るタイミングで扉の前を通り、これ見よがしにそれらしい単語を交えた会話をした。
そうやって場を設定し、自分とイリアナの尾行という一つの目的の下に動けば、一種の仲間意識のようなものが芽生え関係が改善されるのではないかとヴィルは考えたのだ。
加えて精霊術師というおあつらえ向きの敵と戦えば、上記の計画の補強になる上に殺し合いという意味での対人戦闘も経験出来る、一石二鳥の考えだと今の今まではそう思っていた。
だが蓋を開けて見ればどうだ、思いも寄らぬ第三者の介入により優勢と思われていた戦況はひっくり返り、果てには伝承されていない、もしくは能力が足りないと考えていた守護精霊まで呼ばれてこの様だ。
今回はヴィルの想定の甘さが招いた事態だ、その責任は自分で取らなければならない。
「――イリアナ先輩、ここは僕が引き受けます。先輩はシア達を守りつつ一緒に後退して下さい」
「なっ!?何を言っているんだ君は!あれは一人で勝てる相手ではないだろう!」
「ですが全員で掛かったとして、万が一の事態に陥った場合僕だけでは守り切れません。その点一人なら周囲に気を配る必要もありませんしね」
それにだ、イリアナには言わなかったが勝ち目の無い戦いでは決してない、寧ろ十分勝てる戦いだとヴィルは踏んでいる。
物理と魔術、共に脅威ではあるが的は大きい、真に厄介なのは当然備えているであろう再生能力だ。
吸収された魔力に加え『術式融解』で得た魔力と術式の増強効果、それを踏まえて考えれば削り切るには相応の時間と労力を必要とするが、幸い体力魔力含めて継戦能力には自信がある。
それにもし首尾よく守護精霊の脆弱性、例えば核のような弱点や術者本人を叩く事が出来れば短期決着も有り得るかもしれない。
後顧の憂い無く戦うその為にも、イリアナ達には下がってもらった方が効率的なのだ。
「ごめん。そんな訳だから皆は先輩と一緒に後退を――」
「――馬鹿言うんじゃねぇよ。自分はあのバケモノと戦って俺らには後ろで見とけってのか。んなのこの場の誰も呑みゃしねぇよ」
ヴィルが怪物と化したフェリドから目を逸らさないまま説得を始めたその瞬間、言葉を遮るように背後から抗議の声が上がる。
声の主はザック、振り返ってみれば、小馬鹿にしたような顔でヴィルに向かって歩いてきている所だった。
「ザック……。けど、皆興味本位で僕と先輩を尾けて来ただけじゃないか。それでいきなりあれと戦えなんて間違ってるよ。別に皆を弱いと思ってるとかじゃ無いんだ。けど、あれはまだ早すぎる。君だって覚悟が決まった訳じゃ無いだろう」
「そうだな。正直に言やビビってるさ、あんなでけぇのと戦うのはな。けどなヴィル、お前は一つ勘違いしてるぜ」
「…………?」
「俺らはバケモノを倒すために戦うんじゃねぇ。ダチと副会長を、守って助けるために戦うんだ!」
「っ!」
快活に笑い力強く断言するザックの言葉に、思わずヴィルは言葉を失う。
だってそうだろう、ザックの言い分は言い回しを変えただけの言わば詭弁だ。
敵を倒した結果守るのと、守る為に敵を倒すの、そこに何の違いがあるというのだろう。
その事を言ってしまえば良かった、なのに、紡ぐ言葉が出て来ない。
「それに、全員守ってやらなきゃって上から目線も気に食わねぇな。守って欲しけりゃそう言うし、逃げたきゃとっくに逃げてるよ。そこの判断は俺ら個人の問題だ。勝手に命背負ってんじゃねぇよ」
そうしている間にもザックはヴィルを否定しながら近づいて、握った拳でヴィルの胸を叩いた。
ずんという衝撃が、言葉と共に胸の内に響く。
「先を越されたのはムカつくけど、アタシもコイツと同感ね。ヴィルにばっかカッコつけさせるもんですか」
「私の行動は私が決める、あなたの思い通りになんてなってあげないわ」
「わたくしだって!貴族たるもの、率先して前に立たなくては。平民の後ろに隠れてこそこそ守られるだけなんて、許されませんのよ!」
ザックの言葉を皮切りに、他の生徒達も次々に声を上げる。
思い思いに紡がれる言葉にはヴィルへの異論や不満が込められており、誰からも戦う意志を曲げるような発言は無く、その全てがヴィルの望みとは逆の方向を向いていた。
困ったように眉尻を下げるヴィルに、そっと近づいてきたフェリシスが耳打ちしてくる。
「残念でしたね、思い通りにならなくて。皆さんヴィルさんが考えているみたいに守られるだけの存在じゃないという事です。ちなみにですが、私も皆さんと同じ意見ですので悪しからず」
ちくりと刺すようなその言葉で、ヴィルは自分の見通しの甘さを突き付けられた気分になる。
フェリシスはマーガレッタとSクラスの中心人物達との関係を改善するという共通目的があったからこそ、自分の計画に乗ってくれたので裏切りという訳では無いのだが、こうも露骨に期待を裏切られるとは思ってもみなかった。
けれどどうだろうか、不思議の胸の内に不快な感情は湧いて来ない。
ヴィルの肩に、そっと手が置かれる。
横を見てみれば、そこには穏やかな表情を浮かべるイリアナが居た。
「イリアナ先輩……」
「別に一人で全てをこなす事が悪だと言う気は無いよ?それでどうにかなるのなら理想だし、きっとヴィルにはそれだけの力があるんだろう。けど、それは可能不可能だけの話だ。理想と現実は違う。この場の誰もが君の隣に立ち、共に戦いと願っているんだ。その思いを邪険にしてまで一人で戦う必要は無いと、私は思うよ」
それはきっと先達特有の、経験則から来る助言というやつなのだろう。
だからこそその助言は胸の奥にすとんと落ちたのだ。
「――分かった、僕の負けだよ。認めた上で、皆にお願いしたい。僕と一緒に、あの怪物と戦って欲しい」
頭を下げてのヴィルの申し出に、否を唱える者は誰一人として居なかった。
それどころか全員で戦うのが当然とばかりに、待ってましたとばかりに意気揚々とそれぞれ戦闘態勢を取る友人達に呆気に取られるヴィル。
「はっ」
思わず笑みが零れる。
ヴィルはそれまで考えていた戦略を全て捨て去り、再構築していく。
多少手間だが面倒だとは思わない、これだけ豊富な人材が揃っているのならば、もっと効率的な戦術も実現可能だろう。
――それに何より、この友人達と危険度度外視に賭けてみたくなったのだ。
まず手始めに、相手の性質について知る必要がある。
「それじゃあ始めようか。まずはシア、フェロー、マーガレッタ。簡単なので良いから魔術攻撃を仕掛けて欲しい。まずは怪物の性能を見極める」
「「「了解!」」」
ヴィルの合図で三人が動く。
それぞれ火、風、雷の魔術が発動し、一斉に怪物に向かって射出される。
彼我の距離は十五メートル前後、学園の最上位たるSクラスの生徒が外す訳も無く、放たれた魔術が怪物に直撃した。
爆炎が肉塊を呑み込み、生じた炎ごと風の刃が斬り裂き、醜く焼け爛れた裂傷に雷撃が這い回る。
怪物から上がる絶叫。
それは一見、十分な効力を発揮し怪物にダメージを与えているように感じられた。
だが……
「駄目だな、俺の風は効きが微妙だわ。シアとマーガレッタはどうだ?」
「わたくしもですわ。普通雷撃というのは身体の深くまで通る筈なのですけれど、どうも通りが悪く感じましたわ」
「同感ね。込めた魔力量的にもう少し焼けていてもおかしくないと思うわ」
「恐らく精霊生来の魔力耐性だろうね。下級はともかく中級以上になれば持っていて当然の能力だ。あの怪物は中級か、あって上級の下位くらいかな。受肉した影響か僕の想定よりも耐性が低いのと、炎は他の属性に比べてマシみたいだね」
確認から上げられる報告を加味し、対象の能力を分析していく。
魔力に対する反応は知れた、次は属性への耐性だ。
「イリアナ先輩。基本八属性と、それから物理と非物理。それぞれ均等の威力でぶつけてもらってもいいですか?」
「弱点属性の有無だな。任された」
イリアナはそう言うと呪符を計十六枚、手慣れた様子で束から引き抜いて空中へと無造作に投げ放つ。
傍から見れば投げ捨てたようにも見える呪符だが、それは誤りだ。
『パレット』、それは術式の遠隔励起が可能な万能、魔術と魔術具の中間とも言える呪符を媒介に発動する固有魔術。
呪符がそれぞれの属性を象徴する色を帯び、色に対応した魔術が次々と発動されては怪物に突き刺さっていく。
火、水、氷、風、土、雷、光、闇の八属性に及ぶ魔術、更にその物理版を含めた十六種の弾幕に、怪物は悶えるように身体を震わせている。
十六の魔術は、そのどれもが人間に当たれば致命傷となるであろう威力で放たれたものばかり。
しかし当然というべきか、人を十六回殺めて余りあるイリアナのパレットを以てしても、怪物攻略の決定打とはなり得ないのだった。
イリアナの表情がやや悔しげなものへと変わる。
「検証が目的とはいえ、これで決められれば良かったんだけど……そう上手くはいかないか」
「十分ですよ。先輩のお陰で大体の能力は掴めました。まず非物理の魔術は総じて効きが悪い印象です。強いて言うなら火ですが、それも軽減されているみたいですね。後は物理ですが……こちらは軒並み効いていないように見えます。ですが逆に、火属性物理魔術だけは殆どそのまま通っているようです」
「半分生物としてそこに在る以上、定めからは逃れられないという事か」
「火は大抵の生き物にとっての弱点ですからね。ただ、この場に火の物理を得意としている生徒が居ないのが痛いですね。先輩と、他では同じ火系統でシアくらいでしょうか。しかしそれも効率が良くない」
「そうだね。残るはヴィル達近接組で斬り刻めば或いは、といった所か。それもあまり期待は出来ないが……む」
イリアナはそこで言葉を切り、やや表情を硬くして怪物へと目を向ける。
その視線の先では、怪物に刻まれたバレンシアやイリアナによる外傷が、凄まじい勢いで再生されていた。
「やはり持っているか」
「あの手の怪物にはありがちな能力ですからね。反撃、来ますよ!」
それまで何の抵抗も見せなかった怪物だったが、大量の魔術を浴びせられ流石に看過出来なかったのか、肉体に変化が訪れる。
凸凹しか存在しない肉塊に、十一の眼球が出現したのだ。
そしてそれらの目が、それぞれヴィル達を捉える。
直後、先程よりも目に見えて速度の上がった触手が、今度はより太い肉の槍としてヴィル達に襲い掛かって来たのだ。
ザックが身の丈程の大剣で一度に二本の触手を斬り落とす、魔術製の大剣ではあったが、魔力耐性は結界には適応されないらしく、更にフェリシスに向かっていたもう一本の触手も同じ末路を辿った。
クレアは槍という武器の性質上、大木の幹のような触手を相手取るには苦労するかと思われたがそこは槍使い、襲ってきた触手を軽やかに跳躍して避けて急降下、串刺しにして地面へと縫い付ける。
後は切断に適したザックにくいくいっと手招きをして完了という訳だ。
などと傍観している訳にもいかない、ヴィルとイリアナの下にも三本の触手が殺到してきている。
あれだけの数魔術を撃ち込まれたのだ、イリアナの優先順位が高くなっていても不思議では無い。
先ずは一本目、迫り来る触手に対しヴィルは右手の刃渡り六十センチ程の片手直剣を選択、逆袈裟に難無く斬り飛ばす。
続く二本目、あろうことか左の刃渡り十五センチの短剣を逆手に構え、直進してくる触手に添わせるようにして滑らせる。
こちらは実剣でヴィルが持ち込んだもの、とはいえ槍と同じくあれだけの太さの触手を斬り裂くには些か不安が残る――それがただの短剣であれば。
押し当てられた短剣はそんな不安を裏切るように怪物の肉を容易く裂き続け、止めを刺す二連撃が触手を完全に断ち斬った。
ヴィルの後方でイリアナが微かに驚く雰囲気を感じる。
だがそれは未知への驚きではなく、既知を実際に見た事への驚きだった。
触手をバターのように斬ってみせた短剣はただの短剣ではない――『精霊殺し』、それが無銘の短剣の能力だ。
効果は名は体を表す、その名の通り触れただけで精霊を殺すのが『精霊殺し』である。
その筈なのだが……
(やっぱり殺すには至らない、か……)
『武装鋳造』で造られた剣よりは多少斬りやすい感覚こそあったものの、怪物は未だ健在。
その事実が指し示すのは、怪物が精霊の枠を外れているという事だ。
短剣は精霊術師と対峙する上で、ヴィルが少なくない資金を投じて今回の為に入手した切り札。
死体を喰らった時点であまり期待はしていなかったが……
(さて、どうやってこの怪物を攻略しようか)
眼前、大量の魔法陣を浮かべて咆哮する怪物を相手に、ヴィルは無数の策を取捨選択し思考を紡ぐのであった。
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